デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

売れてる本は古本屋で手に入る?

 

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 本屋さんで買うなら、一般人気の低い本や変わった内容の本、ずっと手放したくないと思える本を買った方がいい。そんな面白い記事を読みました。本屋さんに平積みされているような人気の本は、すぐに古本屋さんに並ぶからです。それを読んでから実際に古本屋さんに行ってみると、確かに人気の新刊がズラリと並んでいました。

 

どこかに行ったり何かに参加したりしたとき、私のまわりの諸先輩たちは、そこでしか持ち帰ることができない経験や情報に目を向けます。でも、私も含め他の参加者は、そこでなくても得られる華やかな経験や情報に目を奪われてしまうんです。せっかく遠出をしてお金や時間をかけて参加したのに、家のすぐ近所で得られることに注いてしまう…。もちろんそれはそれで楽しいし、別のところで得られるからといって、そこで得なくていいということではありませんが、もしそれが貴重な場だったら、せっかくですからそこでしか得られないことを得た方がいいかもしれません。

 

 

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ファンの友達はファンになりやすい?

 

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 自分たちのファンを作りたい!と思ったとき、私たちは支持してくれそうな年齢、性別、仕事、環境の人たちにアプローチします。ただ、趣味嗜好が多様化している今、その人たちが自分たちのファンになってくれる可能性は極めて低い。そんなことは分かっていると思いますが、それでもそこに向けて発信してしまっているのが現状です。

 

一方で、ファンを獲得し続けている人が目を向けているところはどこかと言うと、今目の前にいるファン。ファンを大事にすることが結果的に新たなファンを作ることになるからです。「ファンの友達はファンになりやすい」。誰しも、友達が熱心に応援しているのに影響されて、自分も好きになってしまった経験はあると思います。私も、はじめて買ったCDは友達が聴かせてくれた曲でしたし、はじめて買ったタバコは友達が吸っている銘柄でした。目を向けるべきは、今応援してくれている人。普通に生活をしていても、別の誰かばかり追いかけている人には、冷めてしまったりします。

 

 

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目指す場所が同じなら成立する?

 

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「同じゴールを描いていないと成立しない。」アンガールズの田中さんが、ラジオ番組で自身がまわりからイジられることについて語っていました。「イジりが成立するのは、イジる方とイジられる方に腕があることはもちろん、そこにいる全員がおもしろく終わろうとしている状況だから成立すること。そうでなければ成立しない。だから、一般社会では誰かが傷つくだけになってしまうことも多い。」

 

その場にいる誰か1人でも、同じ結果を求めていなかったら成立しないといったことは、イジりに限らず他の場面でもあります。一部の人だけで盛り上がっている会は次の会から参加者が減っていたり、一部の人だけに負担がかかっているチームはいつまで経っても良い結果が出ません。それはどちらも成立していないから。それでもどうにかなっているとしたら、それは田中さんの言うところの「腕がある人」がいるからです。難しいとは思いますが、そこにいる全員が同じゴールに向かっていないと上手くいかないのは納得です。

 

 

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1秒も見ない広告?

 

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 車窓から見える広告。通り過ぎる一瞬で、自分の興味対象であるかそうでないかを判断しています。見る時間は一秒もなありません。私は仕事柄、広告などを注意深く見てしまうんですが、車窓から見える広告の中には、せっかく伝えている内容が良いのに、じっくり読み込まないとその良さが伝わらないものも多いように思います。

 

以前ある提案の場で、「プレゼンをしてはいけない」という決まりを作ったときがあります。説明ありきで良いと思ってもらえるようでは、一瞬しか見られることのない実際の設置環境や売り場では通用しないからという理由。そのものだけをチラッと見て、魅力を感じるか?伝えたいことが伝わるか?という一種のトレーニングです。実際に提案を検討する場合は、説明したりすることもありますが、込められた意味や想いを伝えられると、それを加味して好意的に判断してしまいます。もし、一瞬で惹きつけることが必要とされる対象だったら、プレゼンを無しにしてみるのも1つの方法です。

 

 

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合わせるのはカタチじゃない?

 

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 以前、歌手の三浦大地さんが、自身のパフォーマンスについてインタビューを受けていました。バックダンサーとダンスがシンクロしていることについて絶賛されると、思いもよらない返答が…。「いや~、あれ実はみんな動きが結構バラバラなんです。」「??」。シンクロして見える理由は、ダンサーと自分が捉えている曲のリズムがピタリと合っているからなんです、と。

 

テーブルにバラバラの椅子を並べている海外のおしゃれなインテリアに憧れて、真似をしたものの同じようにならなかったりするのは、揃えているポイントが全く違うから。色だけ合わせれば、素材だけ合わせればいい感じになるはずなのに…。それは、揃えているのが表面的なことではなく、コンセプトだったり、想いだったりするからです。合わせているのに合ってない。揃えているのに揃っているように見えない。そんなときは、合わせることを表面的ではないことに変えてみるとよいかもしれません。

 

 

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面倒だと感じさせない工夫?

