デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

白紙に戻す?

 

f:id:kazuhotel:20181103224410j:plain

 

 手順が複雑になっていたり、役割が細分化していたりする現状をどうにかしようと、それらを整理して簡単にする方法を考えます。それはそれで良い選択ですが、どうにもならないにも関わらず、頭を悩まし続けても解決には至りません。勇気がいりますが、一度白紙に戻すという決断も時には必要です。

 

現状の手段で何とか対応はできている。ここまで作り上げるのに膨大な時間を要した。…そうなると、白紙に戻すことがなかなかできなくなってしまいます。だから、自らその判断をできない場合は、半ば強引に白紙にすることもアリだと考えています。学生時代、課題で何度も手直ししていた作品を先生が破り捨てたことがありました。乱暴で当時は衝撃でしたが、それは白紙に戻して考えろ!という意味。その後に作り直した作品は、前回の作品をどんなに手直ししても辿り着けないものになっていました。手入れでより良い状態にもっていけるものは確かにあります。でも、現状の延長上にないものを目指すなら、私は白紙に戻すようにしています。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

一生懸命つくったことを伝える?

 

f:id:kazuhotel:20181030002921j:plain

 

「一生懸命つくったことを伝えるべきか否か?」以前、そんな質問をされました。私はその時、伝えた方がいいときは伝えるし、伝えない方がいい場合は伝えないと曖昧な答えをしてしまいましたが、今はこう考えています。相手にとって付加価値になるなら伝えるべき。一生懸命つくることが相手も承知なら伝えなくていい。

 

野菜の農家さんや伝統工芸品の職人さんなら、気持ちを込めてつくっていることが伝わったらプラスに働きそうです。でも、カウンターのお寿司屋さんが一生懸命つくってます!と主張してきたら、少し冷めてしまうかもしれません。「こんな高級なお店なんだから料理は一生懸命つくって当たり前」そう思っていたら、一生懸命つくったことは言わなくてもいい。「一生懸命」を伝えられて、素直に受け取れるときとそうでないときがあるのは、そのあたりが境界になっているような気がします。あえて主張しなくても提供するモノから伝わることもあるし、その場の空気から伝わることもある。すでに伝わっていることを、あらためて伝えられたら戸惑ってしまうこともあります。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

節目のアクション?

 

f:id:kazuhotel:20181030002814j:plain

 

 私は、節目を感じるアクションをいくつか持っています。週末に週めくりカレンダーをちぎると「あ~1週間はあっという間だな~」と思うし、電子マネーをチャージしたり銀行からお金を下ろすと「ここ最近で結構使ったな~」と思います。歯を磨いたりお風呂に入ることも、私にとっては1日の終わりを感じる大事なアクションです。何でもいいんですが、仕事がひと段落したらコーヒーを飲むなどで私は気分を切り替えるようにしています。

 

このアクションが減ってきていたら、意識的にとるのがオススメ。カレンダーや電子マネーは自動で更新され、今までやっていたアクションは減ってきています。仕事の切れ目もなく働き続けるような毎日が続くと集中力が保てないし、ずっと頭が稼働している感じで疲労も溜まる…。メールやSNSなど、こまめにチェックしなければならないものも、チェックしない時間もつくったりするだけでだいぶ頭が休まります。節目を感じるアクション。途切れない仕事をしている人や、慌ただしく気持ちに余裕のない毎日を送っている人ほど、意識的にちょっとした節目が必要だと思っています。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

小道具をリアルにしたら面白さ半減?

 

f:id:kazuhotel:20181030002652j:plain

 

 私は芸人さんが好きなので、芸人さんまわりの話が多くなってしまいますが、売れていなかったコント芸人さんが、劇場でウケていたネタをテレビで披露したところ、ウケなくなってしまったという話をラジオで聞きました。ネタの完成度は高くなっているはずなのにウケない…。

 

その理由の1つに、小道具がリアルになったことを挙げていました。売れていない時代はダンボールで作っていた小道具が、テレビに出るようになったら美術さんがリアルに作った小道具に…。小道具がリアルすぎて、お客さんは内容よりも装飾に目がいってしまうのではないかという話です。確かに、最近のキングオブコントでも、小道具の完成度が高すぎたのがウケきれなかった原因では?と言われていた芸人さんもいました。一番大事なのは内容。見てもらいたいポイントも内容。だから、装飾は内容に注目するためのものでなければいけません。もちろん、豪華に魅せたり、力を誇示するための装飾もありますが、私たちが一般的に作る装飾は内容を引き立てるためのもの。テレビ番組のセットがどんなデザインだったか覚えている番組の大半は面白くないという話も聞いたことがあります。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

「デザイン」が噛み合わない?

