デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

合わなくて当たり前?

 

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 自分の価値観や要望にピタリと合う会社なんて存在しないと思っています。ただ、私が以前いた会社は、私に合う会社でした。正確に言うと、合わない会社が合う会社になりました。だから、「私には合わない」という理由で安易に別の会社を選ぼうとするのは、よっぽどひどい会社でない限り、あまりオススメしません。

 

例えば、洋服。はっきり言ってしまえば、ほとんどの人はモデルさんほど似合いません。だから私たちは、合わない洋服を選んでいることになります。それでも、自分に合っていると感じたり、周囲から合っていると言われることもある。それは自分が、その服が似合うように“何かしら”を寄せているからです。合うようにする。自分の意に反することに無理に従うとか、迎合するとかいう意味合いではありませんし、大きく自分を捻じ曲げるわけでもありません。スタイリストに合うものを選んでもらうのも1つの方法で、それが自分の合うものに近い可能性は高いと思いますが、自分で選んだものが合うように自分を変化させる方が定着するイメージもあります。「これも合わない…あれも合わない…」と、合うものに当たるまで探し続けるのも1つですが、合うようにしてみるのも1つの手です。

 

 

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本当の理由は言わない?

 

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 よくマスクを着用している人にその理由を聞くと、「体調を崩さないように予防として…」「花粉症がひどいので…」といった答えが返ってきます。でも、身近な人に聞いてみると、「顔が隠れていると安心できるから…」なんて答えも。表向きに答える理由と、本当の理由は少し違います。

 

だから、アンケート調査の結果などを見るときは、そこに出ている答え以外の理由もあると考えます。全面的に信用するわけでも、鵜呑みにしないわけでもない。「その答えもあるし、別の答えもある」と考えます。そう答える理由、表向きには答えづらい理由、隠している理由…。私はそういった隠れた答えや本質を読み取ること(読み取ろうとすること)が、デザインをする上で不可欠だと考えています。表面を汲み取ったデザインも世の中にはたくさんありますが、それは一過性のデザインに過ぎず、普遍的なデザインを考えるためにはやはり必要なこと。全く同じ情報を与えられているのに、クオリティーに他の人と大きな差があるケースなどを見ていて思うのは、考える力やデザイン力以前に、本当の理由を知る力が弱いのではないかという点です。もし、なかなか自分のデザインを受け入れてもらえないと感じることがあったら、一度、手元にある情報の裏側を辿ってみてはいかがでしょうか。

 

 

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イメージさせる模型力?

 

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 プロダクトデザイナーには、モックアップ(模型)を上手に作る力が求められます。その模型の精度が高くないと、ディテールを詰めていく作業もできないからで、頭や画面の中のイメージで留めません。図面やスケッチを見るだけで三次元のイメージがすぐに湧くような人でさえ、模型を作って確認しているわけです。

 

誰か他の人と共通認識を持ちたいときは、できる限り具体的にすることがとても大事です。「これだけの情報があればイメージできるはず!」と考える人もいますが、そんな人に限って自分も具体像を描けていなかったりする。そうしてしまうと、細かな部分まで検討するような場なのに、頭の中にそれぞれのイメージを描いた中で話をすることになるので意味が無くなってしまいます。正確に頭の中に描ける人はいません。だから、模型に関わらず、ポスターを原寸で見せたり、壁に貼って見せる必要があります。「私はカタチになったときの状態が分かるから、模型やサンプルは不要!」としている人は要注意。時間や出費を惜しんで模型づくりを端折ってしまう人は、デザインの精度が低いと思われてしまっているかもしれません。

 

 

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アドリブ力が決め手?