 

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「シンプルにする」を勘違いして、要素をできるかぎり削ぎ落としてしまうことがあります。ただ、少なくすることだけが「シンプル」ではありません。例えば、面倒くさいことがあったら、それを省くのではなく、面倒なことを面倒くさくないと感じさせる。それもデザインの役割の1つだと思っています。

 

例えば、ゴミの分別。それを分別せずに済むような方法を考えようとするわけです。もちろん、回収後に簡単に分別ができるなら別ですが、今はまだ難しいこと。生活者が負担やストレスなく分別ができて、回収やリサイクルがしやすい方法を考えることも、「シンプルにする」の1つです。項目を省いてスッキリすると、シンプルにしたような気になってしまいますが、必要なことや、必要とまではいかないけどあった方が良いことを省いてしまうこともあります。それらを残したまま、いかにシンプルにするか?シンプルにするのは極めて難しいことだと思っています。

 

 

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見ているのは勝ち抜いたモノばかり?

 

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「駄作もたくさん見なさい!」。学生時代に教えてもらったことの1つです。世の中でよく目にするモノは、いわば熾烈な競争を勝ち抜いた良いモノばかり。そんなモノばかり見ていたら、どうしてそれが良いのか分からないからです。

 

そう聞いた当時、私は友人と単館映画(ミニシアター)をよく観に行ってました。駄作なんてことは決してないんですが、大きな映画館に並んでいる作品との明らかな違いを知り、とても勉強になったのを覚えています。世に出られなかったモノは見ることができませんが、あまり注目されていないモノなら見ることができます。多くの人たちに受け入れられているモノが、どうして受け入れられているのか?それを学ぶ方法は、受け入れられていないモノを見ること。「良いモノを見れば、良い理由なんて分かる」と思う人もいるかもしれませんが、本当は良くないところも良く見えてしまったりします。「駄作もたくさん見なさい!」という教えの本質は、それぞれに良い部分とダメな部分があるということだったと今では思っています。

 

 

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第三者が異変に気付く?

 

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 どこの誰かも知らない人。私が一方的にその人のブログを読んでいるんですが、ブログの更新がある日パタリと途絶えました。ほぼ毎日更新されていたので気になっていたんですが、しばらく経っても動きがないので、勝手に「何かあったのか…」と心配に。その後、普通に更新されて、体調を崩していたことを綴っていました。

 

三者である私が知らない人の異変に気付いた他愛もない話ですが、これって高齢者や単身者の見守りに応用できないかなぁと思いました。家族や知人が気付くサービスはありますが、第三者が気付くサービスはたぶんありません。自分を見守ってほしくて自身で何かを設置するような積極的な人は少ないと思いますし、新たにやることを作って負担を増やすのも難しい。それなら、その人の普段の行動から第三者が察知できるような仕組みができればと思いました。プライバシーや察知したとき連絡手段、早とちりなどの問題はありますが、ご近所付き合いが希薄になった今、どんな仕組みがあればいいのだろうとふと考えてしまいました。

 

 

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理由があれば恥ずかしくない?

 

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 大学生の頃、仲間内で伊達メガネをかけはじめた人をイジっていたことがあります。「なんで必要ないのにメガネをかけるんだよ!」と。もちろんオシャレでかけているだけなんですが、かける理由がないのにかけていることを本人も恥ずかしそうにしていました。

 

その“恥ずかしい”を無くしたのが、パソコン用メガネです。ブルーライト対策にかけるメガネとして打ち出した商品は、瞬く間に浸透しました。彼らが作ったのはメガネではありません。作ったのは「理由」。視力がわるくないのにメガネをかけていても言い訳ができるようになったんです。「えっ、仕事でパソコンをよく使うから♪」。何か商品やサービスを作ろうとすると、つい性能や品質や充実度に目を向けてしまいます。でも、自分自身を納得させるネタや、恥ずかしくない立派な理由を作ることも商品開発の1つだと思っています。パソコンメガネがどういった過程で生み出されたかは分かりませんが、その着想はすばらしい。

 

 

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ベストを尽くすと次がキツい?

