デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

2人で同じことをしてる?

 

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 私はコンビニやスーパーで買い物をすると、会計のときに合計金額を頭の中で計算してしまいます。キリよく支払いをしようと事前に小銭を用意したいからなんですが、これって店員さん(レジ)がやってくれていることを自分でもやっているってことなんですよね。スムーズに会計をして列の後ろの人を少しでも待たせないようにしている人もいると思いますが、最近の自動でお釣りが出てくるレジなら、時間は大して変わりません。

 

以前、勤めていたときに、相手がやっている作業と同じことを自分がやってしまっていることがありました。全く同じではないものの、重複する部分が多々あって…。「この作業は時間がかかるなぁ」とぼやいていた作業の半分は、自分か相手のどちらかがやらなくてもよい作業だったんです。他にも、2人で同じ問題について考えていたり、単純に誰かが既にやったことをやってしまったり。忙しくしていると、目の前の作業が自分がやるべき作業なのか?なんて考える余裕もありませんが、時間がかかると思って自分がやっている作業の中には、やらなくていいことも結構含まれていたりします。

 

 

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有料だと知らせるタイミング?

 

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 先日、買い物をした際、「ラッピングをお願いできますか?」と店員さんに聞いたら、「あちらでお受けしております」と言われ、列に並びました。そして順番が来ると、「300円と500円のどちらにしますか?」と…。有料であることに対して何も不満はなかったのですが、知らせてくれるタイミングが少し気になってしまいました。

 

費用がかかることのついて、私たちはそれとなく裏側の都合を理解できます。だから、よっぽど高額でない限りは不満を持ちません。それでも不満になるのは、それを知るタイミングがわるいから。大抵は無料のモノが有料だったり、税込みだと思っていたのに税抜き表記だったりすると、納得はするものの「う~ん…」となってしまいます。伝えるタイミング。自分が伝える立場だったとき、伝えられる立場だったときを思い返してみると、内容は理解できても「今それを言うの?」というタイミングが何度かありました。もし、自分が伝えていることに対して、相手が不満を抱いたり、消化不良の表情を見せていたら、それは伝えるタイミングがそこではないからかもしれません。

 

 

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きっかけは何でもいい?

 

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 雲の上のような存在のデザイナーがたくさんいます。普通に考えたら、その方たちと接点を作るのは難しいですよね。デザインの仕事をしていれば、いつかは出会うかもしれませんが、それはごく一部の人の話。でも、少しちがったきっかけなら、その可能性は途端に大きくなります。

 

私は様々なデザインの仕事をしていますが、主にプロダクトを専門にしています。いわゆる私たちの身近にある製品のデザインです。当然、その道を極めれば、いつかは一流のプロダクトデザイナーと出会います。…が、それはなかなか難しい。ただ、そんな私でも、来年あるデザイナーと会う機会ができました。きっかけはとある街のイベント。そのイベントのグラフィックデザインの企画に参加したことです。デザインではありますが、きっかけはプロダクトではないところ。私はそれ以外にも、きっかけになりそうなことを細々やっていますが、本当にひょんなことから話が広がることもありました。お互いの好きなことがきっかけ知り合うこともあれば、よく利用するお店で知り合うこともある。会いたい人には、変わったきっかけで出会うことの方が多いような気がします。

 

 

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少ない指示でやってみる?

