デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

全く興味ないけど買う?

 

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 私たちが買い物をするとき。それは、興味を持ったり、それが欲しいと思うから買うと考えるのが普通です。全く興味がないのに買う、欲しくないのに買うことなんてない。でも、私も含めていくらかの人は、買うつもりがなくても買うというアクションをとっています。

 

例えば、バスツアーに組み込まれた買い物タイム。目的以外の立ち寄りなので、基本的にそこでの買い物に対して興味はありません。でも、参加者たちの多くは、そこで買い物をします。「せっかく来たから…」「時間を持て余しちゃうから…」「みんな買ってるから…」「お土産を買うとしたら、ここしかタイミングがない…」など、何かしらの理由で購入します。中には仕方なく買うという人もいるかもしれません。“興味があるから買う”は、一概に正しいとは言えない。一般的に言われていることや参考書に書いてあることは、つい正しいこととして捉えてしまいますが、それについて疑うことも必要です。99人に当てはまることでも、1人は当てはまらないかもしれない。何でもかんでも疑ってかかる必要はありませんが、時には「そうじゃないこともあるかも?」と考えてみるのもアリです。

 

 

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「大至急」は発生しない?

 

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「大至急これを作ってください。1時間後には提出してほしい!」先日、そんなことがありました。その時はたまたま対応できる環境にあったので対応しましたが、基本的に私はそんなお願いは断ります。その仕事が途絶えてもよい覚悟で言わせてもらうと、「大至急」は、「自分は仕事の管理できません」と同意。この先、管理ができない人と一緒にやっていくのは難しいと個人的には思っています。

 

想定できないことやトラブルは多かれ少なかれ発生するので、そこで対応が発生することは理解できます。でもそこで、どうするかが信用を左右する。これまでの経験で、その「大至急」が本当にどうにもならなくなってしまったものなのか、その人が自分を守るためだけのものなのかは、すぐに分かります。だから、例え管理が上手くできていなくても、ただただ一生懸命でそうなってしまった人には気持ちよく応えます。でもそれが、ただ自分を守るためのものだと見えたら、冷たく思われるかもしれませんが、私は応えません。仕事は信頼関係が築けていてはじめて成立する。その信頼関係が途絶えても、一緒に仕事をすることはできるかもしれませんが、良い結果をもたらすことはできません。

 

 

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私のつまらないは、誰かの楽しい?

 

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 私が見て楽しいと感じるモノが、相手にとってはつまらないモノであることがよくあります。仕事の中でも、「これをもっと表に出していったら、関心を持ってもらえるんじゃないですか?」と提案しても、「こんなのつまらないでしょ」となってしまう感じ。内側にいると見慣れてしまって、魅力を感じなくなってしまう。

 

仕事をしていると、会社によっては外部のチカラに頼らず、自分たちだけでやりたいと考える会社に出会うことも少なくありません。考え方は会社それぞれなので、そこに対してとやかく言うつもりはないのですが、もし自分たちが自社に対して盲目になっているなら、外からの目線も入れてみる必要があります。自分たちにとって当たり前になっているモノが、知らない人たちにとっては魅力的であることが多々あるからです。良い点に限らず、自分たちは上手くやれていると思っていることが、外からすれば問題山積みであることも…。新入社員がしばらく入っていなかったり、ずっと同じメンバーで仕事をしていたり、新鮮な目で見ることのできる人が常に誰かしらいないと、どんなに客観的に、冷静に物事を判断できる人でも、見えなくなってしまいます。

 

 

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唐揚げはどのお店も金賞受賞?

