デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

絶対できないなら「できない」と伝える?

 

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 どんなに忙しかったとしても、どんなに難しい課題を与えられても、私は基本的に「できません」と言わないようにしています。みんなどうにかしてやるので当たり前ではありますが、時には「できません」と言うこともあります。つい先日も「できないので他の方法でやらせてほしい」と相談をさせてもらいました。

 

「できない」は、本当にできない場合はもちろん正直に申し出ますが、できても「できない」と言うケースもあります。例えば、それが絶対に間に合わせられると言えないとき。もちろん“絶対”はないのですが、自分が何のトラブルもない状態で確実に間に合わせられる自信がなければ、受けられない旨を伝えて謝ります。また、できたとしても相手の負担が増えたり、迷惑をかけたりする場合も同様です。こちらは何も知らずに提出できたと思っていて、実際は相手の方が修正や再加工をしていることもあります。それでは意味がありません。何でもかんでも「できない」と言ってはいけませんし、「できない」と言うことが恥ずかしい気持ちもあると思いますが、本当にできない時は、素直に伝えたほうがよいかもしれません。

 

 

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手で検討する?

 

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 書類を整理するバインダーを作りたい。そんな相談を受け、私は100円均一で買ったバインダーを加工した簡易的な模型を打ち合わせに持参しました。その打ち合わせで、バインダーに持たせたい機能や仕様の話はもちろんしましたが、加えて、手に馴染むサイズ感や棚に置いた際の見え方などの話にも発展しました。

 

私は、立体のデザインであれば必ず模型を作りますが、それが平面のデザインであっても模型を作ります。もちろんできる範囲であったりはしますが、それがあるのと無いのでは、検討の深さがちがうからです。例えば前述のバインダーなら、模型がなければ「手に馴染むサイズ感」の話になりません。「一般的にこのサイズで、オリジナルで作れるのはこちらのサイズです。」「じゃあこれにします。」で終わってしまう。実際に書類をいっぱいいれた状態にして、棚からそのバインダーを手にとってテーブルまで持ってきてみる。そんなことをしながら、先日の打ち合わせではそんなことをしながら仕様を検討しました。決めるだけなら必要最低限の資料で決められるかもしれませんが、最良のものを考えるなら必要以上の資料が必要だと考えています。

 

 

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化学反応を起こす?

 

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 アイデアを考える際、連想ゲームのようにキーワードなどを展開して広げていく方法があります。ホワイトボードいっぱいに展開したり、ポストイットでカラフルになったテーブルを見ると、なんだかたくさんアイデアが出たみたいで充実感がありますよね。

 

もちろん素晴らしい方法ではありますが、その場にちゃんと分かっている人がいないと、ただの連想ゲームで終わってしまいます。“分かっている人”というのは、そこで出さなければいけないゴールが見えている人。そのゴールに導ける人です。例えば、少し視点を変えたアイデアが欲しいとき。よくあるテーマで連想ゲームを繰り返しても、誰でも思いつくようなキーワードしか出てきません。ちょっと見慣れないキーワードが出てきても、それが繋がりやすいものと繋げてしまったりして、結局ありきたりのものになってしまいます。分かっている人は、そこで何とか化学反応を起こそうとします。出てきたワードを全くちがう何かと繋げたりするわけです。それが非現実的でも、それをリアルになるように整理して、それが新しいアイデアとなる。手段が正しくても、その手段の使い方が分かっている人がいないと、求めている結果が出せないことが多々あります。

 

 

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コレ足したら♪を我慢する?

