デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

できればSNSはやりたくない?

 

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 Twitterfacebookも、Instagramもやっていますが、実際のところ、あまりSNSはやりたくありません。あまり多くの人と接するのも好きではないので、顔も分からない人と関わることには特に興味がなく、自身のことを発信するのもあまり気が向きません。それでもやっている理由は、ただただ経験しておくため。どんなふうに発信しているのか?何に関心を持っているのか?などを知っておくためです。

 

私の場合は、仕事に関係するので半ば無理やりやっているのですが、やりたくないことをやるのは、とても勉強になるなと感じています。単純に、やっていなかったら気付かないことも多いし、誰の発信に対して、どんな人がどんなふうに反応したかなど、コミニュケーションの取り方や行動を起こすまでの過程といった学びがあります。やりたくないのは、普段自分が選ばない手段や行為だから。そのままだとずっと選ばないままですが、関わるだけで、その後選ぶケースも出てくるようになります。それは、考え方や表現手段が増えたということ。私の場合は、敬遠するものがあまりに多いので、少しずつでも経験していこうと思いますが、皆さんも関わりたくないことがあったら、ほんの少し我慢して関わってみると、おもしろい発見があるかもしれません。

 

 

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買ってほしい人が信頼する人?

 

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 何でも自分で選びたいタイプの私ですが、少なからず誰かの影響で選んできています。初めて飲んだビールは父親が好きなメーカーのだし、初めて吸ったタバコの銘柄は友達が吸っていたもの。最近でも、自分が好きな人が「このペンいいよ」と言っていたら、試してみようと自然に手に取りました。

 

広告や企画の仕事をしていると、ターゲットに向けて伝えようと試行錯誤することは多々あると思いますが、それが必ずしもターゲット自身に向けてのものでなくても良い場合もあります。何より、ひねくれている私は、「そりゃ、自分のところの商品を良いって言うでしょ」と思いますし…。知らない第三者が良いと認めていたって、私は特に影響を受けません。それでも、親しい人や見習いたい人が選んでいたら、気になります。だから、考え方によっては、買ってほしい人をターゲットにするのではなく、その人が気にして見ている人をターゲットにした方が、結果的に本来のターゲットに届く可能性が高いわけです。20代の若者だったら、その両親に向けて発信してもいい。ランドセルの広告が、子供の祖父母世代に向けられているのと同じです。ターゲット!ターゲット!と、いろんな方法で近づこうとしますが、それはどこも手を尽くしていること。新たに接点を作りたいときには、少し違った角度からターゲットと関わってみるのも1つです。

 

 

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フィットしないのは加減の問題?

 

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 偉そうに言うつもりは毛頭ないんですが、他人のアイデアを見て「もったいないなぁ」と思うことが結構あります。そう感じるのは、コンセプトや切り口(着眼点)が素晴らしいとき。ただ、アウトプットされたモノが、ターゲットに合っていなかったり、少々尖りすぎていたりして、フィットしない結果になっているだけなので、本当にもったいない。でも、そのアウトプットの“加減”がとても難しい…。

 

最近私が特に意識しているのは、その“加減”で、数年前より慎重に表現を選ぶようになりました。「この表現だと嫌な印象を受ける人もいるかも…」「これだと若干ユルすぎるかな…」「これだと、実際に使うシーンを想像できない人がいるだろう…」考えたコンセプトが、最大限に力を発揮して、関わる人たちがどの人も不快に感じない(良いと思える)アウトプットを目指すわけです。これは、当たり前のことではあるんですが、実はそこまでシビアにできていないことが多い。せっかくの妙案が、自分の嗜好を強くしすぎたために受け入れてもらえない、なんてこともあります。大事なのは、アウトプットの“加減”。それを少し調整するだけで、今まで受け入れられなかったモノが、途端に受け入れられるかもしれません。

 

 

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組み立てないやり方?

