デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

見たことがあるだけで安心?

 

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 スポーツ中継などで、いろんなスポンサー企業の看板や、ユニフォームに入ったロゴを目にします。半分は社会貢献とはいえ、多額のスポンサー料に見合う効果があるのか?と疑問を持つ人もいるかもしれませんが、私は十分見合うと思っています。

 

はっきり言って、中継の看板を見て商品を買いに行こう!サービスを利用しよう!とは思いません。でも、「見たことがある」という安心を視聴者に与えるという重要な役割があります。露出を増やして安心してもらう。もし、金融サービスを利用することになったら、見たことのない会社は選びませんよね。知らない会社を勧められても、それがどこかで見たことのあるロゴマークだったら、きっと安心するはずです。露出を増やすことに対しては、否定的な意見も中にはありますが、「見たことがない」と「見たことがある」には大きな差があります。

 

 

「あなたに言われても...」?

 

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「練習はやりすぎない方がいい」。この言葉を私が言っても、誰も耳を傾けてはくれません。でも、超一流のスポーツ選手が同じことを言ったら、「へぇ~」となります。説得力は、内容や説得させる技術うんぬんよりも、言う人が認められているかどうかが鍵です。

 

以前、デザイナーではない人が、ある人のデザインを見て「ここはもう少し間隔を空けた方がいいよ」と言ったことがありました。「そうですかねぇ…どう思いますか?」と私に振られたので、同じようにアドバイスしたところ、「分かりました!感覚を調整して見ます!」と…。受け取る側の柔軟性、伝える側の伝え方も大事ですが、それよりも受け取る側と伝える側の関係性が大事で、どんなに正論を言っても伝わらないときは伝わりません。インスタグラムで同じような写真をアップしても、一方にたくさんいいねがついて、もう一方は反応ゼロなんてことはよくあること。お互いの関係性をあらためて考えてみると、表現の問題ではない場合もあるかもしれません。

 

 

今の姿が美しい?

 

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 たまたま通りがかった骨董品屋さんをガラス越しに眺めていたら、隅っこにあった小さな陶器が目に止まりました。今のその姿がとても美しく、欲しくなってしまうぐらい。一方で、とても失礼な言い方ですが、その他のものは美しい中古品に見えてしまいました。「昔はもっと美しかったんだろうな…」。

 

過去を想像してしまうのは、今より過去の方に魅力や興味を持ってしまうということ。今が最高の状態だと思ってもらえていないということです。それが、劣化具合なのか、纏っている空気なのか佇まいなのかは分かりませんが、「もっと良い状態」を頭に描きながら見ても、良く見えるわけがありません。“今”に魅力を感じてもらうためには、単純に同じことで過去を上回る方法もありますが、過去とはまたちがう魅力を持つことが大事だと思っています。

 

 

知らないことには踏み込めない?

 

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 5,000円のガラスのコップを購入したことがあります。高級メーカーのものではなく、個人の作家さんが作ったコップ。購入したのは、その作家さんと出会ってから2ヶ月経ったときでした。

 

当時、一緒に働いていた女性の旦那さんがガラス工芸をやっていると聞いて、工房に遊びに行かせてもらいました。知り合いということもあって、ガラスのイロハを丁寧に教えてもらったり、本人以外の生徒さんの作品までじっくり見学させてもらって、ガラスを吹く体験までできました。その2ヶ月後に都内で展示即売会があり、一目惚れしたコップを躊躇なく買いました。普段の私だったら、どんなに良いものと分かっても5,000円は出せません。でも、さわりだけとはいえ知ることができたので、その抵抗はありませんでした。知らないことには踏み込めないけど、知っていることなら踏み込める。これは当たり前のようですが、これが抜けていることに気づかない人が結構います。

 

 

分からなくても嬉しい?

