デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

そうした理由を10個出す?

 

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 過去の行動をちょっと踏み込んで分析すると、思わぬ発見があります。その発見は周囲があまり注目していない場合が結構あって、あくまで私の経験上の話ですが、オリジナルのアイデアづくりに役立ったりします。

 

さっきコンビニでペットボトルのお茶を買った理由を考える。「通り道だったから」「安いから」とすぐにいくつか出てきます。そこから新たに理由を10個出すとなると、「種類が多いから」「キャッシュレス決済ができるから」といった少し細かいものが出てきて、さらに10個出すとなると、「そのコンビニが好きだから」「暑かったから涼みに…」と普通には出てこないものが現れます。これを繰り返して、どこまでも続けるわけですが、例えばポロっと出てきた「そのコンビニが好き」という理由は、実は結構重要なポイントだったりするんですよね。利便性以外の要素が関わっていることが想像できる。そんなふうに小さな発見があったら、それを自分なりに分析してみることで今まで考えなかったようなアイデアが生まれます。他の人がやらない方法を使えば、他の人が出せないアイデアにたどり着くかもしれません。

 

 

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別のときに考えたことに注目?

 

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 目の前のテーマについて考えていると、そのテーマに基づいたことや、その派生のことにしか思考が発展しないときがあります。何か新しいモノと掛け合わせたり、切り口を変えようとしても、漠然としすぎていてなかなか難しいもの。連想ゲームになってしまって悶々とすることも…。そして、それは大抵の場合すでに世の中にあります。

 

そこでオススメなのは、今回のテーマとは別のときに考えたことを引っ張り出す方法です。全然ちがうことについて考えたキーワードやアイデアなので、今回のテーマの延長上にはありません。それを結び付けてみるわけです。もちろん、直接的にうまく掛け合わさってアイデアになることはほとんどありませんが、新しい切り口になることがあります。これも前回の記事と同様で、日頃からいろんなテーマについてアイデアを出して貯めておくことが必要ですが、その時に採用されなくても「いつか採用される(かもしれない)アイデア」になります。掛け合わせるのは、別のときに考えたアイデア。私もそうですが、視点を変えた新しい試みを模索している場合は、ぜひお試しください!

 

 

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URLを入力してない?

 

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「当たり前を疑いなさい!」と言われても、自分がやっているのは当たり前になっていることなので、どこから疑えばよいか分かりません。いろいろ頭で考えて、「あれはよく考えたらおかしいのでは?」と浮かぶ人はきっと少ない。だから、私の場合は手当たり次第にチェックします。

 

例えば、チラシを作っているとき。ひと通りつくったあと、これはおかしいものだと仮定して見直します。どうして四隅にロゴを置くのか?どうして簡潔にまとめているのか?なんで説明するのか?そもそもこれは目的を果たすことができるのか?等々、何から何まで疑うわけです。疑ってかかっても、おかしい理由が見つからないことがほとんどですが、それでも1つや2つは必ず見つかる。「必ず載せているWebサイトのURL。見ながら直接入力している人なんて自分を含めて見たことない…」それなら、サービス名で検索してもらうかQRコードさえあればいいとなるわけです(実際は直接入力する人も少なからずいて、co.jpなどを示すことで信頼を得るなどの意味があるかも…)。当たり前を疑う練習を日頃からすると、その時は役に立たなくても、モノの見方の引き出しが増えて考えに幅ができるかもしれません。

 

 

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どんな経験も最強の武器?

 

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 私には他のデザイナーさんたちが持っていない武器があります。それは、私だけの経験。デパートの屋上で着ぐるみを着るバイトをしたことがあって、何年も飲食店で働いて調理師免許を取ったデザイナーはそうはいないはずです。それはちょっと極端ですが、どんなに些細な経験でも他の人が経験していない以上は、その人だけの武器になります。

 

以前、上司の意見でいつもねじ伏せられるという相談を受けたことがありました。裏付けもしっかりしていて非の打ち所がない意見だけど、何か物足りない…。けれど、その意見に何も言えることがない、という相談です。その時も私は「えっ、〇〇さんしか分からないことたくさんあるじゃないですか♪」と。具体的なところは細かくなってしまうので端折りますが、簡単に言うと現場経験のない上司には、現場でバリバリやってきた〇〇さんの生の感覚は分からないというアドバイスです。実際、上司の意見は素晴らしいものの現場で上手く運用されない問題があったものが、〇〇さんの意見が加わったことで回り出したそう。どんなに頭の良い人で経験がなしに想像ができるとしても、それでも経験者には絶対に敵いません。少なくとも私はその経験で今がある。あなただけの経験を生かしたものを考えるのも1つの方法です。

 

 

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身近な人の観察結果?

