デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

コンロの上に置いてあったら熱そう?

 

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 帰宅すると、妻が置いたであろうお鍋がコンロの上に。中身が何かのぞこうと思ってフタを開けるとき、私は自然と鍋つかみを使っていました。コンロの上にあるお鍋だから熱いかもしれないと無意識に思ったからです。もし目の前で「このお鍋は熱くないよ!」と言われたとしたら、そーっと触るか、もしくは触らない。

 

そのモノが置かれている状況を見て、私たちは「これは○○かもしれない」と仮説を立てます。そして、そのモノに触れるかどうかを判断するわけですが、触れない方が良いかも…とはじめに判断したモノにはなかなか触れません。それでも触れるケースは、信用できる近い人が触れていたり、何かを介せば触れても大丈夫だと確信できたとき。逆に自分が「○○かもしれない」と思ったことに対して「そうじゃないですよ!」と相手から言われると、かえって離れていくように思います。コンロの上にあったら熱いかもしれないと半信半疑になる。その状態で、熱くないですよ!と言われたら余計に不安になる。近づいて触れて欲しいがために、相手の不安を消そうとするケースは多々ありますが、逆効果になってしまう場合も同様にあります。

 

 

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“嫌いじゃない”という選び方?

 

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 たくさんの中から何かを選ぶということは、それが好みだから選んでいると考えるのが自然ではありますが、そうとも限りません。好きなものがないけど選ぶこともある。消去法で選んだ経験が結構多いのではないでしょうか。

 

昔ほど観るのが当たり前ではなくなりましたが、例えばテレビ。どのチャンネルもおもしろい番組がやってなくて、その中で一番ましなチャンネルにとりあえず合わせておいたりしますよね。先日、実家で父が珍しくお笑い芸人さんがMCの番組を観ていたので、珍しいね?と観ている理由を聞いてみると、「この人たちはうるさくないし、番組を邪魔しないから…」と言ってました。要は、好きでもないけど嫌いでもないから選んでいるわけです。変にネガティブに捉える必要は全くありませんが、「自分たちが選ばれた=好まれた」とだけ考えてしまうと、相手とズレたコミニュケーションを取り続けてしまいます。純粋に好んで選んでくれている人もいれば、好みでないのに選んでくれる人もいる。そう考えると、選ぶコミニュケーションの方法も少し変わってきます。

 

 

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好きな答えを持たない?

 

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 発想力。様々な定義がありますが、私は単純に四方八方に発想を向けられることを指すと思っています。それには引き出しの多さや経験などが必要ですが、発想力を高める1つの方法として、私は自分の好む答えを持たないようにしています。私の場合は発想力を求められる機会が多いからです。

 

自分の好む答えがあると、その延長上の発想や、隣近所の似たような発想にしか至りません。視点を変えることができても、自分の好む答えがあるので、そこに戻ってきてしまいます。よいかわるいかは置いておいて、例えばナイトプール。「うわぁ~あれは無いわ…」とパリピと呼ばれる人たちを敬遠する感じだと、その発想ができません。ナイトプールが取り上げられたときの発想力のある人のリアクションは、「なるほどね!」自分が苦手な分野でも、その答えになる理屈をすぐに消化できるわけです。ただそれは、あくまで発想力についての話。誤解のないように言っておきたいのは、自分の好きな答えを磨き上げて昇華させることは素晴らしく、そこに共感する人や求めている人はたくさんいるということ。発想力を高めることが必ずしも必要とは限りません。

 

 

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オススメを答えるまでの間?