 

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 プレゼンテーション。全て話し終えた後の質疑応答では、予期せぬ質問や細かな指摘、事前に伝えられていなかった条件の追加や少し脱線した話などのやりとりもあります。実は、プレゼンテーションよりもその質疑応答が合否の肝になっているケースが多いという話を聞きました。

 

根底にある力を知りたい。予め準備したことであれば、練習して上手にプレゼンすることができます。質問される内容もシミュレーションしておけば、ある程度は答えられるかもしれません。でも、用意しようのない質問がきたときは、その場で考えて応える力が試されます。審査する側が知りたいのはそこ。「答え」より「応え」といったところでしょうか。私たちが普段、飲食店を利用するときも似ていて、決まっている提供物やサービスよりも、「あのとき、こんな対応をしてくれた!」など、何か困ったときの対応でそのお店を評価したりしています。アドリブ力。それを分かっている会社がプレゼンを任せる人は、プレゼンができる人ではなく、質疑応答に対応できる人(要点を理解して考えることのできる人)です。提案内容がバッチリだからと安心していると、思わぬところでコケてしまうかもしれません。

 

 

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そのお手本で安心する?

 

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「実際にこんな商品が世の中にあったから、私の発想は間違えていないはず!」学生時代はそんな勘違いをしていました。先生にダメ出しされた自分のアイデア。同じようなアイデアが世の中で具現化されていることに納得できなかったわけです。

 

世に出ているということは、それが素晴らしい物であるということ。そう思ってしまいがちですが、それがまず間違い。世の中には良くない表現や詰めの甘い商品もあります。先日、電車の広告を妻と見ていて「この文章じゃ届かないよね」という話になりました。立派な広告で、注意深く見なければちゃんとして見える広告。そこには「きっと誰かが寄り添ってくれる」といった文章が入っていましたが、自分たちが対象者をサポートしたいことを伝える広告なのに、ぼんやりとした他人事に聞こえるその文章は、私にとって決して最適な表現ではありませんでした。世の中には、素晴らしい見本はたくさんあります。一方で、わるいとは言わないまでもそこまで良くないお手本もたくさんある。自分と同じ発想を探して自信が持てたり、安心したりできる気持ちは私もよく分かりますが、自分の間違えに気付けない危険もそこにはあります。

 

 

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課題解決型デザイナー?

 

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 私は、抱えている課題を解決したり、上手く表現しきれていないことを表現するデザインがどちらかと言えば得意です。なので若い頃は、考え抜かれた対象物や、世の中に広く定着している普遍的なデザインについては、自ら切り込むことを苦手としていました。そこにダメなところがないからです。

 

新たな表現を模索する訓練。課題解決型デザイナーにはそれが必要だと思っています。私自身がこれまで過ごしてきた環境で良かったなと思うのは、家具デザインに長く携わってきたこと。世界中に素晴らしいデザインの家具が溢れている中でそこを考えることで、課題解決とは違うベクトルでデザインを考えられるようになりました。純粋にそこに在るべき姿を求めるようになったというか…。私の勝手なイメージですが、そこが弱いと、奇をてらった提案や付加価値をつけることに逃げてしまう癖がついてしまいます。例を挙げるなら、純粋に飲みやすいコップをデザインできない。ベースとして必要なのは、他の人がやらないことではなく、他の人もやっていることでより良いところを目指すことだと思っています。

 

 

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自分が育てば相手も育つ?

 

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 なかなか後輩が育たないと嘆いている人。その人に目を向けてみると、その人自身があまり変化していないことがよくあります。自分は成長せずに現状のままでいいけど、相手には成長を求めているというわけです。

 

放って置いても勝手に成長していく人、上司や先輩を反面教師として学んでいく人もいます。だから、そうでない後輩の学ぶ姿勢や意欲に対して、自分に非があることに気付けません。「BくんもAさんみたいにもっと積極的になってほしいよな~」なんて思ってしまう。でも、グングン育っている人を多く抱える立場の人を観察してみると、その人自身もグングン育っています。自分自身の言動が周囲に影響を与えることを知っているからです。自分が育てば、相手も育つ。後輩たちからすれば、上司や先輩は自分がこのまま進んでいったときの近い未来の自分の姿。やっぱり憧れられる存在でなければいけないし、成長を止めた先輩を見たら意欲が薄れるのも納得できます。自分がそこまで熱量を持っていないのに、相手に対して冷めている印象を持ってしまうような人は、まず自分がそうできているか確認してみてはいかがでしょう?

 

 

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花は踏まない?

