デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

ちゃんとできて±0?

 

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 しっかりとお客さんや周囲のスタッフに納得してもらえるところまでやりきった。きっちり納期までに作りあげた。なのに、褒めてもらえない。高く評価してもらえない。そんなフラストレーションが溜まっている人もいるのではないでしょうか?

 

やんとできて±0。これは、私が学生のときに先生から言われたことです。ある時、模型を作ってプレゼンする課題がありました。もちろん私は模型を作って持っていったのですが、評価はなんと「-30点」。理由は、模型の出来がわるかったからです。その次に私は、自分なりに完璧な出来の模型を持っていったところ、ようやく「0点」になりました。あとで友達に聞いたら、ほとんどの人がそんな感じで、本当に模型作りが上手な人が「20点」をもらえた程度だったそうです。そこで先生が言いたかったのは、完璧な模型を作ってようやくスタート地点。それ以上の評価が欲しいのなら、そこからさらに抜け出た表現でないとダメだということです。きっちりやったらその分評価してもらいたくなる気持ちは分かりますが、そのままではいつまで経っても評価してもらえないかもしれません。

 

 

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質問攻めにあってみる?

 

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 どうしてその色のしたの?その大きさに決めた理由は?他の素材は候補のある?どこに置くの?いくらで販売するの?耐久性は?設置環境との相性は?表面の仕上げのこだわりは?その部分は機械生産?それとも手作業?新規性は?...。

 

先日、あるプレゼンの場で質問攻めにあいました。実際は15分ぐらいでしたが、体感は1時間。詰めの甘い箇所をピンポイントでズバズバ突かれて、ここ最近で一番頭をフル回転させたような気がします。それはさておき、それだけのことをそこまで考えてデザインをしているんだと素直に感動しました。そして、瞬時に穴を見つけることができる。その質問をしてくれたのは第一線で活躍するデザイナーの方々だったんですが、さすがと言わざるを得ません。とても貴重な体験ができたと思っていますが、これは普段の仕事の中でも経験できることでもあります。とにかく自分のアイデアに対して、誰かに質問攻めをしてもらう。質問のクオリティに差はあるかもしれませんが、それでも質問されるということは、そこがうまく説明できていなくて相手が疑問を持ったということ。それらを1つ1つ受けとめて解消していくだけで、格段に次の提案のクオリティが向上します。

 

 

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考えたくなるようにする?

 

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 職場などでよく「考えて行動しなさい!」という言葉を聞きます。他人が言われていてもあまり気分のよいものではないですよね。指示が出るまで待ってるんじゃなくて、自分で考えて行動してほしい。主体的に自分でやることを考えて実行してほしい。分からなくもないし、そう言われている人たちの一部は本当に考えていないかもしれません。でも私は、考えられないなんて人はいなくて、考える気にならないだけだと思っています。

 

例えば、毎回必ず上司の意向に沿った進め方になることを何度も経験したら、自身の考えを伝えても意味がないと思ってしまう。意見を出してほしいと言う上司がいても、もしそこで伝えた意見が採用されないことが何回も続けば、心が折れてしまうかもしれません。もしくは、せっかく考えたことが既に裏で決まっていることの確認作業程度の役目しか果たせなかったら、モチベーションを保つのが難しくなる。考えられないではなく、考えたくない。仕事と割り切って考えているようにしている人もいますが、その人たちも本当に自身の考えを本気で伝えているかは分かりません。もし誰かに真剣に考えてほしいなら、考えたくなるような投げかけ方をしてみてはいかがでしょう。

 

 

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ここで必要になる?

