デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

“どんぶり一杯”なら同じ?

 

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 学生時代、よく通っていたある定食屋さんで、おばちゃんがこっそり親子丼を大盛りにしてくれたことがあります。蓋を閉じて提供するスタイルだったので、他のお客さんは私の分だけ量が多いことには気付来ません。私のどんぶりも他の人のどんぶりも、同じどんぶり一杯。

 

社会に出て仕事をするようになってからしばらく経つと、等価交換が当たり前になっていました。おまけやサービスは無しで、予め決められた数や量ぴったり。でも一方で、ざっくりのいわゆるどんぶり勘定でやりとりをする人もいましたが、ビジネスの世界では煙たがられりしているように感じました。外から見たときに、明らかに対応がちがうと分かってしまうから。不公平を嫌う人が多いからでしょうか…。もし、「どんぶり一杯」のような数え方があったら、もう少し世の中は窮屈ではなくなるような気がしています。私のどんぶり一杯もあなたのどんぶり一杯も、同じどんぶり一杯。

 

 

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手ぶらで出勤できても鞄を持つ?

 

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 ほとんどの人は会社に手ぶらで出勤しません。社内に仕事道具が揃っていれば、男性なら財布とスマホがあれば十分。会社に持っていく必要がある物は他にないはずです…。それでも手ぶらはダメ。カバンを持って出勤します。

 

たぶんですが、手ぶらで出勤したら信頼や期待が下がります。それは、私たちが相手の姿勢を重視しているから。「勤務時間外は仕事をしない=カバンは必要ない」とはなりません。勤務中に急遽取引先に資料を持って出向くことになるかもしれないし、次の日の大事な会議で使う資料を渡されたら、寝る前に目を通しておくぐらいのことはするかもしれません。その時にはカバンが必要になります。実際に使うか使わないかはあまり関係ありません。そんなことはまずないとしても、備えている姿勢が大事なこと。それを自分自身も分かっている。だから、私たちは会社や学校に手ぶらで行ける日があったとしても、カバンを持って行くのではないかとふと思いました。

 

 

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解決じゃなくて納得?

 

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 不要になったプリントの裏面を、メモ書きなどに使った経験はありますか?新しいきれいな紙を使わないので済むので、節約しているような気分になります。でも、ウラ紙を使うのが当たり前のようになっていたら考えもの。それだけたくさんの不要なプリントをしているということです。

 

ウラ紙を使うことは根本的な解決にはなっていません。プリントすること自体を少なくすることが節約。ウラ紙を使うことは再利用ではありますが、言い換えれば、自分たちを納得させているに過ぎません。「こうやって私たちは物を大切に扱っている」。再利用はとても良いことで必要なことではありますが、まず再利用しなければならない物を生み出さないという点に目を向けることが大事です。再利用できるようにどうしたらいいか悩むケースがありますが、その前に見直すべきことがあると思っています。

 

 

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決めるべき人が決める?

 

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 前回の記事に続いてサッカーの話で恐縮ですが、私の中で印象的な実況がありました。「決めるべき人が決めましたー!」。チームの誰が得点を決めても結果的には同じ1点ですが、チームやサポーターに与える影響は異なります。エースが決めることに意味がある。

 

例えば、アイデアを持ち寄って選ぶような場で、そのチームで一番優秀とされているAさんのアイデアが毎回通らないようだと、チームの士気は下がります。もちろん良いアイデアを選ぶ場なので、誰のアイデアであろうと関係ないのですが、Aさんの意見が通れば、後輩たちは「さすが先輩!私ももっと頑張ろう!」となります。会社の上層部もAさんを推している面目が立ちますし、本人もより頑張ってチームを引っ張ろうとする。中には、結局Aさんのアイデアかぁ…と落ち込むタイプの人もいるかもしれませんが、Aさんが期待されていることに納得するしかありません。決めるべき人が決めることに意味がある。もし、自分が決めるべき人的な立場にいたら、プレッシャーがどんなに大きくても、決めなければならないと思っています。

 

 

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この解説者は他より素晴らしい?

 

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 先日、サッカーのワールドカップが閉幕しました。私はサッカーが好きなので、ほとんどの試合をテレビで観たんですが、いろんなタイプの解説者がいて面白いなぁと試合以外の部分も楽しめました。でも、ネットでは、「あの解説者はダメだ。この解説者の方がいい」とダメ出しばかり…。言わんとしていることは分かるんですが、それぞれに良いところがあるのに、一方を下げてもう一方をあげる意見が多くありました。

 

私の慕っている先輩から、「誰かを下げて自分たちを上げるのような安易な方法に逃げるな」とよく言われました。「A社の製品は○○が低いんですが、我が社の製品は○○が高いんですよ!」こうすると、簡単に我が社が良いように見えます。でも実際は、A社にも良い点はたくさんある。「我が社の製品は○○が高いんです!」だけでいいんです。サッカーの解説者も、視聴者と一緒になって盛り上がるタイプの人もいれば、知識が豊富で説明が上手なタイプもいるし、日本をダメ出しするようなタイプもいる。それぞれに魅力があって、それぞれに支持する層がいるわけです。「あの人はココがいい!」それだけでいいと思っています。

 

 

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ランドセルのターゲットは誰?