 

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 ある会社からの依頼で、DMのデザインを担当しました。自社のサービスを宣伝する目的で送るものです。その依頼方法は、メモ書き1枚を手渡されて「よろしく!」と、それだけでした。「DMのデザイン」というタイトルと~4行の要点のみ。詳しくは端折りますが、そのメモから私は送付資料4点と封筒を用意しました。

 

もちろんそれは極端な例で、何度かやり取りをしている関係だから成立することではあります。ただ、私は意図的に相手の指示が少なくなるようにしてきました。それは指示をされたくないといった理由からではなく、相手の負担が減るからです。考える必要のあることが10個あったら、その中の1個でも自分で考えられるようになれば、相手は9個考えればいい。繰り返していくと、相手は重要なポイント以外は考えなくてもよくなるわけです。「上司の仕事を奪うのが部下の仕事」と会社員時代に教えられましたが、その意味は、負担を減らしてその人が重要な業務に取り組む時間を増やすため。相手のことを考えて行動しなさい!ということです。丁寧な資料を作ってくれたり、詳しく説明してもらっているうちは、まだまだ負担をかけているなぁ…と考えるようにしています。

 

 

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模写のすゝめ?

 

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 先日、久しぶりに気になったグラフィック作品の模写をやってみました。理由は、どうしてその表現にしたのか?が気になったからで、やってみたら色々と見えてくるものがありました。「きっとこうしたかったから、この方法を選んだんだな~」

 

ブログのどこかで同じようなことを書いた気がしますが、私は以前から誰かの作品を模写することを勧めています。それには、技法を学んで同じような表現ができるようなるためといった面もありますが、一番の目的は作者がそう表現した意図を汲み取る練習になるからです。見ながら同じような感じで作るのではなく、完コピ。文字の感覚や色の使い方まで細かく観察して模写する。すると、自分がやりなれていない表現はもちろん、自分が好きなテイストの作品からも、少しずつ気付くことや疑問点が出てきます。「なんでここだけ色を変えたのか?」「どうしてこの写真をこの形で切り取ったのか?」作者ではないので、本当の理由は分からないまでも、その疑問からいろんな推測ができます。その推測の繰り返しが、意図を汲み取って表現するというデザインの仕事ではとても良いトレーニングになるので、ぜひ一度お試しください!

 

 

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共通言語ならOK?

 

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 私はAさんに「少し固い感じ」「もっと柔らかい雰囲気」といった、抽象的な表現は使わない方がいいと伝えました。その後、私は付き合いの長いBさんとの雑談で「若干強い感じがしますかね?」と。それを見ていたAさんは、「抽象的な表現を使っているじゃないですか!」となりました。当然です。

 

だいぶ昔の話で、私の伝え方がわるくて誤解を招いてしまいましたが、どちらの対応も決しておかしいわけではありません。言いたいことは『共通言語を使う』ということ。私とAさんでは、抽象的な表現から描くイメージや感覚を共有できていなかったので、具体的な言葉を使うように伝えました。一方で、私とBさんは、抽象的な表現で描くイメージにズレがないので、その表現で問題がなかったというわけです。一般的に「抽象的な表現を避けた方がいい」という教えがありますが、私はそうは思っていません。確かに伝わり方のズレは少なくて済みますが、伝わり方も弱くなる。「高さが3メートルもある!」という言葉を選べば伝わり方は均一ですが、「大きさやばい!」の方が若い子たちには伝わるかもしれません。

 

 

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求められたことを探る癖?

 

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 デザインという仕事柄もあって、相手の求めていることを読み取ろうとする癖がついています。プライベートであっても、何かを聞かれたらその質問の真意を探ってしまうし、私に対して誰かがアクションを起こしたら、その目的を考えてしまいます。ただこの癖が厄介で、素直に応えるべきシチュエーションでも素直に応えられないんですよね。

 

先日、私がある人に質問をしたら、一呼吸置いてから返答がありました。私はただ素直な意見を聞きたかったんですが、それとは別の優等生な答えが返ってきたんです。そうやって逆の立場になったりすると、読み取る癖が厄介だとあらためて感じます。その話を先輩にしたら、それは育ってきた環境が影響しているとのこと。自分の理想の答えを求める人のもとで長く仕事をしていたら、素直に応えなくなる。読み取るべきときと素直に応えるべきときを瞬時に判断できる人もいますが、この癖は意外と抜けないそうで…。素直になればいいときに頭でっかちになったり、ただ楽しく過ごせばいいときに周りの顔色を伺ったり、読み取り癖は損が多い印象です。

 

 

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見てほしいのに見てほしくない?

