デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

同じ条件なら納得?

 

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 チャーハンを作るのが得意な人が、「中華料理屋さんのチャーハンの方が美味しい」と言われたら、こんなふうに言う人もいます。「プロの厨房と家庭では環境が違うからね。火力も…」でも、もしプロの料理人とお互い初めてのキッチンスタジオで同じ材料と同じ調理器具で作るとなったら、何も言い訳はできません。

 

私はもともと実力もないのにプライドが高い厄介な性格でした。誰かと比較されて優劣をつけられても、「環境が違うから」「資金が違うから」と言い訳ばかり。ただ、そんな言い訳が全くできない場に立たされたとき、チンケなプライドは一瞬で無くなりました。それは、あのブロックのレゴ社の入社試験のとき。何次面接か忘れましたが、その時には基本のパーツが入った「赤いバケツ」と呼ばれるブロックが一人一人に手渡されました。そして「どうぞ、好きなものを作ってください!」...ただそれだけ。結果は、知らされなくても一目瞭然。緊迫した環境の中、1つの指示だけで、あんなものが作れるんだなぁと自分の無力さを痛感したのをよく覚えています。他人と比較することがとりわけ大事なことではありませんが、同じ条件下で他人と競ってみると、いろんな学びが得られるのでオススメです。

 

 

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簡単そうにやってる人ほどスゴい?

 

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 どんな分野のどんな些細なことでも、簡単そうにやっている人を見るたびに「この人はもっと難しいことができるんだな~」と勝手に感心しています。簡単にできるということは、余力があるということ。それを五分の力でできるようになるまでに相当な努力をしたということです。

 

ただどういうわけか、楽勝でこなしている人をみると、私たちはあまり良い印象を抱きません。「あいつ手を抜いているな!」「もっと必死になってやれよ!」手を抜くことなく完璧にやり遂げても、簡単にやったというだけでそう思われてしまう…。先日、ちょっとボリュームのある仕事を依頼され、納期もタイトだったので、万が一のことも考え、間に合わせるのが厳しいから辞退しますと伝えました。でも、どうしてもと言われ引き受けることに。結果、納期の手前できちんと納品したのですが、そこで抱かれた印象は「手を抜いたのでは?」でした。ショックでした。平然とした顔で提出したからなのかは分かりませんが、きっとそこには“簡単そうにやった”が少なからずあったにちがいありません。私がスゴいわけでは全くありませんが、簡単そうにやっている人は単純にスゴいと思うんですけどね。

 

 

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音の響きで思い出す?

 

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 たまに行く居酒屋さんがあるんですが、その名前をどうしても思い出せず、ようやく絞り出したのは「たしか、アカペラみたいな名前の…」でした。結局、正解は「あかゆら」だったんですが、近い音の言葉が出てきたということは、文字というよりも音の響きで覚えているのかな?とふと思いました。

 

私の場合はそんな思い出し方が多く、音の響き以外にも、字面(文字の形や並びから)や色などがきっかけになっています。「全体的に角張った形の店名で…」「濁点にだけ変な色が付いていたような…」そういったヒョンなところからよく思い出しています。何かのネーミングを考える際、コンセプトや意味合いを重視したり、キレイな言葉や見た目の美しさを優先したりしてしまうことがありますが、個人的な経験だけの話で言うと、それらはあまり思い出せていません。一方でどこかで聞いたことのある音の響き、面白い字面、変わった色使いなど、何かきっかけが盛り込まれているネーミングは思い出しやすい印象があります。もし、自分たちのお店やサービス名がなかなか覚えてもらえないとしたら、そういったきっかけが欠けているのかもしれません。

 

 

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数が増えると色が無くなる?

