デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

利用者を減らす方法は具体的?

 

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 東京オリンピックの期間中、首都高速の日中の利用料が高くなります。そうなれば、「そんなに高くなるなら下道でいいや」となります。やり方はともかく、利用者を減らす方法としては分かりやすいし、実際に減るのがリアルに想像できます。

 

利用者を減らす方法は具体的。むやみにトイレを使って欲しくないからと、お店を利用した人しか使えない仕組みにする。駅のトイレまでもう少し我慢しようとなるのが想像できます。利用者を増やす方法を考えていると、これなら増えるだろう♪といった仮説を立てるものの、そこにリアリティーがありません。でも、利用者を減らす方法を考えて出てくるアイデアは、とても具体的だったりします。それなら、減らす方法を考えてその逆をいけばいい。そう考えてみてはいかがでしょう。前に挙げた例だと、安くすればいいといった安易な答えにしかなりませんが、例えば、全面喫煙可にしたらお客さんが減ると考えたら、全面禁煙にしたら増えるという発想になります。無愛想なお店は行きたくないと考えれば、愛想を良くすることが行きたい理由になったりする。考えやすい方で考えて、その逆の答えを出す。ぜひお試しを。

 

 

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影響を受けるから離れる?

 

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 いろんなものを見て勉強したほうがいい。そんなふうにアドバイスされることがほとんどですが、あるとき、「あなたはむやみに見ないほうがいい」と言われました。それは当時の私が、見たものに影響されてしまう傾向にあったからです。

 

ネガティブな思考の人が多い環境にいたら、自分もネガティブな思考になる。ワンマン経営の会社にいたら、トップの考え方と同じように考えるようになる。そんな感じです。学生の頃は、魅力的に感じたデザインに影響を受けて、同じような造形を好むようになりました。決してわるくないのですが、影響されすぎてしまうためにそう言われたのだと思います。いろんな影響を受けて自分に蓄積していくのは言うまでもなく大事なことですし、影響されすぎないのならどんどんいろんなものに触れた方がいい。ただ、その時々で偏った思考になってしまうようで、それを自身でコントロールできないのなら、影響されるものから離れるのも1つの方法です。特にフラットな状態で何かを考えるような仕事をしている人は、影響を受けることが必ずしも良いとは限らない。知見を広げるためにやっている自覚があっても、気付かないうちに染まってしまったりします。

 

 

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求めていない情報を得る?

 

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 何かの情報を得たいとき、ほとんど人はネットで調べます。そして、ダイレクトに求めている情報が提示されます。でもそこには求めていない情報がありません。関連情報や利用者の嗜好に合わせて情報は出てきても、全く求めていない情報は出ない。

 

私は漠然と刺激や情報が欲しいときに、本屋さんをグルグルしたり、街をぶらぶらしたりします。目的があったとしても、そこら中に求めていない情報が散らばっていて、それが急に欲しい情報に変わったりするからです。仕事をしていると、たまに欲しい情報だけを周囲に聞いて仕入れている人がいますが、それだとその仕事の過程で必要最低限の情報しか得ることができません。自分で調べていないので、その必要最低限の情報すら身につかないことも…。自分が求めている情報には偏りがあります。だから、その回答ばかり集めていると自然と偏った知識になってしまいます。一方で、求めていない情報はもともと関心がないことだったりするので、新たな知識として身についていくわけです。「自分の表現の幅が広がらない…」「ここ数年変化がない…」といった悩みを抱えている人は、ぜひ求めていない情報に触れてみてください。

 

 

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現物が目の前にある安心?