 

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 考えたアイデアに「この要素も加えてみよう♪」と、後から思い付いたことはありませんか?確かにそれも加えたら、さらに面白いアイデアになりそうな気がしてしまいます。でもあくまで私の経験上ですが、それは加えない方がいいし、実際私は加えないようにしています。

 

何かを加えたくなるのは、元のアイデアの基盤が弱いと自覚しているからにほかなりません。もし加えたくなったら、その場合は基盤のアイデアを改めて検討する。細い幹にいくら枝葉を増やしても、すぐに倒れてしまう感じです。仮に基盤がとても良いアイデアだったとしたら、さらに加えればもっと強固なアイデアになりそうですが、それも加えないのがオススメ。良いところがいくつもあると、どれが肝なのか分かりませんし、せっかくの基盤のアイデアが薄まってしまいます。「コレ足したら♪」と思ったら、ひとまず我慢する。すべての足し算がわるいわけではありませんし、引き算が必ずしも正しいわけでもありません。でも、加えたくなるのは、少なからずそこに物足りなさを感じているから。まずは、アイデア1つを徹底的に磨き上げてみてはいかがでしょう。

 

 

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無理やり短くしない?

 

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 デザインを勉強しようとデザインのコツ的な本を読んでみると、「キャッチコピーは短くした方が伝わりやすい!」などのアドバイスが載っていたりします。その本の通り、短くて強く伝わる秀逸なキャッチコピーもありますが、言葉のとおりに鵜呑みにして何でも短い方がいいと考えてしまう懸念もあります。

 

例えば、相手に対して「ほっこりした温かい気持ちで本文を読んでほしい!」のだとしたら、短いキャッチコピーだけを読んでそうなってもらうのは難しいですよね。本文を読みたくさせることはできるかもしれませんが、気持ちまで盛り上げるのは一言ではなかなか出来ません。でも、2行3行で語ったら、温かい気持ちになってもらえる可能性は少し増えます。17文字で情景や心情まで伝えることのできる俳句があるように、文字数があることでより多くの情報や強いメッセージを伝えることができます。それをさらに添削して10文字にできたとしても、それでは同じように伝わりません。極端な例ではありますが、無理やり短くして伝わる力が弱くなったりニュアンスが変わってしまうなら、短くする必要はないと私は考えています。

 

 

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代わりはいないけど別の人でもいい?

 

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 ある程度いろんなことを任されていて、組織の中で自分だけが対応できることがあったりすると、「自分の代わりはいない」と思ってしまいます。私もそう思いますし、実際に全く同じようにできる人はいないでしょう。でも、全く同じようにできる人である必要もありません。

 

よく「代わりはいくらでもいると思いなさい!」なんて言われたりしますが、正確には「全く同じ人はいないけど、代われる人はいくらでもいる」です。もし、本当に自分にしかできないことがあったとしても、その通りにできる必要がないし、なんならそれ以上にできる人がいるわけです。テレビなどを見ていれば、誰かが抜けても何事もなかったように別の人がそこに代わっていますよね。そこで周囲が「以前の人の方が…」と思うことも無いとは言えませんが、代わった人できちんと成立するようにはなっています。不安を煽るつもりは全くありませんが、良い意味での危機感を常に持ち続けるのも大事だと思っています。とって代わられない環境にいると、今より進化しないといけない!という意識が必ず薄れていきます。なかなか自分でお尻を叩けない人がいたら、簡単にとって代わられる環境に飛びこんでみてはいかがでしょう。

 

 

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似ている100案は1案と同じ?

 

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 こんなに考えたぞ!と意気込んで何十案も持って行ったのに、はじめの2~3案を見て「あっもういいや…」と帰されてしまう。若い頃はそんなことがしょっちゅうありました。提案の質が低かったことは言うまでもありませんが、一番ダメなのは似たり寄ったりの案をいくつも持って行っただけだったからです。

 

似ている案は1案と同じ。実際に数多くの提案を求められていることもありますし、たくさん出してこちらの意気込みを汲んでもらいたいと思うこともあります。ただそこで、提案数を増やすために同じようなものをいくつもつくっても意味がありません。それはバリエーションを増やしているだけ。「1案目はこの黒色のデザインです。2案目は白色です。3案目は黄色です。…」と同じこと。提案の数を増やすのであれば、1案目とはちがうアイデアでなければなりません。もし仮に細かなニュアンスの違いを見比べて欲しいのだとしても、そこは自分で自信のある1つに絞らなければいけない。そこで引っかからなければ、ニュアンス違いの方も引っかかりません。見る人が見れば、たとえ1案であっても裏側の100案が分かります。

 

 

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しゃがんで見える世界?