 

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 人が増えて組織が大きくなったり、プロジェクトにたくさんの人が関わるようになると、それまで少数で行なっていた時の色は多かれ少なかれ失われます。その色の変化。内部の人は鈍感ですが、外部の人は敏感に受け取り、見方も変わってしまいます。

 

様々な個性を抱えているメリットはたくさんあります。ただ、抱えれば抱えるほど全体的なイメージはよく分からないものになってしまうとも思っています。「いろんな色がある」は、側から見れば「色がない」のと同じこと。最近、この“色”がとても大事なのではないかと思っています。単純に、ある特定のスタッフ1人に抱いたイメージと、その組織が与えたいイメージが大きく異なっていたら非常にもったいないし、関わる人が変わるたびにイメージが変わっていったら、どれが本当の姿なのか分からず不安になります。「ココはこういうカラーなんだ♪」と安心できるイメージ。いろんな色ももちろん魅力的ではありますが、第三者からのイメージがブレないように“色”をある程度維持するのも大事なことのような気がします。

 

 

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そのものを指さない名前?

 

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 冷えピタ買ってきて!と言われて、当たり前のように熱さまシートを買ってくる。冷えピタという商品はあります。でも、「冷えピタ」という名前が指しているのは「熱さまシート」ということになります。

 

私たちが普段使っている言葉の中には、商品名や一般的に何かを指す名称がたくさんありますが、それらは必ずしも“そのもの”を指していません。「日本代表の試合やるからビデオに録っておいて!」とは言っても、それはHDに録画することを指すし、「ファミコンばっかやってないで、勉強しなさい!」は、テレビゲームや携帯・スマホゲームなど全てを指しています。ただ、伝える側と伝えられる側の認識が一致していれば良いのですが、認識がズレていて“そのもの”を理解してしまう場合もしばしば。例えば、「書類を整理しておいて!」で、ただただ書類を分類するだけの人もいれば、ファイリングする人もいます。不要な書類を処分する人もいれば、データ化してできるだけ書類を減らす人もいる。多少認識がズレてもいい場合にしか使っていなければ良いのですが、正確に伝えたい場合は気をつけなければいけません。

 

 

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似合うかどうかは慣れ次第?

 

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 私はある時から帽子を被るようになったんですが、被りはじめた当初は「ぜんぜん似合わない」「やめた方がいいよ」と何度も言われました。でも、しばらく被り続けていると言われることがなくなり、今では「似合う」と言われるようになりました。

 

似合うかどうかは慣れ次第♪例えば、ある企業のロゴマークが新しいものに変わると、「前の方が良かったのに…」「イメージとちがうなぁ」と否定的な意見がよく挙がります。でも、時間の経過とともにそんな意見は無くなって、いつの間にか「イメージ通り」「前のロゴが思い出せない」となっています。若い頃は、自分が考えたデザインに対して「合わない」と言われることに臆病になっていたこともありましたが、今ではそこまで気にしなくなりました。もちろん、クライアントさんが納得できないのはダメですが、今すぐ馴染んでいないだけの場合はしっかり話し合いをして納得してもらえるようにして。「合わない」と言われるとビビってしまいますが、新しいものがしっくりこないのは当たり前ぐらいに考えると、気楽にいろんなことにチャレンジできるような気がします。

 

 

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減り方で判断する?

 

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 最近、体調を崩してしまい、病院で薬をもらいました。私は少し体調がよくなってくると薬を飲み忘れることが多いんですが、その薬は期間中にきちんと飲みきれました。どうしてだろうと気になって思い出してみると、その薬は減り方を見ればいつの分を飲んだか分かるようになっていたんです。

 

朝昼晩1包ずつ飲む薬。それが3包ずつ繋がっている仕様だったので、1包だけになって残っていたら、朝と昼は飲んだということ。2包残っていたら、朝しか飲んでいないということです。朝から薬を飲みはじめたので、たまたまそのサイクルになっただけですが、その薬が全部繋がっているような薬だったらきっと飲み忘れていたと思います。減り方で判断できる工夫。お店である商品がどれだけ売れたのかを知る方法は、売れた数をカウントする方法もありますが、売り場に残っている数をカウントする方法もあります。増えたり減ったりする数量を把握する方法を考えようとすると、どうしたら正確に数えられるか?といった発想になりがちですが、残りを分かりやすくするといった発想もアリかもしれません。

 

 

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穴は埋めやすい?