 

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 先日の仕事の1シーン。クライアントの担当とその上司と私での仕事で、私は担当から指示を受けデザイン案を作りました。すると、それは上司が依頼しようとしていた意図とは異なっていて、その場であらためて上司の方から指示をもらいました。そして作ったデザイン案は一発OK。後日上司の人から話を聞くと、その時に担当の方は「私を介す必要があるのか?」と感じたそうです。

 

私も以前勤めていたときに、その担当の方と同じような立場で同じように思ったことがあります。でも当時の上司に教えられたのは、そこで自分が必要になるためにはどうしたらよいか考えろ!でした。例に挙げた話であれば、上司の意図を汲む力を身に付ける、少ない指示から同じような指示を出せるようになる、上司はYES・NOだけの判断で済むように企画から自分でできるようにする。仮に今時点で不要と感じたとしても、そうしていくことで必要な存在になっていきます。私は性格がネガティブなので、どんな仕事でも基本的に自分は必要とされていない前提で関わります。必要とされるためには何をすべきか?もし今すでに必要とされる存在であっても、そうやって考えて行動することが大事だと考えています。

 

 

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不安は解消できない?

 

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 少し前に話題になった、北海道日本ハムファイターズの求人資料。北海道に移住して仕事に就いてもらうためのプレゼン資料になっていて、北海道にはこんな良いところがあります!とユーモアのある視点でまとめられていました。それを見て思ったのは、自分たちが普通に良いと思うところを伝えているということ。もちろん北海道というブランド力はありますが、素直に魅力的に感じてしまいました。

 

一般的な移住促進のサイトやプレゼン資料をみて思うのは、移住を検討する人が不安に思っていることを解消しようとしている点。「村社会のイメージがありますが、コミュニケーションが苦手な方でも…」「生活が不便だと思われるかもしれませんが、保育所や学校、病院や公共施設が充実していて…」「収入が低くなっても…」営業職の方が使うようないわゆるNO消しをしようとする印象があります。これは私の偏見ですが、それで不安は解消されないと思っています。むしろそこに意識が向いて余計に不安になってしまうことだってある。「移住したらこんなに楽しい生活が待っていますよ!」は、一見良い表現に感じますが、裏側に「田舎だと楽しい生活のイメージが湧かないかもしれませんが…」が入っている感じ。自分たち良いところをただ伝えるだけは難しいのは承知の上ですが、それでもその方が良いのではないかと思ったりします。

 

 

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その人向けの伝え方?

 

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 ある人に対して、周囲の人の細かいところまで面倒を見てしまうと自分の負荷が多くなってこの先ずっと大変になっちゃうよ!と言いたくて、「周りの人の面倒を見すぎだよ」と声を掛けたら、自分のやり方に対して文句を言われたと感じてしまったという話を聞きました。伝えた方は相手を労う意味で言ったのに、伝えられた方はそう捉えなかったということです。そういう時は「いつも細かいところまで目を配ってくれてありがとう」でいい。

 

こんな話を聞くと、当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、それがいざ仕事になるとその感覚が抜けてしまうことがあります。この伝え方で意味が合っているか?分かりやすいか?そういった点を意識して考える。そうやって分かりやすい伝え方になったとしても、結果的に伝わらない、もしくは異なる捉え方をされてしまうことが多々あります。この人になら、こういう言い方をしたほうが伝わる。この人はこういう性格だから、ストレートに伝えない方がいい。その視点が少し弱い。大事なのはその人にどう思ってもらいたいかで、必ずしもそれが具体的である必要はないし、シンプルな表現でなければいけないわけではありません。

 

 

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その表現に至った理由?

 

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 中国の古代文字?を墨で書くワークショップをたまたま見学させてもらいました。ある文字を書いていたんですが、書く様子を見ていると、筆を擦りつけるようにして半紙の下の方に墨を溜め、そこから伸びゆくように上に向かって幾重にも筆を運んでいました。その文字は読めませんでしたし、どうしてそんなふうに書いているのかも分からなかったんですが、尋ねてみるとその文字は「生」という字の元になったといわれる古代文字。大地から木が力強く伸びる姿を表したものだそうです。「なるほど、だからああやって書いていたのか…」

 

何かの表現物をみるたびに、私は必ずそのカタチに至った理由がそこにはあると考えてしまいます。何気なく作られた作品であっても、そこには理由がある。「このカタチにした理由は何?」「いや…なんとなく」といったやり取りもありますが、それは本人がそこにある理由を意識できていないだけ。私はその潜んでいる理由を自分であらためて探り、理由を意識しながら表現することで作品の魅力は格段にアップすると思っています。そうすると、理屈っぽい作品になってしまうように思われるかもしれませんが、理由を意識することでこそ、作品に強い意思が込められるような気がしています。

 

 

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共同作業のチカラ?