 

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 以前にも書いたような気がしますが、私はデザイン途中のものを、しゃがんで見たり、座って見たり、裏側から見て検討をしています。対象者やシーンによって、見る位置は異なるからです。ウォルトディズニーが子どもの目線で見るために、園内をしゃがんで歩いたのは有名な話ですよね。

 

仕事で物件のコーディネートをする際は、お客さんの家族構成などに応じたコーディネートをするんですが、加えてリアルな生活を想像して、その人たちの目線になってチェックをしています。ソファに座ってテレビを観る位置から室内を見回す。キッチンで洗い物をしながら、洗濯物を取り込んでベランダから部屋に入りながら、寝室で仰向けになって寝ている状態から見回します。もちろん、内見する人がそんなふうにしてまで見ることはなさそうですが、ソファやキッチンからなら普通に見るかもしれませんし、子供連れだったら「ここにベッドを置いて♪」なんて親子で寝っ転がる可能性もあります。そうやっていると、つい適当に決めてしまいがちな天井の壁紙も結構気になるもの。誰かになりきってチェックしてみると、いろんな“気になる所”が見つかります。

 

 

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知らなくても楽しめる?

 

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 以前行った、あるアーティストのライブ。私はよく知らないままファンの友人に付いて行ったんですが、楽しむことができました。ファンの人はもちろん、よく知らない人も楽しめる工夫がされていたからです。

 

人気のアーティストだったので、ライブに訪れるのはほとんどはファンの人たちですが、私のようによく知らない人もいます。当然、知らない曲ばかりにはなってしまいますが、そこでそのアーティストは、「この曲はこういう想いで作りました」「この曲はこんなふうに一緒に盛り上がってくれたら嬉しいです」と、私のような人が楽しめるひと言を添えて歌っていました。言葉えらびが上手で、ファンの人も言われて嬉しいひと言。ちょっとしたことですが、知っている人も知らない人も楽しめる工夫がそこにはありました。もし自分たちが開催するイベントなどで、参加者がアウェー感を抱いたり、内輪で盛り上がっているような印象を持ってしまうようなら、そのイベントはとても閉鎖的なものになってしまいます。知っている人が楽しいのは当たり前。広げていくためには、知らない人も楽しめるようにすることが必要かもしれません。

 

 

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産みの楽しみ?

 

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 デザインの仕事をしていると、周りから「毎回いろんなデザインを考えるのは大変でしょ?」と、産みの苦しみを心配されたりします。もちろん、限られた時間の中で常に100点の回答を出すのは難しいことですが、私はデザインを考えるのが苦しいと思ったことは一度もありません。

 

滅多にありませんが、本当に光る(と自分では思える)デザインやアイデアに出会えることがあります。そんなデザインやアイデアに出会えたときの感覚が格別で、それまでの苦労は一瞬で飛んでしまいます。その感覚が忘れられないので、たとえ今厳しい状況に陥っていても、それを苦しいとは思わなくなりました。だから、もし今、つくり出さなければいけない目の前のことが苦しいと感じている人がいたら、まだ自分が納得できる素晴らしいモノに出会えていないだけだと考えてみてはいかがでしょうか。嬉しいことが待っていると思ったら、少しは楽になるはずです。魚釣りに行って釣れなくても楽しんで来れる人は、釣り上げたときの喜びを知っているから。その感覚はいつかきっと味わうことができます。他にも苦しい時を乗り切る方法はたくさんあると思うので、そんなふうに思ったときは、周囲の先輩や上司に教えてもらうのがオススメです。

 

 

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感性か理屈かで悩まない?

