言ったらやるしかない?
「これから続々、新作を発表します!」と公言してしまったら、そのブランドは新作を発表しないわけにはいきません。しかも「続々」とつけてしまった以上、定期的に出さないといけない…。でもこれは、公言してしまえばその通りに実行できると捉えることもできます。ブランドや企業に限らず、個人でも同じような効果があります。
例えば、ブログを毎日更新します!と言ったら、毎日更新しなければいけなくなって習慣化されたりしますが、公言せずに続けると、いつ辞めてもいいことを続けている感覚になるので、続いても後者の方が辛かったりします。やらなきゃいけないことをやる。やらなくてもいいことをやる。どちらもあまり変わらないように見えますが、やらなくてもいいことはなかなか続かないので、腰が重い人や3日坊主の人は思いきって公言して、やらなきゃいけない状況にしてみてはいかがでしょう。
形が決まっているモノ?
好きなものをデザインしていいと言われると、いろんな形が世の中に出回っている対象を選びやすいそうです。例えば、文房具だったらメモ帳や消しゴムは選びやすい。一方で、ハサミやカッターは選びにくいそうです。形がある程度決まっている印象があるので、デザインの余地が少ないと感じるからです。
ただ、デザインの勉強をするときにテーマにした方がいいのは、後者の「ある程度形が決まっている対象」です。制限が多いので、大雑把なアイデアは通用しないため、自然と細部に目を向けるようになります。そこではじめてデザイン力が問われる。デザインの審査をする側も、テーマ選びで既にその人の力量を判断していたりします。ユニークなアイデアや特徴的なデザインを考えることも必要ですが、似たような物が多い対象について考えて、それを他とは違うところまで持っていけるかどうかが腕の見せ所かもしれません。
温かみのある銅のカップ?
活かせる可能性があるのに、それをイメージで弾いてしまうことがあります。「温かい雰囲気のインテリアにしたい!」。そうなったらきっと、金属脚のイスよりも木のイスを選びます。プラスチックよりも自然素材を選ぶでしょうし、革よりも布を選びそうな気がします。
ただ、そこで弾かれた金属脚のイス、プラスチックや革の製品に温かみがないかと言うと、そうでもありません。温かみを感じる金属もあれば、逆に冷たい感じがする生地だってあるはずです。でも、入口で金属を弾いてしまったら、金属を使った温かい雰囲気は作れません。イメージで弾かずに、いかに可能性を見い出せるか?その見つける目が個性になったりするので、いつも似たような表現になってしまう人は、いつも弾いてしまう方に目を向けてみるのがオススメです。
3割引より30%OFF?
野球で打率が4割。そう聞いてもピンとこない人に、「10回打席に立ったら、そのうち4回はヒットを打つ」と説明したら、分かってもらえたりします。「40%の確率でヒットを打つ」と言い換えただけで分かる人も。相手が分かりやすい馴染みのある表現で伝えるだけで、伝わり方が180度変わることもあります。
先日、閉店間際のお惣菜屋さんに行くと、ひと際混み合っていたコーナーがありました。そこにあった500円のお惣菜には、シールの上からマジックで「300」。「ただいま全品40%OFF!」のPOPが出ていたので、そのコーナー以外のお惣菜も40%OFFになっているんですが、値引き後の金額が書いてある方に人が集まっていたんです。そこで一番伝わる表現は、きっとそういうこと。伝え方を固定してしまうとちがいが分からないままなので、もし機会があったら伝え方を変えて検証してみてください!
日陰に貼るポスター?
煌々と光る蛍光灯のもとで印刷物を目にする機会は案外少なく、薄暗い集合ポストの前だったり、太陽の光が差す掲示板だったりします。でも、オフィスで印刷物をチェックするときは、なぜか蛍光灯の下だけで終了。朝刊の折込チラシなら、自然光の差す朝にチェックを行ってもいいはずなんですけどね。
あるアーティストが曲のチェックを行う際、音響設備が整ったスタジオではなくCDにおとして車の中で聞いて確認する話は有名ですが、それと同じように、利用シーンに一番近い環境でチェックすることはとても重要です。ドライブで聞いてほしいから、ドライブしながら車で聞いてみる。とても自然なことなんですが、なかなかやる人がいません。どんなに忠実にデザインした色を再現できても、見てもらう環境でその魅力が発揮できていないと、いつももったいないな〜と思ってしまいます。
行き先が決まったら出発?
電車に乗って出掛けるときは、目的が必ずあります。明確な目的ではなく、ぶらぶらしたいからでも、美味しいお店が有りそうだからでも、何か目的はあるはず。とりあえず電車に乗ってみたという人はたぶんいません。
一方で、行き先がまだ決まっていないのに出発することがあります。まだどうするか決めていないのに、パソコンを開いてデザインを考えはじめるような場合。どこに向かったらよいか自分でも分かっていないので、同じ場所を右往左往しているような状態になってしまう。そして時間がどんどん経過して、行き先が決まった頃には、そこに辿り着く方法が無くなっていたりします。やりながら考えた方が進めやすいという人もいるかもしれませんが、いつも近場で済ませているような印象。私も幾度となくそうやってしまって、「とりあえず電車に乗っても、目的地が外国だったら永遠に辿り着かないよ」とよく怒られました。
あるべき所に無い?