 

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 世の中がどんどん便利になっていく一方で、それを使いこなせなかったり、使えても不安だから使わなかったりする人がいます。そのあたりは高齢者に限らず、若い世代でも共感できるところがあるのではないでしょうか。これから考える必要があるのではないかとふと頭によぎっています。

 

現物が目の前にある安心感。目に見えない不安感。ICカードの方が運賃が少しお得だと分かっていても切符を買うし、キャッシュレスが便利だとは分かっていても現金派。IHクッキングヒーターが安全で機能として何の遜色もないと分かっていても、火が点いているガスコンロを好む人もいます。何の気なしに使っているwifibluetoothだって、理屈が分かっていても目に見えないことをふと不安に感じたりします。便利になっているようで、一部の人は不安になっているかもしれない…。そう考えると、実は窮屈になってきているのではないかとも思ったりします。みんなが普通に利用している銀行だって、キャッシュカードだけだったらここまで普及していないかもしれない。残高が目で確認できる通帳があるからこそ安心してお金を預けられるような気がします。

 

 

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今日を空けておく?

 

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 テレビで観た美味しそうな料理。何がなんでもそこで食べたいぐらい魅力的だったら、1年先の予約でも待てるかもしれませんが、ちょっと食べてみたい程度で明日お店に行っても食べられないのなら、そこで食べようと思いません。

 

実績十分で認知度も高く、ひっきりなしに仕事が舞い込むような人には全く必要のない話ですが、そうではない人は、飲食店で言うところの「明日食べられるお店」にしておく必要があります。せっかく一度会ってみたいと声をかけてもらっても、すぐに会えないのなら…諦めてしまいます。だから、明日会えるようにしておく。十分なゆとりを持って仕事ができるスケジュールにしておくという意味ではありません。どんなに忙しくても、何かあったときに空けられる工夫をするという意味です。極端ですが、明日やるべきタスクを今日やって仕舞えば、明日は少し空きます。今日を空けなければいけなくなったら、明日その分をやる。受け入れすぎてパンクしてしまのは、かえって相手に迷惑を掛けてしまうのでオススメしませんが、声を掛けられたときに応えられる体制で常にいることが大事だと思っています。

 

 

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感想をしっかり伝える人?

 

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 ここ最近「この人はきっと仕事ができるんだろうなぁ」と思う人によく出会います。理由は、こちらがなげかけた何かに対して、しっかりとした感想を返してくれるからです。これは私が実際にその人に仕事ぶりを見て優秀だなと感じた人すべてに共通しいることです。

 

少し前になりますが、ある企業のサイトに記事を寄稿しました。間に運営会社が入っていたので、やりとりはその運営会社を通してでした。驚いたのは、その運営会社の担当者から長文の感想が届いたこと。記事を読んでどう感じたかだけでなく、その記事を企画して実際にやってみた感想や、これからやりたいことなど、赤裸々に語ってくれました。さらに驚いたのは、クライアントである企業の社員さんから長文のお礼のコメントが届いたこと。私の連絡先を知らないので、運営会社を通して私に送ってほしいと言ってくれたそうで、内容もさることながら、その行動に驚かされました。運営会社の担当の方も、メールのやりとりの中で一度も定型文で返信したことはありませんでしたし、必ず感想を添えてくれたのをよく覚えています。デキる人はしっかり感想を伝える。皆さんのまわりの方達はいかがでしょう?

 

 

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1つのダメで低評価?

 

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 人は何かを見たときに、ダメなところに目がいってしまうそうです。それは、私は良いところを見る!というタイプの人も同じで、ダメなところが見えるからそこを見ないようにしているわけです。他に良いところがたくさんあっても、残念ながらダメなところが目立ってしまう…。

 

例えば、自分の考えをシートにまとめて伝える。いろいろと盛り込みたくなる気持ちは分かりますが、その中にイマイチの内容や引っかかる表現が含まれていたら、せっかくの良い提案も、そこが目についてしまってわるい印象になってしまうことがあります。それなら、ダメだと思われる可能性の高いところは省いてまとめる。ここで言うダメなところは、デメリットや懸念事項を載せないという意味ではなく、矛盾点や共感を得られない偏った考えを載せないという意味です。一度「んっ?」と引っかかると、他にも粗があるのではないか?とネガティブな目線で見てしまったりします。主張できるポイントが少なかったり、提案に自信がなかったりすると、少しでもプラスになればと要素を追加してしまいがちですが、そうやった加えたものがその提案唯一のネックになってしまうこともあります。

 

 

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私も理解できたから好き?

