デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

些細なことを気にする?

 

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 シャツのボタン。上から順に閉めていくと、穴がすべて縦になっていると思いきや、一番下の穴だけ横向きになっている。その時は「あれっ?」と思うかもしれませんが、そんな些細なことを気に留めて「どうしてだろう?」と考える人はきっと少ないと思います。

 

そう言う私も、そんなことは気に留めない性格ですが、ある時から意識して気にするようになりました。理由は、その些細なことがデザインにヒントを与えてくれるからです。「こういう時に、こう思った」「あれを使った時に、あれが気になった」その一瞬思うだけで、すぐに忘れてしまうようなこと。なので、私は意識するようにしはじめた頃は、面倒くさくてもメモを取るようにしていました。そうすると、例えば前述のシャツで気になった点なら、全部同じだと一部が機能しづらい(裾に近い部分は縦向きだとボタンが外れやすい)ことが分かったり、部分的に変えることで機能性が向上すると考える視点が増えたりします。デザインは自身の経験から生まれますが、経験していても忘れてしまうことがほとんど。些細な経験もデザインのヒントになるように貯めてみてはいかがでしょう。

 

 

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友達と仕事?

 

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 何度かこのブログで書きましたが、数年前に独立して現在はフリーランスとして活動しているものの、10年ほど前には一度失敗も経験しています。その失敗の原因をたまに振り返るんですが、その時と今の違いの1つに「友達と仕事をしない」という点がありました。正確には、仕事は仕事として関われる友達とは今も仕事の関係を続けていますが、友達として仕事をするタイプの人とは仕事をしていません。

 

私に限らずよく例に挙げられるのが、友達価格。「1万円のところを千円で!」といった感じで、ほんの気持ち程度の報酬で、大きな見返りを得ようとすることを指します。真面目で優しい人ほど、友達だから何とかしてあげようとする傾向があり、応え続けた結果、いつの間にか自分が追い詰められてしまっていることも…。考え方は人それぞれですが、Aさんに1万円で提供したことを友達Bに千円で提供したら、それはAさんを騙したことになると私は考えているので、同じ条件で提示しています。だから、プロの美容師の友達に髪を切ってもらうときも、プロのカメラマンの友達に写真を撮ってもらうときも、私は正規の費用を払ってお願いします。「お金にうるさい人だと思われてしまうのでは?」と心配する人がいるかもしれませんが、相手の仕事をリスペクトできない人はきっと友達の中にはいないはずです。

 

 

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自分の趣味嗜好を優先?

 

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 お客さんから依頼されるデザインの仕事。デザイナーの考え方や感性を買われて依頼される場合を除けば、基本的にはお客さんの考え方や感性に合わせてつくり上げることになります。こちらがつくりたいモノではなく、お客さんがつくりたいモノ。きちんと考え抜いて提案するべきものではありますが、自分の趣味嗜好やこだわりを優先させてはいけないというのが私の考えです。

 

私は誰かを介して仕事をいただくことが度々あるんですが、間に入っている方の趣味嗜好が色濃く出過ぎてしまうことが原因で、良い結果に辿り着かないことも正直あります。当然、私の力不足も否めないのですが、お客さんの希望ではなく、自分の満足を優先させてしまうために、仕事の質が低下してしまうわけです。一方で優秀な方が間に入っていると、ほぼ100%お客さんの満足のいく形になります。ちなみに誤解を招かないようにお伝えすると、お客さんが「こうしたい!」が、本当にやりたいことをうまく言語化できていない場合もありますし、目的を達成するための良い手段でない場合もあります。ですので、まずお客さんの「こうしたい!」が良い手段であるかを見極め、別の手段を提案することも必要です。もちろんそこに趣味嗜好は入れずに。

 

 

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できないと思われたくない?

