デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

やりたいけどやらないところ?

 

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 クリスマスツリーを飾るのは少し手間のかかる作業ですが、時期がくれば飾ります。そこにさらに綿を使って雪が積もった演出をしようとするかというと、そこまでやる人は少なくなるような気がします。ただでさえ面倒なのに、綿をつけたら木に絡まって片付けなども大変そうですよね。ただ、そういう所に目をつけられたらビジネスチャンスです。

 

やりたいけどやらないところ。冒頭の話の雪を表現する綿だったら、同じような表現ができて簡単に付け外しができるものがあれば、それは飾り付けに使う人がきっと増えてくる。さらに小さな子が口に入れられない大きさ、毛が抜けない、落下しないなど機能性が加わればさらに魅力的になって、その商品は売れると思います。でも、あまりそういった点に注目しない人もいます。理由は、「みんながやりたがらないことだから」で片付けてしまうからです。もちろん、本当にやりたくないこともありますが、もう少し踏み込んでいくと中には「やりたいけどやりたがらないこと」が含まれています。そこを見つけられたら、それはチャンス。嫌いって言ってるけど本当は好き、みたいなことがたくさん隠れているので、試しに見つけてみてください。

 

 

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途切れないお願いを仕切る?

 

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 あなたはバスの運転手。定刻になったので出発しようとしたら、「あっ乗りまーす」と走ってくるお客さんがくる。そなったらきっと、その人を待って出発します。続けてもう一人来ても、そこまでは待つかもしれません。でも、さらにもう一人来たら皆さんはどうしますか?その人を待てばバスのダイヤが乱れてしまいますし、何より待っているお客さんに迷惑が掛かります。

 

私もそうでしたが、頼まれ続けることをどこかで仕切るのは難しいもので、苦手な人も多いのではないでしょうか。ただ、どこかで仕切らないと、自分では責任を負えない状態に陥ってしまいます。前もって依頼してくれていた人の仕事を、ギリギリで依頼した人の仕事のせいで遅らせてしまうなんて言語道断。もし、受け入れるのだとしたら、他人に迷惑を掛けず、なおかつ全てにきちんと対応しなければなりません。それができれば問題ありませんが、できないのだとしたら、どこかで仕切らなければいけない。「そこを何とかお願いします!」なんて言われてしまうと、ついつい対応してあげたくなってしまいますが、もし絶対にやりきると少しでも思えないのなら、相手のために断ることも必要です。

 

 

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堪能しきれないからまた来たい?

 

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 いつも行く居酒屋さんがあるんですが、飽きっぽい私がそのお店を利用し続けている理由の1つが、堪能しきれないからです。メニューは少ないのですが、行くたびに微妙に新しい料理が増えていて、お腹いっぱいになって気付いたときには「次に来たときに食べよう」となります。

 

その人の魅力を堪能しきってしまったら、また頼みたい!とはなりづらくなります。だから、また関わってほしいと思ったら、まだこんなことができる!を残しておかないといけません。それは決して余力を残して対応するということではなく、新たな武器を用意しておくことを指します。例えば、お店なら、すべてメニューは公開しています。一部裏メニューがあるかもしれませんが、それがその時にできることのすべて。全部さらけ出した上で、次に変わっていないといけないわけです。増やしたり減らしたり、進化したり変化したりして、常に堪能しきれない状態をつくり続ける。長く支持されているお店やサービス、人を注意深く観察していると、微妙に変わっていっていることに気付きます。どんな変化でもいいので、皆さんも少しずつ変化してみてはいかがでしょうか。

 

 

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実作業は2割?

