デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

私は基準のどこらへん?

 

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 私はどちらかといえば背が高いほうで、ボケッとしているとよく頭をぶつけます。混雑している電車に乗ったら、中吊り広告や吊り革が頭に乗っかるし、乗り降りするときは少しだけ屈みます。キッチンも私にとっては低いので、料理をするたびに腰が痛くなります。私は基準の外…。でも、その高さが平均的には丁度いい。

 

自分を基準に物事を判断することは、決してわるいことではありませんが、自分がどの位置にいるかは客観的に分かっていないといけません。あることを決めるときに、自分が基準の外にいるのに自分の感覚で判断すると必ず歪みが生まれます。先日、お部屋をコーディネートする仕事で、私が少し屈んで仕上がりをチェックしていたのを立ち会った方が不思議そうに見ていました。「なんでしゃがんでるんですか?」「いや~、女性の平均身長は157cmぐらいなんで…」。

 

 

すぐに応えてくれる?

 

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 おじさんになった今でも、バスに乗るたびに降車ボタンを押したい気持ちになります。子供の頃は、ランプが点いて音が鳴るのが楽しかったんですよね。でも、今でも楽しいのはきっとそれだけが理由ではなくて、自分が押したことによってバスが停車してくれるという一連のアクションが、押したい気持ちにさせているような気がします。

 

自分の行動がきっかけになって何かが反応したり、何かが変化したりすることは、やりたくなること。クラウドファンディングでお金を集めやすいのは、自分の力があって達成できたという実感があるからだったりします。逆に自分が何かしたのに反応が遅かったりリアクションが無い(見えない)と、それはやりたくないことになっていくように思います。だから、積極的に自分と関わってほしいと思ったら、反応することが大事。なかなかできていませんが、周りの人が何かアクションを起こしたら、すぐに反応するようにしています。

 

 

シールを集めて貰いたい?

 

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 商品100円ごとに1枚シールが付いてきて、それを40枚貯めるとお皿がもらえる。それを聞いた男の人が、「4,000円でその景品より何倍もいいお皿が買えるよ!」と言いました。半分冗談だと思いますが、シールを集めて景品と交換する人は、お金をかけたいわけではないし、そのお皿が手に入ればいいわけでも、いいお皿が欲しいわけでもありません。シールを集めてそのお皿と交換したい。

 

自分には無い価値感を本当の意味で理解することはきっとできませんが、「そういう価値観もある」ということは自分の引き出しに入れておいたほうがいい。そうしないと、自分の価値観内のロジックで整頓してしまう癖がついてしまいます。「4,000円分商品を購入しても欲しい景品」ではなく、「40枚シールを貯めても欲しい景品」。同じようで全くちがいます。いろんな価値観を吸収して、自分の中にいろんな人が住んでいるような状態にすると、本当の自分が納得できないことも、すんなり納得できたりします。

 

 

混ぜないのがお好み?

 

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 あえて『まばら』にしたことが素晴らしい!...。何か忘れましたが、むかし観たある料理対決での印象的なコメントです。一方は、最後のひと口まで同じように味わえるような料理。もう一方は、口の中で段階的に味わえる料理でした。噛んだ瞬間は〇〇で次第に△△になり、飲み込む時には□□…。Aの食材が色濃く出るときもあれば、Bの食材が前面に出てくる瞬間もある。確かそんな感じでした。

 

不均一であることと、楽しい・飽きない・親しみやすい・ワクワクするなどは深く関係しているなと思っていて、周囲を見ていてもどこか均一にならないようにしているように感じます。コーヒーに入れたミルクを混ぜない人がいたり、商品を全て同じように陳列しなかったり、オシャレに敏感な人がどこか外さなきゃ♪と思うのもきっとソレ。整然としている感じは、それはそれで魅力のある表現ですが、『まばら』だから魅力的なこともたくさんあります。

 

 

想像させられる表現?

 

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 ただ単に寂しそうな顔をしている人を見たら、「寂しそうだな」と思います。でも、犬の顔になった人が寂しそうな顔をしていたら、「寂しそうだな」に見る人の想像が加わります。「犬ってことは、家族が出掛けてしまって寂しいのかな…?」「寒いから外に出掛けたくないけど、誘いを断れなくて困っているのか…?」。

 

あまり良い例ではありませんが、見たままの印象で完結してしまうと、そこから先に広がりにくいと思っています。誰が見ても同じように受け取るメッセージよりも、いろんな憶測をしたり賛否両論が生まれるメッセージ。広がるデザインは、コンセプトや売り文句を語っていないイメージもあります。だからといって、ただ伝えないだけだと想像するまでに至りませんし、伝えすぎればそこで納得して終わってしまう…。広がっていくために必要なことの1つに、「いろんな想像をしてしまう伝え方」があるかもしれません。

 

 

正月は河川敷が穴場?