 

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 とある通り抜け禁止の場所。そこをよく通っているので、これまでの対策の変遷を見てきていますが、数ヶ月前にあるモノが設置されて以降、その抜け道を通る人を見かけなくなりました。カラーコーンを立てたり、強めの注意をする看板を設置してもダメだったのに…。

 

講じられた策は、花壇を作ってお花を植える。それだけ。お花を踏んではいけないという意識が働き、そこまでして通ろうとはしなくなったわけです。私は今後、そういった倫理観に訴える工夫が大事になっていく気がしています。強制ではなく、やってはいけないと気付ける方法。最近、注意を促すアナウンスなどを耳にするたびに「口調が強く、荒っぽくなっているなぁ」と感じます。そうしないと言う通りにしてくれないから、あえてそうしているのだとは思いますが、それで解決できているようには見えません。そして、少なくても何人かは、そうした強い注意で圧迫されることや強制的に行動を制限されることに対して、フラストレーションが溜まっているはずです。難しいことだとは思いますが、ここらで考え方を変えていかないと、ますます居心地のわるい世の中になってしまう気がします。

 

 

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土台を固めたい?

 

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 まずは土台をしっかりと固めたい人。とにかく色々と試してみたい人。いろんなタイプの人がいるので、同じ環境下にいると考え方の相違を直に感じることも少なくありません。会社に勤めている人の中には、自社の経営方針に不満を感じる人もいるのではないでしょうか。

 

まだ本業もしっかりと整っていないのに別に事業をはじめたり、教育体制が整っていないのに未経験者を採用したりと、会社のやり方に対する不満を私もちらほら耳にします。それを納得した上で入社したのでは?という点はひとまず置いておいて、色々と試す方がメリットは多いと個人的に思うようになりました。以前は土台を固めたいと考えていましたが、ある人から「その土台はどこまでやったら固まるの?」という投げかけに答えられなかったのをよく覚えています。まず、中小企業の場合、常にその土台がいつ揺らぐか分からない状況。二手目三手目を用意していかないとその土台すら維持できません。そして整っていない状況だから構築できることもありますし、新たな一手が土台を固めることにつながることも多々あります。土台をしっかりと固めることは言うまでもなく重要なことですが、そのためにやるべきことは土台を固めることだけではない。もし納得できないときは、そう考えてみてはいかがでしょうか。

 

 

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お皿はいいけど箸はイヤ?

 

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 普通の箸と割り箸の両方が置いてある飲食店。そこで割り箸を選ぶ人は、平たく言うと、お皿は共有してもいいけど箸は共有したくないということ。さらに、本当に共有をしたくない人は、使い捨ての容器で提供するお弁当屋さんやコンビニを選ぶという話も聞いたことがあります。

 

共有の限界。先日、レンタルやシェアする市場が頭打ちになっているという調査結果をたまたま見ました。そこには、共有することへの抵抗を持つ人が一定数いる状態に大きな変化はなく、使用頻度が低くても所有したいと考える人がいるとのことでした。確かに、車やウエディングドレスなどの経済的に負担の大きい対象はレンタルを選ぶ一方、そこまで高額でない対象については所有しようとする印象があります。しかし、気になって色々と調べてみると、図書館の利用者は増えているという興味深い実態も。もちろん本を借りることが一番の目的ですが、利用の目的には図書館で本を読む行為が魅力的だとするものもあり、くつろぎ空間としての魅力を感じている人が増えているそうです。費用対効果や利便性などで検討されるレンタルやシェア。そこに新たな別の魅力が加わったら、もっと支持する人が増えるかもしれませんね。

 

 

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気軽にできないから特別?

 

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 学生時代にバイトをしていたお店に、旦那さんがガラス細工の作家をしている女性がいました。仲良くさせてもらっていて工房が家の近くにあったこともあり、何度か体験も♪その頃の私にとってのガラス細工体験は、いつでもとは言わないまでも、お願いすれば気軽にできるものになっていました。

 

