デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

素人にできてプロができないこと?

 

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 話題になった眼鏡型の拡大鏡を展開するハズキルーペのテレビCM。あのCMは、プロの提案を断って、会長が自らメガホンをとったそうです。賛否両論あるみたいですが、結果的に話題となって効果をもたらしています。もしプロの製作陣だったら作らないCMです。

 

プロが作る場合、あらゆる観点から詰めて考えるので、出来上がったものにツッコミどころはほとんどありません。全体的に完成度が高いわけです。もちろん、プロの技で意図的に崩したものを作るケースもありますが、あえて外したソレと、はなから考えずに作られた素人のソレとは全く違います。プロの作品で溢れている中にポンっと素人の作品が入ってきたら、何かと叩く対象を探している人の多い今の時代、話題になるわけです。素人が奇を衒ったり、プロのやり方をなぞってやっても歯が立ちませんが、唯一プロを出し抜く可能性があるとしたら、それは自分が良いと思うことを貫いて表現すること。知識や経験や技術がないからこそ出来ないこともあります。

 

 

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「5,000円〜」は掲載するべき?

 

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「看板に価格を入れた方が分かりやすいけど、5,000円~って書いてあったら高いと思うよね…」少し前に、居酒屋で働いている友人とそんな話になりました。確かに若干高めの設定で、彼は記載することがマイナスに働くと考えていたんですが、私は記載することを勧めました。

 

入り口で知る5,000円と、詳しい話を聞いたり知った後での5,000円は、印象は大きく異なります。でも、先出しでも後出しでも同じ5,000円。価格がネックになる人は、そもそも利用しようと思わないのでは?というのが私の考えです。雑談の中で、「カウンターのお寿司屋さんやスナックは価格を出していないから入りづらい」という意見が出ましたが、それは私たちの発想であって、利用しようと思う人たちがそういったお店の価格帯を知っていたり、価格を問わないのであれば表に出す必要はありません。ただ、彼のお店の場合は、その価格帯をイメージしづらいと感じたので、価格を出す方を勧めました。相場も価格帯も分からなければ、よっぽど懐に余裕のある人以外は足が遠のいてしまうかもしれません。

 

 

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ちゃんと悔しい?

 

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 今年、あるデザインコンペに応募をしました。これまでもいろいろなコンペに参加してきたのですが、やりきった!と言えるものは少なく…。今回は自分のこれまでの経験や知識をすべて生かして、徹底的に考え抜いた作品をつくり応募しました。結果は落選でしたが、通知を受けた時の感情は今までと全く異なるものでした。「ちゃんと悔しい…」

 

本当にやりきったと言えることをやると、結果がわるければ心底悔しいし、結果がよければ震えるほど嬉しい。以前、私とは違う分野のあるコンテストに応募し続けている人が、雑誌のコラムにこんなことを書いていました。昨年までは落ちても「ダメだったかぁ」だったのが、今年はちゃんと悔しいんです…。それを読んだ当時は、その意味が理解できませんでしたが、今は分かるような気がします。スポーツの試合で負けて涙を流したり、プロジェクトが成功したら飛び跳ねて喜んだり、結果がどういう形でもそんなふうに取り組みたいとあらためて思いました。

 

 

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いつ来るか分からないから不安?

 

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 1人で海外旅行をしたときに一番不安になった思い出は、言葉が話せないことでもその土地の勝手が分からないことでもなく、電車を待っているときでした。いつになったら来るか分からない電車。いつか来るものだと分かってはいても、それを待っているのは不安で仕方がありませんでした。

 

先日の午後18時頃、駅のホームでこんな声が聞こえてきました。「今日中にお返事します」って言ったけど、いつ連絡くれんの!これから会議だから電話には出られないよ!...。怒るのも無理はありません。18時まで、いつ来るか分からない返事を待っていたわけですからね。若い頃に勤めていた会社で「相手を不安にさせるな!」と教えられました。仕事の進捗状況について相手から連絡をしてくるということは、対応を急かしているわけではなく不安で仕方がないから。こまめに「今、こんな状況です」と伝えるだけでいい。駅のホームの人の相手なら、「返事が19時以降になります」と伝えておけばよかっただけです。ネットショッピングなんかは、指定した日に届くと分かっていてまも、こまめに進捗状況を知らせるメールが来たら安心しますよね。

 

 

 

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麻婆春雨率?

