デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

この人にだけ誤解を招いた表現?

 

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 むかしから自分の考えたアイデアやデザインを、家族や友達など身近な人に見てもらっています。そこで「分かりづらい」「意味が分からない」といった意見が出たら、それは一般的には「分かりづらい表現」「意味の伝わらない表現」だということ。そう捉えるようにしています。

 

以前、これなら誰でも同じように伝わる♪とチーム内で何度も確認し合った表現がありました。それを見て気になる点があっても、誤解を生まないように注釈も入れ、安心して公開。しかし、その表現についての問い合わせをたくさん頂きました。ただ、問い合わせの内容は、その表現にきちんと記載されているもので、全てを読めば分かる内容。現場でも「いやいや、ちゃんと注釈を入れているよ」といった声が上がりましたが、結果的に誤解を招いてしまいました。だから、その表現は誤解を招く表現だったという話です。アーティストが表現するような、分かる人には分かる表現はもちろん大切ですが、多くの人にできる限り同じ解釈をしてもらうように伝える表現もある。「なんでこれで伝わらないの?」と一度でも思ったことがあったら、自分の表現では伝わりきっていない可能性があります。

 

 

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おかしな文字の並び?

 

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「クハE1234」などの電車に記載してある車両番号。子供の頃から、大人になった今もつい見てしまいます。普段見かけることのないおかしな記号の並びなので、気になってしまうんですよね。見慣れた文字列は安心感を与えますが、見慣れていない文字列は「?(=興味)」を与えます。

 

長めの文章を書く際、スマホやPCで入力をすると自動で改行されますが、そのままにする人と読みやすい位置で改行する人がいます。ただ、相手に与える印象まで考えていないこともしばしば…。読み手に分かりやすく伝えて安心感を与えたい内容なのに、見栄えをよくするためだけに改行位置を揃えたり、興味を持ってもらいたいのにスラスラ読めたり、やっていることと目的が一致していないこともあります。スマホタブレット、PCといった様々な情報端末で閲覧するメールやWebサイトの文章だったら、自動改行の方が適している場合もありますが、印刷物だったら目的を意識した文章にできます。

 

デザイン

のあてな

 

こんな改行だったら、どんな印象を受けるでしょう?

 

 

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自分の発想力をチェック?

 

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「こんなものがあったら良いかも♪」何かアイデアが沸いたとき、私はそれが世の中にないか毎回調べています。もちろんパクリになってしまわないかを確認するためではありますが、そこでは自分の発想力を確認する作業も兼ねています。世の中に同じことを考える人がいるかを確かめてみる。

 

例えば、似たようなアイデアが既に商品化されていたら、すごく簡単に捉えると自分のアイデアは商品化に至るレベルのアイデア。その中でも、有名ブランドや大手メーカーが商品化をしていたら、それは売れる見込みのあるアイデアです。自分のアイデアに自信を持ってヨシ。もし、調べてみて似たようなアイデアが無かったら、それはあなただけのオリジナリティのあるアイデア。自分の感性として大切にしていけばヨシ。結果はどちらでも、自分のアイデアの立ち位置を確認することができ、同時に足りないことを把握することができます。世の中にあったら感性やオリジナリティを磨けばいいし、無かったら世の中の需要やマーケティングを学べばいい。比較できるものばかりではありませんが、自分の今の立ち位置を知ることは大事なことだと思っています。

 

 

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少ないもので大きな力を?