これは貴重な体験だ!と自分たちが思っていても、相手にとってはいつでも気軽にできる体験になっていて、そこにズレが生じているケースがあります。例えば、温泉地や観光地などに訪れる旅行客に、ついでに立ち寄って体験してもらいたいことがあるとしたら、源泉で温泉たまごを作る体験は貴重ですが、陶芸体験は失礼ながらそこまで貴重な体験ではありません。都内でも体験できることだからです。先日、私がたまたま知った面白そうな体験を妻に勧めたところ、それはいつでもできる体験だったようで「あー」と一蹴。ついでに話したよくありそうなお菓子作り体験の話をしたら、作るお菓子が珍しいそうで、「特別な設備がないと作れないはずなんだけど…」と熱心に調べはじめました。そこにズレが生じていないか?一人一人のことまで調べられなくても、自分で調べられる範囲でそのズレに気付けることもあるので、少し気にしてみてはいかがでしょう。

 

 

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間を飛ばして直接やらない?

 

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 私はデザインの仕事をしていて、その仕事の依頼のされ方には2パターンあります。お客さんから直接依頼を受けるときと、間に誰かを介しているとき。後者は、いわゆる代理店などがお客さんからもらった仕事を、自分たちの会社を通して私に依頼するパターンです。

 

後者では通常、私が対応していることを依頼者に伏せますが、中にはオープンにしているところもあり、時には間に入っている会社の方と同席して依頼者と打ち合わせをすることもあります。すると、ごくたまに「直接やりませんか?」と裏から話が来ることも…。依頼者は代理店を通さなければその分安く依頼でき、受注者にとっては代理店を通して受け取る額より高く受注できるため、一見お互いが得をするような話。でも、私はそういった相談の一切を断っています。それは最低限守らなければいけないマナーだから。唯一そうしたケースは、代理店の方から「直接受注してください」と言われたときのみ。経済的に困窮するような状況になったら気持ちが揺らぐこともあるでしょうし、お世話になった人や先輩から頼まれて断れない状況もあるかもしれませんが、そうなったとしても守っていたい。そう思います。

 

 

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名前の書いてない無いポスト?

 

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 数年前、チラシ制作の仕事の延長でポスティングを手伝っていたとき、集合住宅で気になったことがありました。それは、どのポストにも名前が書いていないこと。名前の札を入れる所が空の、号室だけ表示されたポストがずらりと並んだ状態は、とても不思議な光景だったなとよく覚えています。

 

個人情報やプライバシーに敏感になっている時代なので、そういった行動になるのは理解できるんですが、少し自己中心的な考えになりがちのように思います。1つ簡単なところを挙げると、郵便局や宅配業者に対して不親切ですよね。住所が合っていれば大丈夫だと考えそうですが、私たちが宅急便などを利用する際に、住所に加えて名前も電話番号も書くのは、正確に確実に届けるための情報として必要だからです。仮に住所の記載に不備があっても届くような二重三重の手を打っているわけで、1つの安心材料だけで満足してしまうのはちょっと…。必要以上に情報を与えないことが当たり前になって、「これさえ分かれば後は大丈夫でしょ」とコミュニケーションを極力避けたり、相手に対して負担を増やしていたりするならば、そこで何か問題が起きた時に文句を言ってはいけないと思っています。

 

 

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ピンク色のそうめんが食べたい?

 

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 まだ6月なのに真夏のような暑さが続き、先日我が家ではそうめんを食べました。そして、毎回子供と同じように、そうめんの中に紛れているピンクや緑のそうめんの取り合いになります。何も変わらないのに、1本2本しかないことと分かった途端に欲しくなってしまうから不思議です。

 

それが特別なもの・貴重なものだと分かるから欲しくなる。限定品などはその代表的なものですが、以前、「限定」の誤った使い方をしていた人に指導をさせてもらったことがあります。通常品を知らない相手に対して限定品と伝えても、それが特別なものであるかが分からない点と、限定とする数量があまりにも多かった点です。そうめんに置き換えるなら、ピンク色のそうめん1本だけを見せて力説していたり、ピンクだらけのそうめんを見せて「どれも貴重です!」と伝えているようなもの。いずれも、それが特別であることが見て分からないものでした。旅行などで立ち寄るおみやげ屋さんで、「○○限定」のお菓子をつい見てしまうのは、通常の商品を知っているから。認知されていないお菓子で「○○限定」と謳っても、そこには前者のような特別感はありません。

 

 

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