 

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 クイズ番組を観ることはほとんどありませんが、唯一夫婦で「世界ふしぎ発見!」だけは観ています。専門知識はありませんし、難しいことは理解できなかったりしますが、たまにクイズに正解したして親しみが感じられるのが、好感を持ってしまうポイントかもしれません。

 

分かるから好き。私はデザインをする際、使う人や購入する人が「分かる(共感できる)」ことを大事にしています。当たり前のような話に聞こえるかもしれませんが、結構難しいことで、小難しいコンセプトや専門的用語を用いても相手は距離をとってしまいます。よく分からないから興味を持つことも無いわけではありませんが、全部ではなくても部分的に分かったり共感できたりするだけでグッと近づく。「だから、こういうカタチなんだ!」「そういう理由で作ったんだ♪」アーティストの楽曲で、歌詞に共感してファンになったりするのと同じ。分かる人にだけ分かればいいんだ、というスタンスも良いとは思いますが、その分かる人に分かってもらう必要はあります。相手に分かってもらえるようにする。それが好きになってもらうための近道のような気がします。

 

 

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よくあるアイデアでOK?

 

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「発想の工夫をしないと、同じような選択ばかりしてしまうから気をつけなさい!」学生時代に教えられたことの1つで、ただ表面的に目新しいだけのものを選択しがちだった学生たちが、そこから大きく変わったのを未だに覚えています。

 

「これじゃあ、よくあるアイデアだな…」「これは見たことのないアイデアだ!」そんなふうに使われる「アイデア」は、ただ見た目の話。表面的に似ているように見えるだけで実際はちがうかもしれないのに、見た目が新しくないというだけで捨てているわけです。そして選ばれた「見たことのないアイデア」は、他のデザイナーたちが選ばなかったものであることも多いように思います。大事なのは、発想。「ベタなコンセプトだけど、最終的に至った表現がおもしろい!」「これもよくあるやつだけど、他のことに置き換えた視点が素晴らしい!」例えば、そんなふうに掘り下げていくわけです。このテーマは他の人も選んでいそうだから自分は別のテーマにする、というのも1つの手かもしれませんが、他の人も選んでいそうなテーマでハッとさせるアイデアを出した方が共感を得られるのは確かです。

 

 

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明日には忘れられてる?

 

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 先日、私のことを知ってくれていた人に偶然出会いました。そこで名刺を交換したら「やっぱりマメな人ですね~」と一言。私が毎日ブログを書いているのを知っていたのでその印象があったのだと思いますが、私た名刺で確信に変わったそうです。渡した名刺には、その場で展示されていた自身の作品の写真を載せていました。

 

正直、私はマメどころか面倒くさがりで、強引にスイッチを入れて無理やりにマメにしています。名刺をもらった方には翌日必ずお礼のメールをする。暑中見舞いや年賀状を出す。どれも地味に労力のかかることです。それでもやっているのは、すぐに忘れられてしまうから。私は有名でもないし、実績があるわけでもないし、大きな会社に所属しているわけでもありません。名前だけ伝えて覚えてもらおうなんて、絶対に無理だと思っています。なので、「あ~あの作品の人ね…」「毎日小ネタ書いてる人だ」と忘れられない工夫をしています。DMをしつこく送ったりはしませんが、存在をなんとなく意識し続けてもらえる工夫。きっと皆さんも、先月名刺交換をした人の名前なんて覚えていないはずです。きっとこのブログを見てくれた人だって明日には忘れているはずなので、明日もまた何か書こうと思います。

 

 

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欲しいモノが良いモノ?

