デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

難易度の設定?

 

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 問題やクイズなど、答える側にいるとなかなか気付きませんが、その難易度は緻密に計算されているなとよく感じます。「こんなの簡単だよ♪」は、簡単に答えられるように設定されているし、答えを知って「なるほど!」となる問題は、答えで納得できるようになっています。

 

ある時、私は課題を出題する側になったことがあります。目的は、どんな答えでもいいからたくさん回答してほしいということ。しかし、実施したところ、あまり多くの回答を集めることができませんでした。これは私が難しいことを知っているとかではなく、難易度の設定を誤ったからです。答えてほしいのなら、答えやすい設定をしなければならない。前述で言うところの、回答例を知って納得するぐらいの設定をしてしまったわけです。出題するというのが、これほど難しいのかとその時は痛感しました。プレゼント応募のクイズが「プレゼ○ト!!」の穴埋めのように誰でも答えられるようになっているのは、それを見たほとんどの人に応募してほしいから。答えられる人だけ集めたいのなら、どんな設定でもよいと思いますが、もし数を集めたいなら、難解すぎたり自由度が高すぎたりしないように注意した方がよいかもしれません。

 

 

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そのものを描かずに伝える?

 

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「この商品の魅力を伝えるポスターを作ってください!」と言われたら、きれいに撮影した商品パッケージを載せて、商品を魅力的に表現する方法が1つあります。ただ、商品にもよりますが、そのもの自体を載せるよりも、その商品がもたらす効果や使っている人を描いた方が、結果的にその商品の魅力が伝わる場合もあります。

 

例えば、大容量の収納ボックスの魅力を伝えるなら、その収納ボックス自体をカッコよく魅せるより、どれだけのものがどんなふうに収納できるかを伝えた方が「大容量」という魅力は伝わりますよね。この例は極端ではありますが、それと同じ。誰かへのちょっとした手土産やプレゼントだったら、パッケージが可愛かったりオシャレであることは重要ですし、自分が使うものならデザインは大事なポイント。でも、そうでない場合は、商品の外観が最重要ではなかったりします。機能や性能、それを使ってどうなったのか、の方が重要な場合もある。お店などで、商品の隣にその商品の外観が印刷されたPOPなどがあると、「そこで伝えられない魅力を伝えればいいのになぁ…」と感じてしまいます。

 

 

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前提があれば言わなくていい?

 

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 今の世の中の状況で、飲食店が「しばらく休業します」と貼り紙を出していたら、その理由が書かれていなくても誰でも理解できます。薬局で「トイレットペーパーはお一人様一点まで」も同様。「新型コロナウイルスの影響で…」は必要ありません。

 

もちろん書いても伝わりますが、対象者に“前提”があれば、必要ない場合もあります。逆に、その“前提”がなかった場合は、それを伝えなければなりません。この感覚は、実はとても繊細で微妙なので、私自身も難しいと感じることが多々あります。例えば、先日パン屋さんに行った際、営業しているものの入店を遮られたお客さんがいました。理由は、店内に人が密集しないように、店内は3組までで1組出たら次のお客さんが入れるようにしていたからです。そのお客さんは店員さんに文句を言っていましたが、周りのお客さんは「(今の状況なら)分かるでしょ」と言った目。“前提”のないお客さんと、あるお客さんで違いが生まれてしまったわけです。ここまではほぼ全員が理解していること。ここからは人によって違うこと。正確に見極めることは困難ですが、もし少しでも前提がない人がいると思ったら、きちんと伝えた方がよいのかもしれません。

 

 

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お気に入りでチカラを発揮?

 

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 先日ご依頼いただいたロゴマークの制作が佳境に入り、どのデザインにするかを検討していただいています。意味合いや使い勝手、競合との差別化など、提案それぞれのお話は伝えますが、私はロゴマークについてはご依頼いただいた方が最終的に気に入ったものができるように進めています。

 

皆さんは、自分のお気に入りの道具を使うと作業がはかどる♪といった経験はありませんか?「考え事をするときは、このペンを使う」「大事なメモはこのノートに書く」「勝負所では、必ずこの服を着ていく」それらは、機能的な良さもあるとは思いますが、それよりもデザインが好きだったり、愛着のあるものだったりするのではないでしょうか。それと同様に、自分がこれから立ち上げる会社のロゴマークだったら、自分が気に入ったデザインの方が、私はチカラを発揮すると考えています。他人からこれがベスト!と差し出されたものより、自分が気に入ったベスト。理屈ではないところに、見えないチカラが宿っていると思います。それも立派な機能なんですが、知識や経験が増えていくとおざなりにしてしまうことも…。私はそのあたりはずっと大事にしていきたいと思っています。

 

 

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代案を出せるスピード?