 

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 地元の友達の半数以上はSNSをやっていません。だからといって何1つ不自由していないし、むしろ私なんかより最先端の情報をたくさん持っています(困ったらよく教えてもらっています)。フォロワーなんて一人もいなくても、びっくりするぐらい知り合いが多いやつもいる。そんな感じ。

 

例えば、紙の広告媒体で情報発信する。そう聞いたら、その方法は古いと思う人もいるのではないでしょうか?確かに、ネット広告などの方が時代に合っているし、たくさんの人に届けられそうです。でも、仮にSNSの広告を選んだ場合、少なくとも私の友達には届きません。twitterの日本の利用者は4,500万人?Instagramは3,000万人?facebookは2,500万人?...。ほとんどの人がやっているように見えるものも、冷静に見れば残りの人はやってわけです。マーケティングなどの小難しいことは置いておいて、私は身近にいる人をよ~く観察することをとても大事にしていて、実際にその観察結果がとても役立っています。40代男性の消費傾向をネット検索で調べるぐらいなら、その辺のお店で観察した方が鮮度のある結果が得られる。それが偏った結果だったとしても、自身の目で確認した情報の強さは、ネット検索の比ではありません。

 

 

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不快に感じるとしたら?

 

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 この仕事が向いていないんじゃないかと思うぐらい、私はとんでもなくネガティブ思考です。幾度となく直そうとしましたが、根っこの部分はやっぱり変わらず、「こう思われたらどうしよう…」「不快に感じる人もいるかな…」考え出したらキリがありません。でも、それが自身のデザインにはとても良い働きをしてくれています。

 

とても良いデザイン案が出来たとします。周囲の誰もが絶賛してくれて、自分で客観的にチェックしても問題なし。そんなふうな状況になったら、そのデザインを疑うことはもうなくなってしまいます。でも、わざと極端なネガティブ思考になって、「これを見て嫌な気分になる人がいる。どこでそう思ったんだろう?」「このポスターを貼りたくない人は、どこが気に食わないんだ?」と、勝手に反対派の意見を探すんです。「趣味嗜好は人それぞれだし、そんなこと言ったら何かしら見つかるでしょ!」と言われてしまいそうですが、不特定多数に発信する以上、少しでも懸念材料を取り除いてもっと受け入れてもらいやすくするに越したことはありません。「嫌いな人は嫌いでいい」という考えもありますが、そんなふうに見えている世の中のデザインだって、事細かに考えられた最良の選択をしているはずです。

 

 

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出し切ったら離れる?

 

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 忘れるから書き留めておく。それはおそらく正解だと思います。私もそうしてきたんですが、ここしばらくの間は少し変わりました。書き留めたものを見返さないというやり方です。

 

書き留めたことで記憶のどこかには残っているはずなので、見返す必要はない。…というか、本当に芯を食ったことだったら絶対に残っているということが分かったからです。見返さないと思い出せないような閃きだったら、たぶん使うことはありません。アウトプットが大事だとよく言われますが、出したことに囚われすぎてしまうデメリットもあります。100個ネタを考えてそれを書き留めたら、その中で一番良いものを選んでしまいますよね。でも、100個書き留めてしばらく経って何を書いたか思い出せないようなら、それは全て使えないものかもしれません。一方で、そこまで数を出さなくても、強烈に脳裏に焼き付いていることは、とても良い展開になることがあります。付箋をたくさん使って思い付いたことを書いて机やホワイトボードに並べたりすると、とんでもない充実感で満たされてしまって、どれもキラキラして見えてしまいます。出し切ったら、見返さない。離れてみるのも1つの方法です。

 

 

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模型の情報量?