 

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 ある雑誌の記事で、フリーの記述問題よりも穴埋め問題のが正解率が高いという興味深い内容を紹介していました。とりわけ文字数まで決まっているような穴埋めは、解答者が考えやすい傾向があるそう。確かにそう言われると、穴埋めという丁度いい制限が、想像力を掻き立てるような気もします。

 

ジャンルは全くちがいますが、キュウリ竹輪や辛子レンコンの発想もきっと同じ。どちらも穴が開いていたからアイデアが湧きやすかったのではないでしょうか。私たちは相手に何かを考えてもらうようなとき、分かりやすい表現を使ったり、ヒントを与えたりしますが、それでも相手が考えづらそうにしているケースがよくあります。もちろん投げかけ方の上手い下手の個人差はあると思いますが、そもそも考えづらいことは考えやすい表現に変える必要がある場合も…。抽選でプレゼントが当たるクイズなどで、「2020年のオリンピックはどこで開催されるでしょう?」ではなく、「2020年○○オリンピック」といった表現が多いのは、誰もが考えやすいからかもしれませんね。

 

 

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知っていると思考がストップ?

 

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 アイデアやデザインを考えているとき、思考がストップしてしまう瞬間があります。それは、考えはじめたことが既に世の中に存在するとき。似たアイデアを知っていると、「これではパクリになる…」と、考え進めるのを躊躇してしまうんです。でも、そこで止めるのは非常にもったいないこと。

 

似たようなきっかけから最終的に別の何かに開花したり、途中で別のアイデアとくっついて新しいアイデアになることは多々あります。それに、全く同じアイデアなんて世の中にはありません。他人とは違う発想で…と根詰めるほど、思考の範囲が狭まっていくので、似ていたってOK!ぐらいの気持ちで考えてみるのがオススメです。私は以前、自分のアイデアが世の中とカブったときに思考を止めてしまう癖がついていました。そして、その頃は「世の中に無いものは何か?」という考え方に縛られていました。当然、そんな入り口からではアイデアが展開することもなく、突拍子もないことばかり考えるように…。誰でも考えるようなことにほど、大事なヒントが詰まっていたりします。

 

 

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プロがプロに教えることはない?

 

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 私はデザイナーとして仕事をさせてもらっていますが、まだまだ自分の力を未熟に感じていることもあり、あるとき出会った第一線で活躍しているデザイナーさんに「デザインを教えてもらえないか?」と懇願したことがあります。もちろん、そこにには少なからず憧れもあり…。でも、その返事は意外なものでした。「プロがプロに教えることはない」

 

断られるのは承知の上でしたが、私はてっきり「教えてもらえるだけの土俵に上がっていない」か、「特別扱いはしない」「教える時間がない」といった理由だと思っていました。でも、もらった答えは全く別。「同じプロとしてやっている以上、基本的なことは学んできたはず。そこから先は自分で学ぶだけ。」そういうことだったのだと思います。その時の会話で“プロ”という言葉が何度も出てきたのが記憶に残っていて、それだけプロ意識を持って仕事をしているのだと今思い出しても恥ずかしくなります。デザインは他人に教えられるものなのか?といった質問は、私もこれまで何度かもらったことがありますが、確かに教えられることは基本的なところだけで、細かなニュアンスや感性によるところは人それぞれ。教わるところは限られていて、自分で学ぶしかないのかもしれません。

 

 

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柔軟に対応できる準備?

 

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 空間づくりの仕事をはじめたばかりの頃、まず直面したのは、図面と実際は同じではないこと。数センチの誤差は当たり前ですし、時には全く異なっていることもあります。でも、現場で対応する人はもちろん、空間をつくる人たちは、どんな状況でも柔軟に対応できる準備をしています。

 

だいぶ前にお店をデザインする機会があり、現場に何度も足を運んでいたんですが、目的は進捗状況の確認ではなく、図面と現場の差異の対応。「ここ入らないけど、どうします?」「図面では○○だけど、こうとった方がキレイに処理できますよ!」など、職人さんと何度も調整を重ねたのを覚えています。それが私の中でとても良い経験になっていて、以来、空間づくりのようなケースでは、多少の違いがあっても現場で困らないような準備や設計をするように。“ピッタリにしすぎない”ようになりました。事前に細かく考えるのは当然ですが、少し多めに材料を準備したり、寸法が違っても収めることのできるような設計にしたり、柔軟性を持たせることも大事なこと。スムーズに事が運ばなかったり、どこかで進行が止まってしまうとしたら、それは柔軟性が足りないからかもしれません。

 

 

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単純明快で強いメッセージ?

