デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

タイムを縮める?

 

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 私はデザインの仕事をしています。ただ自分で言うのもなんですが、飛び抜けた技術やセンスを持ち合わせているわけではありません。また、特別安価で請け負っているわけでもなく…。それでも依頼してもらえる理由の1つは、「スピード」だと思っています。

 

徹夜はしません(というか体力的にできません)し、作業スピードがはやいわけでもないんですが、完結するまでの時間についての意識は持つようにしています。どのタイミングでどの確認をして、どの時間で何をやるか。それでもし時間に余裕ができたら、デザインを推敲する時間に当てれば良いという考えでやっています。また、段取りが1パターンだと、何かが止まった時に手が止まることがありますが、そうならないやり方で都度対応する癖をつけました。才能に溢れた人ならそこまで考える必要はないことですが、自分の力が周囲より見劣りしてしまうと感じたら、相手のやりやすさにこだわってみてはいかがでしょうか。

 

 

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ソーサーという考え方?

 

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 コーヒーカップ。それだけでも機能するものですが、コーヒーカップはソーサーがセットになっています。元々のソーサーの意味は諸説ありますが、現代では、スプーンを置いたり目で見て楽しむ目的で残っているようです。味の感じ方に大きく影響するといった研究結果もあるとか無いとか…。

 

機能美と言われるものは、単に機能を集約したカタチと思われがちですが、私の解釈は、機能以上の効果をもたらすカタチです。「機能を最大限に発揮する」ではなく、「機能を超える」。例えばコップなら、機能だけを考えれば絵柄は必要ありません。でも、そのコップを使いたいと思う衝動やそのコップで飲む楽しみは、絵柄が役割を担っています。削ぎ落とすことが機能美ではない。シンプルなデザインが流行ったときに、先生から言われた今でも覚えている教えの1つです。

 

 

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自分の立ち位置?

 

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 初めて誰かに会ったとき、どう接したらよいか迷うことがあります。私がコミュニケーションが得意ではないという理由もありますが、一番の理由は、相手がどんな人なのか分からないから。プライベートなら、友達の先輩なのか?同僚なのか?。ビジネスなら、どんな役割を担っているのか?決裁権がある人なのか?。だから、大抵ははじめに自分がどんな立ち位置なのかを伝えることが多いと思うんですが、それをしてくれない時に少し戸惑います。

 

ある芸人さんが、漫才をする際にはじめに自分たちを簡単に説明するのが基本だと言っていました。「イケメンなのに全くモテない○○と、ブサイクでもモテる××でやってるんですけど…」そう伝えることで、「この人はモテる人」「こっちはモテない人」として、その後のネタを見てもらえるという話です。話を聞いてもらえないのは、立ち位置がよく分からないから。聞く耳を持ってもらうためには、まず自分がどんな人か知らせてみるのも1つかもしれません。

 

 

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「起承ーー」?

 

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 これまで私は、視点を変えて物事を見てそれを展開したり、伝えたい人に伝わるようにまとめたりしてきました。ただ、自分が引き込まれたことを思い返してみると、そうしていないものも多々あることについて考えてしまいました。

 

例えば、フランス映画。あまり好まない人もいるようですが、私はなぜか好きで結構観てしまいます。そこに、ハリウッド映画のような大きな展開や観終わった後の爽快感は確かに無いのかもしれません。心にもやがかかったような感じにもなる…。ただ、その時にこちらが何かを受け取ろうという姿勢になっていることに気付きました。結果、本来伝えたいことと仮に異なって受け取ったとしても、能動的に受け取ったメッセージは強く残っています。展開やまとめが無くても、その事象だけで伝えられる。身の回りの物事はどれも分かりやすく、こちらが受け取るつもりがなくても受け取ってしまいます。だから私は、変に強調せずにそこに流れているままを伝えられると魅力を感じてしまうのかもしれません。日常をただ描くようなアニメがウケていると聞いたことがありますが、それも納得です。

 

 

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空気のデザイン?

 

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 ピーンと張り詰めた空気の洋服屋さん…私は苦手です。それが、オーダースーツのテーラーや高級ブランドなら、しっくりくるんですが、カジュアルブランドやセレクトショップで漂う緊張感は無い方がいいような気がしてしまいます。

 

先日、たまたま入った町の洋服屋さんは、とても居心地の良い空間でした。単に気軽に入れるだけではなく、楽しく選べるような空気、ついつい試着したくなるような空気、その服を着てどこかに出掛けることを想像しちゃう空気がそこにはありました。内装にお金をかけているわけではないし、レイアウトが機能的なわけでもありません。教科書では学べない、肌で感じたことを形にしていったイメージです。空間づくりの基本は本や学校で学べることかもしれませんが、お店の店員さんたちがそういった空気づくりに長けているのは、きっと肌で学んできたから。デザイナーと名乗っている人より空気づくりが上手な人はたくさんいます。

 

 

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70kgの用紙?