 

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 課題を分析して、資料を集めて、手段を調べて、要点をまとめて…と土台を築きながら、少しずつアイデアを組み立てていく方法があります。というか、それが正攻法だと思います。賢い人や頭の柔らかい人はその方法で素晴らしいアイデアに辿り着く。なのに、同じようにやってもありきたりのアイデアにしか至らないという人は、無理に組み立てなくて良いと考えています。極端な言い方をすると、いきなりゴールでOK。

 

私の場合、賢くもないし頭も柔らかくないので、組み立てていく方法だと、どこかにありそうな無難でつまらないアイデアになりがち。結局それは、課題の解決する力も弱かったりします。だったら、ゴールを作ってしまうのも1つ。例えば、プレゼントを考えるとします。その場合、もらったら喜ばれるプレゼントや迷惑にならないものを調べてそこから選んでも、他人と違うアイデアにはなりません。だから、「もらった人が笑顔になるときってどんなとき?」をいくつか出して、それに決め打ちしてしまう。それを実現するための方法を逆算するんです。もちろん、実現できないこともありますが、それは逆にチャンスで、実現できるカタチに変えられたら、それはたぶん新しいアイデア♪組み立てていく方法では辿り着けないアイデアになっているかもしれません。

 

 

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目の前に何かあれば文句を言える?

 

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 「考えるのが苦手」と口にする人でも、目の前に何か出てきたら、それに対して意見を言います。簡単なのは、文句を言ったりダメ出しすること。同じように、それの良いところを挙げるのも、たくさんは出てこないかもしれませんが、2つ3つならきっと出せます。ダメ出しも褒めるのも、考える行為。…ということは、目の前に何か用意すれば良いわけです。

 

考えるのが苦手だった私が、若い頃に取り組んでいたは、電車に乗ったときに広告を1つ選んで、それにイチャモンをつけること。「このキャッチコピーはあんまり良くないんじゃない…」「これじゃあ買ってみようとは思わないよ!」これくらいなら意見が出せますよね。ただ、そこにプラスして、「この表現は良いなぁ」など良い点を挙げたり、さらに、ダメ出しした内容に代わる案を自分で考えるわけです。この練習は、何もない状態で考えるより意見が出しやすく、自分がこの先考えることを克服していきたい・伸ばしていきたい人にとってピッタリ。これを少なからず続けてみると、ダメだと感じたことや良いと思えたことが蓄積されて、考えるためのストックが増えていきます。

 

 

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1個やれば、2個目からスムーズ?

 

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 自宅で作業をしていると、すぐにやらなければいけないことには着手するものの、まだ時間に余裕があることだったりすると、なかなか重い腰が上がらないなんて人も多いのではないでしょうか。普段から自宅で仕事をするフリーランスの私の場合でも、そうなりそうになることがあります。

 

そんなときに実践するのは、どんなに駄作でもいいから、とりあえず1個完成させること。例えば、ある提案をしなければならないとき、アイデアがまとまっていなくても、とりあえず1個カタチにします。それは当然、提案できるレベルのものではありません。ただ、1個できると、本腰を入れて2個目に着手しやすくなるんですよね。それはきっと、ダラダラ過ごしてしまって劣等感や負い目の悪循環に陥りそうなところを、とりあえず1個やったという達成感や充実感が打ち消してくれて、「よしっ、この勢いでちゃんとやろう!」となるからだと思います。あくまで私の場合で、そもそも1個目をやるのが大変なんだよ!という意見もありそうですが、そこを何とか1個カタチにする。はじめはキツいですが、やってしまえばこっちのもの。ついダラダラしてしまう。重い腰が上がらない。集中力がない。そんな悩みを抱えている人がいたら、ぜひ「無理やり完成させる」を試してみてください!

 

 

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自分がやったことがつながっていく?

 

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 今年のゴールデンウィークは全国的に外出自粛のため、何か自宅で楽しめることをと考え、5月5日の子どもの日に向けた鯉のぼりの工作や、5月10日の母の日に向けた手作りカーネーションSNSで紹介しました。もちろん、それを直接楽しんでくれたら嬉しいと思って上げたものではありますが、直接ではなくても良いとも思っていました。

 

私のやったことを見た誰かが、また別の何かを紹介して、それでまた別の誰かが楽しめたならそれでOK。結果的に自分のアクションがつながったなら、無駄ではなかったと私は考えます。何かに取り組む際、自身のその行為自体で直接的に成果を出さないといけないと考えてしまいがちですが、その行為で成果が出せなくても構わないこともあります。例えば、河川敷をゴミ拾いしている人がいて、そこで集められるゴミはわずかだとしても、見かけた人がきちんとゴミを持ち帰ったり、私も手伝おうとボランティアの輪が広がったりするわけです。間接的に貢献したっていい♪目に見えないことがほとんどなので、達成感や満足感はないかもしれませんが、アクションを起こすだけで必ず何かにつながっていくと思っています。

 

 

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レッドオーシャンに挑む?