 

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 日本のある島に突如アート作品が点々と現れた際、島の住人たちはどう思っているのか気になっていたとき、たまたまその話のインタビューをテレビで観ました。「私にはよく分からないけど嬉しいよ!」。とても印象的な話でした。

 

それまで、共に何かをやったりするときは、相手に意図や目的を理解してもらうことが重要だと思っていました。そうしないと、本当の意味で良い結果につながらないと思っていたからです。前述のインタビューを観たのは随分前ですが、それ以降、私は理解してもらえる努力はしても、理解されなくても大丈夫という考えに変わりました。きれい事っぽいかもしれませんが、想いが伝わればいい。アートを設置する目的よりも、島のために動いてくれていること。「私にはよく分からないけど嬉しい」には、想いが伝わったことが表れていました。

 

 

「わたし向き」は心地いいだけ?

 

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 若い頃、自分が全く興味のない雑誌を買って読んでいた時期がありました。女性ファッション誌や手芸雑誌、ゴルフや釣り雑誌…。正直、興味が無いのでおもしろくはありません。でも、自分に向けられていないので、冷静に紙面を読み解けるんです。自分が好きな雑誌は、ただ楽しく読んでしまうので。

 

いろんなものを見なさい!とアドバイスをもらったとき、はじめはいろんなデザインを見たり、いろんな美術館に足を運びました。でも、それらは自分が興味のあることなので、どれも好意的に捉えていることに気付いたんです。言い換えると、興味のない人の視点で見ることができない…。仮に「ゴルフに興味を持ってもらうためには?」といった課題があったら、興味のない人がゴルフのどのあたりを面白いと感じたかが分かると、出せるアイデアが大きく変わります。好きなことばかりに触れていると、好きな人の見方しかできなくなってしまうかもしれません。

 

 

その時には思い付かない?

 

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 アイデアが出ない…と悩んでいる人は、自分にはひらめき力がないと思っているイメージがあって、ひらめき力さえあればアイデアがポンポン出てくると勘違いをしていたりします。でも、ひらめき力がなくてもアイデアはいくらでも出る。強いて言うなら、必要なのは結びつける力です。

 

イデアマンたちは、アイデアの種や情報を常にストックしていて、必要なときにいつでも出せるようにしています。例えば、先生や上司に「何か聞きたいことある?」と言われてすぐに質問ができる人は、聞く機会があったら聞きたいことをストックしているから。「急に言われても…」と、せっかくのチャンスを逃してしまったりするのは、ひらめき力うんぬんではなくて準備していないだけ。ピンポイントで準備していなくても、ストックの中から関連するネタを引き出して今の状況に結びつけることができれば、困ることはありません。

 

 

自分が教えてほしかったこと?

 

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 自分が教える立場になったとき、私は考え方や技術を教えてきました。それが正解かは分かりませんが、ふと、相手が知りたいのはそこではないかもしれないと…。自分が相手の年齢ぐらいのときに知りたかったことは、そこではなかったからです。

 

例えば、自分が憧れている先輩がいるとします。その人から考え方や技術的なことを教えてもらったら、もちろん嬉しい。でも、ミーハーな私が若い頃に知りたかったのは、「どうしたらあなたのようになれるのか?」。普段、どんなことに気を付けているのか?どんな道具を使っているのか?どんな人と交流しているのか?どんな所に行っているのか?...などなど。「それは自分で見つけなさい!」ではありますが、大したことのないことが、相手の知りたいことだったりします。

 

 

超接近したら別のモノ?

 

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 最近、今更感がありながらも、Instagramをはじめてみました。何事もやってみないことには分からない。…とはいえ、インスタ映えするようなスポットに行くわけでもないので、このブログと同様に身近なところで写真を撮ってみることにしました。

 

普段、自分が気にして見ているものをテーマに、デザインのヒントになりそうな視点で投稿しています。その視点は、「超接近する」「角度を変えて見てみる」「置き換えてみる」「理由を考えてみる」…などなど。学生時代に、臨時講師として来ていたデザイナーさんに教えてもらった視点を切り替える練習を、あらためて実践してみようと思っています。見飽きるほど見てきたものでも、全く違うものとして認識できたりするので、また一味ちがう刺激がありそうです♪

 

 

 

不親切なゲームが面白い?