 

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 紙の厚さは、70kgといった重さの単位で表すことがほとんどです。印刷関係の仕事をしている人にとっては当たり前の話ですが、関わりのない人にとってはピンとこない話。「70・90・110kg、どれにしましょう?」と言われても、選ぶことができません。

 

自分たちのことをよく知らない人と話すときに専門用語を使うな!と言われますが、それは専門用語を使うことがわるいからではなく、相手に分かりやすく伝える配慮が足りていないからです。同じようなサービスの会社でも、よく観察するとその配慮に微妙な違いがあって、親切な会社は、「ライトに当てると裏側が透けて見えるぐらい」「一般的なコピー用紙ぐらいの厚さ」「官製はがきよりも少し薄い」など、一般の人でも紙の厚さをイメージできる表現を使っていたりします。それが仮に曖昧な表現であっても、その配慮が人の心を動かす。もし、今伝えている内容で十分伝わる表現であったとしても、それを十二分にして嫌な人はたぶんいません。

 

 

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知らないモノは高く感じる?

 

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 先日、妻とちょっと背伸びをして割烹に足を運びました。きんめの煮付け2,400円。それが目当てだったこともあって、躊躇なく注文しましたが、数年前の私だったら、そんなふうに即決で注文できなかったと思います。

 

きんめの煮付けを食べようと初めてちょっといいお店に食事に行ったとき、その値段を見て私は「高い!」と思いました。でも、和食屋で働いていた経験のある妻は「良心的な値段だなぁ…小さいのかな?」と。妻は、きんめ鯛の相場を知っていて、和食屋ではどのくらいの値段で出しているかを知っているから良心的だと感じ、相場も手間も知らない私は高いと感じたということです。世の中で「高い!」と感じるモノをその視点で見てみると、確かによく知らないモノが多く、歳を取るにつれていろんなことを知るようになって、それが妥当だと分かるようになりました。手が出せるかどうかは抜きにして、「高い!」と感じさせるということは、まだよく知ってもらえていないのかもしれません。

 

 

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カラダとココロの健康維持?

 

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 私はフリーランスで仕事をしていることもあって、体調を崩さないように気をつけながら生活してきました。それと同時に気をつけていたのが、精神面のケア。もともと根がネガティブで打たれ弱いこともあり、精神的に不安定にならないよう心掛けてきたんですが、ここ最近、少し心のバランスが崩れて立て直しに必死になっています。

 

これまでは、息抜きや気分転換に何かをすることで解消できた心のバランスの崩れ。でも今はそれで立て直せなくなっています。ただ先日、ひょんなことで気分が一気に上向きに♪。それは自分がやったことの結果が出たときでした。先日、インテリアのコーディネートをした物件が無事に売れたと担当者から報告が…。さっきまで曇っていた心が一気に晴れました。結果を出す。やろうと思って簡単にできることではありませんが、どんなことでもいいからとにかく結果を出すことで、心のケアができるかもしれません。

 

 

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魅惑のロング缶?

 

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 私だけかもしれませんが、缶ジュースのロング缶(缶コーヒーがタテに長くなったサイズ)をつい選んでしまいます。350ml缶よりも量は少ないんですが、妙なお得感があるんですよね。ロング缶の容量は250ml。350ml缶を短くしたサイズも容量は250mlで同じみたいなんですが、なぜか同じように感じません。

 

先入観や錯覚などで、大きく感じたり多く感じたりするのはよくあることだと思いますが、私の場合はたぶん思い出の影響。子供の頃、家族でよく登山をしました。街中の自販機で売っているジュースは350ml缶。でも、途中の山小屋などにある自販機は250mlのロング缶でした。それがとてもキラキラしていて、同じ味のはずなのにとてつもなく美味しく感じたような気がします。何かを魅力的に見せる方法は世の中にたくさんあると思いますが、その人の思い出とリンクさせる方法もその1つ。魅力を感じて欲しい人が、どんな思い出を持っているのか?を探ってみるのもアリかもしれません。

 

 

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思いを汲める人になりたい?