 

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 唐突ですが、私が仕事で実作業に費やす割合は2割です。8割は、進め方や手段を考えるほうに使っています。もちろん、デザインを詰めるような場合はこれと異なりますが、手配や確認ごとのほどんどはこのぐらいの割合。例えば、2分で終わったものは、その手前で8分考えている感じです。

 

以前、手配作業を別の方に引き継ぐ機会がありました。発注方法などを詳しく伝えて、実際の手配もサポートしながら行いましたが、その後なかなか手離れができませんでした。理由は、私が“8割”のほうで行なっている進め方や手段を考える点について、うまく引き継げなかったからです。いつまでに手配すればよいか?どこに納品すればよいか?費用は妥当なのか?手配のたびに質問をいただきお伝えはするのですが、それらは私が“8割”のほうでやっていることで、そこを整理するのが実作業よりも大変なところ。その事業の内容や現在の状況を常に把握しておくなど、予備知識や事前準備が必要になります。手配の実作業だけを覚えても仕事にならないわけです。「全員分を一緒に納品したいけど、一人分だけ急ぎで欲しい。」そんな時にどうすれよいかを考えて、どんな確認を入れたらよいかを考えるのが仕事だと思っています。

 

 

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次は調理系ユニフォーム?

 

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 ワーク系ブランドが展開するカジュアルラインのアパレル商品が人気ですが、次は、調理関係のユニフォームブランドが同じように一般の人にもウケるようになるのではないかと予想しています。

 

先日立ち寄った調理系ユニフォームの専門店には、セレクトショップ顔負けのデザイン性に富んだアパレル商品が多数並んでいました。調理の際のユニフォームなので、汚れに強く、撥水性もよく、洗濯を繰り返しても傷みづらい生地。清潔感のある白や爽やかなペールトーンのカラーリングなど、ワーク系とはまた違った魅力があります。ポロシャツやカットソーなど、オシャレなカフェ向けの商品は、普段着でも欲しい人がいるんじゃないか?と、商品を見ながら勝手に想像していました。これはあくまで私の経験上の話ですが、こんなふうに自身に関係のない分野のことでも、時代を読んでみるのはとてもよい勉強になります。そしてこの勉強のよい点は、答え合わせができる点。3年後にこうなる!と予想したら、その3年後に実際はどうなったかを知ることができる点です。身近なもののこの先を勝手に予想してみてはいかがでしょう?

 

 

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マルチタスクをこなす達人?

 

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 少し前に、店員さんが卓上で焼いてくれるタイプのもんじゃ焼き屋さんに行きました。私を含めて5組ほどのお客さんを1人で相手。それぞれの卓の焼き具合を頭に描きながら、ふと入ってくる注文を受け、ドリンクを作り、調理場で出来上がった料理を運びます。何度か鳴った電話の対応もしていて、この人はマルチタスクの達人だなと感心して見ていました。

 

仕事にもよりますが、予定していることを予定通りにやるのなんて極めて稀で、急に入ってきたり、同時進行を求められるのが大概だと思います。そこで、マルチタスクをこなすスキルが求められるわけですが、できないとはじめから諦めてしまう人が多い印象です。確かに同時にこなせない内容やボリュームもあります。ただ、その店員さんもそうですが、すべてを自分で対応すると捉えてはいません。実際には接客中の電話対応は他の人に頼んだりと、1人で対応できないことが重なれば協力を求めます。すべてを把握して、自分ができる限りの対応をする。だから、何が起きても何1つ滞らない。急な依頼や同時進行が苦手な人は、まず相手の都合に合わせて進めるように意識してみると、ほんの少し考え方が変わるかもしれません。

 

 

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不満はすべて終えたあとで?

 

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 仕事をしている最中に、一緒にその仕事を行なっている取引先や代理店への不満を口にしているのが聞こえることが時折あります。「ここは向こうでやるべきでしょ」そんな文句を言いながら、やっつけでやった仕事がよいものになるわけがないし、何よりそれを必要としているお客さんがかわいそうだなといつも思っています。

 

20代前半の頃、私が口酸っぱく言われ続けたのは「やることやってから言え!」です。「誰しも大なり小なり不満を抱えているし、それを完全に解消した上で仕事にのぞんでいる人はほとんどいない。でも、仕事の途中でその不満を漏らすような人は、いつまで経っても絶対に良い仕事はできない。文句を言うなとは言わない。でも、それは全部終わってからにしろ!」そう言われてから周囲を見てみると、確かにお客さんに支持されている人はそういった愚痴をこぼしたりしていませんでした。「あっ…ダサいなぁ…」最近になっても、仕事の中で不満を感じることがないわけではありません。ただ、私は終わるまでそれを口にしないと決めています。理由は、お客さんに失礼だから。ちゃんとできてもいないのに文句を言ってる人に、何かを頼みたいと思いませんよね。

 

 

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無地にしないわけ?

