デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

説明とプレゼンの違い?

 

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 説明とプレゼンの違いを理解していない人をたまに見かけます。そして、説明が必要なときとプレゼンが必要なとき、説明+プレゼンが必要なときを区別せずに、いつも同じように伝えてしまったりする。これは意外と難しくて、私もきちんと使いわけているとは言えないかもしれません。

 

例えば家電量販店の販売員さん。たくさん売れる人は、これができています。お客さんがその商品の詳細を知りたいときには説明をして、いくつかの要望の中で商品を探しているときにはプレゼンをします。説明は家電量販店で言うところのスペック紹介。「こんな機能があります」といったその商品の情報を伝えることです。一方、プレゼンは、どういった点が相手に合っていてどんなメリットがあるのかを伝えます。「こういう時に便利です」「その生活スタイルならピッタリです」と意見を伝える。相手がスペックを聞きたいのに主観的な意見を伝えたり、詳しいことがよく分からない相手にスペックの説明をしても、買いたい!とはなりません。説明とプレゼンの違いを理解して、相手に合わせた使い分けができるようになれば、相手との距離がグッと近づくはずです。

 

 

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アンチもファンの一部?

 

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 SNSで否定的なコメントをもらうと、「言わせておけばいい」「上手くいっているのが面白くないから、何か文句をつけたいんでしょ」と、大抵は無視しておけばいいといった声をよく聞きます。でも一方では、自分たちのことをわざわざ覗きにきているんだから、アンチだってファンの一部とも言います。

 

そうやってSNSに否定的なコメントを書き込む大半の人は、私もただ文句をつけたい人だと思っています。でも、その中には、あと一歩でファンになる人が隠れていると思っています。良いんだけど、一部気に食わないところがある。そんな人です。あくまで経験上の話ですが、そういう人はその不満を和らげたり改善すると、途端に本当のファンになる印象があります。言ってみれば、もともと興味があって覗きにきているわけですから、ファンに近いことに変わりません。否定的な意見に反応したり、なんでもかんでも反映させる必要は全くありませんが、その中のたった一人でも本当のファンになってくれるかもしれないんだったら、指摘された点を見直してみるのもアリかもしれません。ただの誹謗中傷の中から探すのはしんどいことですが、そういう人が言っている意見は他と明らかに違うのでよく見ていれば見つけられます。

 

 

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あの人のキャラクターだからOK?

 

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 道の駅でソフトクリームを食べようと列に並んでいると、気立ての良いおばちゃんが「次のオネエちゃんは何?」と妻に一声。「ソフトクリーム1つ」「(渡しながら)はいよ、350円」言葉は決して丁寧とは言えませんが、とても気持ちのよい対応でした。でもこれが、若い茶髪の男の人に「次のオネエちゃんは何?」と声を掛けられていたら、何だかチャラチャラしていてきっと気持ちよくはありません。

 

キャラクターによって、使っていい表現が異なる。これは自分では気付きづらいと聞いたことがあります。先日ラジオで、ある芸人さんが、後輩に「あの下ネタはやめなさい」と指導したそうです。そこで返ってきたのは「あの人はウケているんだから…」。同じことをなぜやってはいけないのか?という疑問を感じたわけです。「あの人がやっていい下ネタと、あなたがやっていい下ネタは違う。例えば、容姿・年齢…」と、キャラクターの違いによって使ってもいい表現を分かりやすく伝えていました。先日も、飲食店で20代前半の人が「水くれる?」と店員さんに声を掛けていましたが、それはやっぱりおかしいこと。でもきっと、自分では気付いていません。

 

 

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デザインの説明は要らない?