 

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 無地で落ち着いた色の服しか着ない友達が、あるとき柄の入った明るい色の服を着ていました。私が「どうしたの?」と尋ねると、「あ~、これプレゼントでもらったから」と。自分のやり方やスタイルにこだわるタイプの友達だったこともあり、自分の意に反することでも相手の思いを汲んで受け入れる人柄にとても好感を持ちました。

 

私は昔、誰かが一生懸命に作ったもの、自分のためを思って用意してくれたものを、ないがしろにしてしまったことがあります。「自分はこっちの方が使いやすいから…」。その時、きっと相手は傷ついていたと思います。他人が自分のことを優先していたり、相手の思いに気付けていないのを見ると分かるのに、自分がやっていても気付かない。私は全くできていませんが、同じように周りの思いを汲めない人が最近増えてきているように感じます。ある人から教えてもらったのは、自分の身の回りや環境のチェック。それらが自分で都合で選んだだけになっていたら、自分本位になっているサインだそうです。

 

 

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価値観の違いを知る?

 

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「女性が牛丼屋さんに入るとき抱くマイナスな感情は何でしょう?」少し前になりますが、NHKのテレビ番組で面白いビジネス講座をやっていました。この質問に対する回答が面白く、私は自分がどれだけ分かっていないのかをあらためて痛感しました。

 

男性の回答は、「男性客が多い」「カロリーが気になる」「荷物が置けない」など、牛丼やお店自体に対するマイナス面。女性の回答は、「本当はガッツリ食べたいけど…」「1人で牛丼なんて寂しい女だな~と思われるんじゃ…」など、周りにどう見られているか?を気にする回答でした。価値観が違うことを分かっていないから、コミュニケーションが取れない。納得です。女性とコミュニケーションをとる機会の多い人、女性をターゲットにした商品やサービスを展開している人で上手くいっていなかったら、それはまだ価値観の違いを十分に理解できていないからかもしれません。

 

 

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友達の中では歌が上手?

 

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「私の友達にすごい歌が上手い子がいるんだよね~」「へぇ、じゃあプロを目指したら?」「いや、そこまでじゃないんだけど…」。電車で若い女の子2人が、そんな話をしていました。すごい上手なのは、身近な人の中での話。「(友達の中なら)すごい上手」というわけです。

 

他人を褒める人と褒めない人がいますが、どちらもすごいと感じたら「すごい!」と言うはずだと思っています。ただ、その「すごい!」の比較対象が異なるだけ。自分がもしよく褒められるなら、それは小さな枠の中での話かもしれないし、全く褒められないなら、それはすごい所と比べられているからかもしれない。私は子供の頃から図画工作や美術科目が好きで、絵や作品をよく褒めてもらいました。結果、私は勘違いをしてその道を目指し、大学で井の中の蛙であったことを痛感…。褒めらることは一度もありませんでした。でもそれは、すごい人たちと比べてもらっているから。今度は、このすごい人たちの中で褒められたいと思うようになりました。

 

 

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大事なのは送り出し方?

 

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 週に一回ほど利用する喫茶店。考え事をしたり気分転換をするのに丁度よくて利用しているんですが、そのお店で「有難うございます」をあまり聞いたことがありません。入店時は、誰に対しても元気よく「いらっしゃいませ」と迎え入れてくれるんですけどね。たまたま店員さんが忙しかっただけだと思いますが、ほんの少し寂しい気分になります。

 

いろんなお店やサービスを利用してきて思うのは、迎え入れ方には力を入れているものの、送り出し方はサッパリしている印象。携帯電話を他のキャリアに変えたいと申し出れば、途端に店員さんの目の色が変わりますし、会社なんかでも、歓迎会はやるけど送別会はやらないなんて話を聞きます。迎え入れ方と同じくらい送り出し方も重要。また来たい!また機会があったら利用したい!と思えるかどうかは、サービス内容や利用のしやすさと同じくらい送り出し方にあると思っています。

 

 

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色々あっての大根と玉子?

 

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 おでんの季節になりましたね。どこのコンビニでも販売が始まりましたが、あるコンビニのおでんを覗いてみると、そこには大量の大根と玉子…。他の具材は申し訳程度に入っていました。おでんは大好きですが、なぜかその時は買いませんでした。

 

大根と玉子の人気が高いのは分かります。コンビニのおでんの汁は、家庭のおでんのようにいろんな具材から出汁が出て美味しいおでんの汁になっているわけでもないので、いろんな具材が入っている必要もありません。…でも、色々あっての大根と玉子。どれにしようかなぁ~と楽しみながら選んだ結果が大根と玉子だったとしても、それだけがあれば良いわけではないような気がします。売れ行きから最適な販売数を導き出したり、過去の事例でうまくいったポイントだけを集めたりしがちですが、他の要素があっての結果だということを、私もついつい忘れてしまいます。

 

 

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