デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

平均的に良くても印象に残らない?

 

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 私のデザインは、あまり印象に残らないと指摘されたことがあります。ある程度やってきたことで知識と経験が増え、全体的に粗のない、わるい意味でスマートな仕上がりになっているからです。通信簿で言うなら、オール4といったところでしょうか。

 

むかしから何でもバランスを取ろうとする性格で、欠点を指摘されないようにする癖がありました。一点を磨き上げるよりも、ダメなところを平均値まで上げる方に注力してしまうわけです。全体的に抜けがないことは、ある意味でプロとしての正解ではありますが、一方で印象に残ることも大きな目的。前者よりも大事なことだとも思います。また、提案の後に検討して進めていくにあたって、やりづらいのもよくない点で、どこか1つダメなところがあるんだったらそれをクリアすればOKとなりますが、全体的にまあまあ良いとなると、どこから手をつけてよいか考えづらかったりします。要点をおさえた抜けのないデザインは、仕事としてあるべき答えの出し方ではありますが、誰かをハッとさせる!影響を与える!ものだと考えたとき、そこには突き抜けた魅力や、良い意味での粗が必要だと思うこともあります。

 

 

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メインを美味しく食べる調整?

 

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 最近は体調管理の重要さを身にしみて感じています。年齢を言い訳にしたくないんですが、20代の時はいつでも120%のフルパワーでできたのに、今はそれができません。なので、フルパワーが必要なときに合わせて自身をコントロールするようにしています。

 

自分のキャパを知っておく。少し前に、妻とコース料理を食べました。すると、すごく美味しい前菜だったにもかかわらず、一口だけ食べて私にくれました。その次の料理も同じように一口だけ。そうしていたのは、適度な空腹感でメインを堪能したかったからです。自分のお腹のキャパを知っているから、メインをベストな状態で迎えられたわけです。私がコントロールしているのもそれと似たようなもので、日々の仕事で一日の一番大事なときにベストコンディションでのぞめるようにしています。誤解のないように言っておくと、他を手を抜いていいわけではありません。常に120%で走り続けないという意味です。80~100%で走りながら、ここぞというときに120%は出せる。最近はそんなふうにしています。ときには無理をしなければいけないこともありますが、パフォーマンスが落ちるようなら調整も必要だと考えています。

 

 

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いったり来たりさせる?

 

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 だいぶ前のブログでも書いたような気がしますが、あらためて自分に言い聞かせる意味で残しておきます。「感覚的な思考と論理的思考を同時に行っても、自分で都合の良いように処理してしまうだけで、それは詰めて考えていることにはならない」

 

例えば、かわいいポスターをつくる。極端ですが、同時にやってしまう場合は「自分が描いたイラストはどちらかと言えばかわいいし、世の中はこういうタッチのイラストをかわいいと思っているから、これでOK。」といった感じです。世の中の傾向を自分の感覚に寄せているわけです。だからもしそのポスターを作るとしたら、とにかく自分がかわいいと思うものをつくってみて、その後にそれが世の中の“かわいい”の定義に当てはまっているか?を検証する。もしくは、“かわいい”を徹底的に調べあげて客観的に整理し、その後に自分の主観で整理する。「詰めて考えること=このやり方」ではありませんが、通常であればいろんな人がチェックして完成していく工程を同じように一人でやって完結させるとしたら、感覚と論理、右脳と左脳を行ったり来たりさせるやり方がオススメ。自分の感覚でつくったものを自分でダメ出しできるようになったら成功です。

 

 

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無くなるまえに補充する?