誰かに見てもらいたいときに、私たちは目立たせようとします。でも、その目立たせ方にも色々あって、意外に気になって見てしまうのが、『在るべきところに無い』『あるべき姿でない』とき。靴ひもがほどけていたり、ファスナーが開いていたりすると周囲の人がすぐに気付くのは、きっとそういうこと。
シャツに派手なボタンを付けたら目立ちますが、ボタンが1つだけ無かったら『在るべきところに無い』から気になります。今にも外れそうなボタンは『あるべき姿でない』から気になる。これらはあくまで目立たせる方法の1つですが、それを目立たせ方の引き出しとして持っているだけでもアイデアの幅がグーンと広がります。参考書に載っているような正攻法の目立たせ方も大切ですが、普段、その辺を散歩して気になったモノがどうして気になったかを探ってみると、参考書に載っていない自分なりの目立たせ方が見つけられるかもしれません。
家のシルエット?
マンガの中のシルエット。皆さんは家と矢印のどちらに見えるでしょうか?きっと上向きの矢印に見えた人の方が多いはずです。でもこのシルエットは、家に見えるように描きました。それでも、キャラクターが上を向いているせいで、矢印の印象になってしまっています。
「どうやっても○○に見えない…」といったとき、そのモノ自体の問題よりも周辺の要素が影響していることがあります。上のマンガも、買い物袋を下げて家路を急ぐキャラクターが横にいたら家に見えるかもしれません。例えば、グラスに入った茶色い液体も、カフェのテーブルにあったらコーヒーに見えるけど、地面に置いたら泥水に見えてしまったりします。そのモノ自体に問題があると考えることも必要ですが、周辺を変えるだけで案外簡単にその問題が解決できたりします。皆さんは「悩んでいるポイントがそこじゃなかった…」なんて経験はありませんか?
調べながら考えない?
アイデアや企画を考えるとき、私はできる限りパソコンを使わずに紙とペンを使います。パソコンも決してわるくないんですが、ネットがつながっている環境はあまりオススメできません。理由は、何か気になったときに調べてしまうから。
内容を整理する時間、資料を集める時間、アイデアを考える時間を基本的には分けた方がいいと思っています。時間に余裕が無くなったりすると同時にやってしまいがちですが、私の場合はそれはダメで…。思いついたことを正当化させるための資料集めになったり、自分の都合のいいように情報を整理したりしてしまうからです。そして、良さそうなアイデアがまとまったら、それ以降の調べものはやらないで終わる。このやり方を続けていると、自分が持っている以上の発想には至らないような気がするんです。事前に集めておいた資料を見ながら考えていると、全然関係ないところにヒントが隠れていたりもしますからね。
そう感じる理由は?
「刃モノトギマス」。何だか魔女のようなおばあさんが暗がりで刃物を研いでいるような、おどろおどろしい空気が漂っています。提灯の明かりに誘われて、ちょいと一杯やりたくなることがあるから、提灯が理由でそう感じるわけではない。赤い明かりと黒の配色も、人気のパン屋さんやアパレルショップで使っている配色だからそれも理由ではなさそう。じゃあ、カタカナだからいけないのか?でも「刃物研ぎます」に文字を変えても同じように感じるはず…。
変な感じがしたモノや印象の良かったコトを、ただ感じて終わらずに「何が原因でそう感じるのか?」を考えるのはとても刺激になります。そして、できればどこを変えれば印象が変わるのかを試してみるのがオススメ。正解はたくさんありますが、手直しは1から作るよりも難しいところもあったりするので、何か気になるものがあったら、自分なりの手直しをしてみてください!
見方を変えてみる?
しょっちゅう見ているモノでも、いつもと違う視点で見るだけで新しい発見があったりします。見飽きたものほど、見逃している魅力がたくさんあったり…。例えば、ペットボトルは何百回と見てきていると思いますが、たぶん真下から見たことがある人はあまりいないはず。ペットボトルを容器の内側から見たことがある人は、きっとほとんどいません。
もし、みんなと違う切り口で物事を考えてみようしている人がいたら、頭の中で考えるのも1つですが、単純に身近なモノの角度を変えて見るだけで意外な発見があるかもしれません。学生の頃にスケッチを逆さまにして眺めては、何かヒントがないか探していたものです。
8割は使わない?
経験を重ねていくと、無駄なことを省いていくようになります。何が無駄か?について語ると難しくなってしまうので、仮に『最終的に使われないこと』とすると、それをできるだけ省略しようとしているような気がします。
最近、クライアントの指示通りにあるイラストを描きましたが、それは使わないことになりました。でも、そのイラストを描いたから、それを見て新たなアイデアが生まれ、最終的な表現に反映されています。そのイラストが必要かをはじめに判断して描かなかったら結果は変わっていたかもしれない…。私はデザインの仕事をしてまだ10年ちょっとですが、「あれ、やったけど無駄だったなぁ」と感じたことはほとんどありません。せっかくやったのに…と思うことはあっても、それがあるから次が生まれていると考えています。