デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

やりたいポジションじゃない?

 

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 子どもたちがスポーツ選手とオンラインで話ができる企画が話題になっていましたが、その中でこんな質問がありました。「やりたいポジション(攻め)があるんだけど、そのポジションではないところ(守り)をやってます。どうしたら、やりたいポジション(攻め)をやらせてもらえるようになりますか?」大人でも同じような悩みを持つ人がいそうな質問。その回答は、「ラッキーだね!守りに真剣に取り組んでいたら、どういうふうに攻められたらイヤか分かるんだから♪ずっと攻めのポジションをやっている人には分からないことを今学べてるんだよ。活かせる日がきっと来るはずだよ!」素晴らしい回答ですよね。

 

私は、デザインの仕事をしたくてある会社に入りましたが、デザイン以外の様々なポジションをやりました。その当時は恥ずかしながら若さもあって、その子どもと同じような悩みを抱えていましたが、今思えば、その“やりたくないポジション”をやったことが今の私の核になっていると言っても過言ではありません。他のデザイナーさんが持っていない視点を持てるようになったからです。どんなことを学んでも、自分が一番やりたいことに活かせる。そう考えたら、というか本当にそうなので、何でも前向きに取り組んでみましょう!

 

 

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売れるなら値下げしない?

 

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 仕事を取ってくる人、その仕事の対応をする人、会社ではそんなふうに役割分担されていますが、その間で揉める場面もあります。「どうしてそんな予算でOKしたんですか!」「この予算でなきゃ受注できなかったんだよ!」どちらの主張も理解できますが、1つ言えるのは、値下げせず希望通りの予算で仕事が取れるなら、誰も値下げなんてしないということです。提示した希望の予算で依頼してもらえるぐらい仕事の質を高めるしかない。値下げ交渉をされたら辞退するなんてことができるのは、他にいくらでも仕事のある会社か、潤沢な資金のある会社ぐらいです。だから、そこは我慢を続けて、いつか提示した予算で仕事がもらえるように頑張るしかありません。

 

ただ、注意したいのは、クオリティーを確保できる範囲を超えた値下げや、お客さんの言い値での受注、自信がないから値下げするといった行動は、負のスパイラルにしかならないという点。昔から支えてくれているお世話になった人や、どうしてもそこで取らなければいけない仕事だったりすると、つい融通を利かせてしまいますし、手配する側の立場だったら少しでも安くしたいと考えるものですが、ラインを少しずつ戻していかないと、その先が厳しくなってしまうかもしれません。

 

 

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待っていても誘われない?

 

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 デザインという人との関わりを考える仕事をしていながら、私は人と触れ合うのが苦手で、特に若い頃は、自ら行動を起こすことなく、「きっと向こうから声を掛けてくれる」と待っているばかりでした。当然、誰も声を掛けてはくれません。自分から声を掛けないと振り向いてもらえないと分かったのは、恥ずかしながらつい最近のことです。

 

声を掛けられる機会の多い人が自分の身近なところにいたりすると、その人と同じぐらい魅力的な人に、仕事ができる人になったら自然とそうなるはずだと考えてしまったりします。ただ、実際は裏側でその人が多くの人に声を掛けていたりする。何もせずに人が集まるような有名人でさえ、そうなるように自身でいろんなアクションを起こしていると思っています。どんなに良い人でも、どんなに優秀な人でも、どんなに面白いことをやっている人でも、自然と集まることはほぼ無い。それを体現できていない私が言っても説得力0ですが、周囲の人たちはその理屈に当てはまります。行動を起こすのはちょっと恥ずかしいし、エネルギーが必要ですが、一度起こしてみるだけでも大きく変わるかもしれません。

 

 

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こんなこともできるよ?