 

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 新型コロナウイルスの影響でCMの撮影が中止になり、それでも作らなければいけない状況で出演者にそれぞれ自撮りをしてもらい、それを編集したCMが話題となっていました。そのアイデアはもちろん素晴らしいものですが、私はその代案を実行するスピード感に驚かされました。

 

代案を出せるスピード。素晴らしいアイデアを1つ出せるのは言うまでもなく求められることですが、私はそれ以上に代案をすぐに出せるチカラが求められていると思っています。なぜなら、ベストな1案に着地するまでに、あらゆる可能性を模索したか?シミュレーションをどれだけ重ねたか?が分かるからです。提案の場などでは、「その表現じゃなかったとしたら、他にどんな表現が考えられますか?」といった半分いじわるな質問をされることがありますが、それはどれだけ試行錯誤したかを試されている質問。そこで、初めから決め打ちでそのアイデアだけを詰めたのか、他の可能性を模索したかがバレてしまいます。代案をすぐに出せる人は、一見発想力やアドリブ力が飛び抜けているように感じますが、そうではなく、それまでに考えていた様々なパターンの中から柔軟に出し入れしているのではないでしょうか。

 

 

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手袋は汚れている?

 

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 ビニール手袋をしている店員さんを見かけると、衛生面に気を配っているんだなと一瞬思いますが、その手でお釣りを渡していたら、そのビニール手袋で覆われた手自体はキレイではありません。あくまで、自分の手を通してウイルスを媒介しないようにしたり、他人からウイルスをもらわないようにするためのものです。

 

マスクや手袋など様々なものがありますが、それらが予防のために身に付けているのか、誰かに移さないように気を付けているのかを、きちんと認識しているのかが少し気になりました。あくまで予想ですが、医療従事者や店員さんなどを除けば、ほとんどの方は予防のために付けているのではないでしょうか。私ももともとはそうでしたが、誰もが感染している可能性があるというニュースを観て、誰かに移してはいけないと考えるようになりました。街中でマスクをしていない人も多くいますが、それはきっと「もし移ったら自己責任だから」ぐらいの感覚なのだと思います。なかなか手に入らないので、仕方なく付けずに外出している人もいるかもしれませんが、予防のためではなく、移さないためと認識するだけで、装着する頻度が変わります。私は普段だったらマスクを付けませんが、ちょっと自販機に飲み物を買いに行くぐらいでも付けるようになりました。

 

 

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ゆる〜い発想が画期的?

 

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 普段から時間を作っては、トレーニングとして公募のデザインコンペに作品を応募していて、無い頭を振り絞ってアイデアを出しています。最近は、時間に余裕ができることが多いので、普段は参加しない面白そうなコンペに応募してみています。その時は、普段のようにトレーニング的な思考ではなく、ゆる~く考えて、くだらないようなアイデアも良しとしてやっています。

 

すると不思議なことに、机に向かって一生懸命考えてペンを走らせているときよりも良いアイデアが出せたりするんです。ソファで寝っ転がって、そこらへんの紙にちょこっとメモしたり、スマホをいじったついでに一言残しておいたりするだけ。でも、そんなゆる~く考えたアイデアが、絞り出したアイデアよりも、核心を突いたものだったりすることが私の場合は多いんです。その方法が良いわけではなく、むしろ机に向かって良いアイデアが出せないといけないわけですが、一生懸命考えると、辻褄を合わせることやきれいにまとめること、欠点を無くすことなどに注意が向いてしまいます。だから、なかなか画期的なアイデアは出ない。一方で、ゆる~く考えていると、その時は「こんなの成立しない…」と思うものの、それを詰めたら素晴らしいアイデアに化けたりします。皆さんも、こんなときは、ゆる~く考えてみてはいかがでしょうか。

 

 

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旅行に行こう??