 

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「こちらのオススメは何ですか?」そう聞かれて、すかさず返せる人はあらかじめ特定の答えを持っている人。少し間を置いて対応する人は、特定の答えを持たず状況に応じて考えた答えを返す人。返せない人は、普段から相手に合わせて答えることに慣れていない人だと思っています。

 

飲食店ではお店で勧めなければいけない商品が決まっていたりするので該当しませんが、これから考えて何かをつくろうとするときなどに私が一緒にやって楽しいのは、少し間を置いて対応する人(特定の答えを持っていない人)です。初めての打ち合わせで、間もなく「じゃあ今回はコレだね!」となる人は、たとえそれが正解でも一緒にやっていて楽しくありません。自分の中の正解が決まっていると、その正解が選ばれるような説明をしたり、状況や条件をこじつけたりしてしまいがちです。自身の経験には無い新しい答えにはたどり着かない。経験やボキャブラリーが豊富な人、成功体験のある人は、すぐに特定の答えを導き出しやすい気がします。それは1つの正解かもしれませんが、誰かにアドバイスを送ったり、共に何かを作り上げる時には私は向いていないと考えます。

 

 

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安心できるから利用する?

 

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 自画自賛ぽくて恐縮ですが、私が誰かから褒めてもらえるときは、よく“安心”という言葉が出てきます。デザインのクオリティーを褒められているわけではないので複雑な心境ではありますが、とても嬉しいことです。言い換えれば不安がないということでもあるので、有り難く受け取っています。

 

ネットショッピングをする際、自分が使い慣れたサイトを使っている人が結構多いのではないでしょうか?amazon楽天市場…。他のサイトの最安値を調べてまで買わなかったりするのは、そこが他とそこまでかけ離れた売価で販売していないと思えるから。目的の商品が出所不明の怪しい出品者が提供しているわけではない、希望通りの日時に納品される、と知っている(安心している)からです。きっと私に対するコメントも同じ。クライアントから判断を仰がなくても進めてよいと言われることも多々ありますが、それはきっとおかしな判断はしないと安心してもらえているからだと思います。安心できるから利用する。価格や品質にこだわるのは必要なことですが、私たちが求めているのは“安心”なのかもしれません。

 

 

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揃えるべきモノ?

 

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「これも欲しいし、あれも欲しい…」それがあれば作業が捗ったり、作品のクオリティーが上がるような物は世の中にたくさんあると思います。でも、それらを全部揃えるのは難しい。仮に金銭的に余裕があったとしても、揃えたところでどれだけ効率やクオリティーが上がるのかも分かりません。

 

色鉛筆や絵の具を買うときに、12色で十分だと考える人と、48,64…100色と多ければ多いほど良いと考える人がいます。あくまで私の経験の中の話ですが、最低限の範囲で揃えた物で制作された作品と、十二分の環境を整えて制作された作品では、それほどクオリティーの差を感じたことがありません。青を白があれば水色は作ることができるからです。それでも水色を求める人、青系だけで何色も揃えたい人がいる。それは決してわるいことではありませんし、そうすることでクオリティーを上げようという心構えは良いと思います。ただ、選べる手段が多くなりすぎると、表現力や目的に向かって邁進する力が落ちるような気も…。装飾に力を入れてしまうような感じ。自分の装備に目が向いてしまうということは、ある意味で自分の力がないと言っているようにも思えてしまいます。

 

 

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あなたのスゴさが分かる人?

 

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 自分はスゴい!と自信を持っている人。その自信は大事だし、持っていてしかるべきものだと思います。自信を誇示するような人の中には、本当に力のある人もいます。でも、もしそのスゴさを理解できるのが、同じ業界の身近な人だけだったら、それは少し考えものです。

 

ごくごく普通の人に理解してもらう。私たちは自社や取引先の偉い人と仕事をしているかもしれませんが、その仕事は最終的に社会の普通の人たちが利用します。だから、本当にそう思ってもらいたいなら、自分の世界から離れた人に伝わっていないといけません。私たちが知らない世界の誰かをスゴいと感じるのは、成果物がメディアに取り上げられたり、誰もが知っている第三者の評価だったり、分かりやすいところだとテレビに出たりしたとき。その人の専門的なスキルの細かな部分や、業界としての立ち位置などではありません。もっと分かりやすいところ。「分からない人には分からなくていい」というスタンスも個人的にはきらいではありませんが、そのスタンスのまま進んでいった人が先々で苦しい思いをしているのを目にしてきたので、ぜひ多くの人に理解してもらえるように工夫してみてはいかがでしょう。

 

 

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いきなり本番?

