デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

答えだけ知りたい?

 

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 算数の問題で、答えだけを教えてもらっても意味がありません。その問題を解く公式を教えてもらっても、別の問題に応用できません。一番必要なのは、問題の解き方を教えてもらうこと。公式を知っていても、どれを使えばいいのかが分かっていなければやっぱり意味がありません。

 

私の友達がネットショップ成功のためのセミナーを開催していました。ちょうどその会場の近くで用事があったのでのぞいてみると、参加者の多くは「売れる方法を教えてください!」と答えだけを求めていました。具体的にどういう形のデザインにして、どういう商品を揃えて、どうやって集客すればよいか?といったことです。友達は、上手くネットショップを活用している人を例に、根本的な話をわかりやすく説明していたんですが、あまり響いている様子もなく…。私の身近なところでも、答えを求める声が多い印象がありますが、その時の1つの答えを伝えても、その後に自分で使いこなすことができないんですね。必要なのは、答えではなく解き方。私はデザインの仕事をしているんですが、同じようにデザインで相談されるほとんどは表面的なことだったりします。

 

 

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質問は無しで?

 

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 デザインをするための資料を渡されたとき、私は資料から読み取れないことについてよく質問をしていました。「これって、こういうことですか?」「もっと詳しく教えてください!」...。でも、資料のクオリティが低い場合をのぞいて、数年前からそうやって質問するのをやめました。

 

その理由は、同じ条件でできる人がいるからです。資料だけで考えて答えを出せる人もいる。とあるコンペに参加して、審査員の方と雑談していた際、その方が「考えない人が多い」と言っていました。「応募要項が全て。質問NGとしていても問い合わせで質問をしてくる人が多いんですよね…」そこから読み取って自分なりの考えを示すものなのに、「こういう考えもアリですか?」などを確認してくるそうです。確かにその時の応募要項に記載されていたことは抽象的でどうとでも捉えられる書き方。でもそれは、そこから汲み取れということでもあります。そして、同じものから質問せずに当然のように動き出せる人がいる。正しい返答ができるように、相手に確認することが重要なケースももちろんありますが、質問することで自分が未熟であることを伝えてしまっているケースも多々あります。

 

 

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近づくほど距離を感じる?

 

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 今年は、これまでデザインを学んできた集大成として色々と自分なりに取り組んできました。そこで一番感じたことは、一流と呼ばれる人たちとの距離。上を目指そうと本気で向かえば向かうほど、その人たちとどれだけ差があるのかが浮き彫りになって…。おかげで、なんとなくだった自分に足りないことが少しずつ明確になってきました。

 

デザインを学びはじめた頃は、自信過剰だったこともあって、一流デザイナーたちとそこまでの距離は感じませんでした。それはきっと表面的なことだけを見ていたから。ピカソの晩年の絵なら自分でも描けると思ってしまうのと似た感覚です。彼らがその表現物に至るまでに考えたことや学んだこと、経験したことなんて全く分かっていなかったんですよね。ただ、全く別次元ではあっても、近いことをやっていくとその断片が見えてきます。あるデザインを見て、2つ3つの課題を解決するデザインだと思っていても、実際はその何十倍、何百倍ものことが考えられている。そこを見つけて学ぶ、その繰り返しでしか前には進めない。距離が見えたら、それはほんの少しでも近づけたと思うようにしています。

 

 

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デザインに正解はある?

 

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「デザインに正解はない。」その言葉を聞くと、なんでもアリのように捉えてしまいます。私もその一人で、学生時代に自分のデザインをダメ出しされた際、「どうしてこれがダメだと言い切れるのか?」と食い下がったこともありました。その時に言われたのは、「デザインには正解がある」ということ。正しくは、「正解がたくさんある」ということでした。そのたくさんある正解のどれにも当てはまっていないから、ダメだと言われたわけです。

 

椅子のデザインなら、座り心地に徹底的にこだわったデザインも1つの正解だし、環境に溶け込むデザインも1つの正解。座り心地にこだわっているのに、座り心地が良くないデザインは正解ではないということです。偉人の言葉やビジネス書のタイトルなど、ハッとさせられてしまう言葉はたくさんありますが、それらの言葉の本質は別のところにあったりすると私は思っています。「~はしなくていい」といった言葉を素直に受け取ってしまうと、意味を履き違えたままの行動をとってしまうかもしれません。

 

 

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結果を求めるデザイン?

 

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 昔、ある公募のコンペに応募しました。まだ学生だった私は、そのコンペに応募するのを最後の最後まで躊躇しましたが、先生に「気軽に応募して大丈夫だから」と言われて応募。結果、コンペは惨敗でしたが、それ以上に応募数の少なさに驚きました。先生にどうして少ないのか聞くと、内容はやさしいのに主催者が精神的なハードルを上げてしまっているから、と。

 

洗練されたデザインのコンペのロゴ。細かな条件。提出物の多さ。審査の長さ。それらが、必要以上に応募のハードルを上げていると言うのです。主催者側の希望を推測すると、目的は「気軽にたくさんの人に応募してもらう」こと。それなのに、体裁などを気にして気軽に応募できない状況にしてしまったのです。私はデザインの仕事をするようになってから、ロゴマークなどを依頼される機会が多いんですが、その際、口には出さないものの体裁を優先したいという希望をよくもらいます。その時は、体裁を保ちつつも、目的や結果を優先するよう話をするんですが、なかなか難しいのが実際のところ。体裁も大事なことですが、結果が出なければ意味はありません。

 

 

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韓国語がない場所?