 

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「感性でつくったほうがいいか?」「理屈で考えたほうがいいか?」クリエイティブ系の仕事をしている人なら、一度はそんなふうに悩んだこともあるのではないでしょうか。実際、私はずっと後者を選んでやってきたので、何度か悩んだことがあります。

 

あくまで私の今時点での考えですが、「どちらも最終的には変わらない」。感性でつくっても、理屈で考えても、同じだと思っています。感性で生み出された素晴らしい作品は理屈でも説明できるし、理屈を突き詰めて考えられた作品は、説明せずとも人の心に届きます。いずれかで悩んでしまうのは、つくったモノに自分自身がどこか物足りなさを感じるから。私の場合は、途中から感性でつくったモノを理屈で捉え直したり、その逆をやったりと繰り返す方法で精度を上げるようにしてきた結果、「結局はどんなやり方でも突き詰めたら辿り着く」と考えるようになりました。よく考えたら、「センスがある」と言われる人だって、情報収集したり、人の真似をしたり、いろんなことを試したりしてそうなったわけなので、それってとても理屈っぽいやり方ですよね。

 

 

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心から相手を称賛できる?

 

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 恥ずかしながらつい最近まで、誰かが成果をあげたときに心から称賛することができませんでした。表面的に「素晴らしい!」なんて言っていても、本音は「そんなに良いかな…」と。悔しさや妬みが勝っていたのでしょう。特に競い合うような場面で自分が選ばれなかった時、相手を称えることができませんでした。

 

しかし、いつからか意識することなく誰かを称えることができるようになっていました。もちろん、何かで負ければ悔しいとは思いますが、良いものを良い!と言えるようになったような気がします。年齢も年齢なので、ただ単に角が取れて丸くなっただけかもしれませんが、私は本当の意味での自信が身に付いてきたのではないかとポジティブに考えています。若い頃の根拠のない自信ではない“自信”。特に何かを成し得たわけでもありませんし、大きく変化した感覚もありませんが、フリーになって今までやり続けてきて、少なからず誰かに必要としてもらえていることが自信になったのかもしれません。今の“自信”も、結局根拠はありませんが、以前のソレとは全く違うもの。これからも、本当の意味での“自信”を持ち続けて、周囲を素直に称えられる自分でいたいと思います。

 

 

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すぐに出てくるアイデアは使い回し?

 

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 ある程度経験を重ねていくと、ほんの少し考えれば、いくつかアイデアは簡単に出せるようになります。若い頃は「こんなにアイデアが出せるようになった♪」と喜んで、頭の中で考えるだけのやり方に頼っていましたが、それでは通用しないことと、自分の考えに進歩がないことにすぐに気づきました。

 

パッと考えて出てくることの中に、新しいアイデアは含まれていない。いくつも出せたとしても、それは自身の過去の遺産を繰り返し使っているだけだったからです。もちろん、これまでやってきたアイデアがまた別の機会でも機能することもあります。それでも、Aさんのために使った方法を、そのままBさんに活用できません。過去から引用するとしても、それを新しいアイデアに変えないといけない。私は途中から、自分が抱えていないアイデアを出す方法をいろいろと調べて試してきました。そうしてきたからか、それ以降は過去にやったことのない表現がどんどん増えていったように思います。私の周囲でアイデアが無限に出せる人がいますが、既にあるアイデアを出すだけになってしまったら、それが尽きたときに困ってしまいます。

 

 

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想像の何倍も厳しい?

 

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 リリースする楽曲が毎回テレビドラマやアニメの主題歌になる人気アーティスト。500人くらいの会場でライブをやるとなれば、即完売で簡単に埋められると想像します。先日、そんなアーティストのライブに行ったら、確かに満席。ただ、終演後にそのアーティストのSNSをのぞいてみると、それが簡単に達成できたわけではないことが分かりました。

 

何度もファンに呼びかけ、見どころや限定グッズの紹介したり、そのライブにかける想いを語っていました。世界観を大事にしているそのアーティストでさえ、そういった努力をして人を集めているわけです。あるテレビで引っ張りだこの芸人さんがイベントを開いたところ、たった数人しか集まらなかったことがあるそうですが、どんなに著名であっても、どんなにおもしろいコンテンツであっても、努力無しに人を集めることなんてできません。それがお金を払ってもらうことなら尚更困難。それでも集まっているのは、地道な努力があるから。もし自分が働いている環境や参加したイベントで、いつもたくさんの人が集まっているとしたら、必ずどこかで集める努力をしている人がいるはずです。

 

 

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