 

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 唐揚げ専門店。大好きなので、見かけるとつい立ち寄ってしまうんですが、どこのお店も何かしらの金賞を受賞しているんですよね。見たことも聞いたことのない賞ばかりですが、そんな賞でも獲っていることが最低条件になっていて、何も獲っていないものというだけで、その土俵から降ろされてしまうわけです。

 

私がデザインの公募コンペに参加することに対して、ネガティブな意見が寄せられることもたまにあります。「若者のためのイベントで、おじさんが出てくる場所じゃない」参加に年齢制限を設けるイベントがあるぐらいなので、実際そうで、プロがアマチュアの大会に出ること自体、御法度と考える人も少なくありません。正直、おっしゃる通りと思うところもあるんですが、私も私で必死なところもあり、土俵から降ろされないように、信用してもらえることを常に作り続けないとと思って参加していたりします。唐揚げで言うところの、何かしらの金賞を獲っていないといけない…。それがあった上で、初めて他と平等に見てもらえたりすることもあるので、参加できるものは限られていますが、できる限りチャレンジを続けたいと思っています。

 

 

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観察するのは物ではなく人?

 

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 著名デザイナーや大手代理店の広告物や作品を見て勉強する。役に立つことではありますが、私はその広告や作品を見ている人や前を通り過ぎる人を観察します。観察と言うと怪しい感じになってしまいますが、その広告や作品に対するリアクションを知ることは、私にとってデザインの参考になるんですよね。

 

近くに寄ってまじまじと見る。しばらく目では追っていたけど立ち止まらない。一度通り過ぎたのに戻ってきて見た。そういったちょっとしたことを、なぜそのアクションに至ったのか自分なりに考えることで、その広告や作品のチカラが分かります。デザインの参考書などで、「この表現は、〇〇の効果がある」とあっても、私はどこか消化不良でした。覚えはするものの、実践で活用されない。その理由は、自分の目で確かめていないからだと考え、本当にその効果があるのかを確かめるようになりました。すると、自分の中で腑に落ちているので、その後は実践にその表現効果が度々登場するように…。これは素晴らしい作品!これは効果的!と、文字情報で学ぶことも必要ですが、体に染み込ませるには確かめることも必要だと思っています。

 

 

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何も感じない?

 

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「不安になってきた…」「悩みが増えた…」と、こちらが発信したことに対して相手がネガティブな感情を抱いてしまうことがあります。そんなふうに波風立たないようにと、私たちは気を遣った表現で発信しようと心掛けるんですが、そこを気にしすぎて結果的にネガティブな感情は抱かなくなったとしても、同時に相手が何も感じなくなってしまうことが多々あります。

 

ネガティブな感情を抱かせることを、わるいことだと捉えてしまいがちですが、決してわるいことではありません。どちらかと言えば、相手の感情を揺さぶったわけなので、発信したことにリアクションしてもらえている、自分に関係のあることとして捉えてもらっている、と考えることができます。広告だったら、それは成功とも言えること。もちろん、不安を煽りすぎたり、不安にさせるだけさせておいて解決策を提示しないなどはよくありませんが、その後にきちんとその不安やネガティブな感情を取り除いてあげるなら、むしろ必要なことでもあります。表現に気を遣うことは言うまでもなく大事なことですが、遣いすぎると何も感じずに流れてしまうので少しだけ注意が必要です。

 

 

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答え合わせをする?

 

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 普段の仕事の中で、自分がつくったモノが良いかダメかを判断するのは難しいですよね。そのデザインがとても良い結果をもたらしたとしても、それは企画自体が素晴らしかっただけかもしれないし、デザインが良ければその結果をはるかに上回る結果になったかもしれません。でも、その答え合わせをする術はありません。

 

企業のコンペでも、他社がどんな提案でどんなプレゼンをしたかは分からず、採用提案以外を見る機会もありません。でも、公募のコンペはそれができます。私がたまに参加する理由の1つはそこです。最終選考に残った作品を公開するものもあれば、公開プレゼンを実施するもの、審査員の総評をしっかり掲載するものなど。それらで、どうして自分が選ばれたのか?選ばれなかったのか?を検証できるわけです。求められていることを理解できていたのか?表現手段は適当だったか?、いろんな気になることを答え合わせをする材料がそこにあります。せっかくやってみても、落選したら「残念…」で終わってしまったり、「なんでこんなのが入賞なんだ?」と妬んだりするだけではもったいない。答え合わせができる稀な機会です。

 

 

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出るまで考え続けるだけ?