 

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「こういう仕事があるんだけど、対応できますか?」「えっ…はい、できます!」つい先日あったこんなやりとり。私がこれまで何度もやったことのある内容でしたが、その人は私がそれができることを知らなかったわけです。自分では、できることを周囲に示している感覚でしたが、伝わっていなかったということですよね。

 

これまでにも、「あなたが何ができるのかなんて周りは知らない」と先輩方から指摘されたことが多々ありました。力量が足りないからその仕事を依頼してもらえないのではなく、知らないから依頼しないだけ。自分ができることを周囲に示していると思っていても、伝わっていない。ずっとそれを自覚して、意識して発信しているつもりですが、それでもやっぱり伝わっていないことが多いんです。伝える仕事をしていながら、恥ずかしい限りですが、冒頭のことがきっかけでより意識してやっていかなければならないと再認識できました。発信しても届きづらい人もいますし、それまで求められていること以外のことを発信しても反応が無かったり、営業のようで煙たがられたりするかもしれませんが、それでも発信し続けなければ、私の“他にもできること”を周りが知らないままになってしまいます。

 

 

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みんなが休んでいる時に休まない?

 

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 どの分野でも、活躍している人は他の人が休んでいる時に休んでいません。まわりが寝ている時間も、仕事が休みの日もお正月も、当然ゴールデンウィークも努力を続けています。天才もいるかもしれませんが、ほとんどの人はそれだけやっているわけです。きちんと休むことも大事ですが、人一倍何かをやっていないと、追いつくことはもちろん、その人以上に活躍することなんてできません。

 

自粛が続いてしばらく経った今、周囲を見渡してみると、その差が歴然になってきているように思います。「今は自粛期間中だから、おとなしくしてよう」と、普段と同じように過ごしている人。一方で、「こんな状況だから、普段以上にアクションを起こさないといけない」と、寝る間も惜しんで思考錯誤している人。きっと数ヶ月後、数年後にその差が必ず現れます。私は、努力をしているなんて言えるほどのことは何1つできていませんが、それでも凡人でも仕事を継続できるように、ほんの少しはもがいています。手を空けられる時間が普段よりも多いであろう今、どんな行動をするかによって大きく変わるはず。こんな現状でそんな気力もおきないかもしれませんが、きっとここが踏ん張りどころです!

 

 

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求められることで咲く?

 

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 たくさん勉強をして、経験を重ねて、実績もある程度残してきたりすると、自分が一番やりたいことで輝きたいと思うことが誰しも一度はあります。それでも求められるのがそこではなかったりして、悶々とした日々を過ごしている人もいるのではないでしょうか。そう言う私も、同じように感じたことがありました。

 

ただ、あくまで私の考えですが、求められるほど素晴らしいことはありません。求められるということは、それに応えたら喜んでくれる人がいるということ。自分の理想通りのことが、必ずしも誰かのためになるとは言えません。先日ある記事で、世界チャンピオンにもなったことのあるダンサーさんが、キャッチーなダンスを求められ続ける日々に悶々としていたことがあると漏らしていました。難易度の高いダンスやカッコいいダンスを魅せたいのに…。でもそれを受け入れられた理由は、目の前の状況からだったそうです。今までは業界の人をうならせることができたけど、カッコいいダンスで子どもたちを湧かせることはできなかった。今求められているこのダンスでは、目の前のみんなが楽しんでくれる。その方と同じように、「求められること=自分が輝けること」だと考えてみてはいかがでしょう。

 

 

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デザインはモノからコトへ?

 

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 デザインの定義は人によって様々ですが、ここ数年は消費がモノからコト(体験なお)へ変化し、社会としてもその定義が変わってきているように感じます。実際、モノのデザインの現場でも、そのモノが果たす役割やモノを通しての体験が焦点になっていたりします。言い換えれば、モノは体験をするための1つの手段という認識に変わってきています。

 

例えば洋服を買いたいと思ったとき、世の中を見渡せば、デザインが良く品質の高いリーズナブルな商品はいくらでもあります。そこで差をつけようと、各ブランドは付加価値をつけて差別化しようとしたわけですが、今はどこも魅力的で消費者が選ぶことができません。それでも差が生まれるのは、そのブランドで洋服を買うこと自体が魅力になっていたり、何か別の魅力的な過程を経て結果的にそこお洋服を買っていたり、洋服を買うことで生まれるその先に魅了されていたりするから。いわゆるコトの方に注力しているからです。モノ自体が魅力的であるのは言うまでもなく大事なことではありますが、そこにコトの魅力が入っていないモノは、たとえ魅力的であっても淘汰されていってしまうかもしれません。

 

 

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やることを無理やりつくる?