 

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 外出できない日々が続き、悶々としてストレスが溜まっている人が多いそうですが、こんなときこそ、普段行けないところに行ってみてはいかがでしょう?出掛けると言っても、実際に行くわけではなく、動画を観て旅行気分を味わう「お出掛け」です。

 

先日のニュースで、動物園や水族館のスタッフが自ら動画を撮って、動物や魚たちの様子を公開する活動をしていました。普段は遠くてなかなか行けなくても、今なら動画を通してのぞいてみることができますよね。また、私が何度もお世話になっている「ニッポン手仕事図鑑」という動画メディアでは、日本全国の職人さんを紹介する動画を無料で公開しています。「こんな仕事があったんだ…」「こんな人が作っているんだ♪」「できたモノを実際に手にとってみたい!」と、知らないことに触れられたり、感性を刺激されたりと、動画を観るたび楽しんでいます。普段、ゆっくり動画を観る時間がなかなか無い人、動画は観るけど興味のあるものしか観ていない人、新しいことに触れたい人がいたら、こんなときこそワクワクできる知らない世界をのぞいてみてはいかがでしょう。

 

 

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自分が食べていくだけなら...?

 

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 大きな会社がすぐに従業員を在宅勤務にしたり、手当を支給したりしているニュースをみて、「うちの会社がそんなことしてくれない…」と文句が出てきたりしています。変わらず出社をしている会社や、自粛せず営業を続けているお店をみて、「みんなで協力していかないと…」と非難したりします。

 

そういった声を聞いて思うのは、経営者と従業員では、考え方が全く違うということ。私は現在、フリーランスとして活動しているんですが、自分一人が食べていけるようにするだけなら、頑張ればどうにかできます。でも、以前勤めていた会社で経営が苦しくなった時、自分のチームのメンバーの給料が払い続けられるようにするのは、とてつもなく大変な経験でした。経営者が自分だけ守るなら、前述のような決断がすぐにできるかもしれませんが、従業員を守ろうとしたら、どうにか利益を確保し続けようとするのはごく自然なことです。だから私は、そういった会社を簡単に非難できません。そんなことを考えていると、決して経営が順風満帆ではないであろう会社が、在宅勤務や営業自粛に切り替えているのを知るたびに、苦渋の決断をしているんだなと頭が下がります。今月の自分の給料のことを心配するのと、向こう数ヶ月の従業員全員の給料を確保する術を試行錯誤するのでは、全く違います。

 

 

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新しいゲームを考える?

 

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 少し前に、このブログで昔の人は暇にならないといった内容の記事を書きました。子どもの頃から何かを提供されるのではなく、自分たちで工夫して遊んでいたから。そう言った手前、私も家の中で楽しめる遊びを考えて提示しないとと思い、先日簡単に作れるボードゲームを公開しました。

 

「Speed or Power」と名前をつけたボードゲームで、敵味方6つずつ駒を置いて、相手の駒を全部取るか、相手の陣地に入ることが勝利条件のゲームです。特徴は、駒が重ねられる点。2つ重ねれば、1つの駒からは取られない強さが得られますが、その分機動力が失われるというものです。(ルールは動画をご覧ください!)このゲームが良いかわるいかはさておき、ゲームのルールを考えるのは、仕事にも活かせるとても良いトレーニングになるなと実際にやってみて思いました。「こうしたらこうなるけど、ここがネックで…」「先行後攻で有利不利を無くすには…」「飽きられないためには…」と、あらゆる点から詰めなければならなかったからです。そして、実際にやってみないと、問題点を見つけられなかったりして、「こうやって問題点を見つける方法もあるのか」と発見もありました。試しに新しいゲームのルールを考えてみたら、おもしろい発見があるかもしれません。

 

 

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こんな時こそ腕の見せ所?