 

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 競争の激しい市場に飛び込むよりも、まだライバルの少ない市場のほうが勝算が見込めるのは確かです。後者を選んだ方がきっと結果も得られやすい。もちろん会社だったりすれば、少しでも可能性のある方に力を注ぐべきだと思います。それでも、私は競争の激しい方に飛び込むことも必要だと考えています。…というか、やりたいことがあれば、そこがレッドオーシャンであろうとブルーオーシャンであろうとあまり関係ありません。

 

私はデザインの仕事を選びました。デザインを仕事にしたい人は山ほどいるし、素晴らしいデザイナーさんも山ほどいます。だからと言って、競争の少ない近い職種にしようとは思いませんでした。当然、そこで生き残れる自信があったわけではありませんが、飛び込んでみて、難しいことを実感して、あらためてどうしなければいけないかを考えた結果、今はどうにかその中で生きています。飛び込まなければ、きっとどうすれば良いかも分からなかったと思います。私の夢は、いつか満足できる椅子をつくること。それを誰かに使ってもらうことですが、数多ある素晴らしい椅子たちの中で、自分がつくった椅子が選ばれるなんて可能性は0に近い。それでも、そこに挑むつもりです。

 

 

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スゴい人は、まわりもスゴい?

 

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 1日に10個の仕事をしているタレントさんがいたとします。そんなにたくさん仕事をしているのはスゴいことですが、それぞれ違う場所で行われる10個の仕事を、移動も含めてピタリとスケジューリングしたマネージャーさんもスゴいわけです。仕事はこちらの都合だけで決められないはずですからね。

 

有名人に限らず、身近にいるスゴい人。よくよくその人のまわりを観察してみると、少なくとも一人はスゴい人がいます。物理的に不可能だと思える仕事をこなしている人だったら、その人をサポートしている人が必ずいる。まわりから賞賛されるような結果を残し続けている人だったら、その人に仕事を渡し続けてる人がいるわけです。アーティストや作家さんは一人で輝いているようにみえますが、それを世間に広めた人や情報発信できる舞台を準備した人がいます。スゴいと言われる人たちは、本人に魅力や能力があることに間違いはありませんが、まわりも同じくらいスゴい。「自分もスゴいと思われたい!」そんなふうに思っている人がいたら、ぜひスゴい人のまわりに注目してみてください。自分一人ではどうやったってなれないことがすぐに分かります。

 

 

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簡単な方に行かない?

 

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 簡単な方と難しい方があったら、皆さんはどちらを選びますか?簡単な方ばかり選んでいると、難しい方を選ばなくなるだけでなく、簡単な方法がないとそれをすぐに求めるようになってしまいます。仕事などで上手く行かない時に、すぐに「簡単な方法を教えて!」と上司に聞くようになるのと同じ。自分で調べて解決するという、難しい方は選ばなくなります。

 

誰かの発言に対して、揚げ足を取るように何かにつけて批判するのは、簡単な方ばかり選んでいる人たち。即座にリアクションできるのは簡単だからです。よく考えて意見するなら、どんなに頭の良い人でも少しは時間がかかる。その発言について真剣に考えてみる、どうしてその発言に至ったかを紐解いてみる、課題の解決に繋がるアクションをする、などは面倒で難しいことですが、そちらを選んだ方がいいと私は考えています。なぜなら、簡単な方はいつでも選べるから。でも、簡単な方を選び続けた人は難しい方を選ぶことができませんし、それが簡単な方であることにも気付かない。勉強にしても仕事にしても、ちょっと腰が重いかもしれませんが、難しい方にチャレンジするのをおすすめします。

 

 

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周囲の標準的なスピード?