 

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 私は何かを企画してカタチにしたり、デザインをするに当たっては、基本的には自分自身で完結させたいと思っています。それは、自分の能力が高いとかではなく、そうしないと一貫性に欠けてしまうと考えているから。つい先日お会いした大先輩のデザイナーさんは、基本的に共同作業はしないとおっしゃっていました。

 

ただ一方で、共同作業のチカラに魅了される機会もちょくちょく経験するようになり、考え方が少し変わってきました。例えば、共同作業とはいっても、主導権を握っているその人だけの意向で進めていることには、その人の頭の中以上のことが起こりません。しかし、いろんな人の意見を検証しながら紆余曲折を経て完成したことには、スタート時には想像もできないようなことが結果的に巻き起こる場合があります。それは、自分1人で完結させたら出来なかったこと。そのプロジェックトで得た経験が参加者たちの急激な成長につながっていく感じです。自分1人でやり続けて学べることはもちろんありますが、共同作業でなければ学べない(得られない)経験がある。今の自分では考えられないことを考えられるようになるためには、共同作業を経験していくことが必須だと思っています。

 

 

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1万円の日用品?

 

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 ここ2~3年持ち歩いて使っているボールペンは、妻がプレゼントしてくれたほんの少し高価なモノです。もらって使いはじめた当初は「これ高いやつだからなぁ~」と毎回ペンケースにしまって緊張しながら使っていました。でもずっと使い続けた結果、今は胸ポケットやノートに差したりして気軽に使うようになりました。ようやく私にとって“日用品”になった感覚です。

 

例えばバカラのグラスを「これは日用品です」と紹介されても、たぶん大抵の人は使うことすらためらいます。記念日などにワインをあけるときにだけ使ったりする感じ。使わずにずっと眠らせている人や、飾ったままの状態の人が多いのではないでしょうか。だからその人たちにとっては日用品ではありません。でも、そんな高価なグラスを使いはじめてみて、使うことを意識しなくなってくるとある時“日用品”に変わります。そんなことを考えていたら、日用品の定義は、はじめからそのモノが持っている立ち位置というより、使用者とモノの関係性ではないかと思いました。一万円のボールペンを使うことがこの先もずっとなければ、それは“日用品”になることがないのかもしれません。

 

 

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赤字でも出店?

 

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 赤字なのにお店を出していると聞いたら、理解できない人もいるのではないでしょうか。でも、実際に出店しているお店の中には、本当に赤字のお店もあります。大赤字ならダメですが、ほんの少し赤字ぐらいならアリの場合もある。

 

「ここにお店を構えられるぐらいのブランドなんだ」「この場所にあると助かるなぁ♪さすが〇〇!」など、ブランディングや企業イメージ向上、認知度アップに貢献しているケースが多々あるからです。ただ、そういったケースを真似して、赤字で出店するのもアリだと容易に判断してしまう人もいます。「今月も赤字だったね。でもこのお店はプロモーションのために出しているから♪」と。そんなふうにプロモーションのためだと言って、ある基準の成果を出さないままチャレンジし続けるのはちょっと問題ありです。前述のお店たちは、きちんと危機感を持って、ギリギリ守らなければいけない数字をきっちり達成して維持しているはず。だから、ただ漠然と「イメージ向上・認知度アップ」と掲げて数字を意識せずに真似したところで、同じ成果を得ることはできません。都合の良い部分だけ真似するのはNGです。

 

 

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変わり種を選びがち?