 

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 私はよく模型を作ります。模型と言うと3Dプリンターで精巧なものを作ったり、実際の素材でリアルに作るようなものを想像されるかもしれませんが、私が構想段階で作る模型は、そこらへんにあるコピー用紙や段ボール、のりやセロテープを使うめちゃくちゃ雑なものです。この工程が、私の中では超重要。

 

例を挙げると、封筒のデザインをする際、私は実際にその封筒を作ります。何パターンかデザイン案ができていれば、印刷した紙を加工して封筒にしてみる。すると、画面上でも印刷しただけでも分からないことがたくさん見つかります。どんなに雑な模型でも、平面からは得られないほどの情報量があるわけです。そんなふうに、立体に限らず、平面の仕事でも模型を作る。本当にびっくりするぐらい見え方が変わりますし、手に取るものなら持った際の見え方を確認しなければなりません。「平面デザインの多くは、真正面から見ることはほとんどない」と教えられたことも…。頭の中でイメージできるからそんなことする必要ないと考える人もいますが、私はそこまで器用でないので模型を作って検討しています。ちなみに封筒の場合は、受取人と差出人を記入して、偽物の切手と消印も入れる。届いた時の姿を作って検討しないと、封筒が役目を果たすかどうかは確認できません。

 

 

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目に入るもの全て〇〇?

 

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 ブログを書きはじめて約5年ちょっと。ここまで書いたらやめようと思っている目標の2000記事まで、あと50記事ほどになりました。内容はさておき、毎日書き続けてこれたことで、書くこと自体の苦手意識はいつの間にかなくなりました。

 

いつも偏屈な内容が多いので、残りの期間は、私が培ってきたアイデア出しの方法などを紹介していこうと思います。まず、煮詰まってどうしようもなくなってしまったときの対処法の1つが、そこに在るものを全て今抱えているテーマに置き換える「目に入るもの全て〇〇!」です。例えば、椅子のデザイン。「あのビルのあの形状、座りやすそうだな…」「この料理のここのラインがおもしろいかも♪」「あそこのゴミ袋に座ったら?」などなど。素材や対象はもちろん、人間の大きさや現実的かどうかは無視して、目に入ったものを何でもかんでも当てはめてみる方法です。そうやっていくと、それ自体は直接的なアイデアでなくても、新しい切り口やヒントになって展開できることが多々あります。これは、学生時代に臨時講師として来ていた今では第一線で活躍するデザイナーさんから教えてもらったもの。緊急時には役に立ちます。

 

こんな感じでご紹介していきますので、あと少しですがお付き合いください!

 

 

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語るのはこれからのこと?

 

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 過去の武勇伝を聞くのが好きな人は多分ほとんどいないと思いますが、私はそれ以上に「昔は私もできなかった」という話をされるのが苦手です。昔はダメ=今はスゴい。努力は素晴らしいと思いますが、「乗り越えた自分ってスゴイでしょ!」は、武勇伝を回りくどく言っている分、余計に拒絶反応が出てしまうんです。そういう私も度々やってしまっているので、きっと聞いている人はつまらないでしょうね。

 

単純に自分が楽しく話を聞けたときの内容を思い出してみると、それはこれからの話であることがほとんどでした。それが夢物語でも、どうなるか分からないことは想像が膨らんで楽しい。ただ、そうやって前を向き続けられる強い人ばかりではありません。私は過去を自慢する人と出会ったときに、一番輝いていたときの話をして自分を盛り上げようとしているのだろうと受け止めています。一方で、充実している人は未来の話をします。あくまで個人的な意見ですが、これからの方が楽しみだと思うのはとても大変なことで、精神的に強くないとなかなか思えません。自分を鼓舞する方法は人それぞれですが、半ば無理やりにでも「語ることはこれからのことにする」と決めてみると、自分自身はもちろん周囲の反応も変わっていくような気がします。

 

 

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好きになっていく感覚?