 

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 100円ショップの食器やコップを眺めていると、花柄などのデザインが施されていることが多々あります。「無地でいいのになぁ」と思うこともありますが、それはある部分で仕方のないこと。あくまで想像ですが、100円ショップは意図的に柄を入れているように思います。

 

理由の1つは、価値付け。無地と柄有りだったら、柄有りの方が絵付けをする分の作る手間がかかっています。100円の商品としての価値が柄有りの方が高いわけです。コストパフォーマンスを重視して購入する100円ショップならではの考え方だと思います。もう1つは、既製品をアレンジすることで自社のオリジナルとして打ち出せるからです。柄を入れたら、それはもうオリジナル商品。仮に、他で無地の商品が80円で販売されていても、こちらの100円の柄有りに影響はありません。…とこんなふうに、私は生活の中で気になったことについて、勝手に理由を想像して遊んでいます。ただの遊びなんですが、これが思考のよい訓練になっていて、企画を考えたり、方法論を考える際に役立っているような気がします。勝手に理由を考えてみる。後で本当の理由を調べて答え合わせしたりすると、よりよい訓練になるのでオススメです。

 

 

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1回目は新鮮で前向き?

 

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 今日はAさんにデザインの提案をする。そんなとき、私はこんなことを考えてしまいます。「私と同じように提案をする人は他にもいる。Aさんは、こういった相手をするのが10回目かもしれないし、100回目かもしれない。100回目だったら当然審査も厳しくなってるし、飽きているかもしれない。なんなら、すでに他の人の案で決定しているかも…」

 

同じようなことでかなりの回数をこなしていくと、次第に慣れてきて決まったリアクションになってきたり、疲れが溜まってはじめの頃よりも前向きになれなかったりします。本人はそのつもりがなくても、繰り返し同じ作業をするのは大変でストレスも溜まる。そんなタイミングで、私が普通に提案をしても、よっぽど突き抜けたアイデアでない限り、「はい、分かりました…」程度の反応になります。だから私は、相手が数をこなしていると分かった場合、「この感じの提案は初めてだな♪」「あれ?いつもと違う」と思われるようにしています。初めてのことは、新鮮な印象で前向きに捉えられるからです。いつものやりとりの引き出しで相手が対応できないような提案ができたら、それだけでバッチリです。

 

 

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内容とリンクする?

 

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 イベント告知のチラシ。直近のイベントなら、日付に年や曜日を入れる必要はないかもしれないし、近隣の人への告知なら、開催場所の住所や地図を載せなくても伝わるかもしれません。そうやって記載情報をスマートにして、スッキリとしたチラシにするのも1つの方法ではあります。

 

ただ、もしそのイベントが、思いやりをテーマにしているような場合、必要最低限の情報に留めたほんの少し不親切なチラシは、思いやりのあるチラシとは言い難いものです。言い換えれば、内容とリンクしていない。その逆もあって、熱烈なファンが集うイベントの告知だったら、親切心で載せたアーティストの説明やイベント内容の詳細がファンを冷めさせてしまうこともありますし、丁寧に情報を記載することが、かえってアーティストの世界観を崩してしまうこともあります。「2019年12月13日(金)」を「12/13(金)」としてもよい場合は多々ありますし、「12.13 Fri」が適した表現の場合もある。適しているかどうかは、内容(告知の中身と伝える相手)と合っているかどうか。高齢者向けの編み物体験教室の告知に「12.13 Fri」は使いません。

 

 

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上手な素人?