 

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 SNSが登場してから自身でやりはじめるまで、だいぶ時間がかかりました。「あまり自身のことを発信するのが好きではなかったから」と表向きには言っていますが、本質的な理由はきっと、「自分が頭がわるいと思われたくない」「センスがないと思われたくない」からだったと思います。

 

例えば、会議などで発言しない人に対して、何でもいいから発言してほしいと思う上司。何を発言したら良いのか分からない、内容が思いつかない、自分の意見を言うのが恥ずかしいから発言しないのだと考えているのではないでしょうか。あくまで私の想像ですが、発言しない理由は「できないと思われたくないから」。これから活躍していきたい環境で、不用意な発言をして信頼を失ってはいけない!と思ってしまうのだと思います。だから、そのときは周りがくだらない発言を織り交ぜたり、ハードルを下げる工夫をしてみるのがオススメ。私がやっているSNSもブログも、正直なところ皆さんの関心を引く内容でも質が高いわけでもありませんが、今の自分をそのままさらけ出すことが仕事では大事なのだといつしか思うようになりました。今でも、すごい!と思われたい気持ちは若干残っていますが、今はすごくないのだから仕方ありません。

 

 

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突き抜けるチカラ?

 

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 1年前ぐらいに、先輩デザイナーさんたちとお話させていただいた際に口を揃えて言っていたことがあります。「これ、突き抜けてるよね!」1000を超える作品の中で、皆さんが同じ1点を指してそう言っていました。

 

私もその作品を拝見させてもらったんですが、確かに他とは別格。周囲からその声があって影響されたからということも少なからずあると思いますが、自分の目で見て、その作品から良い意味の圧を感じたのをよく覚えています。そのときの他の作品が劣っていたわけでは全くありません。むしろ、テーマをよく理解してそれぞれの切り口で分かりやすく表現されたものばかり。ただ別格の1点は、「美しく表現しているな」「分かりやすいな」ではなく、「美しい」「わかる」になっているんですよね。こちらが意図を汲み取ったり、噛み砕いて理解する必要が一切ない。突き抜けるチカラ。私自身、“突き抜けるチカラ”が足りないと度々諸先輩方から指導を受けましたが、確かにそのぐらいでないと、やっぱりその道で必要とされるまでには至らないように思います。日々勉強の毎日ですが、これを習得するには、まだまだ時間がかかりそうです。

 

 

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触っただけで区別できる?

 

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 どうでもいい話で恐縮ですが、私は髪を洗うときに目を閉じて洗います。だから、シャンプーは視認できても、コンディショナーを手に取るときは視認ができません。でも、日本のメーカーはよく考えているもので、シャンプーとコンディショナーのポンプをプッシュする部分に異なる凹凸を付けていたり、ボトルの高さを変えていたりするので、目を閉じたままでも区別することができます。

 

20代前半に、初めて一人暮らしをした際、誰が来るわけでもないのに格好をつけたくて、シャンプーとコンディショナーを入れる統一感のあるおしゃれなボトルを買いました。背格好も同じで無機質で、極めてシンプルなボトル。でも、すぐに使うのをやめてしまいました。詰め替えが面倒などの理由ではなく、目を閉じた状態で区別ができなかったから。その頃はきっとまだ、“シンプル”の意味を理解できていなかったのだと思います。何もないことが“シンプル”ではなく、きちんと機能するものが詰まっていて無駄がないことが“シンプル”。薬局に並んでいる日本のメーカーのシャンプーボトルは、おしゃれな雑貨屋さんに置いてあるボトルよりよっぽど“シンプル”で美しかったりします。

 

 

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試して変えて、試して変えて?

 

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 若い頃からプロダクトや紙系のデザインに携わることが多かったからか、一発で完璧な形にしないといけないという呪縛がしばらくありました。手直しができないモノなので、はじめから100点満点を目指してしまうわけです。

 

でも、Webデザインや空間デザインに関わっていく中で、その考えにあまり囚われすぎなくなりました。やっていく中で、精度を上げていく方法があることを身をもって経験できたからです。Webデザインなら、公開してから少しずつ改善してどんどんいくことが当たり前で、空間デザインでも、オープン後にテコ入れをすることが度々ありました。もちろん、それらについても100点を目指して進めます。ただ、そこからさらに精度を上げられる。お笑い芸人さんが、ネタを試しては変え試しては変えを繰り返して、どんどん精度を上げていくのと同じ。対象にもよるところではありますが、はじめから完璧を目指しすぎるとタイミングが遅くなってしまったり、考え方が窮屈になりすぎてしまったりします。90点で公開するのが許せないという気持ちはとてもよく分かりますが、時にその判断が100点に近づくための最短ルートになっているかもしれません。

 

 

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相談された=信頼された?