 

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 口では見てほしいと言っているのに、いざその見てほしいモノに目を向けてみると、とても見づらい状態になっていることがあります。言っていることとやっていることの矛盾。それを見るのがプロだからとか専門家だからではありません。人は、その矛盾を敏感に受け取ると思っています。

 

洋服屋さん。「ごゆっくりご覧くださ~い♪」に対して、ゆっくり見る環境でなかったら、本当はゆっくり見てほしくないのかな?と思います。商品がキッチリ折りたたまれて1mmも乱れていないような陳列だったら手に取るのを躊躇しますし、ハンガーにかかった服がギチギチに詰まっていてなかなか手に取れなかったら諦めます。一方で、このお店は本当にゆっくり見てほしいんだな♪と感じる場合もあって、例えばスツールが置いてあったり、試着をしやすいお店の作りだったり、整っているけどラフな陳列だったり…。本当にゆっくりできるかは別として、言っていることとその表現が一致していれば違和感を与えません。自分が何かを表現した際、そこに違和感があるとしたら、それは自分の言っていることとマッチしていないからかもしれません。

 

 

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補足しないで伝わる?

 

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 私はデザインを仕事をしているので、自分が表現したモノを通して他人とコミニュケーションをとる機会が多々あります。伝えたいことをカタチにしているわけですが、直接的なコミニュケーションではないので、その“伝えたいこと”がその通りに伝わるとは限りません。

 

そうなると、大抵はその表現したモノだけでは伝わりきらない部分を、別の何かで補足したりするんですが、そうすることで伝わってもイマイチ物足りなさを感じます。そのモノだけで伝わっていないからです。少し前に、デザインしたモノだけを見て、他人が判断をする機会がありました。作品名はありましたが詳しい説明は無し。数日後、「あの作品って、〇〇を伝えているんですよね?」と声を掛けられ、とても嬉しくなりました。自分が作品に込めた制作意図やメッセージを読み取ってもらえたんだな♪と。若い頃は、伝わることが目的なら、どんなカタチでも伝わればOKと思っていたときもありました.でも、正攻法でそれができるに越したことはありません。もし、ちゃんと伝えることができている人がいたら、それが補足を取り去っても伝わるか?を見直してみてもよいかもしれません。

 

 

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言い換えてみる?

 

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 20代の頃、言い換える練習をやたらとやっていました。例えば、「2人いれば出来ます」という文章があったら、「1人じゃ出来ない」といった感じ。同じ意味を別の表現にする練習です。当時は、キャッチコピーを考える機会もあったので、とてもよい練習になりました。

 

何かのテーマを与えられた際、その言葉だけでアイデアを広げることもありますが、私はその言葉を言い換えてアイデアを展開することが多くなりました。他の人とは異なる視点を求められたり、新しい切り口を求められていたからです。その練習もはじめは苦痛でしたが、たくさん言い換えられるようになればなるほど切り口が増えていくのを実感♪キャッチコーピーだけではなくデザインにおいてもとても良い練習だと思います。漠然と「切り口を変えて考えなさい!」と言われても、よく分からなかったら、単純にテーマを言い換えてみるのがオススメ。「2人いれば出来ます」では何も広がらなくても、「1人じゃ出来ない」だったら広がることもあります。アイデアを考える参考にぜひやってみてください!

 

 

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普段と同じコミニュケーション?