 

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 最近は特に、よく模型を作っています。実際に製品を作る前に、本当にこれで良いのか?を確認するために作るのですが、この模型で検討する工程があるかないかで、製品のクオリティーは大きく変わるので、基本的にこの工程を外すことはありません。つい先日は、3回くらい模型を作り直して検討しました。

 

人・お金・時間…、たとえそれらに余裕がなくても、いきなり本番に進むのは、乱暴な言い方をすると適当に仕事をしているのと変わらない気がします。どんなに経験があっても、どんなに完成形をイメージできていても、例えば舞台や演劇なら必ずリハーサルをしますよね。それと同じ。たくさん練習をしたからといって、当日のリハーサルを省くことはしません。それは、本番のクオリティーを極限まで高めるため。いきなり本番でOKということは、ある程度のクオリティーでOKということになってしまいます。リハーサルなしで本番をむかえてお客さんが満足してしまった経験があったりすると、「やらなくてもいいかなぁ」なんて考えたりするかもしれませんが。100%のパフォーマンスを出さずにやり過ごすのは、きっと自分たちも気持ちよくないのではないでしょうか。

 

 

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仕方のないことでも対処?

 

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 私はめちゃくちゃ代謝がよくて、この時期は大量の汗をかきます。ちょっと駅まで歩いただけで汗だくになってしまうので、他人に嫌がられることもしばしば…。「仕方がないでしょ」と思うものの、周囲の人からすれば嫌なものは嫌なわけです。

 

自身の仕事の1つであるインテリアコーディネートの現場は、エアコンが設置されていないことがほとんどで、作業中は蒸し風呂状態。当然、汗をかくわけですが、私はたくさんのタオルと着替え、汗拭きシートや消臭スプレーを持参して、できるだけ汗をかいている状態が人目に触れないようにしています。それは、その場に立ち会っているクライアントや内見に訪れたお客さんが不快に感じるからです。自分がこれから住むかどうかと検討する部屋で、他人が床に汗を垂らしていたら嫌ですよね。「私がこんなに頑張っているんだから汗ぐらい…」は、こちらの言い分。ちょっとぐらい我慢してよ!と思ってしまう仕方のないことでも、相手が嫌なことや不快に感じることはできる限り対処する。それだけで、相手も気持ちよく受け入れてくれたりします。お互い気持ちよく仕事をできるなら、それに越したことはありません。

 

 

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自ら出せない答えを待ってる?

 

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 与えられた課題に対して、どストレートな答えや一般的に誰もがたどり着きそうな答えを出した若者にその感想を求められ、「それではたぶん通らないと思うよ!」とダメ出ししてしまったことがあります。その人に求められていることがそれではないと思ったからです。

 

デザインに正解なんてないと食い下がってきたので、「その答えだったらあなたに頼まないから」と伝えました。誰かにデザインやアイデアを求める際、もちろん依頼主の想像の範疇で構わないという人もいますが、基本的には自らが考えられない、もしくは自らの考えにはないものが欲しいから依頼するわけです。決まったものを作るだけならデザインやアイデアを求めません。分かりやすい例だと、依頼者が同じ専門職の場合で、特に自分より能力の高い人から依頼された場合。当然、自分がその場で思いつくようなことなんて相手は簡単に思いつくし、マーケティングやロジックで導き出すような答えは簡単に出せます。求められるのは視点を変えること。自分が個人的に思うこと、気になったこと、経験したことなんかを切り口にして相手には出せない答えを探してみる必要があります。

 

 

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依頼を断れない人?