 

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 お正月に毎年恒例になっているのが、近くの河川敷でサッカーをすること。ここ4~5年は、地元の友人で集まって遊んでいます。地元で集まれるのがそのタイミングだからという理由もありますが、もう1つの理由は、河川敷に誰も人がいないから。昔は凧上げや羽根突きをしている親子がいましたが、今はほとんど見かけません。急に集まって遊べる地元の穴場です♪

 

自分が利用しやすい穴場をいくつか知ってると便利。ちょっと喫茶店でひと仕事したいときなんかは、ターミナル駅の駅前で喫茶店をいくら探しても満席だったりしますが、駅構内のカフェは空いてたりするんですよね。金曜日の夜に、予約無しで入れる駅前の美味しいお店も重宝しています。誰しも自分の穴場があると思いますが、実用的な穴場を知っていると、ちょっとだけ快適に過ごせたりします。

 

 

甘酒嫌い。粕漬け好き。

 

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 私は甘酒が苦手です。お正月にふるまわれる機会もありますが、今まで何とか回避してきました。でも、焼き魚が好きなので粕漬けはよく食べます。梅干しを単体で食べることはありませんが、梅肉ソースは好き。自分で作るカルピスは好きですが、カルピスウォーターはあまり買いません。ちょっと周囲からは面倒がられる好みです。

 

イデアを考えるような場合に、「甘酒が嫌いってことは、粕漬けも嫌いだから…」というように、他のことと関連付けたり、事実を展開したりしますが、明らかにそう思えることでも事実から外れてしまうことがあります。「甘酒が嫌いなら、粕漬けも嫌い」となるとは限らない。人混みがイヤで寒いのも苦手…、基本的には家にいるのが好きで行事に全く関心がない人でも、元旦に初詣に行くのが習慣になっているかもしれません。

 

 

自宅の住所を教えたくない?

 

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 昨今、年賀状を送らなくなった人が多い理由の1つに、『自宅の住所を他人に知られたくない。』があるそうです。個人情報に敏感になっているので、仕事に関わらず、友人に自宅住所を教えるのも躊躇してしまうようで、SNSなどに代替されるようになった背景は、面倒だからという理由だけではないようです。

 

もしその理由の方が大きいとしたら、年賀状はまだ復活する余地があるかもしれないと思いました。私書箱をうまく利用する人がいるかもしれないし、差出人が住所の詳細を知らなくても相手の自宅に届く方法が確立されるかもしれません。1つの理由で納得してしまうと、解決策が見つけられなかったりしますが、別の理由からなら解決の糸口が見つかったりします。この理由じゃお手上げだ…となったら、別の理由を探してみてはいかがでしょう。

 

 

2名様はカウンターへ?

 

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 2人で一杯やって帰ろうとお店に入ると、お客さんは1組だけ。のんびり呑みたかったので掘りごたつの席を希望してみると、カウンターを案内されました。週末や混雑する時間なら仕方がないと思えるんですが、これからお客さんが来る気配がなかったので、「2人だけどいいかな~」と軽い気持ちで伝えてみましたが、叶いませんでした。

 

2名様はカウンターで、3名以上なら掘りごたつ…。そのマニュアルは、効率的に席を埋めるためには正しいかもしれませんが、お客さんの満足を優先するためには当てはまらない場合もあります。靴を脱ぎたくない女性がいるグループだったら、3名以上でも掘りごたつじゃない方がよかったりします。各々の感覚に任せるのは難しいことですが、マニュアルはあくまでマニュアル。「あのとき対応してくれたんだから、今回もいいじゃないか!」を恐れて対応を変えられない気持ちは分かりますが、実際に応えられないとしても、応えようとしてくれる気持ちが嬉しかったりします。

 

 

サポートを無くせば覚える?