 

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 駅前の薬局で買い物をしていたら、レジの前にあった韓国語のパッケージの商品が目に止まりました。手にとって見てみると、それは日本の会社の商品。輸入品でもなく、あえて韓国語で表現しているようでした。「なるほど、やられたなぁ~」

 

その環境にあるはずのないものがあると、私たちはつい注目してしまいます。海外で日本語を見つけたら見てしまうのと同じ。韓国語は決して珍しいわけではありませんが、薬局にそれがあるのは珍しいですよね。これが、韓国の食品専門店や韓国人が多く住む町の薬局だったら珍しくありません。なんでもない町の普通の薬局にあるから注目する。何か注目させたいものを考えるとき、私たちはつい新しい何かを考えようとします。確かに新しい何かは注目される可能性がありますが、もっと注目されるのは、全く知らないものよりも知っている要素が入っているもの。全く知らないものだと、興味がなければスルーされてしまう可能性大です。もし、何か注目してほしいものがあったら、『そこにあるはずのない私たちが知っているもの』という視点で考えてみてもよいかもしれません。

 

 

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整理するためのアイデア?

 

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 以前、アイデアの出し方について、ある人から「どうして自分のアイデアがダメ出しされたのか?」と聞かれたことがあります。その時のアイデアはどれも良いもので、アイデア自体がわるいわけではありませんでした。ダメ出しされた理由は、検討ができないアイデアだから。簡単に言うと、1つの考え方のバリエーションでしかなかったからです。

 

イデアを求める側には大きく2パターンあって、すでに方向性が固まっていて具体的にしてほしい場合と、自分たちの考えを整理したい場合があります。前者に対してだったらその人のアイデアの出し方でよかったのですが、その時は後者でした。ただ、「考えを整理するためのアイデア出し」であっても、自分がそれが分かっていないケースも多く、その判断は提案する側に委ねられていたりします。そのため、ディレクター的な立場の人がそれを判断する必要があるんですが、デザイナーが直接やりとりをする場合は、自身がそれを判断する必要があります。今、どの時点で何をする必要があるのか?プレイヤーとしてどんなに優秀でも、そこまでできないとなかなか実践では通用しないかもしれません。私もまだまだですが…。

 

 

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2Fは視野に入ってる?

 

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 よく通る商店街の雑居ビルの2階に、美容室ができていました。ただ、その美容室は1ヶ月も前にオープンしていて、よく通るにも関わらず私はそれまでその存在に気付くことができませんでした。「2階より上って、あんまり見ていないんだなぁ…」

 

私たちはそんな経験が何度もあるのに、いざ逆の立場になると、途端に盲目になります。「こんなに目立つ外観で、どこからも見える位置にあるんだから、絶対に目にとめてもらえるはず!」私は、自分たちのお店や商品、サービスを決める際に内部の人間だけで判断しないことをオススメしています。どんなに経験が豊富で、自分たちのことを客観視できても、中にいる人の目では濁って見えてしまうからです。私が美容室のオーナーだったとしても、なかなか存在に気付いてもらえないかも…とまでは想定できても、1ヶ月も気付かないとは思いません。自分たちで判断に自信があっても、外の目で見てもらう。私が身近に知っている成功している商品や事業には、ほぼ100%外部の判断が入っています。

 

 

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ここまでが私のスペース?

 

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 混雑している飲食店のカウンター。両隣に他のお客さんがいたら、自分が占有してもいいスペースは何となく分かります。他のお客さんがいなかったら隣のイスに荷物を置いてもいいし、テーブルも広く使ってもいいかもしれませんが、混雑していたら一人分のスペースを使う。テーブル席なら相席になることも当然あります。

 

スペースに限らず、状況が変化しても自分のテリトリーを保ちたい人をたまに見かけます。ペースを変えないと言えば聞こえはよいのですが、他の人と場所や時間を共有しているなら、そこは臨機応変に変えないといけないと思っています。自分がやりやすい場所、時間、やり方…。人それぞれありますが、自分がやりづらい方法や環境で対応しなければならないこともある。仕事とはそういうものだと私は教えられました。古い考えだと言われることもありますが、他人と共有する以上、それは当たり前のこと。もしそれが嫌なら、自分1人でできる道を選べばよいのですが、そんな人に限って他人と共有する環境を選んでいるから不思議です。

 

 

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あれもこれも満たそうとする?