 

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 駅のホームで電車を待っていて、目の前にある金網が気になりました。子供の頃、足をかけて登ったりしていましたが、よく考えたら子供が登ってもちっとも歪まない金網。最小限の材料であんなに機能的で強度のあるものを作っているんだなと、勝手に関心してしまいました。

 

十分な材料を使って機能を満たしたり、複雑な工程を重ねて強度を保つことはできます。でもそれを、少ない材料や簡易的な方法で実現するのは難しいこと。何かを実現しようとするとき、私たちは必要なものを揃えようとします。もちろん、それらを揃えることができれば実現はしますが、それを揃えなくても実現できたら、たくさん作ることができたり、たくさんの人が利用できたりします。学生時代に北欧に一人旅をしたとき、誰もが知っているような成形合板(重ねた木材に熱を加えて曲げる加工)のチェアが公共の場にたくさん使われていて驚いたんですが、その方法が考えられた元々の発想は、少ない材料でたくさん作るため。デザインよりも前にその考え方があってのものなんですよね。もし機会があったら、今実現できていることを、もっと少ない材料や方法でできないか考えてみてはいかがでしょうか。

 

 

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雨の日に使うけど、濡らしたくない?

 

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 車の月極駐車場。同じ場所でも屋根付きと屋根なしで金額は異なるようですが、不動産屋さんで働く友人によると、屋根付きを選ぶ人が圧倒的に多いそうです。車は雨の日にも使うので、雨汚れを気にしなければ濡れてもそこまで関係なさそうですが、やっぱり大切なものは少しでも大事に扱いたいのでしょうね。

 

仮に、水に濡らして使う物があったとします。そして、それを保管するための入れ物を考えるとしたら、「防水」という発想はなかなか出ません。濡れてもいいものなのに、濡らさないように保管する。一見、矛盾しているような感じですが、車のように、濡れてもいいからといって濡れっぱなしでよいとも限りません。それが大事なものなら尚更。汚れてもよいものだけど汚れないようにする方法、潰れてもよいものだけど潰さない方法など、そうなってもいいものに、そうならない発想を加えてみる。そうすると、ケースを入れるケースなんてものもアイデアとして出てくるかもしれません。外から中身を守るものだけど傷をつけたくない♪もし発想に悩んだら、そんな方法も考え方の1つとして使ってみてください。

 

 

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良い修正とわるい修正?

 

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 グラフィックデザインやWebデザインの仕事には修正が付きもので、最初につくったデザインでそのままOKということはほとんどありません。だから、修正を依頼されたらもちろん素直に対応するんですが、その修正には、大きく良い修正とわるい修正の2種類があります。

 

良い修正。それは、さらに品質を向上させる修正です。「これでも良いんだけど、こうしたらもっと良くなる!」今の状態でOKでも、もっと良くなる方法を模索するような相手だと、こちらも前のめりになって向き合ってしまいます。もう1つのわるい修正は、間違いを正す修正です。「記載する情報が間違っていた」「やっぱりこうしたい!」など、そもそもの部分を行ったり来たりする。お互いに無駄な時間を使って消耗してしまうだけで、あまり生産性がありません。修正に対する文句のように聞こえるかもしれませんが、決してそうではなく、成果をあげる方向に向かいたいだけ。先日、私が過去につくったポスターの内容を変更して新たにつくる依頼があり、依頼通りに対応しましたが、どこかで「もっと良くなるための修正」を待ってしまいました。忙しそうにしている私を気遣ってくれたのだと思いますけどね。

 

 

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素材に敏感?

 

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 学生時代にデザインの勉強をしていた頃、同級生と競うように素材を調べまくっていたことがあります。「こんな素材があったよ!」他の人が知らない素材を見つけるたびによく自慢していたのを思い出します。新しい見本帳が届くと、古い方の見本帳をもらったりしていました。

 

今思えば、みんなが素材に敏感になっていたのは、素材を知るとデザインを考えやすいからかもしれません。「この素材でアレを作ったらおもしろいかも!」「ここを別の素材に変えたらどうなるかな?」など、特に新しいものを考えるような課題では、そういった素材ありきのデザインが多かったように思います。でも、単にアイデアが湧きやすいという点だけではなく、素材を知っていることはデザインにおいてとても大事なこと。以前、「どうしてその素材を使わないといけないの?」という先生からの問いかけに答えられなかったことがありましたが、それは他に適した素材があることを先生が知っていて、私が素材を深く調べていないことを見抜いてわざと聞いたのでしょう。「素材に敏感になれ!」自分に言い聞かせている言葉の1つです。

 

 

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信用されると嬉しい?

