デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

私も理解できたから好き?

 

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 クイズ番組を観ることはほとんどありませんが、唯一夫婦で「世界ふしぎ発見!」だけは観ています。専門知識はありませんし、難しいことは理解できなかったりしますが、たまにクイズに正解したして親しみが感じられるのが、好感を持ってしまうポイントかもしれません。

 

分かるから好き。私はデザインをする際、使う人や購入する人が「分かる(共感できる)」ことを大事にしています。当たり前のような話に聞こえるかもしれませんが、結構難しいことで、小難しいコンセプトや専門的用語を用いても相手は距離をとってしまいます。よく分からないから興味を持つことも無いわけではありませんが、全部ではなくても部分的に分かったり共感できたりするだけでグッと近づく。「だから、こういうカタチなんだ!」「そういう理由で作ったんだ♪」アーティストの楽曲で、歌詞に共感してファンになったりするのと同じ。分かる人にだけ分かればいいんだ、というスタンスも良いとは思いますが、その分かる人に分かってもらう必要はあります。相手に分かってもらえるようにする。それが好きになってもらうための近道のような気がします。

 

 

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よくあるアイデアでOK?

 

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「発想の工夫をしないと、同じような選択ばかりしてしまうから気をつけなさい!」学生時代に教えられたことの1つで、ただ表面的に目新しいだけのものを選択しがちだった学生たちが、そこから大きく変わったのを未だに覚えています。

 

「これじゃあ、よくあるアイデアだな…」「これは見たことのないアイデアだ!」そんなふうに使われる「アイデア」は、ただ見た目の話。表面的に似ているように見えるだけで実際はちがうかもしれないのに、見た目が新しくないというだけで捨てているわけです。そして選ばれた「見たことのないアイデア」は、他のデザイナーたちが選ばなかったものであることも多いように思います。大事なのは、発想。「ベタなコンセプトだけど、最終的に至った表現がおもしろい!」「これもよくあるやつだけど、他のことに置き換えた視点が素晴らしい!」例えば、そんなふうに掘り下げていくわけです。このテーマは他の人も選んでいそうだから自分は別のテーマにする、というのも1つの手かもしれませんが、他の人も選んでいそうなテーマでハッとさせるアイデアを出した方が共感を得られるのは確かです。

 

 

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明日には忘れられてる?

 

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 先日、私のことを知ってくれていた人に偶然出会いました。そこで名刺を交換したら「やっぱりマメな人ですね~」と一言。私が毎日ブログを書いているのを知っていたのでその印象があったのだと思いますが、私た名刺で確信に変わったそうです。渡した名刺には、その場で展示されていた自身の作品の写真を載せていました。

 

正直、私はマメどころか面倒くさがりで、強引にスイッチを入れて無理やりにマメにしています。名刺をもらった方には翌日必ずお礼のメールをする。暑中見舞いや年賀状を出す。どれも地味に労力のかかることです。それでもやっているのは、すぐに忘れられてしまうから。私は有名でもないし、実績があるわけでもないし、大きな会社に所属しているわけでもありません。名前だけ伝えて覚えてもらおうなんて、絶対に無理だと思っています。なので、「あ~あの作品の人ね…」「毎日小ネタ書いてる人だ」と忘れられない工夫をしています。DMをしつこく送ったりはしませんが、存在をなんとなく意識し続けてもらえる工夫。きっと皆さんも、先月名刺交換をした人の名前なんて覚えていないはずです。きっとこのブログを見てくれた人だって明日には忘れているはずなので、明日もまた何か書こうと思います。

 

 

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欲しいモノが良いモノ?

 

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「この中でどれがいいと思った?」数点のデザインが並んでいる中から選んだ理由を尋ねると、結構な割合で「これは欲しいと思ったから…」と返ってきます。かく言う私も、何かを選んだときに理由を聞かれると「これは欲しい」と答えてしまいます。

 

「コンセプトが素晴らしい」「着眼点が良い」「難しい技術が使われている」「造形力がある」等々、デザインを評価するポイントはたくさんあると思いますが、それらが重要であることに変わりはない反面、結局は、それが欲しいかどうか?につきるのではないかと考えるようになりました。使いたいと思う。購入して誰かにあげたいと思う。今使っているものを処分してでも欲しいと思う。そう思えるものが良いものではないかと思います。なぜなら、欲しいと思えるものの多くは、造形やコンセプトや機能もしっかり備わっているからです。だから、最終的には欲しいかどうか。「自分では買おうと思わないけど、デザインが素晴らしいね~」なんて言われてきて、実際に普及していった商品の記憶がほとんどありません。必ずしも多くの人に欲しいと思われる必要はありませんが、誰かに欲しいと思ってもらえるようにすることが、自然と基礎や細部を磨くことに繋がっていくような気がします。

 

 

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出した案は全力で推す?

 

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 出した提案を後になって「これあんまり良くないかも…」と思ったことはありませんか?提案をつくったときはバッチリだと思っても、時間を置いて冷静になってみてみると、詰め切れていない点や、少し強引に結びつけたロジックなど、気になるところがいくつも見つかります。そして、そんなふうに思ったままプレゼンをしても、100%上手くはいきません。

 

「自分が良くないと思っているのに、相手が良いと思ってくれるはずがない!」と教えられたことがあります。それは、良くないものを良いものとして伝えろ!ということではなく、良いものだと思って提案しなさい!ということ。もっと言うと、出したからにはそれを全力で推さないと、相手に対して失礼にあたるという意味です。デザインなどの提案に限らず、ショップの店員さんが商品を勧めるときも、誰かにオススメの映画や本を紹介するときも同じ。「でも、そんなに良くないんで…」なんてニュアンスで伝えられたら、自分も試してみようとは思いません。相手を騙しているように捉える人もいますが、嘘をついたりしなければ、声を大にして「これはいいんです!」と伝えて良いと思っています。

 

 

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調子がいいときに考えておく?

 

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 私は自身のコンディションが良いなと感じたときに、できるだけ考える作業を集中して行うようにしています。考えるというと漠然としていますが、アイデアを出したり、コンセプトを考えたり、先々のことを考えたり…。もちろん、どんな状況でも考えられるようにしてはいるんですが、私の場合は精神状態の良いときのほうが良い案が出ているような気がしています。

 

頭が冴えているからという理由以外に、順調に物事が進んでいるときにこそ、次の何かを考えておかなければいけないと思っている点があります。何事もなく進んでいると、つい安心してしまいますが、どんなに順調な物事もいつかは陰りが見えてきます。いざそうなったときには、不安や焦りで盲目になってしまい、思うように考えられない…。仮に考えられたとしても、実行するまで時間がないとなれば、その時間でできることに限定して考えてしまったりします。調子がいいときに考えておく。これまでいつでも考えられていたとしても、明日も同じように考えられるとは限りません。余裕を持って毎日を過ごしている人はほとんどいないと思いますが、少し余裕ができたら、次の何かを考える時間に当ててみてはいかがでしょう。

 

 

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実感を伴っていない?

 

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 デザインの仕事をしていると、相手の会社の業種特有の表現を求められたり、ターゲットの趣味嗜好を取り入れたり、流行を反映させたりします。でも、これらは実際とても難しいことで、表面的に入れたデザインは大抵結果がふるわないことを学んできました。

 

ある役者さんはボクサーの役をやるときいて、ボクシングジムに通いはじめ、トレーナーから道具の付け方からフォーム、トレーニングまで細かく学び、実際のジム生と同じようにトレーニングに励んだそうです。その役者さんが言っていたのは、「自分は情報だけじゃ上っ面の表現しかできないので、ちゃんと実感を得たい」ということ。役者さんに限らず、一流のデザイナーたちは、実感が伴うまでクライアントの要望に向き合います。決して、自身の経験と手元にある情報だけで完結させない。それは、そこでそれっぽく作れたとしても結果が出ないことを知っているからです。「流行っているらしい」と「確かに流行ってる」では、その後の進め方が全く違います。「実感が伴っているかどうか?」自分がデザインに着手する際に、必ず確認するようにしていることの1つです。

 

 

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クリエイター集団の弱点?

 

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 ここでいうクリエイターは、あくまで特異な能力を持った人たち。いわば、少し変わった人たちです。そんな人ばかりが集まると、ピンポイントではまれば最強かもしれませんが、はまらなかったときはキツくなります。

 

なので、世の中の常識を知っている人や、論理的な思考ができる人がそこに加わっていないと、クリエイターたちを生かした常勝チームにはなれません。お互いに欠けている部分を補い合える関係が必要。もしクリエイターしかいないチームだったら、誰かがその役割を担わなければいけません。私の知る限り、安定して強さを発揮するチームには、必ずそういった役割の人がいます。音楽のアーティストだって、劇団だって、芸術家だって、クリエイターだけで成り立っているチームはほとんど無いはず。こういった話をすると、「自分たちの哲学がある!」「世間に受け入れられるように作りたくない!」と嫌がるクリエイターの方達もいますが、そうではなくて、その哲学が伝わるようにしてくれる人や、受け入れられるかを判断してもらう場をつくる人が必要だということ。皆さんの近くに、常に結果を出しているチームがあったら、そのメンバー構成に注目してみると、おもしろい発見があるかもしれません。

 

 

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見物は相手の心境を考えて?

 

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 先日の台風19号で、自宅が被災しました。人の身長ほど水が溜まり、当日は避難を余儀なくされましたが、翌日から近隣で協力し合って、元の生活に戻れるよう今尚頑張っています。その最中、何人もの見物客がやってきました。靴の汚れを気にしながらスマホ片手に歩き回る姿は、住民の誰もが嫌な気持ちになったはずです。

 

私はこうなる以前から、興味本位でむやみに見物してはいけないと心に決めています。そこには少なからず嫌な気持ちになる人がいるからです。少年野球や運動会を関係のないおじさんが金網の外から見ていたら保護者は不安になるし、救急車が近所に来たからといって野次馬が集まったら、当事者は少なくとも良い気持ちにはなりません。「被害の状況を目に焼き付けておきたい」「心配だから駆けつけただけだ」など、各々見物する理由はあるのでしょうが、普通に当事者たちの心境を察すれば、そんな行動には至らないと思います。自分の行動によって相手がどんな気持ちになるか?今回の被災で近隣住民の温かさが感じられた反面、災害ゴミの回収に乗じての不法投棄など、嫌な思いもたくさん経験しました。自分が100%できているわけではありませんが、人の気持ちを考えて行動するようにしたいとあらためて思います。

 

 

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自然の再現や模倣の限界?

 

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 自然を模倣したデザイン。本物を再現したモノ。そういった製品や空間がありますが、あるデザイナーさんが「それは無理だ」はっきり言っていました。無理というのはできないという意味ではなく、模倣や再現ができても、本物には絶対かなわないという意味です。

 

とりわけ自然を意識したデザインは、着眼点として素晴らしいですし、美しさや感性の部分を表現したモノは、共感を得やすいと思います。でも、そのまま要素をかいつまんで表現したり、別の何かに置き換えて表現しても、やっぱり本物の方がいい!となってしまいます。そのデザイナーさんが言っていたのは、自然との関わり方を考えたデザインであるべきだということ。例を挙げるなら、自然の美しさを引き立てるデザインであったり、その環境に溶け込むデザインです。自然素材を使うとしたら、その素材を使ったら新しい!おもしろい!よりも、その素材を使うべき理由を持ち合わせていたり、その素材が魅力的に見えるデザイン。自然を模倣した美しいデザインは世の中にたくさんあって、それが素晴らしいことではあるんですが、本物より劣っているとしたら、その存在意義を問われてしまうかもしれません。

 

 

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何回も悩まない?