 

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 決してアイデアを出すのが得意ではないんですが、私がいろんなことをやっているからか、たまにアイデア出しのコツを教えてほしいと言われたりします。私自身も、アイデアがたくさん出てくる人を羨ましいなと思っているぐらいなので、逆にそんなコツがあるなら教えてほしいぐらい。ちなみに私が聞かれた時の答えはいつも、「出てくるまで考えるだけ」です。

 

少し考えてアイデアが出ないからと、すぐにコツを探す人がいます。どれだけ考えてもアイデアが出てこなかったりすると、何か考えるヒントはないかと方法を探す人がいます。本当に目一杯考えて出なければ、そうなるのも頷けますが、本人は目一杯のつもりでも、実際はきっとそこまで考えていません。なぜなら、私の知る限り、アイデアを出す人は出るまでひたすら考えているだけだからです。アイデアを出す人は、どんなに不調でも、どんな場所でも、気持ちが乗らない時でも、必ずアイデアを出します。ポンポン出しているようでも、それを出すまでにめちゃくちゃ苦労している場合もある。簡単そうにやっている人は、天才か、もしくは裏側を見せないようにしている人です。コツや方法はきっとあるのだと思いますが、まず自分でどうにか出すことをせずにそれを聞いてしまっても、たぶん意味がないような気がします。

 

 

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獲れたらいいな?

 

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 若い頃に、自分の提案が採用されて喜んでいると、ある人から「それでは意味がない」と喝を入れられたことがあります。採用されたら嬉しいな♪ぐらいの気持ちでやってはダメ。それでは結果が採用であっても不採用であっても、どちらにしても身にならないという話です。ラッキーパンチが当たって喜んでいるようじゃ、次も当てることができない。

 

ここ数年は特にそれを意識していて、関わるものは全て採用されるように進めています。これなら採用されるだろう程度ではなく、絶対に採用されるところまでやる。「そんなの気持ちの問題でしょ」と言われてしまいそうですが、その気持ちが行動を変えます。うまく言えませんが向き合い方が変わる。例えば、それまですぐに作りはじめていたようなものも、簡単には着手しません。調べて、読み解いて、自身で消化して、導き出す。そうやって、あくまで自分の中での話ですが、絶対に採用される答えを考えるわけです。そんな感じなので、もしかすると昔の方が仕事は早かったかもしれません。でも、そのやり方をしないと本当は意味がないんですよね。今では、どんな仕事でも不採用になると本当に落ち込みます。

 

 

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境遇を言い訳にできない?

 

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 昨日に続き、またプロレスの話で恐縮です。私が試合観戦した団体には、小柄なレスラー、他業種から転向したレスラー、会社員として働きながらやっている人、など様々な人が所属していました。最初からその道を目指していない、恵まれた体型や運動神経の持ち主ではない場合も多々ある。そんなプロレスラーがいる以上、それらを自分がレスラーになれない言い訳にできないということです。

 

私は今現在もやりたかったデザインの仕事に関われていて、きっと恵まれている方だと思います。それでも、境遇を理由にして諦めそうになったことが度々ありました。「美大に入っていたらな…」「あの企業やあの事務所に入れていたらな…」そんな愚痴をこぼす感じ。でも実際には、そうではない道のりを経て活躍している人がたくさんいるんですよね。ある時、「審査員が卒業した大学の学生や、大手広告代理店の若手しか選ばれない」と噂されているデザインコンペで偶然入賞して、そんな言い訳はできなくなりました。どこから出てきたかもよく分からない噂を信じて、それを言い訳にしていた自分が本当に恥ずかしいです。私が言える立場ではありませんが、自分を不遇だと思ってしまっても、それは言い訳にならないので口に出してはいけません。

 

 

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思いやりを持ってぶつかる?