 

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 クリエイターやクリエィティブといったフレーズが苦手で、私は自分でそれを使うことはありません。理由ははっきりしていませんが、たぶん自分の描いているクリエイター像と、実際にそのフレーズを使っている人たちの間にギャップがあるからだと思います。ただ、それが合致している人も当然いて、いつもその方たちの行動には頭が下がります。

 

例えば、今は世の中が大変なことになっていますが、そんな中でもいろんなアクションを起こしているのは、私の理想のクリエイターさんたち。普段から、課題解決などはもちろん、人を笑顔にさせる仕事をしているのだから、今ほどそのチカラを使うときはありません。先日も、率先して行動しているある人をSNSで見かけましたが、やっぱりというか、その人は私が思う一流の人。普段、クリエイターを名乗っている人たちの行動はあまり見かけませんでした。補助や支援の制度を分かりやすく整理して伝えている人や、支援を申し出ている人たちの方が、よっぽどクリエィティブ。せっかく何かを変えられるチカラを持っているのなら、それが効果がある無しに関わらず、何かアクションを起こしてみてもよいと考えてしまうのは、おかしいことですかね。

 

 

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多くを語らない?

 

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 私が慕っている人には、多くを語らない特徴があります。「これはこういうことなんだ!」などのそれっぽい言葉も投げかけないし、自分がやることをいちいち語りません。なので、私が慕っている人のほとんどはSNSなどをやっていませんし、食事をしたりしてもくだらない話をするだけ。口数の多い人が苦手で、背中で語るタイプの人が好きなだけかもしれません。

 

人の気持ちを動かすのは、人。その人のことが伝われば、それ以上に何かを語る必要もないとよく思います。心を打たれるような行動をしていたら、それだけで十分だし、その人を見れば、裏側で大変な苦労をしているけど表に出さないだけだと分かります。私はデザインの仕事の中で、キャッチコピーや説明文を考えたりもしますが、時に語れば語るほど胡散臭くなってしまうことがあります。少しでもそう感じたら、もちろん手直しをしていくのですが、そういった場面でも度々、語りすぎることのデメリットを感じたりします。多くを語らない。偉人の名言などに心を打たれるのは、その言葉自体ではなく、その人が言ったことだから。結局は人なんだと、自分が心を打たれるたびにそう思います。

 

 

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間違い探しの癖?

 

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「この絵の中に間違いが3つあります。どこでしょう?」という問題があったら、そこまで難しくなければ、ほとんどの人が3つ見つけられます。何もなくその絵を見せられただけだったら間違いを見つけることすらできません。…というか、間違いがあると思って見ません。また、4つ目の間違いがあっても、見つけられません。

 

私たちは、何かに限定して物事を見ていれば、その限定した条件に当てはまることを見つけられます。それは、仕事でチェックをしたり、何かのプランを実行するときに穴がないか見つけたりするのには効果的です。わるい例だと、粗を見つけてやろう!と思えば、何かしら見つかるでしょうし、ミスしないかな~と思って見ていれば、小さなミスはいくらでも見つけられます。それとは別に、目立つ大きなツッコミどころがあると、その他のことに目がいかないという習性もあります。私たちがツッコミを入れているポイントは、自分が勝手に限定したから見つかっただけの他愛もないことかもしれませんし、本当に問題に挙げられるべきことをカモフラージュするために見つけやすくした目立つポイントなのかもしれません。いずれにしろ、本質が見えていない場合もあるのでご注意ください。

 

 

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みんなから好かれようとしない?

 

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 私は、随分長い間、あまり人と関わらないようにしてきました。苦手意識や人間関係の面倒くささがあったのでしょう。それなのに、人からは好かれたいという、どうしようもない時期がありました。そんなときに、ある人から「みんなから好かれようとしてもダメだよ」とアドバイスをもらって、そこから変に考えることなく人と接するようになったのをよく覚えています。

 

他の人には当てはまらないかもしれませんが、私が指摘されたのは、「誰からも良く思われたいから、誰からも信用されない。信用されていないのが分かるから、離れようとする。」ということでした。ズバリその通り。それ以降、自分をさらけ出してもし嫌われてしまっても、それはそれで仕方がないと考えるようになりました。すると、自分で言うのもなんですが、不思議なことに結構な人が好意を持ってくれたんです。あくまで自分がそう感じただけの話ですが…。多くの人から好意を持たれている世の中の人たちは、たぶん、みんなから好かれようとしていないのではないでしょうか。私もまだ少し昔の名残りで格好つけてしまうこともありますが、好かれようとして発信した言葉や行動には、魅力を感じてもらえないのかもしれません。

 

 

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