 

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「リュックサックの上に持ち手がついていたら手提げとしても使えるし、ショルダーバッグにもなったら便利。キャリーバッグのハンドルに差し込めたら4WAYでさらに便利かも♪」…と、あれもこれも満たそうとすることが多々あります。実際、それらの商品は売れているので、考え方が間違っているわけではありません。ただ、前提を間違えて同じことをしてはダメだと、ある後輩に伝えたことがあります。

 

前述を例に挙げると、まずリュックサックとして機能していることが大前提。リュックサックとして未熟なのに、機能を追加して完成度を上げようとしても意味がないと伝えました。どのアイデアにしようか迷った際に、良いと思ったアイデアをいいとこ取りしようとするのと同じです。幹がしっかりしていないのに、枝葉を付けてもグラグラしたまま。そういうことを伝えると、多機能で成功している商品もある!となってしまうんですが、それらは幹がしっかりしているんですよね。あれもこれも満たそうとする考え方は決して間違えではありませんが、間違った使い方をしているケースも結構あります。

 

 

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有力案はトップバッターで?

 

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 デザインの提案を複数案見せる場合、自分の中で有力な案をいちばん初めに見せると決めています。昔は、最後に有力な案を見せていたのですが、その方法だと案を見ていく順番が判断に影響してしまってたんですよね。1番と2番のデメリットを解消したのがこの案です!とすれば、最後の案に決まりやすかったり…。

 

私が初めに有力な案を見せる理由は、まだ気持ちが温まっていない相手が構えて見るからです。賞レースなどで一番手に対して審査が厳しいように、他にどんな案が出てくるか分からない状態で初めに見た案が良いと思えるなら、それはきっと本当の意味で良い案。もちろん、最後まで見て決めるので、順番自体が判断基準になるわけではありませんが、影響するのは事実です。また、実際に私たちが生活の中で目にする際も、他と比較して見るわけではありません。だから、その1点で判断される状態が自然だとも思っています。私の場合は、基本的に複数案用意すること自体が少ないのですが、もし複数必要になったときには、必ず初めに見せるようにしています。

 

 

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応用が利かないとしたら?

 

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 あるロゴマークを黒い背景の上に入れようとしたら、そのロゴは白い背景前提のデザインしかなかったため、新たに考えなければいけなくなりました。また別のときには、印刷できる色の数が限られていたのですが、元のロゴマークはグラデーションが使われており、単色の表現を新たに考える必要が出てきました。

 

モノクロにしたら?使える色が限られていたら?小さくしたら?...と、本来は想定できるあらゆる表示状況を見据えて作るのですが、その想定があまいと、いざ適応できない状況になったときに、ずさんな対応になってしまう場合もあります。本来、意図していない表現になってしまったり、第三者が編集することで元々のデザインが崩れてしまったり…。想定しきれないケースも時にはありますが、ロゴマークに限らず、そのデザインがどんな状況に置かれるか?を考えるのは大事なこと。現状で満たされていたとしても、他にどんな状況があるかをいろいろとシミュレーションしてみてもよいかもしれません。

 

 

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自分の正解が変わるとき?

 

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 自分で考えに考え抜いて、これがベストな回答だと思ったものが、あるきっかけで変わる(変える)ときが何度かありました。それまでは、自分の正解を疑う機会があまりなかったんですが、それ以降、自分の正解を疑うようになりました。

 

私はデザインの仕事をしているんですが、依頼の中には、誰か他の人に頼んだけど上手く行かなかったという理由でくるものもあります。それを自分で改めてデザインをしたとき、言い換えれば自分のベストな回答を出したときに、それがNGが出た以前のデザインと同じ考え方だったと分かったときです。「マーケティングや様々な情報を整理してカタチにしたから、大きく捉え方が間違っているわけではない…。でも、それがダメだったという事実がある。ということは、考え方を変えなければならない…。」その時の経験がきっかけで、自分の正解を常に複数持ち、かつ更新するようになりました。近い事例を探すだけでも、それが本当にそこで求められている正解かどうかを判断できることもあります。もし自分の正解に自信があったら、たまに試してみるのがオススメです。

 

 

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第三者が主観で語る?

 

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 主観表現はやめなさい!私はそう教えられてきました。カッコいい・カワイイ・おしゃれ・おいしい・快適…。それらは利用した人が思うことで、こちら側が伝えることではないという意味です。先入観を植え付ける意味合いで、あえて発信者側から使うこともありますが、基本的には「〇〇の機能があります!」と客観的な事実を伝えて、「へぇ~(便利だな♪)」となるのが自然。「便利な機能があります!」ではダメだということです。

 

でも、実際の世の中を見てみると、興味の対象はどんどん主観表現に偏ってきているそうです。主観で語られた情報として代表的なツイッターは多くの人が利用していますし、ネットで買い物をすればレビューを見ます。ワイドショーなどでコメンテーターが必ずいるのは私たちが主観の意見を求めているから。ただ、発信する側として気をつけなければいけないのは、主観で語っているのはあくまで第三者だということ。報道は事実を語り、コメンテーターが主観を語る。テレビCMではナレーションで商品の説明を語り、CMの中の役者が主観で語る。感想は第三者であるお客さんが語るから意味があるんですが、そこを見誤っているケースも度々見かけます。

 

 

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