 

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 デザインの仕事をはじめてから、力がついたな~と実感できたタイミングが2回あります。1回目は、会社で自分が責任者になったとき。2回目は、フリーランスとして独立したときです。ともに共通しているのは、自分が最後の1人になったことです。分からないことでも、1人になったら覚える…というか覚えるしかないからです。

 

自分も含め、成長の妨げになっている理由をよく考えるんですが、その1つで『周囲に助けてくれる人がいる』がとても大きな理由だと思っています。終わらなかったら助けてもらえる…。分からなかったら聞けば答えてくれる…。それらが、無意識に自分でやらなきゃいけない範囲を狭めているような気がします。助け合うことは大事なことですし、バックアップメンバーが控えているから思い切って取り組めたりもしますが、本当にそれを身に付けたいと思ったら、少なくても1度は自分で最後までやってみたほうがいい。失敗も必要ですからね。

 

 

表紙ほど力を入れない背表紙?

 

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 以前、雑誌の表紙をデザインしたことがあります。そのときを思い出してみると、表紙は何度も検討を重ねてデザインを詰めたのに、背表紙はあまり時間をかけて考えていなかったような気がします。書店に置かれる際、表紙が見えるように平置きされたり、ラックに表向きに並べてもらえる想定で考えていたからです。棚に入っていたら一番はじめに見えるのは背表紙なのに…。

 

全部パーフェクトにできればそれに越したことはありませんが、限られた時間の中でそれができないこともあります。ただそのときに、どこに力を入れるべきかの判断が重要になる。本当に重要なポイントに力を入れた方がいいかもしれないし、他とは違ったポイントに注力した方がいいかもしれない。力を入れている部分がズレていることもあるので、ずっと同じようにやっていたら見直してみてはいかがでしょう。

 

 

無意識に目で追うキーワード?

 

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 私の妻はあるキャラクターが大好きです。好きなものがたくさんあったらとても覚えられませんが、そのキャラクターだけなので無意識に目で追ってしまって、街中にあればすぐに見つけてしまいます。「私は〇〇が好き!」が、刷り込まれているんです。

 

アレもコレも好きだと言っている人のことはすぐに忘れてしまいますが、「私は〇〇!」という人はなぜか覚えていることが多い気がします。「そう言えばあの人、〇〇が好きって言ってたな…」。前回会ってからだいぶ期間が空いて声を掛けてもらえるときは、強いイメージが1つだけ残っていて、そのキーワードをきっかけに思い出してもらえてたりするんですよね。「私は〇〇!」を1つ作っておくだけで、覚えてもらいやすいだけでなく、相手がそれに関わることに接触したときに声を掛けてもらえるかもしれません。

 

 

居酒屋さんが行く居酒屋さん?

 

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 家の近くに、夜10時に開店して明け方まで営業している居酒屋があります。私もたまに利用していますが、駅から少し離れた立地とその営業時間で、どうして成り立っているのか知りたくて店長に聞いてみました。「メインのターゲットは、駅前の居酒屋で働く人たちなんだ。自分のお店を閉めた後に呑みに行ける所は意外とないし、この辺りに住んでいる人が多いからね♪」

 

時間軸をずらして考える。土日に仕事をしている人にとっては平日が休日だし、明け方から仕事をしている人にとっては、みんなのランチはディナーになる。自分の生活リズムの中だけで考えずに、他のリズムで生活している人になりきってみると、ありきたりのモノも全くちがった見え方になります。つい最近オープンした美容室も、決して立地条件が良いわけではありませんが、夜の10時半まで営業しているので、平日でも会社帰りの人で賑わっています。

 

 

汚れるけどキレイな服装で?

 

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 私はデザインの仕事をしているんですが、世間一般のイメージとは裏腹に、汚れることも多い仕事です。工事中の現場に入ることもあれば、床に寝そべって何かの裏側を調べることもある。試作品をつくっている工場に行けば、帰宅後にあちこちの穴から謎の粉が出てきたりもします。

 

以前は「どうせ汚れるから…」と、汚れてもいい格好をしていました。でも今は、できるだけキレイな格好をしています。とは言っても、黒っぽい服装をやめて白系の服にしているぐらいですけどね。白い服を汚して帰ってきてはよく妻に怒られています(笑)。理由は一口に言えませんが、その方がいいことに気付けたから。作業をするのにスーツを着ていくような失礼なことはもちろんしませんが、自分の立ち位置を考えるとそれがいいんです。コックさんがピカピカの白い服をきているのと似た理由かもしれません。