 

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「説明しなきゃ伝わらないデザインではダメ」皆さんも一度はそんなフレーズを聞いたことがあるのではないでしょうか。確かにその一面もありますが、言葉通りに受け取って、自分が提案するときに説明を省くのは間違いだと思っています。

 

私の場合は「説明しなきゃ伝わらないデザインになっていて、自身で簡潔に説明できなきゃダメ。」だと考えています。まず、自分の考えやコンセプトを簡潔に伝えられないのは、デザインが詰めきれていないに等しい。どうしてそうしたかを整理できていない人のデザインはどこかチグハグです。また、第三者が説明できることが重要だからでもあります。例えば、私が企画の人に提案して感覚ですり合わせができても、その企画の人が上司に提案する際にきちんとこちらの意図通りの説明ができるとは限りません。それに、相手がデザインの良し悪しを判断するのが苦手な場合、簡潔な説明を添えることで、採用して良いのか?この案で進めて良いのか?を判断する重要な材料になります。説明がきちんとできて相手も同じように第三者に伝えられるデザインは、結果的に世に出てもうまく機能すると思っています。

 

 

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指摘しまくる?

 

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 私は、懸念点や抜けているチェック項目などを指摘する役回りで会議などに参加することが多いのですが、あるチームでは歓迎され、別のあるチームでは参加者が不機嫌になります。同じことをしていても受け入れられ方は様々です。

 

後者の場合、「せっかく満場一致で決まりそうな提案なのに、どうしてそんな水を差すようなことを言うんだ!」と思われてしまうんですが、私もその案が良いと思っているからこそ指摘するわけで、できる限り穴を埋めて完成度を高めたいという思いから起こしている行動です。そもそも良くない提案に、頭を使って細かな指摘をするようなことはしません。だから私は、自分の提案の完成度を高めたい場合は、できるだけ自分自身で案のダメ出しをします。さらに他の人にもダメ出ししてもらって、自分の案の否定的な意見を集めまくる。そうすると、2人3人が指摘した同じポイントや、みんなが一番はじめに気になったポイントが出てきて、単なる個人的意見ではない見直しポイントを見つけることができます。指摘しまくる。良くするためにやっていることだと思ってやれば、凹むことはありません。

 

 

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ここに無くてもどこかにある?

 

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 私は諦めがわるい性格で、こういうモノが欲しいと思ったら、絶対に置いてあるであろうお店に行って「無い」と言われても、同じような需要があるはずだから、それに応えて作ってるはずだと思って別のお店で探します。もちろん本当にどこにも無い場合もあるんですが、結構な割合で見つかるので、いまだに諦めがわるいままです。

 

「自分の中に答えがないだけで、他の人はその答えを持っている。」だいぶ昔に、デザインで行き詰まった際に、ある人からそう声を掛けられました。「自分が出そうとしているということは、誰かも出そうとしていること。その誰かの中には答えを出せた人もたくさんいるはずでしょ!だから、自分や周囲に答えがなくても、あると考える方が自然♪」それ以降、私は無いわけがないと考えるようになりました。だから行き詰まることはあっても、答えがあるものだと思っているので、諦めわるく見つかるまで探し続けます。近くに無いからといって、どこにも無いとは限らない。モノに限らず、何かを実現する手段などなかなか見つからないことはよくありますが、きっとどこかにあるはずです。

 

 

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お困りごとはありません?

 

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「何か困ったことがあったら連絡して!」そう言われて、連絡したことがありません。でも「〇〇で困ったら…」と言われた人に一度連絡したことはあります。さらに「〇〇で人手が足りなかったら…」と言われた人には何度か連絡しました。具体的であればあるほど、連絡する。もちろん気軽に連絡できない人だったり、遠慮したりするのでまちまちではあります。

 

友人や知人とのやりとりと比較はできないかもしれませんが、会社なども基本的には同じだと思っています。問い合わせをしてほしいと思っているなら、「お気軽にお問い合わせください」ではなく、もっと具体的に伝える。少なくとも私の知っている会社では、そうやって絞り込むことで問い合わせが入るようになった例があります。いろんな対応ができるから絞りこみたくないという意見もありましたが、それでは問い合わせのしようがないと伝え、一番欲しい問い合わせに絞ったわけです。つい先日、外国の方が道を尋ねようとして「Excuse me」と話しかけて無視された直後に、「Shinkansen」と話しかける言葉を変えて無事案内してもらっていたのをよく覚えています。

 

 

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どこにあるのか分からない?