 

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 ごくごく普通のことで恐縮ですが、他人に信用されると嬉しい気持ちになります。それが初めて会った見ず知らずの人だったら、嬉しいこと以上にその人を尊敬してしまいます。自分が信用されると嬉しいのに、私自身が未だにあまり他人を信用できず、恥ずかしい限りです。

 

先日、ホームセンターで木材を購入しました。大きな合板を20枚。店員さんに購入する分をレジに持っていく必要があるか尋ねると、「内容を伝えてお会計いただければ大丈夫ですよ!」と。私は「〇〇の合板を20枚ください」と伝えて会計を済ませ、売り場の合板を数枚ずつ車に運び入れました。そんなことをする人はいないかもしれませんが、わるい人だったら、価格の安い商品を伝えて会計をしたり、購入数以上を持ち出す可能性だってあります。それは、ただただ信用してくれたということ。信用されるような実績があったり、長い付き合いだったり、すれば信用されることはありますが、何もないところから信用された経験があまりありません。木材売り場の店員さん、レジの店員さん、2人ともすごいなと思ってしまいました。

 

 

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解体するまで?

 

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 空間づくりの仕事では、舞台の美術さんのようなこともやっています。久しぶりにその仕事をやったんですが、そこで最近意識することが少なくなったデザインをする際の心構えみたいなものを再意識しました。

 

セットを持ち込んで現場で空間をつくるときは、現地で組み立てができるような設計が必要ですが、それよりも、簡単に撤去できるように考える必要があります。持ち込み用に使用する車がハイエースなら、バラバラにした状態でそこに積み込めるようにしなければいけないし、パーツを作る際も、大きな板や角材から効率よく材料が使えるよう考慮します。私は以前、家具屋さんで働いていたんですが、そこで工場に足を運んだり、物流に関わったり、家具を引き取る作業を手伝ったりしたことがありました。そこで、材料の取り方や運搬、設置や撤去など多くのことを経験して、デザインを考えるときに念頭に入れなければいけないことなのだと覚えました。「完成形だけを考えるのはデザインではない」もし、自分がそれらを考慮していなかったら、他の誰かが考えてくれているはずです。

 

 

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あるものから選ぶチカラ?

 

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「こっちの商品で、あっちの色があればいいのに…」買い物をしていると、よくそんなふうに無いものを欲しいと思ってしまいます。希望通りのものを探して見つかればいいのですが、それでも無いのに探し続けても、時間が過ぎていくばかり。理想を求めるのは大事なことですが、どこかで区切ることも大事だと思っています。

 

あるものの中から一番適したものを選ぶチカラをつけなさい!と、先輩から指導されたことがあります。極端に言うと、たっぷり時間をかけてほんの少し理想に近づく81点のものを選ぶなら、80点のもので即決する。私はデザインという理想を形にする仕事をしているので、若い頃はそういった決断を「そんな妥協…」とネガティブに捉えていました。でも、それは妥協ではなく英断。でも、そのためには世の中にどんなものがあるのかを知っていなければいけません。その先輩が私に言いたかったことは、世の中をもっと知りなさい!ということ。決断が遅いのは、“あるのかも分からないもっと良いもの”があるかもしれないと思うから。余裕があれば、探し続けることもそれはそれで大事なんですけどね。

 

 

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ごはんとおかずを食べるバランス?

 

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 定食やお弁当を食べているときに、多くの人は白いごはんとおかずをバランスよく食べていると思います。おかずをひとかじりしてから白いごはんをもりもり食べる人もいれば、白いごはんだけ一気にたいらげる人、最後に好きなおかずを残して堪能する人も♪最後にはごはんもおかずもキレイに無くなっています。

 

好きなことと嫌いなこと、得意な仕事と苦手な仕事などの進め方のバランスが、ごはんとおかずを食べるときに似ているなとふと思いました。少ないおかずに対してごはんが大盛りだったら、私たちはそれに合わせた食べ方をします。でも、バランスを考えずに食べ進めて、偏って残った方を残す人もたまに見かけます。そんな人は、自分の食事を思い出せば、きっとバランスよく進められるはず!ごはんとおかずのようにどちらも用意されているケースばかりではありませんが、仕事と休憩、仕事とプライベートなど、バランスよく進めると気持ちのよいものが生活の中にはたくさんあります。食事が苦手な人は少ないと思うので、他にも応用できるような気がします。

 

 

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ライバルは自分自身と言えるまで?