 

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 歯磨き粉もトイレットペーパーも、無くなりそうになったら補充します。それがシャンプーやティッシュになると、たまに補充し忘れます。電球や電池になると、無くなってはじめて用意するはめになる。消耗具合が分かるかどうかで、それだけ対応が変わるということです。

 

そこで、数ヶ月前から消耗具合が分かりにくいものを、自分なりにほんの少し分かるようにしてみています。例えば、自分の体調。あまり体調を崩さないタイプ(というか体調がわるくても休まないタイプ)なのですが、あるとき急に具合がわるくなってしまいました。それ以来、具合がわる苦なる前兆は何かないかと思い当たることを考えたところ、関節が痛い、目覚ましで起きれない、階段を一段踏み外す…といったそれっぽい前兆がありました。特に、ビールを飲んでも美味しくない時は、危険信号。あくまで自分の感覚で、本当にそれが前兆かどうかも分かりませんが、早めに対処するに越したことはありません。完全に消耗しきった状態で、すぐに回復することはなかなかできないので、自分なりに消耗具合のサインを探してみてはいかがでしょうか。そうしてみてから、私はほんの少し余裕を持って生活できるようになった気がします。

 

 

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自分が楽しかったものは?

 

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「かっこいいデザインで!」「楽しい感じが伝わるようなデザインがいい♪」など、抽象的な表現の要望をいただくことがあります。もちろん、それを言語化して共通認識を持てるように整理することもありますが、相手の伝えているニュアンスや空気感をもとに、自分がそう感じる表現を提案してみるのもアリだと思っています。

 

「楽しい感じのデザインで!」と言われ、漠然としすぎていて困ったら、自分が楽しい印象を受けたものを集めてみる。例えば、ロゴマークをデザインするとしたら、自分が楽しかったこと、街中を歩いてみて楽しい雰囲気を感じたモノをとにかく出してみて、その中から相手の要望に合うと思ったモノをモチーフにしたりして、デザインを考えてみます。取り掛かっているデザインのターゲットが自分とは違っていたとしても、自分が楽しいと感じたことを同じように楽しいと感じる人もいるし、街中で発見した“楽しいモノ”は、きっと他の誰かも楽しませています。だから、一度自分の肌感覚でやってみてはいかがでしょう。経験上、相手との感覚のすり合わせは難しいんですが、そうやってみることで、自分の中の感覚的な面を表現できるようになっていくと思います。

 

 

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切り替えたいくらい欲しい?

 

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 自分がつくったモノを使ってほしい。みんなそう思って一生懸命デザインして、製作しています。もし選んてもらえたなら、長く愛用してほしいとも思っています。ただ、自分がつくったモノを使ってもらうということは、その人がこれまで使っていたモノの使用をやめてもらって、切り替えてもらうということでもあります。

 

モノにもよりますが、完全に新しいカテゴリーの商品をつくらない限りは、ほとんどの場合、その人の手元にあるモノにとって変わらなければいけません。だから、相当良いモノをつくって提案したとしても、もっと良いモノを使っている人には響かない。言い換えれば、自分の商品を使ってほしい人たちが、今どんなモノを使っているかを知る必要があるわけです。何でも新しい方が良いと考える人ばかりではなく、古くなっても使っていたいモノは誰しも1つくらいはある。もちろん、対象者の今使っているモノを知ることはできないのですが、その対象に近い人に聞いてみたり、身近な人たちを観察するだけで分かることもあります。使ってほしい人が今どんなモノを使っているか?そして、それよりも価値を見出してもらえるモノになっているか?そんな検討方法も試してみてはいかがでしょう。

 

 

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失敗覚悟のチャレンジ?

 

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 メニューに知らない料理名ばかりが並ぶ外国料理のお店。私は大概、店員さんにどんな料理かを聞かずに注文してみます。今までのそのチャレンジは、半分は苦手な料理が出てきたりして失敗だったりするんですが、半分はめちゃくちゃ美味しくて大成功だったりします。美味しいと分かって注文していないので、その大成功はとても嬉しい気持ちになります。

 

失敗かもしれないから、成功したとき特別嬉しい。はじめから失敗はないと分かっているチャレンジ(それをチャレンジと呼ぶかは置いておいて)は、成功して嬉しいと思うものの想像の範囲内の結果なので、それ以上の影響は受けません。でも、失敗するかもしれないチャレンジは、成功を想像してはいるもののその通りの結果にならないことが多いので、そこから新しい刺激を受けたりします。失敗するかもしれないと弱気でチャレンジするという意味ではなく、「挑戦的な提案だから受け入れられるか五分五分」「この提案は要望の範囲を大きく超えているから、そこまでは必要ないと思われる可能性がある」といった具合。そういった提案は、結果的に失敗したとしても必ず身になると思っています。

 

 

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説明とプレゼンの違い?