 

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 麻婆春雨。美味しいのは言うまでもありませんが、私が中華料理屋に行って麻婆春雨を注文することはほとんどありません。なぜなら、そこには麻婆豆腐や麻婆茄子があるからです。「麻婆春雨かぁ…好きだけど、ここは麻婆豆腐で♪」。

 

それ自体は魅力的なのに、それを選択することが極端に少ないケースは他にもたくさんあります。会社の中で、誰かに仕事を頼もうとする際は一番能力の高い人に頼みたいと思うし、良心的な価格で提供しているお店があっても、同じ商品をもっと安く売っているお店があればそちらを選びたくなる。でも、これは選ばれる側のアピールで少しは変えられると思っています。「私、これだけは自信あるんです!」そう言われたら「じゃあ今回は頼もうかな♪」となるかもしれないし、「この冬のオススメは麻婆春雨!ヘルシーで〇〇!」とお店に貼ってあったら、注文しそうですよね。1番手2番手がいるから3番手が選ばれないのではなく、3番手を選ぶ理由が見つからないだけかもしれません。

 

 

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“なる早”で当たり前?

 

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 先日、仕事の依頼主から「なるだけ早くお願いします!」と言われて困るという声を聞きました。「最短で!」「急ぎで!」と毎回言われたら戸惑う気持ちも分からなくもありませんが、依頼主が希望のモノを早く欲しいのは当たり前の話。そこで文句を言うのはお門違いです。

 

そういったケースでの受け答えを聞いていると、「わ…わかりました」と折れるか「できません」の2通り。どちらも依頼主が気持ちよく頼むことができません。置かれている状況やお互いの立場にもよるので、本当に悩まされている人からすれば不快かもしれませんが、いつまでに欲しいのか?いつまでならできるのか?もし不可能ならできる手段を提案する、そうすればいいだけの話だと思っています。相談する。それが抜けてしまっているような気がします。私も過去にありましたが、一人で抱え込んで対応できているうちはよいのですが、対応しきれなくなると必ず不満が出ます。責任感が強い人ほどそうなる傾向がありますが、会社であれば上司や仲間がそこにいるはずなので、困ったら相談してみてはいかがでしょうか。

 

 

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友達の知り合いなら♪

 

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 私はビールが好きで、新しい商品が出ては試しに買ってしまいます。見たことのない銘柄も買うのですが、そこはやっぱり少しだけ躊躇…。どんなビールなのかよく説明を読んでしまいます。でも、飲んだことのあるビールの派生商品はサッと買ってしまうんですよね。

 

友達が信用している人なら信用できる。そんな感じでしょうか。ある小さな会社の商品は、自社の店舗ではそれほど売れないものの、卸先の東急ハンズやロフトではよく売れているそうです。信用しているお店が信用した商品だから大丈夫♪グッドデザイン賞や〇〇公認商品なども、同じ意味合いです。全く知らない人をいきなり信用するのは、これまでの自分を思い返してもとても難しいこと。でも、知っている人の友達なら信用できる。とても良い商品・サービスなのに、なかなか信用してもらえないのは、それが全く知らない人だから。提供したい人たちが知っている人の友達になるというのも1つの手です。

 

 

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ビジョンの共有?

 

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 会社の同じ部署やプロジェクトチームの中で、ビジョンの共有という話がよく出ます。将来的にどうしていくのか?を共有することで、個々のやるべきことや目標が明確になるからなんですが、道筋がキッチリ示されたらそれはそれで面白くないし、何をするか?どこへ向かうか?全く分からなければ不安で仕方がありません。だから、私はビジョン全てを共有する必要はないと考えています。

 

以前、休日に妻と外出する際に、どこに行くかを内緒にしたことがありました。妻も知らされていないワクワクを楽しんでくれましたが、前日に何点か希望が出ました。「電車に乗るのか?どのくらい遠くまで行くのか?」「動きやすい格好をした方がいいのか?」当たり前ですが、それによって支度が変わるからです。遠出するなら荷物も変わる。たくさん動くならスカートよりもパンツの方がいいし、ヒールではなくスニーカーの方がいい。会社などでビジョンの共有を求める声があがるのは、全てを共有したいわけではなく、そこに向かうための準備ができないからただ不安なだけなのかもしれません。

 

 

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リアルタイムだから楽しい?

 

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 私はど真ん中ですが、世代を問わず人気の漫画「ドラゴンボール」。今の若者にはそこまで響いていないという記事を読みました。理由の1つとしてあったのが、リアルタイムではないから。テレビアニメや週刊少年ジャンプで1話1話「次はどうなるんだろう♪」と楽しみに待っていた当時と、簡単に全巻一気読みできる今では、楽しみ方が違うという話です。

 

LINEやTwitterが普及した理由にも、リアルタイムという要素が大きく、メールのそれとはやはり異なります。でも、LINEやTwitterを眺めていると、その大事な“リアルタイム”という点を見落としていることも多いように感じます。「先月、こんなことをやりました」など、過去の内容や今発信する必要のない内容。もちろん、それらも興味を引く内容であれば見るのですが、そこに“リアルタイム”はありません。現代に限らず、私たちは子どもの頃から“リアルタイム”が好き。映画はレンタルされてから観るタイプという人もいますが、その人たちだって公開中に映画館で観たい気持ちが少なからずあるはずです。

 

 

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スゴいでしょ感?