 

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 学生時代にいろんなアルバイトをしましたが、その中で一番辛いと感じたのは、何もしないで立っている仕事でした。お客さんが来たら対応する。ただ、お客さんが来なければやることがありません。私と同じように、暇が一番しんどいと話すバイト仲間と、どうしたらその暇な時間を乗り越えられるか考えた結果、「暇を作らない」という結論に至りました。何かしら、やることを見つけてそれをやっていれば、暇にならないというわけです。仕事中に眠くなるのは、急いでやらなきゃいけないことがないからだったりしますよね。

 

最近は、家の中でやらなきゃいけないことを無理やり作って、それを実行しています。今日はトイレ掃除、明日は風呂掃除、明後日は玄関…といった感じ。仕事ではないので、もちろん楽しい用事も織り交ぜて、暇な時間があまりできないようにしています。そうすると気が紛れますし、疲れて夜ぐっすり眠れたりします。やることを作ること自体が面倒くさいと感じる人もいると思いますが、暇疲れするよりマシ!と考えて、何かしらの「やることリスト」を作ってみてはいかがでしょう。全部やらなくてもいいことなので、できるだけたくさん書き出しておくだけでもなんだか忙しい気分になります。

 

 

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私は不自由しない...?

 

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 1週間ほど前から、最寄りのコンビニが時短営業をはじめました。この状況下ですので全く不満はありませんし、むしろ勇気のある決断だと思います。それに、私自身は今の営業時間で特に不自由はありません。…でも、それは私の立場だから言えることかもしれません。

 

営業時間は7:00~23:00。もし、朝早く出勤して、終電間近で帰ってくる生活をしている人だったら、そのコンビニに立ち寄ることはできません。駅前のスーパーも時短になっていれば、食材を買うタイミングは、仕事が休みの日だけということになります。私はいつも、こういったことがあった際に、「今はこう素直に思えるけど、立場が違えばそうは思えないかもしれない…」と考えてしまいます。仕事や家庭の環境、住んでいる場所、様々な人生の転機のタイミングなど、状況が違えば、当然物事の捉え方も変わる。切迫した状況に置かれていたら、普通は落ち着いた反応はできないと思います。だからこそ、その立場にいる方たちが「やむを得ない」と考えて行動を自粛したりしているのを耳にすると、本当にすごいなと頭が下がります。対策への批判の声もありますが、私は頭ごなしに否定できません。

 

 

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社会のしくみがよく分かる?

 

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「自分の仕事には影響がないと思っていたのに、事態が収束せず長引いてきたら、影響が出てきた…」そう感じた人も少なからずいるのではないでしょうか。私自身、全く影響がないとは思っていませんでしたが、想像よりも実際は大きな影響がありました。

 

こんなときに不謹慎かもしれませんが、こういう経験をすると、社会のしくみがよく分かります。一見、関係がないような業種のことでも、他人事のように感じる政治の話もほとんどが繋がっていて、どこかでその影響を受けているんですよね。普段はそれを感じ取れるまでに至っていないだけで、実際は影響を受けている。日々流れているニュースを見るたびに、「こんなところまで影響が及ぶのか…」「そうか、こういったところも今は大変な思いをしているんだな…」と、自分の視野の狭さと、社会をしくみを理解できていないことを恥ずかしく感じています。メディアでは、観光業や飲食関係などの想像しやすいところを中心に取り上げていますが、実際は他の業種もそれぞれ大きな影響を受けています。もし時間に余裕がある人は、いろんな業種の現状に目を向けて学んでみてはいかがでしょうか。

 

 

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ガス抜きの方法を増やす?