 

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 私は人と接するのがいまだに苦手で、私よりコミニュケーション能力の高い人はいくらでもいます。でも、いざデザイン上でのコミニュケーションとなると、その人たちは普段の能力を眠らせてしまっている印象があります。日常生活で自然にできていることができなくなってしまう…。

 

例えば、初めて会う人に自分の商品を紹介する。普段の直接的なコミニュケーションなら、「初めまして。私はこういう者です。コレコレこういうきっかけがあって、私の商品をご案内させていただくことになりました。この商品は…」と、ごく自然にやっています。でも、それがデザインになると、「この商品はですね…」と初めて会う人にいきなりプレゼンをしていたりする。よく考えたら不自然なコミニュケーションであることが分かるんですが、自分たちのことを知っている人や興味のある人が見ている前提になってしまうことが多々あります。私の場合は苦手なので意識的に考えているんですが、自然にできてしまっていると、意識してやることがかえって難しいのかもしれません。

 

 

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決めてから動きはじめる?

 

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 自慢のようで恐縮ですが、私は作業スピードが早いとよく言われます。ただ、手を動かすスピード自体が速いわけではありません。強いて言うなら、その時その時で効率のよい進め方を選んでいるだけ。パソコンの前で画面とにらめっこすることはほとんどありません。

 

私が何かのデザインをするとき、その工程を仮に「考える:手を動かす」で分けるとしたら「8:2」ぐらいです。だから、いざ手を動かしはじめれば、具体的な表現に至るまで手が止まることはありません。その代わり、考える方に多くの時間を割いています。作業が遅いと言われてしまう人は、決して作業スピードが遅いわけではありません。むしろ私なんかよりも速い人はたくさんいます。ただ、その配分のバランスがわるいだけ。あくまで偏見ですが、「考える:手を動かす」が「2:8」と逆になっているイメージです。考えが定まっていないのに手を動かしはじめてしまうから、時間がかかってしまう。だいたい定まったな♪くらいで手を動かしはじめてしまうと、私の場合は大抵途中で迷う羽目になってしまいます。

 

 

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横断歩道は横のラインだけ?

 

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 詳しくは端折りますが、先日、あるデザインの相談をされた際、「強いラインは、入れ方を統一してみたら?」とアドバイスをしました。印象の強い線が斜めに入っていたり、横に入っていたりして、見る人の視線が散漫になってしまうと思ったからです。

 

例えば、昔の横断歩道は横縞模様に対して左右に縦のラインが入っていました。でも昨今は、縦のラインが省かれて横縞だけで表現されています。実際の理由は調べてませんが、きっとそれも近い理由でそうなったはず。一番見てほしいところの表現と近しい表現が周囲にあると、どちらも同じくらい見てほしいところ、言い換えればどちらも一番ではない表現ということになります。横断歩道なら、横縞模様よりも縦のラインの方に注目してしまう人も少なからずいる。様々なケースがあるので、そのどれにも合う考え方ではありませんが、基本的には一番伝えたいことと似た表現は避けるのがオススメ。全身赤色の服を着ている人を見て、赤いTシャツを着ている人という印象を受ける人はやっぱり少ない気がします。

 

 

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店内でも持ち帰り用カップ?

 

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「もう1つ先まで考えてみなさい」ネガティブ思考で考えも浅い私に、ある先輩が教えてくれたことです。それまでは、「これを実際にやったら、こういった良くない面がある。」そこで終わっていましたが、それ以降、「…けれど、〇〇という良い効果もあるかもしれない。」と考えるように。

 

店内でコーヒーを飲もうと注文したら、フタ付きのカップで提供されました。「使い捨てのカップに統一すれば、スタッフの作業も簡素化される。マグカップを洗う手間も省けるし水の節約にもなって便利♪…とはいえ、使い捨ては資源面でどうなの?」と、以前の私が考えていたのはそこまで。もう1つ先を考えると、「店内利用だとしても、飲みきれなくて持ち帰る人もいるかも?」「本当に紙カップが資源の無駄になっているのかな?オリジナルのマグカップを大量に作る方がよっぽど無駄かもしれない…」など、パッと思い浮かぶ理由以外の真相を探ることができます。これはダメだと思ったら、そこからもう一歩考える。デメリットがあっても、それ以上のメリットのある手段である可能性は少なくありません。

 

 

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