 

f:id:kazuhotel:20181030002552j:plain

 

 皆さんは「デザイン」と聞いて、どんなことを思い浮かべますか?最近は「デザイン思考」なんて言葉もよく耳にするようになりましたが、話が噛み合わないことがたまにあります。それは、たぶん捉えている定義が異なっているから。

 

調べてみると、グラフィックデザインやWebデザインのような設計したり色を塗ったりする行為と、新しい機会を見つけるための問題解決の手段という「デザイン」には大きく2つの意味があるそうです。私は学びはじめた頃から後者の捉え方で教わってきました。課題に対して新しい手段をとることで、それまで見えなかったチャンスやメリットが生まれる。ビジネスシーンで言われる「デザイン思考」はこちらの意味です。ただ、一般的にはクリエイティブな画をつくるようなイメージが定着しているので、「デザインってこういう定義もあるんです!」と伝えることも必要なのだと調べながら感じました。結果的には同じ意味のような気もするんですけどね。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

関連がないと見にくい?

 

f:id:kazuhotel:20181024000337j:plain

 

 空間設計をするようになってから、はじめて「ゾーニング」という言葉を知りました。ゾーンを分けて配置していくことで、お店の中をカテゴリー別に分けて展示したり、棚に並べる商品一つ一つのレイアウトといった細部までさまざま。ショッピングモールなどではそのゾーニングが極めて高いレベルで反映されているので、ストレスなく見て回れますよね。

 

例えば、ブランドショップの隣に飲食店があってその隣に薬局がある…そんな並べ方はしません。洋服屋さんはまとまっているし、飲食店は飲食店でまとまっています。商品の価格帯やお客さんの行動パターン、施設として見てほしいところなど、様々な要素を踏まえて考えるので、めちゃくちゃ頭を使う重要な行程です。これは空間に限らず、他のデザインでも同じ。商品のカタログをつくるにしても、ホームページをつくるにしても同じだと思っています。見たいものがあっちに行ったりこっちに行ったりしていたら、せっかく楽しく見て回りたいと思っていてもストレスを感じてしまいます。雑貨屋さんのように、それが楽しい場合もありますけどね。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

開けて広げたら手に取る?

 

f:id:kazuhotel:20181024000218j:plain

 

 会社にお菓子が届いた。よくあることですが、それをそのまま置いておいても誰も手をつけません。勝手に開けていいのか分かりませんし、いやしいと思われたくありません。でも、包装紙を剥がして、蓋を開けて置いておくと手にとります。さらに誰かが配れば、ほとんどの人は食べます。

 

「みんなそこにあるものが魅力的だとは思っている。ただ、手に取らないだけ。だから、手に取りやすい方法を勉強しなさい!」そう教えられたことがあります。やってみたいけど少し恥ずかしい。服を広げて見たいけど、買わないといけなくなっちゃう。…私はそんなふうに思うことが多々あります。でも、手に取りやすい方法を上手くカタチにしているお店は、そういったことが頭をよぎることはありません。自然と手に取っている。食品の試食コーナーで、爪楊枝にさしたウインナーを前に声を出している人もいれば、お客さんの手元に差し出して声をかける人もいる。どちらが手に取ってもらいやすいかは一目瞭然です。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

予告の範囲?

 

f:id:kazuhotel:20181024000126j:plain

 

 テレビで番組の予告。観たいと思うときとそう思わないときがあります。内容をチラ見せされただけで観たいと思うこともあれば、しっかりと紹介されても観たくないと思うことも…。視聴者との距離感や興味度合いを客観視できている番組の予告は、とても上手だなと思っていつも観ています。

 

大人気の俳優さんが次回出演するとなったら、その俳優さんが出演することだけ分かれば十分かもしれないし、むしろ具体的に何をするかは隠しておいた方がよかったりします。でも、出演者にそれだけのパワーがなかったら、具体的にどんなおもしろいことをやるのか伝えないといけません。よく知らない人が出る番組をチラ見せしても、観たい!とまではいかない。以前勤めていた会社で、新商品を告知する際の表現について当時いろんな意見が出ていたんですが、「新商品が出ました!」とだけ言っても、認知がなくファンも少ない状況で興味を持ってもらうのは難しいと私は主張していような気がします。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

シンプルに“なる”?

 

f:id:kazuhotel:20181024000038j:plain

 

「シンプルにしたい!」デザインの仕事をしているとこの言葉をよく聞きます。私は前々から違和感があって、要望には応えるものの消化不良が続いています。極端な言い方をすると、シンプルにすべき内容だったらシンプルになるからです。無理やりシンプルにするというのはちょっと違う。

 

内容が充実していて濃いものは、シンプルに仕上げたほうが伝わります。内容が薄い場合は、伝わるように手を加えた方がよかったりします。例えば、企業のロゴマーク。大手企業になるほど、ロゴマークはシンプルなデザインになっています。それは、すでに認知があり伝えたいことが多くて内容も濃いから。一方で、個性的なロゴマークを採用している企業は、まだ世間に浸透しておらず、ある分野に特化していてこれから内容を充実させていくような場合。シンプルでは伝わらないから、伝わるデザインにしていると捉えています。シンプルにすべきものはシンプルになるし、色をつけるべきものは色がつく。「変なロゴ~♪」とつい見てしまうようなロゴは、シンプルでなくても、しっかりと役割を果たしています。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

きっと便利な方法があるはず?