 

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 皆さんは、何回も同じものを見ているうちに、それが本当に良いのか分からなくなってしまうことはありませんか?悩んで何回も見ることは決してわるいことではないのですが、自身の判断がだんだん鈍っていくというデメリットがあります。

 

はじめに見たときは、あんまり良いと思わなかったはずなのに、見続けていたら「結構いいんじゃない♪」となる。逆もあって、デザインの検討などでふるいにかけて残したものを、その後もずっと見ていると「あれっそんなに良くないかも… 」となってしまったりもします。いずれにしても、プレーンな状態でスパッと判断できたことが、何回も見続けて曖昧になったりするわけです。「何回見ても、良いと思えるものこそ、本当に良いものだ!」という意見は大賛成なんですが、普段の選択では、本当に良いものを選ぶことばかりではありません。候補の中で一番良いものを選んだり、限られた時間の中で判断するといったことがほとんど。そして、目一杯時間を使っても、素早く決断しても、結果が変わらないことが多いのも実際のところです。真面目な人ほどじっくり検討してしまいますが、素に近い状態で判断できると思って何回も悩まないようにしてみてはいかがでしょう。

 

 

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イマイチな理由は微妙な矛盾?

 

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 あるバラエティー番組で、後輩芸人が先輩の暴露をするという企画をやったところ、視聴者の反応がイマイチだったそうです。その後の反省で分かったことは、気付きづらい微妙な矛盾。具体的には、どうして後輩が怒られると分かっていて、わざわざ先輩の暴露をする必要があるのか?です。

 

敏腕スタッフが同じような企画を作るときには、必ずそういった矛盾をなくすそう。例えば前述の例なら、後輩が暴露をして何かのミッションに成功したら100万円もらえる、というふうにする。怒られてでも暴露する理由があるので、視聴者は違和感を抱かないわけです。これは、会社でもお店でも同じことで、「私たちは〇〇を目指します!」と言っていながら、その指針とは相反する行動をしていたりします。それが些細なことでも、見ている人は敏感に反応する。違和感を抱かれないようにするには、その矛盾を無くさなければいけないのですが、そこに気付いている人は結構少ない…。微妙な矛盾を無くす。そうすれば、今まであまり深く踏み込んできてくれなかった人たちも、もっと近づいてきてくれるはずです。

 

 

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部分シェアでハードルを下げる?

 

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 商業施設などにあるフードコートは本当によくできているなとあらためて思います。座席をシェアすれば、スペースは厨房とカウンターだけよく、いつもどこかしらのお店を利用したお客さんで賑わっているし、選択肢も多いので集客もしやすい。賢い方法です。

 

自分たちで所有しようとすることで高くなっているハードルが、シェアを取り入れることで、いとも簡単に低くなる。そうすれば、住もうと思えば都心のど真ん中にだって住めるし、自分の仕事場だって持つことができます。それでもシェアを受け入れられないのは、微妙に手が届きそうだから。どうやったって手が届かないものは、私たちはシェアしていますが、最近は車から自転車まで、手の届くものでもシェアを選ぶようになっていますよね。他人と共有したくないという考えもありますが、共有したいところだけシェアをして、したくないところは共有しないというシェアもあります。やりたいことや使いたいモノがたくさんあってできないと思っている人は、シェアとう選択肢を候補に入れてみるだけで、実現できるようになるかもしれません。

 

 

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抽象的なお願いの仕方?

 

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 ラーメン屋さんは、ごく一部のお客さんを除けば、ほとんどの人はラーメンを食べてすぐにお店を出ます。「食べ終わったらすぐに帰ってください」なんて書いてありませんが、経験とその場の空気で分かるので必要ないわけです。日本人だからこその行動だと思います。

 

先日立ち寄った喫茶店には、「ご利用は2時間までとさせていただきます」との注意書きがありました。もともとそんなに長居する予定ではなかったのですが、あまりよい気持ちにはなれず…。また別の喫茶店には、「勉強や仕事での長時間のご利用はお控えください」とあり、まだその方が受け止めやすいなぁと感じました。「長時間」は人によって捉え方はちがうけど、それも常識の範囲で分かるから抽象的な表現でOK。お客さんの回転率を高めたいのはどこの喫茶店も同じだけど、それを強制で行うのか半強制で行うのかは大きな違い。ラーメン屋さんのように空気を感じて行動できるお客さんばかりなら、きっと本当はそんな注意書きなんて出したくないはずです。だから、抽象的な注意がちょうどよいのかもしれません。混んでいたら気をきかせて早めに出たり、空いていたらちょっと長居するぐらいの人ばかりだったら必要ないんですけどね。

 

 

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