 

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 ランドセルの広告。店頭ポスターやテレビコマーシャル等いろいろありますが、これらは誰に向けて作っているでしょうか?広告は、ターゲットを決めて、その人たちに向けて作るものですが、そのターゲットが正確に見えていないと、せっかくの広告もうまく機能しません。

 

例えばランドセルなら、使うのは子どもですが、選ぶのは親、買うのはおじいちゃんおばあちゃんというパターンが多い商材です。そろそろ購入時期ですよ!と訴求する広告なら祖父母をターゲットにするし、デザインや機能性を伝えるなら、親や子どもをターゲットにする。「ターゲットを決める」となると、実際の使用者を設定することが多いように感じますが、その利用者が実際に購入して使用するまでの過程を紐解いてみると、実は使用者以外の人たちが関わっていたりします。家族連れに来て欲しい!とお出掛けスポットの魅力をお母さんに向けて伝えても、重い腰を上げるのはお父さんだったりするので、お母さんがお父さんを説得しやすい内容を盛り込むなどの工夫が必要になります。

 

 

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正確な意思表示はできない?

 

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 自分の意思表示ができるアイテムがあっても使いこなせない。そんな内容の記事を読みました。自分では、今の自分の状態を正確に掴めないからです。

 

あるアパレルブランドが、「接客不要」をお客さんが意思表示できるようなシステムを採用しましたが、うまく機能しませんでした。接客されたくなかったけど、気になった商品について聞きたくなったり、試着をしようと手を挙げても、「接客不要」のお客さんにどう声を掛けたらいいか店員が迷ってしまったからです。同様に、会社内で集中して作業に取り組みたい人のために、「今話しかけないでください!」という意思表示ができるような仕組みを作った会社があります。でも、大事な電話をつないでもらえなかったり、周囲がそれでも声をかけるべき境界線が分からなかったりしたからです。正確な意思表示はできない。仮に、正確にそれができたとしても、それはそれで機能しないような気もします。

 

 

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リクエストをくれる人?

 

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 今年になって、インスタグラムをはじめてみました。遊びでやっているものの、意外に学びも多くてそれなりに楽しんでいるんですが、先日、海外のフォロワーからこんなメッセージが届きました。「You could give it a try.」…翻訳してみると、「挑戦してみたらどうですか?」です。

 

これは文面の一部ですが、どんなテイストがウケるか何となく掴めてきた頃に、私が好まれやすい画像をアップしているのをみて、「もっと自分の感性を信じて、自分が良いと思う作品を作ってください!」と叱咤激励をしてくれたんです。とても嬉しいメッセージでした。それまでは、「いいね」「素晴らしい」といった褒め言葉のみ。それはそれで嬉しいんですが、リクエストやアドバイスは、本当に自分のことを応援してくれているような気がして、とても新鮮でした。もしかすると、本当に応援してくれる人は、そうやって踏み込んできてくれる人なのかもしれませんね。

 

 

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余力を持ちたい?

 

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 私は以前、家具屋で働いていたんですが、1人掛けのソファはほとんど売れませんでした。単身のお客さんも多かったはずなんですが、一人暮らしでも2人掛けソファを購入するんです。新婚さんだったら、二人暮らしでも3人掛けソファを買う…。将来の彼氏彼女や子供、家に遊びにくる友人を想定して余力のあるソファを選ぶからです。

 

私たちは、あまりピッタリの商品を買いません。使い切れなかった経験があるはずの調味料もまた同じサイズを買うし、1つでいいのに3個セットが安いから…と、3つも買ってしまいます。余力を持ちたい。今自分たちが売り出そうとしている商品がなかなかウケないと悩んでいる人がいたら、もしかするとそれはピッタリだからかもしれません。ちょうど良すぎる数や量、広さや時間は、選びにくい。カラオケで、帰る時間が決まっていてもフリータイムにしたくなるのは、きっと余力が欲しいからだと思います。

 

 

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たのしみ(≧▽≦)ノ

 