 

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「好きになっていく」という感覚が、最近は少なくなっているような気がします。自分が好むモノや情報を自由に選べるようになった今日、「はじめは何とも思わなかったけど、長く一緒にいたら好きになっていた」みたいな恋愛のような感覚が圧倒的に少ない。

 

最近はダウンロードやサブスクが主流になってきましたが、私はCDをジャケ買いするのが好きでした。当時は情報も少なかったので、そのCDの曲が自分好みかどうかは不明。当然、失敗することがほとんどでしたが、その失敗で選んだ曲も、せっかく購入したからと聞き込んでいるうちに、いつの間にか好きになっていたりするのが面白かったんですよね。この、何とも思わないモノや苦手なモノに触れ続けることで価値観が変わる魅力は、自分が予想していないところに着地するかもしれないという期待だと思います。今は良い意味でもわるい意味でも期待通り。ハズさない選択ばかりです。もしかすると、「はじめは失敗だと思ったけど、最終的には成功だったのかなぁ♪」みたいな経験があると、目の前の失敗をあらかじめ回避しようとしたり、失敗ですぐに懲りてしまったりしないようになるのかもしれません。

 

 

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スイッチを切り替える「間」?

 

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 会社に行って仕事をする。その必要性を問う声も多い昨今ですが、私は必要だと考えています。ちなみに私は出社するのは面倒だと思っているタイプ。テレワークが可能な仕事でその方が生産性が上げられるなら、むしろ避けたいと思っています。それでも、出社には意味があるのではないかと…。

 

プライベートとパブリックの切り替えが自分の意思だけでできる人はそうそういません。ずっと家で仕事をしてきた人でも、「スーツを着る」「書斎に行く」「散歩を挟む」など、切り替えるための決まりごとを作っています。これはどこかで見かけた記事だと思いますが、切り替えるためには、“間(時間・空間・人間)”が必要という話。通勤(時間)と場所(空間)と会う人(人間)が変わることでスイッチを切り替えていると言われたら、なんとなく共感できますよね。自宅で仕事をしてきた人は、通勤・会社・人にあたる“間”を他の方法で切り替えています。このご時世、出社は密を回避できないデメリットなどがありますし、テレワークを希望する声も高まっていると思いますが、この“間(時間・空間・人間)”を自分なりにコントロールできないと難しいのかもしれません。

 

 

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データも美しい?

 

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 自分が素晴らしいと思ったデザイン。滅多に見る機会はありませんが、そのデザインのデータやプロセスを拝見すると、最終的な表現と同じくらい整っています。美しいデザインは、データやプロセスも美しい。

 

例えば、ウェブサイトのデザインは表に見えているものが同じようでも、裏側のコードまで美しいものと、ぐちゃぐちゃに詰め込まれたものがあると聞きます。優れた作り手のデザインは、きちんとルールが設けてあったり、指示が集約されていたり、確認がしやすかったりするそう。自身で手入れをする際はもちろん、他の誰かが触る際に気持ちがいいわけです。ロゴマークやイラストのデータは第三者がデザインに手を加えることはありませんが、そのデータを別の場所に貼り付けたりする際、きれいに整っているデータの方が使いやすい。自分しか使わないデータでない限り、美しく仕上げる必要があるとも言えます。見えるところだけ美しくしている人と、内面まで美しい人では、どちらに魅力を感じるかは明らかですよね。ただ、偉そうに言っておきながら、私はデータがぐちゃぐちゃ寄りなので、内面もきちんと磨こうと思います。

 

 

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些細な指摘は可能性あり?

 

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 デザインや企画の提案をした際に、ものすごく些細なところを指摘されることがあります。いわゆる重箱の隅をつつく感じ。昔はそうされるたびに「いじわるだなぁ」と相手に嫌な印象を抱いていましたが、ある時から「よしっ♪」と喜ぶようになりました。

 

「そういうところしか指摘できる箇所がないぐらい精度が高い提案なんだな♪」と捉えるようになったからです。根本的なところや肝の部分には指摘する余地がなかったということ。ディテールを整理していけば、完成度の高いものにできると自信を持つようになったわけです。提案相手がはじめに目に付いたところを指摘しただけだったり、立場上どこかを指摘しなければいけなかったり、時には、こちらの根本的な捉え方がズレているのに細部を指摘されたりと、すべてに言えることとは言い切れません。それでも、ほとんどの場合は一番重要なところから指摘するので、重箱の隅をつつかれたら、そのデザインや企画には可能性アリ。「ちなみに自分だったらこうするかなぁ」みたいな発言が相手から出る場合もありますが、それはこちらの提案からヒントを得て展開されたアイデアだったりするので、同様に自信を持って良いと思います。

 

 

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