 

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 とあるコンペで、受賞者の学生が審査員の方たちに選考基準について質問をしていました。答えは皆同じで、シンプルであること。もう少し噛み砕いて言うと「単純明快でメッセージの強いもの」でした。他のコンペでも、同じような話をしていたのを覚えています。

 

加えて、「選考では全く悩まなかった」と

いう話を何度も聞いたことがあります。それは、人は変わっても基本的な判断基準が近いから。複雑で難解な作品も、時には目にとまるかもしれませんが、強く単純明快な作品の前では薄れてしまうのでしょう。これまで「シンプルに、シンプルに!」と言われたことは多々ありますが、何度かそういった経験を重ねて、表現がシンプルなだけでは魅力が足りないことを知りました。メッセージがシンプル。コンセプトがシンプル。課題の理解がシンプル…。シンプルに捉えなければいけないことは、表現以外にもたくさん。シンプルと言われながら、自分のシンプルな表現を受け入れてもらえないときは、他のことがシンプルかどうかをチェックしてみるのがオススメです。私もまだまだ頭でっかちなので、日々、シンプルについて勉強中です。

 

 

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つくりながら詰めること?

 

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 アイデアを形にする。その形を完成させるまでには、大きく2つの詰めの段階があると思っています。1つは形にする前の詰めで、もう1つは形にしてみた後の詰め。どちらの詰めが甘くても良いモノはできないと思っています。

 

例えば、サンプルを制作するには、時間も費用もかかります。でも、そこを省けば、“形にした後の詰め”ができません。それは、どんなに事前の検証を行っても補えないこと。サンプルを実際に手にとって使ってみて見つかる課題がたくさんあります。それを解決して完成度を高める。“形にした後の詰め”は、絶対に必要なことだと思っています。一方で、形にした後に詰めればよいという考えもありますが、それはそれで意味がありません。詰めきれていないものに対して、いくら検証をしたところで時間を無駄にしてしまうだけ。そこで出てきた課題は、事前の検証が甘いから出てきたものなのか?形にしないと分からないことなのか?が曖昧で、大抵は直しようのない、新たに考えた方が良いような状態になってしまいます。事前の詰めに頼りすぎても、形にした後の詰めに頼りすぎても、良いものにはならないと思っています。

 

 

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閃いたときほど冷静に?

 

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 その場が盛り上がっていたりすると、何も疑わずに「良いアイデア♪」として進めてしまうことがあります。パッと自分の中で会心のアイデアが閃いたりしたら危険信号。もうそれは「良いアイデア♪」でしかなくなります。私はもろにそのタイプなので、勢いに任せず冷静に判断することを常に心掛けています。

 

ダジャレのネーミングなどは特にその傾向がある印象。(本当に適当な例ですが、)ショッピングモールで子供の見守りサービスをすることになり、そのネーミングを考える。そんなときに、“モール”と“見守り”を掛けて「ミマモール」というネーミングが思い付いたら、きっとそこから抜け出せなくなります。良さそうなアイデアだから。ダメ出しがしづらい内容であればあるほど、そのアイデアは固くなっていきます。フラッシュで思い付いたアイデアもそうですが、メリットがたくさんあるアイデアや、ロジカルな考え方で生み出されたアイデアは、より客観的に冷静に判断するのが難しい印象です。「閃いた!」「行けそう!」と思ったときほど気を引き締める。気になる点を解消するまで進めずに停滞しているのもよくないので、ときには勢いに身を任せてもよいこともありますが、冷静に見つめ直すのも大事なことです。

 

 

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