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 全然お腹が空いていなくても、食事に誘われたら「行きましょう♪」と付き合ってくれる人が好きです。でも、私はそんなふうに出来ません。満腹だったら、「あっ…行きましょうか…」とためらってしまいます。でも、メールで誘われていたら、「行きましょう(≧▽≦)ノ」と返信できます。その返し方なら、前述のような印象を持ってもらえます。

 

自分が苦手な伝え方があったとき、その伝え方が上手くなるようにしろと言われることがあります。「コミュニケーション能力がない!」と、無理矢理知らない人と触れ合うような場に放り込まれたり…。もちろん苦手なことを克服することも大事なんですが、私は自分が得意な伝え方で伝えればよいと思ったりもします。例えば、私は話すことが苦手です。英語なんて全く話せません。でも仕事柄、少しなら絵を描けるので、言葉が通じない人にだって絵で伝えることができます。自分が得意な伝え方で伝える。賛否あるかもしれませんが、大事なことは伝わることだと思っています。

 

 

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結局、美味しい店は無くならない?

 

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 私が利用している自宅の最寄駅の周辺は、お店の入れ替わりが激しく、新しいお店が出来てもなかなか定着しません。宣伝が上手だなぁと思うお店も、オシャレで開放的で入りやすそうなお店も、はじめは好調のように見えますが長続きしません。

 

一方で、ずっと残っているお店に目を向けると、宣伝が上手なわけでも、特別オシャレなわけでもありません。ターゲットにマッチしているわけでもない。飲食店だったら、「料理が美味しくて、お店の人に好感が持てること」それだけ。私は普段、お店の内装や宣伝方法などを考える仕事をしています。だから、それらが意味のないことなんて思っていません。でも、結局は中身であることも事実。一時的な効果は生み出せても、それらを駆使して長期的に繁盛し続けることはとても難しいことです。難しいからこそ楽しいという面もありますが、中身を良くすることをせずに、効果を上げようとすることには少し抵抗があります。

 

 

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外されて強くなる?

 

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 スポーツの世界ではよくある話ですが、特定の選手をあえてレギュラーから外したり、試合の途中で早々に交代させることがあります。理由は、選手を成長させるため。反骨心を抱いてより一層精進するよう、相応の力があったとしても外すそうです。

 

仕事の現場では、日々当たり前のようにやっていることが多く、自分がその役割から外されることなんて考えることはほとんどありません。そうなると、楽観的な人に限らず、真面目に努力するタイプの人でも、どこかで努力を怠ってしまいます。だから、時には役割から外すことも重要。自分に普段任されるはずの仕事が、新入社員に任されたら「何くそ!」となるはずです。私はすぐに怠けるタイプなので、それを見抜いていた上司はよくそうやって私を外していました。おかげで、その度にほんの少しですが勉強したのを覚えています。

 

 

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黒烏龍茶ハイ?

 

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 居酒屋のメニューに「黒烏龍茶ハイ」がありました。ウーロンハイがあるので、特におかしいことではありませんが、黒烏龍茶で体を気遣いながらも焼酎は飲みたいという矛盾しているような要望をうまく捉えているなと。最近、このような商品がウケている印象があります。

 

例えば、手ぶらでキャンプなんて、本格的にキャンプを楽しんでいる人からしたら、理解できないところもあります。持ち物を厳選して、重い荷物を背負って山道を歩いて苦労するから、コーヒー1杯も美味しいし、星空も最高なわけです。だから、車で目の前まで行って、用意された美味しいお肉を食べても本当はちょっとズレているはず。でも、そんなサービスがウケています。これが良いかわるいかは賛否あるところだと思いますが、もし多くの人たちに届けたいと思ったら、時にはこういった矛盾需要も理解しないといけないのかもしれません。

 

 

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ナナガツハチニチ?

 

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 今日は7月8日。電話でこの日付を伝えるとき、何も考えないと「シチガツヨウカ」と伝えてしまいますが、間違いのないようにと考えると「ナナガツハチニチ」と伝えます。お互いが明らかにその日をさすような話をしていれば別ですが、「ヨウカ」は誤って4日と認識してしまうかもしれません。

 

宅急便の再配達の依頼で、伝票番号を一呼吸で全部言う人と、3つ4つ区切りで伝える人がいるのも同じ。覚えやすい単位に区切って伝えるだけで、聞き返されることなく伝わります。相手が理解しやすい伝え方。自分は分かる、これなら分かるでしょといった伝え方ばかりしていると、仕事の姿勢まで疑われてしまったりします。そんな勿体無いことはないので、普段よりほんの少し伝わりやすい表現を心掛けてみるのがオススメ。「この人は相手のことを考えられる人だな」と好感を持ってもらえるはずです。ただ、「そこまで丁寧に言わなくても分かるよ!」と怒られる場合もあるので、そこは人をみて判断しましょう。

 

 

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