 

f:id:kazuhotel:20181023235941j:plain

 

 スマホの画面に保護フィルムを貼る。説明書にきれいに貼る方法が書いてあっても、ホコリが入らない上手い貼り方がきっとあるはず!と思って私は調べます。見つからない場合もありますが、「きっと便利な方法があるはず!」と思って調べたことって、同じようなことを考える人がいるので大概見つかるんですよね。

 

昔は、ものすごく手間のかかるやり方をしていると、上司や先輩から「もっと簡単な方法はないのか?」とよく言われました。その経験のせいか、何かあるたびに調べる癖はついたんですが、それはそれであまりよくない面もあって…。行き過ぎると、試す前に便利な方法を探すようになってしまうからです。ホコリが入らないようにしたいと思うのは、過去にフィルムを上手く貼れなかった経験があったから。はじめから便利な方法を探すと、自分で考えることを避けてしまいます。最近よく「どうやったらいいんですか?」と聞かれて、時間もないので教えてしまうんですが、本当は一度自分で一度試してほしいなと思ってしまいます。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

満杯だから入らない?

 

f:id:kazuhotel:20181023235836j:plain

 

 冷凍食品のチャーハンが好きで、安く売っているとストックしておこうと買いたくなってしまうんですが、「冷凍庫がいっぱいで入らないかも…」と思って諦めます。満杯だったら、買っても入れることができせんからね。

 

何かを出さないと新しいモノは入れられない。私たちはモノに溢れた中で生活をしています。だから、そのモノがどんなに魅力的でも、その人が持っている何かを出さない限り、受け入れてもらえません。ソファを持っている人がソファを買うときは、古いソファを家から出すとき。マグカップなど、持っていても買ってしまうモノもありますが、それはまだ入るから買っているだけです。頭の中もきっと同じ。新しい情報を受け取ってもらうには、その人の頭の中のスペースを空けてもらわないといけません。出すわけではありませんが、新しいモノが入ったときには、すでにある何かを忘れているような気がします。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

早とちりに注意?

 

f:id:kazuhotel:20181020171156j:plain

 

 100円均一で商品を2個差し出したと同時に、「216円です」と店員さんに言われました。その通りなんですが、不快とまではいかないもののなんだか不思議な感覚になりました。全て伝え終わる前に「それはね~」と返されたときに似た感じです。

 

知識や経験が重なってくと、先読みができるようになります。でも、私のまわりの優秀な人たちはその先読みをしない人が多い。それはきっと、相手に対するマナーや最後まで確認しないと正確な返答ができないことを知っているからだと思います。私が100円均一で会計をした前にいたお客さんが、私と同じように商品を2個差し出しました。同じように「216円です」と食い気味に返ってきたのですが、そのうちの1つの商品は200円の商品だったんです。200円のシールが裏返しになっていて…。効率やスピードを意識するのは大事なことですが、どんなに経験を積んでも早とちりで完璧に返すことはできないのかもしれません。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

当事者になってみる?

 

f:id:kazuhotel:20181020171101j:plain

 

 つい最近、あるイベントで使用する女性の衣装を手配する機会がありました。実店舗に買いに行くのは気が引けたので、ネットであれこれ探して購入…。同じように女性の目線になってアパレルサイトを見ることはこれまで幾度となくやってきたんですが、本当に購入を検討している当事者になってみたら、全く違う見え方をするのだとあらためて実感しました。

 

「当事者になったつもり」と「当事者」は全く別のもの。初めて何かをやる際に「シミュレーションを何度もやったから大丈夫です!」と自信を持って言う人ほど気をつけた方がいいかもしれません。だいぶ前のブログにも書いたような気がしますが、「購入するときにきっとお客さんはココが気になりますよ!」とアドバイスをしたところ、「あなたうちの店で買ったことあるの?」と言われたことがあります。高額商品を購入したりすることはできませんが、当事者になれることは意外とあります。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain 

色の数が少ないと緊張する?

 

f:id:kazuhotel:20181020170936j:plain

 

 私の家の中。そこまで散らかっているわけではありませんが、いろんな色のもので溢れています。そして、そんな自分の家がとても落ち着く空間になっています。だから、いろんな色で溢れている小売店や飲食店に入るとなんだかホッとします。その一方で、色数が少ないお店に入ると緊張してしまうんですよね。

 

例えば、洋服屋さん。売れる色はだいたい決まっているものの、いろんな色を揃えて陳列しているので少し安心することができます。礼服を専門に扱う専門店だったら、基本的には黒と白だけ。緊張感が走ります。その緊張が良い方向に向かう場合はよいのですが、そうではない場合も…。先日、なかなか売れない物件をあらためてコーディネートしてほしいという依頼をいただきました。現状を見せてもらうと、白色家具と白色の小物だけでコーディネートされていました。確かに格好はつきますが、じっくり見たい場所では落ち着いて見ることができないのかもしれません。

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain