デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

観たことある映画をまた観る?

 

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 企画やデザインを検討は最低2回行います。それは1回目で気付けない点を2回目で気付けるから。また、出来立てホヤホヤで見たときと、落ち着いてから見たときでは、気付ける点に大きな違いがあるからです。

 

先日、気分転換に自宅で映画でも観ようと思うも、レンタルビデオ店に行くのも面倒になり、家にあった映画を観ました。すると、もう何度も観たはずなのに、新しい発見がたくさん…。「この描写にはちゃんと意味があったんだなぁ」「こんなシーンあったっけ?」。2回みて気付けること。3回みても気付けないこと。分かったような気になって満足してしまいがちですが、1回みて満足しない。何回みても気付きはあるので、どこまでやればいいかの判断は難しいところですが、「いま気付けない点が必ずあるはず!」と意識して検討することが大事だと思っています。

 

 

私の当たり前は、誰かの新しい?

 

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 先日お手伝いをさせていただいた展示会で、私は作品をよく見えるように展示しました。来場者にしっかり見てもらいたいからそうしただけなんですが、その業界の方々から「新しい」と言われました。明るい照明で展示されるのを見たことがないそうです。

 

もちろん、美術館などは作品が傷まないようにライティングをしていますが、その展示会の作品は石なので、照明を強く当てても劣化しないという調査のもとそうしたわけですが、「薄暗い感じになると思ってた。見やすい♪」と言っていただけました。私の当たり前が、誰かの新しいに。自分の中で、こんなこと…と思っているモノだって、他の人から見たら魅力的だったりします。「印象が薄い」「インパクトがない」と感じて、相手の常識に合わせていくと、かえって相手の当たり前になったりも。自分がよいと思うモノをそのまま伝えるだけで、「新しい」と思ってもらえることはたくさんあります。

 

 

手ぶらで帰らない?

 

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 お店の新規オープンなどでお祝いの花を届けるお花屋さん。先日、あるお花屋さんがお花を届け終わった帰り際、その商業ビルの入口に置いてあったチラシやフリーペーパーをひと通り持ち帰っている姿を見かけました。届けるだけで終わらない。

 

どれだけの情報を持ち帰ることができるか?は、仕事に限らずとても大事なことだと思っています。そのお花屋さんは、チラシを持ち帰ることで、その辺りでどんなお店がオープンして、どんなイベントが開催されているかを知ることができるので、どこで宣伝すればいいかが分かるわけです。何かに参加して「あまり身にならなかったなぁ…」と思ったり、どこかに行って物足りなさを感じたら、それはその場が原因ではないかもしれません。自分が持ち帰ろうとすれば、情報はいくらでも転がっているはずですから。目的を果たして終わりにしない。

 

 

あなたの仕事ぶりは知りません?

 

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 会議や打合せで存在感のない人は評価されにくい…。全く発言しなかったりすると、プラスの評価にならないだけならまだしも、マイナスの印象しか与えてしまったりします。

 

私は若い頃、上司の前でアピールするのを極端に嫌っていました。結果を出せばいい!とカッコつけていて、そういった場で積極性を示すことを媚を売っているように感じていたからです。ただ、そうしてしまうと、本当にシビアに結果だけで判断されます。私はデザインという仕事柄、企画を立ち上げたり商品を作ったり、目に見える仕事だからそれでも何とかなったのかもしれませんが、目に見えにくい仕事はきっと難しい。なぜなら、上司は会議や打ち合わせの場ぐらいしか部下の仕事ぶりを見る機会がないからです。何となくは見ていても、間近で見る機会はない。自分の頑張っている姿を見てくれないと思ったら、同席している場でその姿を見せてはいかがでしょう。

 

 

開け口が2ヶ所?

 

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 料理を作るのが好きで、20代前半にバイトをしていた流れで調理師免許をとったほど♪今でも仕事の気分転換に作るので、調味料などのパッケージの変化にも敏感になってしまいました。

 

先日、いつも使っている調味料のボトルをよく見たら、ビニールの開け口が2か所に…。点線の入った開け口を探すのは手間ではありませんが、反対側にもう1か所あったら探す時間は半分です。1か所にこだわらなくてもいい。お菓子の箱なんかも、タテからでもヨコからでも開けられるようになっていて、シーンに合わせて選べたりします。お店の入り口だって、1か所である必要はありません。何かの入り口を作ろうと考えるときに、どこにしようか迷ってしまうことがありますが、そんなときに「2か所あってもいい」という引き出しを持っていると便利です。

 

 

反応が無いときこそ全力で?

 

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 このブログも早いもので100記事目になりました。ただ、以前やっていたブログと比べると、はじめて同じぐらい経ったときの5分の1も読まれていません。そんな感じであまり読まれないことが長く続くと、消極的になってブログをやめてしまうことが多いそうです。でも、だからこそやめない。私の場合、たくさん読んでもらうためにやっていないっていうのもありますけどね。

 

諸先輩方から教えてもらったのは、「反応が薄いときほど全力でやれ!」。注目が集まっているなど、周りの反応が良いときはついつい力を入れたくなる。でも、そうでないときは、これから注目を集めなければならない。だから、力を入れてやれ!と。伸びしろのあることこそ目一杯やるというのは、当時の私にとっては刺激的で、目の前の成果が出やすいことにばかり夢中になっていてハッと目が覚めました。今では、成果が出ないことに目を背けていた自分を恥ずかしく思いますし、そのときに教えてもらってよかったなと思っています。

 

 

チカラのあるデザイン?

 

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 自分を押し込めて表現したものは、どんなにコンセプトが良かろうと、どんなに機能的であろうと、どんなに美しかろうと、チカラがないと思っています。目に見えないチカラ…。逆に、どこか物足りなかったり、変なところや雑味があっても、自分を全部出し切ったものには不思議なチカラがあります。

 

あるアーティストの楽曲で、ファンの好みがはっきり分かれる2曲があるそうです。ファンに好まれるのは、アーティストが自分たちで作ったもの。もう1つは、何かに配慮して整えたものです。スポンサーや事務所の意向に合わせた楽曲は、コアなファンにとってはあまり惹かれない…。仕事でそんなふうにできないことは分かっていますが、大事なのはその“チカラ”があるかどうか。遠慮したデザインを見たら、遠慮を感じてしまうと思っています。もし仕事で難しいのなら、どこか別の環境で自分を出し切ったものを作ってみるのがオススメです!

 

 

蛍光色の使い方?

 

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 ある駅で電車を降りたら、蛍光のピンクとグリーンを組み合わせたラーメン屋さんの看板が見えました。ものすごくお腹が空いていて、ラーメンもいいな♪と思ったんですが、刺激的すぎる看板に尻込みしてしまいました。

 

こういった話をすると、蛍光色を使うことがダメだと思われがちですが、使うこと自体は決して間違っていません。看板はまず見てもらわないといけないので、目立たせることは必要。ただ、使い方の問題です。そのラーメン屋さんの看板は、「ラーメン」よりも蛍光色が勝っていました。たぶん、使い方としていいのは、蛍光色よりも情報が立っている表現。勉強で、ノートや教科書に蛍光マーカーを引くような感じです。ただ、マーカーだらけになってしまって、どこが重要か分からなくなったりしますよね。あの感じです。

 

 

手段はもう何個か用意?

 

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 最後の最後まで、どんな仕上がりになるかなど細かなことは分からないもので、用意していた手段がうまくフィットしないことも少なくありません。ピッタリ合わないと分かっているのにその一個を無理矢理はめ込んだり…。でも、私の周りの凄腕デザイナーたちは、それを想定して別の手段も同時に用意していたりします。

 

私たちは見て「これバッチリだな!」と感じるものは、プロがピンポイントでそうなるように作ったと思いがちですが、そんなことばかりではありません。用意していた手段が“あそび”を持った柔軟性のあるものだったり、第二の矢、第三の矢が用意されているからベストな方法を選択できていたりします。手段はもう何個か用意しておく。実際に用意はしなくても、それがフィットしない場合の施策は用意しておく必要があります。あくまで私の経験だけの話ですが、そうしている人たちが現場で困っているのを見たことがありません。

 

 

「質と買取」?