 

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 一緒に仕事をした方々が私に抱く印象で多いのが「スピード」について。もちろん意識はしていますが、他の何を犠牲にしてでも早く!とまでは考えていません。このぐらいの時間でやらなければいけないと考えたその時間が、相手に早いと感じてもらえただけだと思っています。(偉そうな感じですいません…)

 

質を保つために、質を上げるためには時間が必要なのだから、無理に早く仕上げることはない。そういう意見もありますが、それを否定するわけではありません。ただ、その“質”が最重要事項ではない仕事がある。極端に言えば、ほしい期限を過ぎてからもらっても意味のないものだったら、当然、時間をかけて素晴らしいものにするよりも、期限内で可能な限り質を上げたものが求められます。私にはそんな仕事の依頼がくるだけの話。ただ、その期限が特に設けられていない場合は、見えない期限を想像します。聞ける環境だったら、直接確認してもよいのですが、大抵は気を遣ってくれて「可能なタイミングで大丈夫です」と言ってくれるので、本当のところの期限を想像する。その期限に間に合うように仕事をします。もちろん、自分の力では間に合わないことも出てくるので、その時にどう行動するかがとても大事になってきます。

 

 

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やりたいポジションじゃない?

 

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 子どもたちがスポーツ選手とオンラインで話ができる企画が話題になっていましたが、その中でこんな質問がありました。「やりたいポジション(攻め)があるんだけど、そのポジションではないところ(守り)をやってます。どうしたら、やりたいポジション(攻め)をやらせてもらえるようになりますか?」大人でも同じような悩みを持つ人がいそうな質問。その回答は、「ラッキーだね!守りに真剣に取り組んでいたら、どういうふうに攻められたらイヤか分かるんだから♪ずっと攻めのポジションをやっている人には分からないことを今学べてるんだよ。活かせる日がきっと来るはずだよ!」素晴らしい回答ですよね。

 

私は、デザインの仕事をしたくてある会社に入りましたが、デザイン以外の様々なポジションをやりました。その当時は恥ずかしながら若さもあって、その子どもと同じような悩みを抱えていましたが、今思えば、その“やりたくないポジション”をやったことが今の私の核になっていると言っても過言ではありません。他のデザイナーさんが持っていない視点を持てるようになったからです。どんなことを学んでも、自分が一番やりたいことに活かせる。そう考えたら、というか本当にそうなので、何でも前向きに取り組んでみましょう!

 

 

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売れるなら値下げしない?

 

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 仕事を取ってくる人、その仕事の対応をする人、会社ではそんなふうに役割分担されていますが、その間で揉める場面もあります。「どうしてそんな予算でOKしたんですか!」「この予算でなきゃ受注できなかったんだよ!」どちらの主張も理解できますが、1つ言えるのは、値下げせず希望通りの予算で仕事が取れるなら、誰も値下げなんてしないということです。提示した希望の予算で依頼してもらえるぐらい仕事の質を高めるしかない。値下げ交渉をされたら辞退するなんてことができるのは、他にいくらでも仕事のある会社か、潤沢な資金のある会社ぐらいです。だから、そこは我慢を続けて、いつか提示した予算で仕事がもらえるように頑張るしかありません。

 

ただ、注意したいのは、クオリティーを確保できる範囲を超えた値下げや、お客さんの言い値での受注、自信がないから値下げするといった行動は、負のスパイラルにしかならないという点。昔から支えてくれているお世話になった人や、どうしてもそこで取らなければいけない仕事だったりすると、つい融通を利かせてしまいますし、手配する側の立場だったら少しでも安くしたいと考えるものですが、ラインを少しずつ戻していかないと、その先が厳しくなってしまうかもしれません。

 

 

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待っていても誘われない?

 

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 デザインという人との関わりを考える仕事をしていながら、私は人と触れ合うのが苦手で、特に若い頃は、自ら行動を起こすことなく、「きっと向こうから声を掛けてくれる」と待っているばかりでした。当然、誰も声を掛けてはくれません。自分から声を掛けないと振り向いてもらえないと分かったのは、恥ずかしながらつい最近のことです。

 

声を掛けられる機会の多い人が自分の身近なところにいたりすると、その人と同じぐらい魅力的な人に、仕事ができる人になったら自然とそうなるはずだと考えてしまったりします。ただ、実際は裏側でその人が多くの人に声を掛けていたりする。何もせずに人が集まるような有名人でさえ、そうなるように自身でいろんなアクションを起こしていると思っています。どんなに良い人でも、どんなに優秀な人でも、どんなに面白いことをやっている人でも、自然と集まることはほぼ無い。それを体現できていない私が言っても説得力0ですが、周囲の人たちはその理屈に当てはまります。行動を起こすのはちょっと恥ずかしいし、エネルギーが必要ですが、一度起こしてみるだけでも大きく変わるかもしれません。

 

 

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