 

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「コレ、スゴいでしょ!」そう言われたら、それが本当にスゴいと思うものであっても「あっ…スゴいです…」と私は少し引いてしまいます。自分の想像をはるかに超えるようなものなら、どんな差し出し方をされても関係ありませんが、それでも“スゴいでしょ感”を出されたら驚きは半減してしまいます。

 

役者さんがコントに初挑戦した際に、セリフも間も完璧であるにもかかわらず全くウケなかった理由をプロの芸人さんに尋ねていました。芸人さんは恐縮しながら、「ウケるポイントで面白いでしょ感が出ちゃっていたので…」と。面白いポイントを見つけるのはお客さん。おもしろいかどうかを判断するのもお客さん。旅行のガイドブックに載っている絶景スポットよりも、自分で見つけた場所の方が記憶に残っているような感じだそうです。せっかく良いモノを提供しているのに自信満々な顔が透けて見えてしまうことがたまにありますが、そんなモノに出会うたびに勿体無いなと思ってしまいます。

 

 

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いつもとちがう道も通る?

 

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 何度か同じ場所を訪問する際、私ははじめに通った道順とちがう道を通ります。気分転換の意味もありますが、そこで新しい発見があったり、「やっぱり元の道が一番早いんだな~」と思ったり、得るものが少なからずあるんですよね。

 

他の方法も試す。いま選んでいる方法だけを続けていると、そこに新しい発見はなかなかありませんし、本当に良い方法なのかが分かりません。知らないことを試して、比較してはじめて分かる。以前、アドリブ力を鍛えるために、自分がやりやすい手段や知っている手段以外の方法を使うようにしていた時期があります。もちろん、慣れていないことはやりづらい…。でも、この方法でも出来るんだと自分の引き出しにどんどんストックされていくと、それらを使う使わないに関わらず、自分の中に余裕が生まれます。仮に予定していたことと違うことを相手から切り出されても、あたふたしないわけです。同じ結果を得るための手段を多く持っているだけで、自分の提案に自信も持てて一石二鳥です。

 

 

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買い物が楽しい?

 

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 お客さんから依頼を受けると、その話が具体的であればあるほど、最終的にどういう形が良いかは自ずと導き出されます。知識や経験が豊富な人や、頭の回転が早い人ほどそれができるんですが、「これがあなたにとってベストな回答です」とそれだけを提示しても、お客さんは満足できません。

 

例えば、自分が洋服を買うとき。「こんな服が欲しいな~」と店を訪れて、店員さんから「あたなにとってベストな選択はコレです!」と1点の商品を提案される。じゃあソレくださいとなることもありますが、そこに買い物としての満足はありません。あれこれ迷い、自分の意思で選んだ一着を手に入れるから満足できるわけです。ベストな答えが手に入ればよいわけではない…。お客さんが結果的に選んだものが、自分たちが考えていたベストと同じだとしても、自分で選んだものと相手が選んだものでは、満足という点で全く異なると考えています。

 

 

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仕事はユアペース?

 

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 周りのペースに合わせるのが仕事。居酒屋でバイトをしていたときに、口酸っぱく教えられたことです。お客さんが来店してビールを頼んだら1秒でも早く出す。お客さんの様子を見て、タイミングよく料理を出す。当たり前の話ですが、こちらのタイミングで出すことはありませんでした。

 

ところが社会に出ると(居酒屋も社会ですが)、そうしていない人をよく見かけます。「3日では無理ですね~」「そのタイミングでは出せません」もちろん、物理的に不可能であれば仕方のないことですが、抱えている業務を調整したり、周囲に協力を求めたり、いつもよりも費用をかけたり、単純に急いだりすれば可能なことが多々あります。「自分のペースでやりたいなら、自分一人でやりなさい」明日欲しいと言われたら明日出す。そういう考えがブラック企業の温床になると非難されることもありますが、お客さんや一緒にやっている仲間がいる以上、相手のペースに合わせることは当たり前だと思ってしまいます。

 

 

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白紙に戻す?

 

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 手順が複雑になっていたり、役割が細分化していたりする現状をどうにかしようと、それらを整理して簡単にする方法を考えます。それはそれで良い選択ですが、どうにもならないにも関わらず、頭を悩まし続けても解決には至りません。勇気がいりますが、一度白紙に戻すという決断も時には必要です。

 

現状の手段で何とか対応はできている。ここまで作り上げるのに膨大な時間を要した。…そうなると、白紙に戻すことがなかなかできなくなってしまいます。だから、自らその判断をできない場合は、半ば強引に白紙にすることもアリだと考えています。学生時代、課題で何度も手直ししていた作品を先生が破り捨てたことがありました。乱暴で当時は衝撃でしたが、それは白紙に戻して考えろ!という意味。その後に作り直した作品は、前回の作品をどんなに手直ししても辿り着けないものになっていました。手入れでより良い状態にもっていけるものは確かにあります。でも、現状の延長上にないものを目指すなら、私は白紙に戻すようにしています。

 

 

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