 

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 先日、こんな相談をされました。「ロゴをデザインしているんですが、迷走していて…」見せてもらったデザイン案は、確かにどれも依頼内容の肝を掴んでないように見えました。また、デザインで“迷走”というのがよく理解できず、表現しようとしていることや目的ははっきりしているのか尋ねると、「分かっているけどどうしたらよいか分からない」という曖昧な返答。う~ん…。

 

表現の手段を教えてほしいと言われても、表現すべきことが見えていないかったら、そこだけ伝えてもカタチにすることはたぶんできません。「こういうことを上手く表現できない」だったら、表現の手段を伝えればどうにかなりますが、「どうしたらよいか分からない」は、極端な言い方をすると、どうしてロゴを作るのか?から説明しなければいけません。まだデザインを考える土台が無い状態で、デザインを考えて!という方が難しい。だからその人にデザインを振った上司に責任があるわけです。もちろん、はじめからできる人なんていないので、それをきちんと相手が消化できるまで教えないといけない。どこにあるのか分からないものをただ探しても、見つかるわけがありません。

 

 

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空いた時間ですぐ何かやる?

 

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「明日仕事が1つキャンセルになったので、〇〇さんとイベントやります!」そんなツイートをたまに見かけます。急に空いてしまった時間をすぐに別のカタチにできる頭の切り替えの早さと、実行するパワーにいつも勝手に関心してしまいます。

 

一般的に言われるような仕事のデキる人に共通しているのは、私が思うにそこ。予定していたことをその日予定通りにできることなんてないという前提で動いているので、きっと空いた場合にやることが常に行くつもストックされているのでしょう。1時間空いたとしたらデスクを整理しておこう!3時間空いてしまったら先に予定しているこの仕事をしよう!半日空いたら、出張を前倒しして現地で営業をしよう!そうやってすぐに何か別の有効な使い方が出てきます。「手が空いちゃったんですけど…」なんて言っているのを聞いたことはないし、空いた時間だけ進行中の仕事をのんびりやるなんてこともありません。(全て私の経験の中だけの話です。)新入社員で自己判断で勝手に変えられない立場の人などを除けば、きっと誰でもできることのような気がします。皆さんは、明日急に休みになったら何をしますか?

 

 

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居抜き物件ははじめやすい?

 

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 居抜き物件。以前あったお店などの内装が残っている物件を活用して、そこに新しいお店がオープンすることがよくあります。ラーメン屋さんなど、基本的なレイアウトが変わらないお店だったら、確かに内装にお金をかけずにはじめられるので、人気があるのも納得です。

 

ただ、少し考えてみると、そこは以前あった飲食店が何らかの理由で撤退した物件。立地があまりよくなかったり、客層がはまらなかったり、競合がたくさんいたりして、そこを出ていったわけです。もちろん、うまくいってたお店が移転した例もあると思いますが、それはきっとレアケース。基本的には、同じ物件で同じ業態をやるのは難しいと考えるのが自然です。近所に今あるラーメン屋さんは、前のラーメン屋の居抜きで入ったお店ですが、そのお店もその前の居抜きで入ったお店だったりします。決して、居抜き物件がわるいなんて思ってませんし、活用してうまくいっているお店もたくさんあります。ただ、そこはすでに誰かが試してみた道。はじめやすくて、さらにそこが空いているということは、よっぽどの力がない限りそこで戦うのは難しいはずです。

 

 

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とりあえず返事をする?

 

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「お疲れ様です」と言われたら、その人との仕事のことが頭に浮かんでも、ひとまず「お疲れ様です」と返します。街中で偶然会った友達に声を掛けられて、「あっそういえば借りてた本まだ読み終わってないけど、早く返さなきゃいけないんだよなぁ…」と頭をよぎったとしたって、まずは「おぉ!久しぶり!」となります。何か言葉を投げかけられたら、とりあえず返事をするわけです。

 

でも、メールになると、そんな当たり前にしていることが途端にできなくなります。言葉を投げかけられても返事をしません。極端な言い方をすると無視しているのと同じ。「メール見ました」でも「これから確認します」の一言でもいいのに、その場で返さないままにしてしまいます。終わっていなければいけないことが終わっていない。質問の回答がまだ揃えられていない。ただただ面倒…。そういった返さない理由が色々とあるのかと思いますが、返事ぐらいはするべき。直接会った際に、「先日お送りしたメールですが、ご確認いただけましたでしょうか?」と聞いて、「あ~見ました」なんて返ってくると、本当にびっくりします。

 

 

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煽るなら煽っただけ?