 

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「ライバルは自分自身」そんなふうに言えたらカッコいいなと思うんですが、今の今までそう思ったことはありません。いつも誰かをライバルに置いて、その人を上回れるようにと行動してきました。2人デザイナーがいれば、誰だって優れた方に頼みたいはずだからです。フリーランスとして仕事をするようになって、さらにそれが強くなってしまったかもしれません。

 

ある記事で、一流のスポーツ選手が「ライバルは自分」と言っていたんですが、その選手がまだプロになりたての頃は、具体的なライバルを挙げていた記憶があります。若くて血気盛んだったこともあったのだと思いますが、きっとその選手のように変わっていくのが自然なのだとふと思いました。「他人と比較するな!」「あなたはあなた。オリジナリティさえあれば…」と言った言葉をたくさんもらってきましたが、たぶん私はまだその域に到達していないのでしょうね。身近な誰かに目の前のチャンスを奪われたりすると、そのチャンスを掴むために、その人が持っていないモノやその人よりも優れた何かを求めてしまいます。そして何より、ライバルと思えるほど自分が努力をしていない…。いつか言えるようになりたいです。

 

 

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わるい印象は蓄積?良い印象は更新?

 

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 私はモデルルームのインテリアコーディネートを仕事の1つとしてやっています。ある会社の担当の人に出会った当初は「飾り付けをしてくれる人」と呼ばれていました。それが、私が関わった物件が売れるようになると「売れるコーディネートをしてくれる人」になり、直近の仕事で独特な雰囲気の空間をつくったら「独特な雰囲気をつくる人」と紹介されるようになりました。「売れる~」と言われた方がよかったんですが、それよりも独特の空間をつくったことの方が印象に残ったのだと思います。良い印象は更新されていく。

 

一方で、わるい印象は全て蓄積されていくような気がします。以前、私が先方の希望日に対応できなかったことがありました。そして、また別のタイミングで、家具を配送する業者さんが内装にキズをつけてしまったことがありました。すると、「希望日に対応してくれないし、内装にもキズをつける可能性のある人」になりました。それ以降、一切ミスを犯さなくても、わるい印象は消えず…。良い印象は最新の強い印象で更新されてしまう一方で、わるい印象はどんどん溜まっていくのかもしれません。

 

 

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改造はみんな得意?

 

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 絵を描くのが下手だし、何か新しいものを考えたりするのが苦手だから、デザインとかはちょっと…。昨日のブログの続きになりますが、デザインと聞いて敬遠する人も実際はたくさんいます。でも、その人たちのファッションや持ち物を見てみると、自身で考えた工夫がなされていることもしばしば。カバンにキーホルダーや缶バッチが付いていたり、いろんなアイテムを組み合わせて身に付けていたりします。

 

街中で中高生を見かけるといつも感心するんですが、学校で指定された制服やカバンで、さらに校則もある中でみんな個性を出そうと工夫しているんですよね。大勢集まっていても同じようでもそれぞれ違う。他の誰ともカブらないオリジナルを考えられる時点で、すでにデザインしているんです。既にあるモノに手を加えたり、組み合わせを変えたりするのは、デザインも同じこと。決められた条件のもとで、新しい何かを考えていることに変わりありません。モデルをやっていた人が引退後にデザイナーになったりするのは、自分がそれまでやっていたこととほとんど変わらないから。そもそも人はみんなデザインをしていて、ただそれをデザインと認識していないだけだと思っています。

 

 

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