デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

目を引く工夫?

 

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 自分がデザインしたモノ。他にも同じ課題でデザインされたモノがたくさんある中で、自分の作品に目を止めてもらうのは容易ではありません。課題の要点を整理して、それを上手く整えただけでは当然ながら埋もれてしまいます。他も同じように、なんならもっと上手く整えられるからです。

 

だからといって、尖った突飛な発想や目立つデザインにしても、求められているモノからズレてしまうだけで、結果的に選ばれません。必要なのは、芯を捉えた上で目立つ工夫です。例えば、いろんな写真がそこに入るデザインをつくるとき、一般的にはカッコいい写真や収まりの良い写真を使って提案をします。でも、それだとみんな同じ。そこで、普通の写真や収まりのわるい写真を使うわけです。見慣れない写真というだけで目を引くだけでなく、それを見せることで、どんな写真が入っても成立するデザインだと伝えることができます。同じ土俵でみんなが同じ方向に向かっている中で目を引くためには、求められている中で変えてみる。さらにその工夫で、自分の提案の良さをもう1ポイント伝えられたら、きっと上手くいくはずです。

 

 

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すぐに答えを出せるのは適当?

 

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 前日の記事「ヒラメキの達人は、ストックの達人?」と似たような内容になります。あくまで私の偏見ですが、誰かに「これを考えてほしい!」と言われてすぐに答えを出せる人は、概ね適当に考えていると思っています。どんなに経験や知識が豊富でも、すぐに出せるわけがないからです。

 

内容にもよりますが、例えば、雑誌の企画を考えてほしい!と頼まれて、すぐに答えが出せるわけがありません。まず、その雑誌のことをよく知らないと考えることができません。調べて、その雑誌のことや取り巻く環境や世の中のことなど知っておかなければいけないことが山ほどあります。その上で考える必要がある。ananの企画と言われてすぐに出せる答えは、ざっくりとした情報とイメージだけを材料に考えた答え、別の女性誌に置き換えても当てはまるような答えです。固定観念に囚われずに自由に発想することで生まれる人気企画もありますし、思いつきが功を奏することもあるかもしれませんが、基本的には、きちんと熟知して考えるべき。さける人員や限られた時間、決められた費用の中で、それをするのが難しいことは重々承知していますが、それをやらないで考えても薄っぺらい答えした出せません。

 

 

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ヒラメキの達人は、ストックの達人?

 

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 私はどちらかと言えば、何でも早く終わらせたいタイプですが、最近デザインしたあるものは、期限ギリギリまでデザインに着手しませんでした。後回しにしていたわけではなく、ひたすら資料やアイデアの種を集めまくっていたからです。まず、とにかくストックすることに注力した結果、豊富な引き出しの中から、普段はたどり着けないような柔軟なデザインに至ることができました。

 

この過程を経て思ったのは、妙案がパッと出るヒラメキの達人は、きっと情報やアイデアの種をストックの達人なんだと。日頃から、とんでもない量を見て・聞いて・調べて・出向いて吸収しているんだと思いました。だから、すぐに出せる。ヒラメキと書きましたが、一部の天才をのぞいて、急に天から舞い降りてくるようなことはないと私は思っています。そんな感じでパッと浮かぶのは、自分がそれまでに蓄えてきた証拠。アウトプットが大事!なんて言われることもあるので、ついとにかく出そうとしてしまいがちですが、良いアイデアを出すには、とにかくストックすることが重要だと考えています。逆を言えば、今思いつかないのは、ストックが少ないだけかもしれません。

 

 

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使う相手と使い方?

 

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 普段、自身で使うプレゼン資料は当然自分でつくるんですが、仕事として誰かから資料づくりを頼まれることもあります。普通のデザイナーさんは嫌がるかもしれませんが、私にとってはデザインの範疇ですし、何よりとても勉強になるので対応するようにしています。

 

時々舞い込むそんな依頼。担当の方が私に伝えることは、その資料を見せる相手と使い方。「こんな人たちにプレゼンする」「大事なところは口で説明する」「結果的にこうなりたい」など。私がサービス内容や会社の強みを把握しているという点もありますが、基本的に資料に盛り込む内容の指示はほとんどありません。きれいにまとまった資料を作る必要がないからです。そのため、写真にひと言添えただけの資料もあれば、きっちりデータを見せる資料もあります。使う相手と使い方に合わせて用意するわけです。会社に勤めている方たちも、普段資料づくりを頼まれることがあると思いますが、そんな時は「何を入れたらいいですか?」「素材ください!」ではなく、「どんな方達に見せますか?」「どんな使い方をしますか?」に変えてみてはいかがでしょう。生意気だと思われてしまうかもしれませんが、体裁だけ整えた資料に意味はありません。

 

 

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それっぽくしたくなる?

 

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 第一線で活躍するような人たちに憧れた、似たような発想や表現をしたくなる気持ち。私も学生の頃は、そうやって同じ感じのものを作りたくなってしまったことがあります。でも、結果的にできるものは、ただ“それっぽい”だけで、何1つ魅力のないものばかりでした。

 

結果的にシンプルな表現に至ったものを見て、シンプルが良いと思ってしまったり、シンプルをただ無機質なものと勘違いをしてしまったりは、誰しもあると思います。様々な調査と挑戦と検討を重ねて至ったソレと、雰囲気だけ似せたソレは当然別次元のもの。キャッチコピーなら、かっこいい言い回しや、見慣れない字面(文字の並び)、何かを掛けている表現などがそれに当たります。対象も目的も発信元もメディアも全くちがうのに、似せても何の意味もありません。私も他人のことを言えませんが、そういった人たちに共通するのは、普通のデザインができないこと。普通に見やすいエクセルの表が作れなかったり、慣れ親しんだ表現の町内会のチラシが作れなかったりします。とある会社ではワードやエクセルでデザインする試験があるくらい、基礎は重要です。

 

 

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聞けば答えてくれる?

 

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 macのSiriやGoogleホームなど、音声認識アシスタント。私が使う機会はほとんどありませんが、確かに便利な機能です。ただ、便利ではあるものの、これに慣れすぎてしまうと、言ったことに対して答えてくれるのが当たり前になってしまいそうでこわいんですよね。

 

例えば、上司に質問をして、「そんなことは自分で考えなさい!」と言われる。そこで、「えっ、なんで答えてくれないの?」といった感じで不機嫌になりそうで…。誰かに頼みごとをして相手がやってくれていなかったら、自分の頼み方がわるかったかな?なんて考えることもなく、相手を咎めてしまう…。そんなよくあるようなこと、社会の常識、相手との関係性など、例を挙げればキリがありませんが、言ったとおりにならないことに不満を抱くようになってしまう気がしています。実際に、そんなシーンを目の当たりにすることもあったりして、勝手に危惧しています。つい最近は、「せっかく入社したのに、教えてくれない。」とボヤいている声を聞きましたが、大企業なら充実した研修制度などがあるかもしれませんが、中小企業で手取り足取り教えてもらうことはまずないのではないでしょうか。

 

 

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合格ラインを引き上げる?

 

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 今まで「よしっ、これでオッケー!」としていたところを、一旦待ってさらにクオリティを上げられないか考えてみる。ここ10年ぐらいはずっとそうするようにしています。今までの自分の合格ラインがいかに低いかを痛感してきたからです。

 

私は抜いて対応することができないので基本的に全力なんですが、その全力を出したデザインが、ある環境で並べられた際、目も当てられないものだったことが多々ありました。また、比較的得意としているものだったり、相手からNGが出ないことが原因で、恥ずかしながら自分の力量が高いと勘違いしていた時期もありました。「自分の合格ラインが低すぎたんだ…」そうなってからは、まず同じ土俵に並べるだけのクオリティになるように勉強して、やっと見られるようになって以降は、常に過去よりも合格ラインを0.1点でも高くできるように意識しています。合格ラインの引き上げです。もちろん、誰しも自身で勉強もしているでしょうし、クオリティアップの努力もしていると思いますが、周囲の同業者は当然のこと、世の中の見る目も技術もアップしています。だから、特別厳しい環境にいかなかったとしても、単純に考えて今までのオッケーは通用しないわけです。

 

 

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デザイナーに頼むことじゃない?

 

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 私はデザイナーという肩書きで、デザインの仕事をしています。私が「デザイン」と捉えていることは何でもやるのですが、たまに「これはデザイナーさんに頼むことじゃないから…」と遠慮されてしまうこともあります。そう感じさせてしまう私に責任があるんですが、そもそもそんなイメージのあるデザイナーもどうなのか?と疑問に思ってしまいます。

 

例えば、私の仕事の1つにインテリアのコーディネートがあります。家具や小物雑貨を仕入れ、受け取り、梱包を解いて組み立て、キレイに拭きます。設置では、まず室内を掃除して、養生、搬入、コーディネート、ゴミ片付け、掃除とやっていきます。これらの中で、コーディネートの部分だけをクリエイティブな仕事だと思っている人がいます。ただ、私の捉え方では、最終的にその物件が成約に至るためにやることは全てデザイン。頼まれてスケジュールが空いていれば、チラシ配りだってやります。費用を抑える工夫をすることもデザインだし、工程をスムーズにすることもデザイン。クリエイティブ♪と気取って自分のやりたい範疇しかやらないようだと、思考そのものも狭いと思われてしまうかもしれません。

 

 

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食器は似ててもパクリにならない?

 

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 やかんのデザイン。ほとんどの場合、明らかに既に世の中にあるやかんとソックリでない限り、それをパクリと指摘されることはありません。ディテールが違う、コンセプトが違う、素材が違う、などを主張できるからです。

 

一方で、ロゴマークなどになると、パクリと指摘される場合が急激に多くなる印象があります。ディテールが違う、コンセプトが違う、色や太さが違う、が通用しません。これまで誰も見たことのないカタチでないと、該当してしまうということのなります。私は、あるデザインをした際に、一度パクリの指摘を受けたことがあります。その対象物とは、それが果たす役割(コンセプト)もデザインも異なるものでしたが、「似ている感じのものがあった」からです。料理を盛り付けて食べるためのお皿と観賞用の絵皿は、私の中では別物でしたが、それが通用しませんでした。そんな経験もした上で思うのは、パクリを気にしないこと。似ないように!と気にするだけで、デザインは萎縮しますし、思考も広がりません。結果物がもし似ていて、それがネックになるなら最後の枝葉を変えればいいだけ。世の中はパクリに敏感になっているようですが、それはそれで置いておいて、気にせずデザインしましょう!

 

 

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読みやすくてつまらない?

 

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 一目で中身がどんな内容か分かる表紙。分かりやすく整理された目次。全体的に統一されたデザイン。いずれも必要とされることのように思えてしまいますが、これらがどんな場合でも求められているかというと、そうではありません。

 

雑誌を想像してみるとよく分かるのですが、例えば表紙なら、どんな内容かを分かりやすく記載しているというよりは、若干ゴチャゴチャとさせて「こんなにボリューム満点ですよ!」と伝えています。メインの特集などはしっかり目に入るものの、他の細かな文字までは見ません。でも、それでOK。誌面もずっと同じ雰囲気のページデザインが続くわけではなく、雑誌のコンセプトは守りながらも、様々な色のデザインになっています。いろんな人が関わっているので必然的にそうなる部分もありますが、意図的にそうしているはずです。ずっと同じ感じだったら、途中で飽きてしまうし、目次で内容が丸わかりだったら、読み進めていく中で発見する楽しみが薄れてしまいます。整理されている・分かりやすい・統一感がある。それが正しいという前提でいると、せっかく持っている魅力を半減させてしまうかもしれません。

 

 

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カタチだけ寄り添う?

 

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 問い合わせ先を分かりやすく載せているホームページ。電話番号を掲載すれば、それだけ問い合わせが入ってしまうので、きっと大変だと思いますが、消費者に寄り添う姿勢があるというだけで、その会社に好感が持てます。

 

一方で、電話番号はもとより、問い合わせ先をきちんと載せている会社(特にサービス業)は、意外に少ない。「ちゃんと載せてるよ!」と主張する会社のホームページを見てみると確かにあるものの、ものすごく分かりづらく小さく載せている。まるで、問い合わせをされたくないかのようです。自分たちを守ることを最優先にして、カタチだけ寄り添っても、消費者はかえって不信感を抱くだけ。本当に寄り添う気がないのなら、そぶりを見せないほうがいいい。会社に限らず、人間関係だって同じ。「いつでも相談に乗るから連絡してね!」と言われて、連絡先を教えてもらえなかったら、相談のしようがないですよね。連絡先が分かっても、何度連絡してもつながらないようなら結局同じです。寄り添う姿勢を見せるなら、本当に寄り添ってくれるんだと分かってもらえないと、意味がないどころかマイナスの印象を与えてしまいます。

 

 

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互いに尊重できる関係?

 

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 なかなか敷居が高く、いつか行きたい行きたいと思っていたジャズクラブ「ブルーノート東京」。お金を貯めて昨年はじめて行ってきました。ジャズに詳しいわけではないので、楽しそうな海外のビッグバンドのライブを狙って行ったんですが、そこでは60代70代の男性たちがものすごく輝いて見えました。年齢なんて全く関係ないということを体感できた感じです。

 

もちろん、おじいさんとも言える人たちがさっそうと楽器を演奏している姿だけでもかっこいいんですが、私がそう感じた一番の理由は、仲間を尊重し合っている素敵なバンドだったから。ある場面で、リーダーがアドリブでサックス奏者の一人を紹介。すると指名されたその人は、演奏をはじめるとすぐにもう1人のサックス奏者を紹介しました。英語だったので話半分ですが、「俺なんかよりこいつの方が上手いぜ(笑)」みたいなニュアンスだったと思います。そうやってリレーが続き、リーダーが一人一人を紹介するはずであろうその場は、ずっと誰かが誰かを紹介する場へと変わっていました。かっこいい♪お互いがお互いを信頼し合っている。いつかそんなふうにできたらと、めちゃくちゃ憧れてしまいました。

 

 

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絶対できないなら「できない」と伝える?

 

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 どんなに忙しかったとしても、どんなに難しい課題を与えられても、私は基本的に「できません」と言わないようにしています。みんなどうにかしてやるので当たり前ではありますが、時には「できません」と言うこともあります。つい先日も「できないので他の方法でやらせてほしい」と相談をさせてもらいました。

 

「できない」は、本当にできない場合はもちろん正直に申し出ますが、できても「できない」と言うケースもあります。例えば、それが絶対に間に合わせられると言えないとき。もちろん“絶対”はないのですが、自分が何のトラブルもない状態で確実に間に合わせられる自信がなければ、受けられない旨を伝えて謝ります。また、できたとしても相手の負担が増えたり、迷惑をかけたりする場合も同様です。こちらは何も知らずに提出できたと思っていて、実際は相手の方が修正や再加工をしていることもあります。それでは意味がありません。何でもかんでも「できない」と言ってはいけませんし、「できない」と言うことが恥ずかしい気持ちもあると思いますが、本当にできない時は、素直に伝えたほうがよいかもしれません。

 

 

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手で検討する?

 

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 書類を整理するバインダーを作りたい。そんな相談を受け、私は100円均一で買ったバインダーを加工した簡易的な模型を打ち合わせに持参しました。その打ち合わせで、バインダーに持たせたい機能や仕様の話はもちろんしましたが、加えて、手に馴染むサイズ感や棚に置いた際の見え方などの話にも発展しました。

 

私は、立体のデザインであれば必ず模型を作りますが、それが平面のデザインであっても模型を作ります。もちろんできる範囲であったりはしますが、それがあるのと無いのでは、検討の深さがちがうからです。例えば前述のバインダーなら、模型がなければ「手に馴染むサイズ感」の話になりません。「一般的にこのサイズで、オリジナルで作れるのはこちらのサイズです。」「じゃあこれにします。」で終わってしまう。実際に書類をいっぱいいれた状態にして、棚からそのバインダーを手にとってテーブルまで持ってきてみる。そんなことをしながら、先日の打ち合わせではそんなことをしながら仕様を検討しました。決めるだけなら必要最低限の資料で決められるかもしれませんが、最良のものを考えるなら必要以上の資料が必要だと考えています。

 

 

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