 

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 若い頃、ズル賢い考えを持っていた私は、仕事での成果を80%ぐらいにセーブしていました。理由は、次が楽になるようにするためです。100%力を出し切ってしまったら、次はそれ以上の結果を出さなければいけない…。今となっては恥ずかしい話です。

 

ただ、そうしていた時期は、全くと言っていいほど成長することができませんでした。次を考えて対応しているようでは、いつまで経っても現状のまま。むしろ衰退していきます。ある時、それを見抜いた先輩に軌道修正してもらったおかげで、それからは何事も全力で対応するようになり、次に求められる少し高くなったハードルに、当たり前のようにチャレンジできるようになりました。正直言ってしんどいんですが、今の自分で出来ることをやっていては、成長することはできません。スキルが身について経験を伴ってくると、大抵のことは出来てしまうので、そこは要注意です。

 

 

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吸収しようと思う瞬間?

 

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 友人との雑談で、どんなときに相手から学ぼうと思うか?という話題になりました。対象は、自分から積極的に行くタイプではなく、自信の無い人や向上心がそれほどない人について。その話で出た1つの好例が、「相手に認められたときに学ぼうとと思う」です。

 

以前、友人がまだ未熟なA君に対して、いろいろと教えていたそうなんですが、どんなに時間を割いて教えても、前向きに話を聞いてもらえなかったそうです。でも、あるときを境にそのA君が一変。自ら質問するようなタイプに変わったというんです。もちろん、A君自身の意識の変化もありますが、友人が思い返して感じたのは、相手に対する接し方。当初は、A君を出来ない子として見ていたのが、ある時に素晴らしい意見を出したA君を絶賛したところ、そこから自分もA君も変わったそう。見直すべきは、教え方ではなく関わり方。友人とお互いの昔を思い出し、そういえば自分もそうだったかもしれないと反省しました。

 

 

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声かけられたら返事する?

 

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 朝、全く面識のない人から「おはようざいまーす!」と声をかけられました。私は反射的に「あっ、おはようございます!」。子どもの頃から山登りによく連れて行ってもらってたので、知らない人とすれ違っても挨拶をすることが染み付いていたのかもしれません。

 

声をかけられたら返事をする。シャイな人や他人と関わりたくない人は、ついつい返事を疎かにしてしまうことがありますが、そうすると相手に不信感を抱かせてしまいますし、何より気持ちがよくない。私が声をかけられたときは小学生の通学時間帯だったので、防犯の意味で大人にも声がけをしていたのだと思いますが、そこで返事をしないと余計に不審に思われてします。私も積極的に人と関わるタイプではありませんが、そこは無理をしてでも返事をした方がいいと思っています。

 

 

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どこかにこっそり自分を入れる?

 

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 この前、「どんな仕事をするときも必ずどこかに自分を潜ませる」という話で、一緒に仕事をしたクリエイターと盛り上がりました。相手の要望がとにかく細かくてガッチガチにやることが固まっていたとしても、必ずどこかに自分が考えたことを入れる。もちろん潜ませるのは、目的を果たすためのエッセンスで、決して自分のセンスやテクニックを披露するためではありません。

 

「細かく決められたら自分がやる意味がない」なんていう愚痴をたまに耳にします。でも、下請けとして仕事をやっていたら、細かく指示が出るのは当然のことで、クリエイターたちは皆、その中でどう自分の考えを入れこむかを必死に考えています。そこを言われた通りのことだけをやるか、言われたこと以上のことをやるかの違い。正直、結果が必ずしも指示内容以上になるとは限りません。ただ、超えるものが出来ることもある。言われたことを忠実にやるだけでは、それこそ意味がなくなってしまいます。

 

 

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画面の白は見かけない白?

 

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 つい最近、屋外の看板デザインを提案した際、私は写真にデザイン案を合成した設置イメージを添えました。ただ、白い背景のデザインでしたが、そのイメージではほとんど灰色にして…。当たり前ですが、実際に目にするときは、パソコンの画面のような白には見えないからです。

 

私たちは生活の中で、いろんな白を見ています。太陽の光が当たった白、日陰の白、蛍光灯に照らされた白、白熱球でオレンジ色になった白…。でも、画面で見える白だけで判断して完結してしまうことも。たとえそれが、パソコンやスマホでしか見ないデザインであっても見る環境は様々です。だから本当は、蛍光灯が眩しいオフィスの中だけでチェックを終えるのはおかしいはず。若い頃に諸先輩たちから「外に出ろ!」とよく言われましたが、その理由の1つは、外で自分の作ったモノや他のモノがどう見えるのかを観察しろ!という意味だったのかもしれません。

 

 

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