 

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「この中でどれがいいと思った?」数点のデザインが並んでいる中から選んだ理由を尋ねると、結構な割合で「これは欲しいと思ったから…」と返ってきます。かく言う私も、何かを選んだときに理由を聞かれると「これは欲しい」と答えてしまいます。

 

「コンセプトが素晴らしい」「着眼点が良い」「難しい技術が使われている」「造形力がある」等々、デザインを評価するポイントはたくさんあると思いますが、それらが重要であることに変わりはない反面、結局は、それが欲しいかどうか?につきるのではないかと考えるようになりました。使いたいと思う。購入して誰かにあげたいと思う。今使っているものを処分してでも欲しいと思う。そう思えるものが良いものではないかと思います。なぜなら、欲しいと思えるものの多くは、造形やコンセプトや機能もしっかり備わっているからです。だから、最終的には欲しいかどうか。「自分では買おうと思わないけど、デザインが素晴らしいね~」なんて言われてきて、実際に普及していった商品の記憶がほとんどありません。必ずしも多くの人に欲しいと思われる必要はありませんが、誰かに欲しいと思ってもらえるようにすることが、自然と基礎や細部を磨くことに繋がっていくような気がします。

 

 

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出した案は全力で推す?

 

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 出した提案を後になって「これあんまり良くないかも…」と思ったことはありませんか?提案をつくったときはバッチリだと思っても、時間を置いて冷静になってみてみると、詰め切れていない点や、少し強引に結びつけたロジックなど、気になるところがいくつも見つかります。そして、そんなふうに思ったままプレゼンをしても、100%上手くはいきません。

 

「自分が良くないと思っているのに、相手が良いと思ってくれるはずがない!」と教えられたことがあります。それは、良くないものを良いものとして伝えろ!ということではなく、良いものだと思って提案しなさい!ということ。もっと言うと、出したからにはそれを全力で推さないと、相手に対して失礼にあたるという意味です。デザインなどの提案に限らず、ショップの店員さんが商品を勧めるときも、誰かにオススメの映画や本を紹介するときも同じ。「でも、そんなに良くないんで…」なんてニュアンスで伝えられたら、自分も試してみようとは思いません。相手を騙しているように捉える人もいますが、嘘をついたりしなければ、声を大にして「これはいいんです!」と伝えて良いと思っています。

 

 

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調子がいいときに考えておく?

 

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 私は自身のコンディションが良いなと感じたときに、できるだけ考える作業を集中して行うようにしています。考えるというと漠然としていますが、アイデアを出したり、コンセプトを考えたり、先々のことを考えたり…。もちろん、どんな状況でも考えられるようにしてはいるんですが、私の場合は精神状態の良いときのほうが良い案が出ているような気がしています。

 

頭が冴えているからという理由以外に、順調に物事が進んでいるときにこそ、次の何かを考えておかなければいけないと思っている点があります。何事もなく進んでいると、つい安心してしまいますが、どんなに順調な物事もいつかは陰りが見えてきます。いざそうなったときには、不安や焦りで盲目になってしまい、思うように考えられない…。仮に考えられたとしても、実行するまで時間がないとなれば、その時間でできることに限定して考えてしまったりします。調子がいいときに考えておく。これまでいつでも考えられていたとしても、明日も同じように考えられるとは限りません。余裕を持って毎日を過ごしている人はほとんどいないと思いますが、少し余裕ができたら、次の何かを考える時間に当ててみてはいかがでしょう。

 

 

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実感を伴っていない?

 

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 デザインの仕事をしていると、相手の会社の業種特有の表現を求められたり、ターゲットの趣味嗜好を取り入れたり、流行を反映させたりします。でも、これらは実際とても難しいことで、表面的に入れたデザインは大抵結果がふるわないことを学んできました。

 

ある役者さんはボクサーの役をやるときいて、ボクシングジムに通いはじめ、トレーナーから道具の付け方からフォーム、トレーニングまで細かく学び、実際のジム生と同じようにトレーニングに励んだそうです。その役者さんが言っていたのは、「自分は情報だけじゃ上っ面の表現しかできないので、ちゃんと実感を得たい」ということ。役者さんに限らず、一流のデザイナーたちは、実感が伴うまでクライアントの要望に向き合います。決して、自身の経験と手元にある情報だけで完結させない。それは、そこでそれっぽく作れたとしても結果が出ないことを知っているからです。「流行っているらしい」と「確かに流行ってる」では、その後の進め方が全く違います。「実感が伴っているかどうか?」自分がデザインに着手する際に、必ず確認するようにしていることの1つです。

 

 

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