 

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 説明とプレゼンの違いを理解していない人をたまに見かけます。そして、説明が必要なときとプレゼンが必要なとき、説明+プレゼンが必要なときを区別せずに、いつも同じように伝えてしまったりする。これは意外と難しくて、私もきちんと使いわけているとは言えないかもしれません。

 

例えば家電量販店の販売員さん。たくさん売れる人は、これができています。お客さんがその商品の詳細を知りたいときには説明をして、いくつかの要望の中で商品を探しているときにはプレゼンをします。説明は家電量販店で言うところのスペック紹介。「こんな機能があります」といったその商品の情報を伝えることです。一方、プレゼンは、どういった点が相手に合っていてどんなメリットがあるのかを伝えます。「こういう時に便利です」「その生活スタイルならピッタリです」と意見を伝える。相手がスペックを聞きたいのに主観的な意見を伝えたり、詳しいことがよく分からない相手にスペックの説明をしても、買いたい!とはなりません。説明とプレゼンの違いを理解して、相手に合わせた使い分けができるようになれば、相手との距離がグッと近づくはずです。

 

 

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アンチもファンの一部?

 

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 SNSで否定的なコメントをもらうと、「言わせておけばいい」「上手くいっているのが面白くないから、何か文句をつけたいんでしょ」と、大抵は無視しておけばいいといった声をよく聞きます。でも一方では、自分たちのことをわざわざ覗きにきているんだから、アンチだってファンの一部とも言います。

 

そうやってSNSに否定的なコメントを書き込む大半の人は、私もただ文句をつけたい人だと思っています。でも、その中には、あと一歩でファンになる人が隠れていると思っています。良いんだけど、一部気に食わないところがある。そんな人です。あくまで経験上の話ですが、そういう人はその不満を和らげたり改善すると、途端に本当のファンになる印象があります。言ってみれば、もともと興味があって覗きにきているわけですから、ファンに近いことに変わりません。否定的な意見に反応したり、なんでもかんでも反映させる必要は全くありませんが、その中のたった一人でも本当のファンになってくれるかもしれないんだったら、指摘された点を見直してみるのもアリかもしれません。ただの誹謗中傷の中から探すのはしんどいことですが、そういう人が言っている意見は他と明らかに違うのでよく見ていれば見つけられます。

 

 

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あの人のキャラクターだからOK?

 

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 道の駅でソフトクリームを食べようと列に並んでいると、気立ての良いおばちゃんが「次のオネエちゃんは何?」と妻に一声。「ソフトクリーム1つ」「(渡しながら)はいよ、350円」言葉は決して丁寧とは言えませんが、とても気持ちのよい対応でした。でもこれが、若い茶髪の男の人に「次のオネエちゃんは何?」と声を掛けられていたら、何だかチャラチャラしていてきっと気持ちよくはありません。

 

キャラクターによって、使っていい表現が異なる。これは自分では気付きづらいと聞いたことがあります。先日ラジオで、ある芸人さんが、後輩に「あの下ネタはやめなさい」と指導したそうです。そこで返ってきたのは「あの人はウケているんだから…」。同じことをなぜやってはいけないのか?という疑問を感じたわけです。「あの人がやっていい下ネタと、あなたがやっていい下ネタは違う。例えば、容姿・年齢…」と、キャラクターの違いによって使ってもいい表現を分かりやすく伝えていました。先日も、飲食店で20代前半の人が「水くれる?」と店員さんに声を掛けていましたが、それはやっぱりおかしいこと。でもきっと、自分では気付いていません。

 

 

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デザインの説明は要らない?