 

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 だいぶ前に誕生日プレゼントでもらったファミコン(のようなゲーム)をやってみたんですが、これが極めて不親切(笑)。100数種類のゲームが内蔵されているんですが、どのゲームも詳しい説明がなく、どうすればクリアになるのかもよく分からない…。そう文句を言いながら、気付けば2時間遊んでいました。

 

何かが分かったときにおもしろいと感じる感覚。不親切だからおもしろい。難解だからおもしろい。たぶん、そのファミコン風のゲームに、とても親切なガイドがあったらそこまで楽しめなかったと思います。私は算数や数学が好きでしたが、そうなったきっかけも似ていて、ただ覚えていた数式の使う理由がピカッと頭の中でつながったり、図形の問題で「ここに線を引いたらもしかして…」とバッチリな補助線が見つかったとき、楽しいと感じていました。分かったときは、おもしろい。

 

 

お金をかけないやり方?

 

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 今までは、イベントをやるにしても何かをつくるにしても、お金をかけられないことがほとんどでした。ただ、おかげでお金をかけずにやる方法はたくさん知っていて、同時にお金をかけないとできないことも知ることができました。恵まれた環境で学んでこれたと思っています。

 

少し前、私が今まで経験してきた予算感よりも倍以上お金をかけてイベントを実施する機会がありました。そこである人から、この予算でここまでできるんだと驚かれたんです。私自身は特に意識をしたわけではありませんでしたが、お金をかけるべき部分とかけなくていい部分をある程度知っていたからかもしれません。「お金をかけないやり方を知ってて良かったかも…」。予算や環境に不満を抱く人もいますが、そこでできない人は、たとえそれが充実してもうまく使えないと思っています。

 

 

どう使われているか知る?

 

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 あるお店のメニューボード。メニューの文字が印刷されていない空いたスペースに、かわいいシールが貼られていました。お店の人が、後から貼ったと思われるシールです。「ああいう余白をつくると、何かで埋めたくなるんだなぁ」「アレンジの余地があった方が楽しく使えるかも」。

 

自分が作ったモノは、必ずその後を追いかけて観察しろ!とよく言われました。それをやらないと、本当に必要なモノは見えてこないからで、自分自身の考え方も進歩しないからです。メニューボードの例なら、使われ方を知らないままだと、余白はただ全体のバランスを整えるためだけの機能。でも、知っていれば次からは視点が変わります。自分の作ったそのものを追いかけられなくても、街中を見渡せば、似たものはいくらでも追いかけられます。

 

 

ハッキリ言われて気持ちがいい?

 

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 相手に求めることをストレートに伝えないのは日本人の特徴で、美意識として尊重するところで、どちらかといえば私もその方が好きです。ただ、あまり回りくどい伝え方になりすぎると想いが伝わらないことも...。伝わらないだけならまだしも、誤解されてしまうこともあります。

 

つい先日、facebookで「シェアしてください!」というメッセージがきました。あまりにもストレートな表現ではありますが、シェアしてほしいんだなと伝わりました。「こういうことをやるんですが、たくさんの方に見てほしいと思っていて…」と言われてこちらが察するより、確かに分かりやすいかもしれません。そのメッセージを受けたときに思ったのは、本当に伝えたいときはみんなストレートに伝えるのではないかということ。よく考えたら、日本人だって大事なときには、「付き合ってください!」「結婚してください!」って言いますもんね。

 

 

あそこに置いたら座った?

 

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 あるスペースで、どこに椅子を置いたらよいかという話になりました。そこで、あまり深く考えずに適していそうな数カ所に椅子を置いてみると、何も知らないスタッフが自然と座る場所とそうでない場所が…。何度か配置を変えてみると、そのスペースで自然と座る場所が見えてきました。

 

反応を試しながら、ベストな位置を探る。机上で考えたベストなアイデアも、現場の空気感やそこにいる人たちのテンションによって、うまく機能しないことは多々あります。仮に自分のアイデアが良かったとしても、現場で検証することでそれが確信になる。机上で考えることは大切ですが、現場で考えることの方がはるかに大切だと思っています。特に、現場で実際に目にしたことは、絶対に身になる。「あそこに椅子を置いたらみんな座ってくれた♪」。この経験があると、机上で完結することがまずなくなります。