 

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 誰しも同業に対する目は厳しいものです。私がずっとやっているデザインなんかはその傾向が顕著で、大抵の人は他人のデザインに対して辛口評価。あくまで私の偏見ですが、20~30歳ぐらいの修行中のデザイナーが誰かの他の人のデザインを数点の中から選ぶとき、ストレートなデザインよりも変わり種を選ぶ傾向があります。変なプライドが邪魔をして普通に選べないわけです。

 

辛口になるのはある意味で仕方のないことですが、一方である位置まで行っている方たちは、他人に対して辛口でもないし普通に選んでいる印象があります。「これおもしろいね♪」「これが一番印象に残ったなぁ」直感的に判断したりもします。珍しいから・他とは違うからといったズラした判断はあまりしません。経験や実績があって余裕があるからそんなふうにできるのかもしれませんが、たまにそんな判断をできる人に会うと、「素直に反応できるのはスゴいな」と思ってしまいます。私もいまだに変なプライドがあるので、そこまで素直に判断できているとはとても言えませんが、良いと思ったものを良いと言えるようになりたいと思います。

 

 

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少ししか作らないから高額?

 

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 世の中にある様々な商品。一度にたくさん作ったものは安く販売できるし、ほんの少ししか作らないものは安くは販売できない仕組みになっています。ユニクロのTシャツとセレクトショップのTシャツが、仮に同じ品質で同じデザインだったとしても、その販売価格は大きく異なります。

 

そういったことを大人になって何となく知ってしまうと、他のモノまで同じような目線で捉えてしまうことがあります。よくあるのは、「それなら100均でも売ってる」といった声。文房具屋さんで300円で売っているモノは、100均で買っても同じだと考えてしまうわけです。300円で売っているのはたくさん作っていないからで、たくさん作れば100円で販売できる商品だと。実際はそんなことはなく、たくさん作った上で300円で販売できる品質なのに、それを勘違いしてしまいます。自分の中で、その商品の妥当な金額のベースができてしまうと、それより高いものは少ししか作らないから高いだけだと考える。そのベースがどんどん下がっていった結果、本当に良い商品からどんどん手が遠のいてしまっているのではないかと思いました。微妙な知識は、かえって目を濁らせてしまうような気がします。

 

 

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貴重な素人の審査?

 

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 私はよく妻や家族に自分のデザイン案を見せます。基本的には酷評されるんですが、中には「これはおもしろいね♪」「これなら欲しいかもなぁ」と言ってくれることも。おもしろいことに、家族に酷評された案は通らないし、賛同してくれた案は通ることが多いんですよね。素人の意見だなんて侮れません。

 

自分の作品を、その道のプロに評価されたいと思ってしまうことが多々あります。私がコンペに応募するのも、プロに評価されたい気持ちが少なからずあるから。なので他人のことをとやかく言える立場ではないんですが、素人の評価もとても重要です。なぜなら、その作品を観たり、使ったり、体験したりする大半は素人だからです。最終的には素人の人たちにおもしろい・欲しいと思ってもらわなければならない。素人だと、どうしても主観の強い偏った見方で、多角的に評価することが難しい印象があります。でも一方で、直感的に心を打たれたら分かりやすく反応してくれるし、プロの視点にはない身近な感想をもらうことができます。プロの評価も素人の評価も良い点わるい点があるので、どちらかに偏らないようにしておきたいところです。

 

 

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日中にデザインしていない?

 

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 今年のはじめにあるデザイナーさんにお会いして話をしていたら、「学生は羨ましいなぁ」という話になりました。その方はひっきりなしに依頼がくる人気デザイナー。日中は現場視察や取材、会議や打ち合わせでパンパンで、落ち着いてデザインに着手できるのは深夜か休日ぐらいだそうです。学生は、授業以外ならいつでもデザインできる。確かに羨ましいですね。

 

私はよく公募コンペにチャレンジしているんですが、たまに周囲から「そんなことをやる時間があって羨ましい」と言われることがあります。ただ、決して忙しいわけではないのですが、正直そのための時間はありません。早起きしてみたり、ちょっと夜なべしてみたり、移動中に考えてみたり…。前述のデザイナーさんほどではありませんが、日中はその作業に当てていません。だから私も(というとおこがましいのですが)その方の「学生が羨ましい」に同調してしまいました。その道を目指している人たちからすれば、仕事でデザインができて羨ましいと思うのも無理はないのですが、現実はそのデザインをする時間をどうにか捻出しているような状況。会社員をやりながら小説を書いている人もいるし、仕事をしながらスポーツのプロを目指している人もいる。みんなやりたい時間でやっているわけではないんですよね。

 

 

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