 

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 つい先日の夜、ある人から「明日の朝の商談に使う資料と作ってもらえないか?」と相談を受けました。私は即答でOKを出したのですが、普段だったら断っているような内容。依頼を受けたのは、日頃お世話になっている人で、かつ私よりはるかに多忙で努力家の人だからです。簡単に言うと、断れない人です。

 

以前、とんでもない無茶ぶりをされた際も、同じように即答でOKを出したことがありました。その申し出をしてきた人は、これまでそんな無茶ぶりなんて一切したことのない人。日頃の仕事もとても丁寧で、いろんな事態を想定して前もって準備をしておくような人です。そんな人が無茶ぶりをしてくるということは、よっぽどの緊急事態。考える間もなく受けました。その人も、断れない人です。仕事をしていると、周囲を頼ることはよくありますし、自分でやろうとしないで頼った方が良い場合も多々あります。でも、頼ることに慣れてしまうと、自分でどうにかする力がいつまで経っても身につきません。私も上司が退職してから急激に勉強した記憶がありますが、頼ってばかりいると、本当に困ったときに助けてもらえないかもしれません。

 

 

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少ない情報から解釈する?

 

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 何かの課題に対してアイデアを練る際、課題が抽象的だったり、情報があまりに不足していたりすると、なかなか考えはじめられない人がいます。そこをヒヤリングして具体的にしていくのはもちろん大事なことではありますが、そこが具体的だった場合、素晴らしいアイデアを出せる人は世の中に山ほどいます。

 

「解釈する力」これまでデザインの仕事をしてきて、求められているなと強く感じることの1つです。自分たちの課題を具体的にできない人、うまく言葉にできない人、あえて具体的にしない人…様々な人たちと仕事をしてきましたが、いずれも共通するのは、自分たちの想像の範疇の答えを求めていない点です。自分たちでは考えられない、もしくは自分たちで考えられる答え以外のものが欲しいから依頼するわけです。特に依頼主が特に何かの問題に困窮していない場合(現状が上手くいっている場合)、欲しい成果はすでに得られているわけなので、こちらの提案すべきことはそこではないということ。誰かから少ない情報で何かを依頼された場合、そこで問いただすのもありですが、そこで察して応えることが必要なときもあるかもしれません。

 

 

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同じ日本人だから安心?

 

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 先週行ったアミューズメント施設の案内係は中国人の方でした。外国人観光客も多く訪れる施設で、当日も多くの中国人の方が遊びに来ていました。「なるほど!」自分が海外に行ったとき、日本語が話せる外国人の方よりも、外国語も話せる日本人が接してくれたほうが安心するのと同じです。

 

仮に自分がその施設の案内係の人を採用する立場にあるとしたら、深く考えなければ外国語が話せる日本人を雇おうとします。それはたぶんコミニュケーションが取りやすいと考えるから。自分たちのことをベースに考えてしまうわけです。でも、よく考えてみると、外国人観光客が多く訪れる施設であれば、係の人がすべて日本人である必要はありません。むしろ、お客さんからすれば自分と同じ国の人が接してくれた方が安心して楽しむことができます。言葉が話せるのと、同じ感覚を持っているのではちがいます。利用者が安心できる。そんな当たり前のことをしっかりと考えるだけで、全くちがう手段に至るとしたら、私たちが普段選んでいるのは、自分たちの都合を優先したことである可能性が大いにあります。

 

 

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店内をご利用ですか?

 

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 持ち帰り可能な飲食店に行くと、レジカウンターでの店員さんの第一声が「店内をご利用ですか?」というパターンが多い印象があります。商品を購入することが決まっている前提の声掛けなのですが、中には商品購入以外の目的でそこに来る人もいます。商品について聞きたい、トイレを貸してほしい、道を教えてほしい…。

 

お店でもWEBサイトでも、自分が訪れた場所で決めつけられた声掛けをされると戸惑ってしまうことはありませんか?「そんなつもりで訪れたわけじゃないのに…」利用者の目的で一番多いことを前提に呼びかけてしまうと、その目的ではない人(まだその目的に至っていない人)は距離をとってしまいます。極端ですが、どんな商品があるのかな~とお店に入った瞬間に「どちらの商品をお求めですか?」はちょっとおかしいですよね。だからといって、いろんなケースを想定して「どのようなご用件でしょうか?」「何かお困りですか?」といきなり声を掛けるのもおかしい。まだ、声を掛けられたくない人もいるわけです。そんな他愛もないことでも、普段感じるちょっとしたことは、自分たちがよく目にするものを疑うきっかけになります。

 

 

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