 

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「質と買取」とだけ大きく書かれた看板が目にとまりました。私はとても良い看板だと思いましたが、そのとき近くにいた人は「ダサい看板だなぁ」と。「質と買取」は、サービスを利用してもらうことが目的なら、決して間違った表現ではありません。

 

店名を覚えて欲しいのか?サービスを利用して欲しいのか?コンセプトを伝えたいのか?その両方なのか?…。目的がはっきりしていないのに、雰囲気でネーミングや表現を決めている例は多々あります。「質と買取」ではダサいからと、「Shichi」みたいな表現をしてはまるで意味がない。私は勝手に自己満足ネーミングと呼んでいますが、仮に何となくいい雰囲気になったとしても、機能はしません。街中には、素晴らしい看板とそうでない看板が溢れているので、「どうしてこう表現したのか?」と考えながら眺めていると、本当の意図は分からなくてもとても勉強になります。

 

 

キャパの増やす方法?

 

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 自分のパフォーマンスの上限を引き上げる方法は1つだと思っています。それは、今の自分では無理だと思える内容やボリュームでやってみて、それをどうにかやりきってみること。たとえ予定の時間通りにできなくても、次に同じことにのぞんだ時には、その時よりも少し楽になっています。

 

50km走れるから、フルマラソンでも余裕を持って走れる。42.195kmを走ったことのない人がフルマラソンをきついと感じるのは当たり前ですよね。未経験者がフルマラソン完走を目指して練習するときのように、はじめは5kmで息切れしていても、徐々に距離を伸ばしていくことで、走れるようになっていきます。時間やスペースなど、物理的な限界があることはありますが、今の自分で余裕を持って間に合いそうなことばかりやっていては、いつまで経ってもキャパは増えません。

 

 

不要な情報はカット?

 

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 先日、ある地域の地元紙の広告を作った際、私は電話番号の市外局番を外しました。携帯で電話をかける時には必要な情報ですが、その地域の人に向けた広告であれば、みんな知っている情報。電話番号を少しでも大きく表現するための選択です。

 

限られたスペースで情報を伝える際、情報を詰め込みすぎると、受け手は注意が散漫になって、うまく受け取れないことがあります。FAX番号があっても、そこでは外していいかもしれないし、文字情報よりも写真の方がいいかもしれない。目立たせようとして意味のない賑やかしをするぐらいなら、取ってしまった方がいい場合もあります。何が必要で何が不要かは難しいことですが、受け手の立場で考えて取捨選択していくと、不要な情報がたくさん見つかります。もちろん、それだけで外すという決断にはなりませんが、不要な情報のせいで、必要な情報が埋もれてしまうことが多々あります。

 

 

アンバランスが効く?

 

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 人間はついバランスを考えてしまう生き物で、バランスの良いものを心地よく感じるそうです。そのため、アンバランスなものを見ると「おやっ?」と気になってしまうそう。そんな特性をうまく活かしたデザインが街中にはたくさんあります。

 

デザインを考えるとき、写真を撮るとき、絵を描くとき…。詳しい技法などを知らなくても、私たちは構図などのバランスを考えています。無意識にバランスを整えている感じ。そのバランスの整ったものを見た人は、心地よく感じる反面、違和感がないのでスルーしてしまいます。バランスがいいから、気にならないわけです。相手を不快にさせる表現や、ただただバランスのわるいものはオススメしませんが、きちんと意思のあるアンバランスはOK。無意識にやっていると、気にして見てほしいものを作っているはずのに、気にならないものを作っていたりします。

 

 

読みやすいけど、読みたくない?

 

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「この企画書、読みにくいですか?」。その企画書は上司からダメ出しをもらったようで、読みづらいことが原因だと思っての質問です。そう聞かれた私は、「読みやすいけど、読む気がしない」と、ちょっと辛口の回答をしました。

 

伝える情報が整理されていて、文章を極力なくして箇条書きにしたり、写真を交えていたり、とてもキレイな企画書。体裁はバッチリでした。ただ、問題は内容に興味が湧かないこと。それは伝える言葉かもしれないし、伝える順序かもしれない。なかなか興味を持ってもらえない内容でも、読んでもらえる方法はたくさんありますが、キレイに整えるのは最後の最後でいい。企画やデザインと聞くと、その表面的なところを捉えがちですが、肝心なのは中身。中身の検討が不十分なまま体裁を整えても、意味はありません。