 

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 先日、初めてプロレスを観戦しました。後楽園ホールにも一度行ってみたかったので、楽しみにしていたんですが、期待以上の魅力にこれからハマってしまいそうです。それまで、勝手なイメージを持っていましたが、実際に観るのと知っているのではやっぱり別物ですね。

 

私が一番心を打たれたのは、相手を思いやって戦っているところ。リングサイドで観ていたんですが、場外乱闘になって目の前にきたとき、フェンスに投げ飛ばしたり、髪の毛を掴んで起こしたりしているものの、そこには優しさが溢れていました。こんなことを言ったらプロレスファンの方に怒られてしまうかもしれませんが、受け身を取れるように投げるタイミングや体勢を図っていたんですよね。髪の毛を掴んで起こす際も、ワキに手を添えていたのが印象的でした。相手と本気でぶつかっていくときに、この思いやりがあるか無いかで、そこで生まれるものや得るものが全く違うと思っています。自分の都合だけ押し付けて、相手のことを無視していても、それはただ一方的な攻撃なだけで、ぶつかっていることにならない。ぶつかり合うなら、相手を受け入れて、思いやりを持ってぶつかるべき。プロレスラーって本当にかっこいいですね。

 

 

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次の準備は終わってから?

 

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 出先で遅めのランチをとっていると、店員さんがディナーのセッティングをはじめました。まだ食べはじめたばかりでしたが、早く帰れと言われているようで少し居心地がわるく、後から入ってきたお客さんは、そのセッティングの邪魔にならない入り口付近の席に案内されていました。窓際の良い席がたくさん空いているのに…。

 

効率よく仕事をこなすことは大事なことだと私も考えています。だから、後々やるべきことが今できるなら、前倒しでやってしまった方が後が楽なのはよく分かります。ただ、今やるべきかどうかは慎重に判断するようにしています。例えば、自分の役割が完了しても、目の前でその仕事をしている人がいたら、その人の仕事を手伝う。次の準備は終わってからやろうと考えます。もちろん、1つを終えてから次に着手するのは非効率です。それでも、一緒に仕事をする人からすれば、あの人はもうこの仕事から離れて別のことを考えているのか…と思ってしまうかもしれません。バトンタッチしていく仕事であっても、できる限りその仕事の中に居る。少なくとも、もう別の仕事に移行していることを感じ取られてはいけません。

 

 

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いつ変わったか覚えていない?

 

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 皆さんは、電車のつり革が丸い輪っかから三角になったのがいつ頃か覚えていますか?きっと変わったばかりの時は、印象的だったのだと思いますが、しばらく経つと、それがいつ変わったかは覚えていないし、それを気にしている人はほとんどいないのではないでしょうか。

 

変えるタイミングを気にして、なかなか変えられないといった話をたまに聞きますが、それを気にしているのは自分たちだけだったりします。実際に変えてみると、少しの間は話題にされたりしますが、もう少し経つと誰もそのことに触れません。私も以前は何かを変えるときに、タイミングを考えて実行が遅くなってしまったり、変えることを見送ってしまったりしていました。でもある時、自分が不安に思っていることが、誰もそこまで気にしていないことだと知り、変えることを躊躇することがなくなったんですよね。大きく変えたりすると、周囲がザワついてしまったりするかもしれませんが、それもその時だけ。もちろん、タイミングを考えることも大事なことではありますが、気にしすぎてしまうとどんどん後手になってしまうので、チャンスが訪れる前に変えてしまうのもアリです。

 

 

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抜け道を知っていてもルールを守る?

 

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 朝の駅のホームで、電車のドアの位置表示にギッシリと列ができていました。でも、ふと見てみると表示のないところにいる2~3人。電車が到着すると、その表示のないところにもドアがありました。そのことを知っている人が並んでいたのでしょう。

 

こういった抜け道のようなものは色々あって、賢い人がきっとそうやっているのだと思いますが、私は典型的な日本人なので、あまり好みではありません。タクシー乗り場の行列を横目に、そこに戻ってくるタクシーを手前の道路わきで捕まえる方が賢いのは分かっても、それはなんだか気持ちがわるいんですよね。ルールを破っているわけでもないし、そもそも明確なルールがよく分からなかったりもするので、それを守る守らないの話ではないのですが、周囲があることを守っているのなら、それに合わせた方が良いと考えてしまったりします。デザインで、皆が平面作品を応募する中で、一人立体作品を出せば、注目されるのは分かっていても、それはどこか気持ちわるい。私にとっては、同じルールの中で行動することが、とても大事なことになっています。

 

 

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