 

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 プロと素人の明確な違いは何かと言われたら、対価をもらっているかどうかだと答えますが、プロとして活動していても、その仕事ぶりを素人扱いされてしまうこともあります。私も昔、「プロになれるんじゃない?」と言われたことがありますが、それはその時の仕事が素人レベルだから。プロのレベルに達していなかったということです。

 

プロになりたての人もいるので、まだ力量が伴っていないのも当然ではあるんですが、やはりそこは「さすがプロだな!」と思われなければなりません。それも人によってプロの価値観が様々なので難しいところではありますが、先日、ある人の仕事を見た依頼主が、「素人さんなのに上手ですね~」と本人のいないところで話していました。とても真面目でストイックで、労力を惜しまず丁寧に仕事に向き合っている素晴らしい人でしたが、残念ながら出来上がったものは未熟な私の目から見てもプロの仕事とは言えないものでした。他の場合でも、作品を見ればプロがやったか素人がやったかが分かります。それは、どこかに明確なラインがあるということ。プロとして活動する以上は、少なくてもそのラインを下回ってはいけないと考えています。

 

 

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迷って自分で選択する?

 

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「その要望なら、これしかないでしょ!」というこちらで取捨選択したモノを提示して、承認をもらおうとすることがあります。相手からYESかNOをもらうだけなので非常に効率的で、時間のない中での進行などを求められた場合には、私もその方法をとることがあります。

 

でも、それは本当は良くないと思っています。そこに相手の満足がないからです。ベストなモノを用意することだけが仕事ではない。例えば、こちらで要望に合わせて吟味して選んだ1つを提示したところ、候補を全て見せて欲しいと言われたとします。さんざん悩んだ結果、はじめに提示したモノを相手が選んでそれで進めることになった。そんなことはよくあることで、一見無駄な時間に思えるかもしれませんが、この過程はとても大事なことで、むしろやらなければいけないことだとも思っています。人によっては、迷って自分で選んで満足する人もいます。自我が強い人だけでなく、そのプロジェクトに自分も参加している感覚が欲しい人もいる。効率よく進めることも必要ですが、相手の満足を置き去りにして進めても、結果的に良い成果が得られなかったりもします。

 

 

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描いて、描いて、描いて?

 

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 課題に対しての答えの出し方は人それぞれですが、最近あらためて感じるのは、描いて描いて描いて描きまくってつくり上げるやり方に勝る方法はないということ。私の場合はデザインですが、他のことでも手や体を動かして模索する方法やとても良いと思っています。

 

経験を重ねていくと、ある程度勝算が見える答えが時間をかけずに出せるようになります。情報を整理して論理的に答えを導き出すやり方も、慣れてくるとスピーディーに合格ラインに達することができたりする。仕事など限られた時間の中で成果を求められる環境にいると、そういった効率の良い方法をとるようになっていきます。膨大な仕事をこなさなければいけないので、それがわるいとは思っていないのですが、そういった効率的な手法で出せる答えは、合格ラインの80点は超えるものの、100点になることがありません。あくまで私の経験上での感覚です。そこを突き抜けるには、やはり手を動かす他ない。自分が意識してアウトプットできることを超えて、無意識下に潜在しているものまですくい上げたり、出し切っても尚考え続けることで、はじめてあるべきカタチが見えてくるのではないかと強く感じています。

 

 

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本来は自分から動くこと?

 

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 以前参加したコンペの実行委員の方からお電話をいただき、「ご自身の作品を地元の企業に提案してみませんか?」と声を掛けていただきました。とても有難い話で、それが具体的にならなくてもチャレンジしてみる価値があると一つ返事で応えたのですが、これは特別なこと。本来であれば自分から声を掛けて「提案させてください!」と言わなければいけません。

 

仕事をしていると、「チャンスを与えてもらえない」といった声を周囲から聞くこともあります。もちろん、中には与えれるチャンスもありますが、基本的にチャンスは自ら作るもの。行動を起こし続けて、その中の1つがたまたま「じゃあやってみる?」となるわけです。待っていても、声を掛けられることはまずありません。もし周囲によくチャンスを与えれる人がいるとしたら、それはその人が行動を起こした結果です。行動を起こしたからといって、必ずチャンスが舞い込むわけではありませんが、やらなければその可能性も0になります。先日電話で声を掛けていただいたとき、私は有難い気持ちと同時に、自ら行動を起こしていないことを恥ずかしく思ってしまいました。

 

 

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