 

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「説明しなきゃ伝わらないデザインではダメ」皆さんも一度はそんなフレーズを聞いたことがあるのではないでしょうか。確かにその一面もありますが、言葉通りに受け取って、自分が提案するときに説明を省くのは間違いだと思っています。

 

私の場合は「説明しなきゃ伝わらないデザインになっていて、自身で簡潔に説明できなきゃダメ。」だと考えています。まず、自分の考えやコンセプトを簡潔に伝えられないのは、デザインが詰めきれていないに等しい。どうしてそうしたかを整理できていない人のデザインはどこかチグハグです。また、第三者が説明できることが重要だからでもあります。例えば、私が企画の人に提案して感覚ですり合わせができても、その企画の人が上司に提案する際にきちんとこちらの意図通りの説明ができるとは限りません。それに、相手がデザインの良し悪しを判断するのが苦手な場合、簡潔な説明を添えることで、採用して良いのか?この案で進めて良いのか?を判断する重要な材料になります。説明がきちんとできて相手も同じように第三者に伝えられるデザインは、結果的に世に出てもうまく機能すると思っています。

 

 

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指摘しまくる?

 

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 私は、懸念点や抜けているチェック項目などを指摘する役回りで会議などに参加することが多いのですが、あるチームでは歓迎され、別のあるチームでは参加者が不機嫌になります。同じことをしていても受け入れられ方は様々です。

 

後者の場合、「せっかく満場一致で決まりそうな提案なのに、どうしてそんな水を差すようなことを言うんだ!」と思われてしまうんですが、私もその案が良いと思っているからこそ指摘するわけで、できる限り穴を埋めて完成度を高めたいという思いから起こしている行動です。そもそも良くない提案に、頭を使って細かな指摘をするようなことはしません。だから私は、自分の提案の完成度を高めたい場合は、できるだけ自分自身で案のダメ出しをします。さらに他の人にもダメ出ししてもらって、自分の案の否定的な意見を集めまくる。そうすると、2人3人が指摘した同じポイントや、みんなが一番はじめに気になったポイントが出てきて、単なる個人的意見ではない見直しポイントを見つけることができます。指摘しまくる。良くするためにやっていることだと思ってやれば、凹むことはありません。

 

 

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ここに無くてもどこかにある?

 

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 私は諦めがわるい性格で、こういうモノが欲しいと思ったら、絶対に置いてあるであろうお店に行って「無い」と言われても、同じような需要があるはずだから、それに応えて作ってるはずだと思って別のお店で探します。もちろん本当にどこにも無い場合もあるんですが、結構な割合で見つかるので、いまだに諦めがわるいままです。

 

「自分の中に答えがないだけで、他の人はその答えを持っている。」だいぶ昔に、デザインで行き詰まった際に、ある人からそう声を掛けられました。「自分が出そうとしているということは、誰かも出そうとしていること。その誰かの中には答えを出せた人もたくさんいるはずでしょ!だから、自分や周囲に答えがなくても、あると考える方が自然♪」それ以降、私は無いわけがないと考えるようになりました。だから行き詰まることはあっても、答えがあるものだと思っているので、諦めわるく見つかるまで探し続けます。近くに無いからといって、どこにも無いとは限らない。モノに限らず、何かを実現する手段などなかなか見つからないことはよくありますが、きっとどこかにあるはずです。

 

 

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お困りごとはありません?

 

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「何か困ったことがあったら連絡して!」そう言われて、連絡したことがありません。でも「〇〇で困ったら…」と言われた人に一度連絡したことはあります。さらに「〇〇で人手が足りなかったら…」と言われた人には何度か連絡しました。具体的であればあるほど、連絡する。もちろん気軽に連絡できない人だったり、遠慮したりするのでまちまちではあります。

 

友人や知人とのやりとりと比較はできないかもしれませんが、会社なども基本的には同じだと思っています。問い合わせをしてほしいと思っているなら、「お気軽にお問い合わせください」ではなく、もっと具体的に伝える。少なくとも私の知っている会社では、そうやって絞り込むことで問い合わせが入るようになった例があります。いろんな対応ができるから絞りこみたくないという意見もありましたが、それでは問い合わせのしようがないと伝え、一番欲しい問い合わせに絞ったわけです。つい先日、外国の方が道を尋ねようとして「Excuse me」と話しかけて無視された直後に、「Shinkansen」と話しかける言葉を変えて無事案内してもらっていたのをよく覚えています。

 

 

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