 

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 特別神経質というわけではありませんが、2年前ぐらいから少しでもガス(ストレスや疲れ)が溜まっているなと感じたら、こまめにガス抜きをするようにしています。スッキリした状態を維持することで、人との関わり方も変わるし、仕事のクオリティも上がると感じたからです。

 

それまでは、外に飲みに行ったりすることで発散していましたが、お金もかかりますし体にも良くないので、少しずつ他のガス抜き方法を増やすようになりました。今はできませんが、演劇や展覧会、スポーツを観に行く頻度も上がりました。その中でも、重宝しているのが家の中でのガス抜き。私はなぜか若い頃に調理師免許を取っているので、料理をすることも楽しいことの1つですし、映画を観たり、ボードゲームをしたりするのも、とても良いガス抜きになります。ちょっとデスク周りを片付けるだけでも気分が変わったり♪「あ~ここ行ったね~」なんて昔の写真を家族で見返してみるのもオススメです。最近は、自粛が続くことによる家庭環境の変化のニュースを度々目にしますが、こんなときこそ、今まで試したことのないガス抜きを見つけて、少しずつストレスを緩和してみてはいかがでしょう。

 

 

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負けてまた挑む?

 

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 プロのデザイナーとして仕事をしていますが、アマチュアの方たちや学生さんと競い合って負ける(他の方が選ばれる)こともしょっちゅうあります。こんなことを言うと信用を失ってしまいそうですが、私はそうやって負けるかもしれない場に、常に顔を出すようにしています。

 

負けると悔しいし、競った相手によってはプロとして恥ずかしいとも思います。ただ、私はそういった経験がとても大事だと思っていて、そこで自分がその需要に対応できていないと分かったり、足りないものが浮き彫りになるというメリットがあります。簡単に言うと、それを埋めることができたら、参加する前よりも対応力が増して成長できたということ。ただ、大事なのは、負けても仕方ないなんてつもりで参加しないことと、勝てるようになるまで精進すること。仕事では、企業コンペなどでその時に負けたりすることもありますが、そこで、リベンジしようとする人と、負けたものは仕方がないと考える人では、その後が大きく変わってしまうと私は思います。だからか、絶対に自分が選ばれるぐらいの気持ちでやって結果負けても次に勝ち取る、みたいなことを繰り返している人に出会うたびに、そのパワーに圧倒されています。

 

 

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専門外で学ぶ?

 

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 学生の頃からプロダクトデザインを学び、仕事としてもやってきて、その中でグラフィックや空間デザインも関わらせてもらうことができました。そうやって、専門外のことに触れ続けられたことが、今の私の強みの1つであると思います。

 

数ヶ月前に、イラストの依頼を頂いたのですが、求められた内容は、デッサンに水彩絵の具でほのかに着色したようなもの。私はイラストを専門としてやってきていないこともあり、数年前に別の方から同じような依頼があった際は断りました。ただ、今回は時間に少し余裕があったのでお受けして、求められているイラストが描けるようにしました。「ただでさえ専門外なのに…」とはじめは思いましたが、そうやって専門外に触れてきたことが、今の自分を作り上げたと考え直し、ひたすら描くことに。結果、その依頼に応えられただけでなく、その後の自身のデザイン活動の幅を大きく広げることができました。大きいのは、専門外のことができるようになることではなく、それを通して専門がより強くなること。もちろん、上手くいかないこともしばしばですが、触れることで絶対に得るものがあると断言できます。

 

 

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擬人化で感情移入?

 

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 私たちはモノを擬人化することがよくあります。例えば、ペットボトルや空き缶に顔が描かれたキャラクターが「ポイ捨てはダメ!」と言っていたら、言葉だけで注意されるより効果があるように思いませんか?擬人化すると、誰でも少なからず感情移入するからだと思っています。

 

擬人化の良いところは、相手の立場になって見るようになる点。「乱暴に扱われたら痛いだろうな…」「汚れたままじゃイヤだろうな…」とモノを大切にしたり、「〇〇しないで!」と言われたら無視できないので聞く耳を持ったりします。そういった目的で擬人化するのは私は良いと思いますが、擬人化しすぎてしまうと効果がなくなることもあります。ペットボトルが「分別してね!」と言っている隣で、アルミ缶やビンが同じように言っていても効果はありますが、またその隣で、ダンボールや新聞紙、牛乳パックや発泡スチロールの食品トレーまでどれもこれもが「分別してね!」と声をあげていたら、すべてに耳を傾けられません。人が同時にたくさんの人の話を聞けないのと同じ。だから、擬人化する時は、特にこのモノについてはきちんと向き合ってほしい!という時だけがよいような気がします。

 

 

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