 

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「○○な人が絶対に知っておくべき10のこと」そう煽れば、その本を手にとってくれる○○な人は、きっと大勢いるはずです。対象を特定した表現、見なきゃ損をしてしまう気にさせる表現、数字を使う表現…煽る表現は、確かに気になってしまいます。

 

でも、実際にその本を読んで、「これ、○

○な人に限ることじゃないよね?」「絶対って言うほどのこと?」「最後の2つは、無理やり10にするためのこじつけ?」なんて感じることもあります。煽ってあげたハードルに、中身が追いついていないわけです。前述の煽り方をしたなら、読んだ人に「○○な人は確かに知っておくべきだ」「10個のどれも大事だな」と思ってもらえないといけない。ハードルはできるだけ下げておいたほうがいいとか、煽る表現はダメだと言っているわけではありません。実際の中身とズレたことを伝えたら、結果的に自分たちがわるい印象を抱かれてしまうということ。煽り気味の表現の中にも、きちんと内容が伴っているものもありますが、せっかく利用してくれた人が残念な印象を持って去っていくこともあります。目的がとりあえずたくさん人が来てくれたらいいのなら別ですが、来てくれてファンになって欲しいのだとしたら、煽りすぎは要注意です。

 

 

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最適解を拒否しちゃう?

 

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 家の中を除菌する方法をAIに尋ねたときに、「霧状の薬で部屋を充満させてください!」と回答がかえってきたとしたら、効率が最もよく安全性も保証されていて安価な方法だと理解はできても、私たちはその方法を選ぶことをたぶん躊躇します。もしくは、選ぶとしても心配になって自分で調べてみたりする。あくまで仮説ですが…。

 

分かりやすい例は、車のナビ。ナビが示す最適なルートを無視するのはよくあることです。自分が良いと思うルートで進みたい。私たちは、最適解を求めている一方で、拒絶したり無視したりするわけです。これからどんどんAIが発達して、どんなことでも最適な答えを出してくれるようになったとき、私たちはそれを受け入れられるのかとふと考えてしまいました。もちろん、そういった利用者の嗜好も踏まえた答えをさらに出してくれるのだと思いますが、同時に自分で考えた方法を選びたいという思考も残り続けると思います。AIが発達したら、人々はどんどん考えなくなってしまうという不安の声もありますが、何だかったいって、その答えで本当に良いか考えてしまうような気がしています。最適解に満足してしまったら分かりませんが…。

 

 

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回覧板はお知らせが目的じゃない?

 

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 町内の回覧板。今の時代、お知らせはスマホで確認できるし、紙に何かを記入するよりもメールで送る方が間違いがない。回覧板は必要ないんじゃないか?と思う人も多いと思います。でも、回覧板の目的は、お知らせや集計をとることではありません。地域のコミニュケーションが目的です。

 

確かに回すのが面倒だったり、自分のところで止めてはいけないプレッシャーがあったりと、いまいち必要性を感じにくいツールですが、隣人同士が顔を知っている、一周したらその地域の人が無事なのが分かるなど、メリットがたくさんあります。例えば、いざ災害があったとき、隣が高齢者の一人暮らしだと知っていれば声を掛けられるわけです。ただ、最近はあまり見かけなくなって、特にマンションなどの集合住宅では、エントランスにお知らせを貼ればいいと考えてしまいます。ご近所付き合いが苦手な人もいますし、干渉されたくない・顔を見られたくないと思う人も多いとは思いますが、そういった地域コミニュケーションツールは、いざというときにとても重要な役割を果たします。今の時代なら、どんなツールがあれば、どんな仕組みがあれば、同じようなことができるんでしょうね。

 

 

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