 

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 飛び抜けた才能があるわけでもなく、第一印象が決して良いわけでもない私は、はじめての人に信頼してもらえるようになるまで、結構な時間がかかります。最後まで信頼してもらえないかったときも正直ありますし、あまり好意的でなかった人が急接近してくれたことも♪

 

私の中で、信頼してもらえたかどうかを判断する基準の1つは、相談してもらえたかどうかです。相手にとって役に立つ情報を提供したり、相手の課題を解決するような具体案を提案したりして、それらを「ふんふん、なるほどね!」と仮に聞いてもらえたとしても、その後に相手から相談されなければ、それはまだ信頼されていないということ。相手が話をちゃんと聞いてくれたりすると、「よしっ!関係が築けた!」と思い込んでしまいがちですが、実際は大人の対応をしてくれただけで、その後の進展がないパターンが多い印象です。信頼されたかどうかは、相談されたかどうか。こちらが何かを伝えて、相手からかえってきたのが伝えた内容に関しての質問なら△。「実はね…」と今困っていることや、自分たちの課題を話してくれたら○。相手から次回までに用意してほしいことを求められたら◎です。

 

 

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いつ無くなるか分からない?

 

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 私は現在、フリーランスとして仕事をしてます。だからなのかは分かりませんが、1つ1つの仕事がいつ切れてもおかしくないと常に思って仕事をしていますし、成果が出ていないことに対して厳しく追及されることをごく当たり前のこととして認識しています。明日、仕事が全部無くなっても、それは仕方のないこと。

 

社員として企業に属している人の中にも、もちろんシビアに物事を捉えている人はたくさんいるんですが、私が出会った一部の人たちは、「正社員=護られている存在」だと極端に捉えているように感じました。例えば、業績が悪化した場合に、減給やボーナスカットとなったら「それは困る!」と憤慨してしまう…。上から求められる成果を上げられなかったとき、もしくはより大きな成果を上げられるよう厳しく求められたときに、「それなら報酬を上げてほしい!」と声をあげる…。実際にそうなったわけではなく、あくまで例えの話ですが、そんな印象です。公務員や大企業なら、ある程度護られるのかもしれませんが、中小企業の多くは常にシビアな状況の中にいます。だから、様々な局面を乗り切るために、時に厳しいことを突きつけられることもある。それをやりがいと捉えて前を向けるとよいのですが、“護られている”とばかり考えてしまうと、そこで気持ちが折れてしまうかもしれません。

 

 

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魅力を浸透させるのは難しい?

 

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 この前、あるデザイン関係の会社で働いている方から、募集をかけてもほとんど応募がなかったという話を聞きました。その会社は、デザインに携わっている人やデザイナーを志す学生なら聞いたことのある会社。著名なデザイナーも在籍していて、その方個人で十数万人もフォロワーがいるようなところです。一般的な募集に加えて、SNSでの情報発信もしたそうですが、それでも難しかったという話でした。

 

仕事の内容を聞く限り、もし私が20代で独り身だったらぜひ応募したいと思うもの。だから、今そのぐらいの年齢の人だったら、きっと応募するだろうと私も不思議に思ったのですが、現実は厳しいようでした。その理由について、私の勝手な見解では、魅力を伝えきれていないのではないかと考えました。それまでは、広く知らせられていない、対象者に伝えきれていないことが、応募が少ない原因だと考えましたが、この話では情報自体は広く伝わっているのに応募が少ないという結果になっています。つまり、伝わっていないということです。難しいのは百も承知ですが、これから考えていくべきことは、伝える数ではなく伝え方なのだとあらためて認識できました。

 

 

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知らないお店はちょっと不安?

 

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 皆さんは、ちょっと大きな買い物をするとき、どんなお店で購入していますか?すべての人に当てはまるわけではありませんが、きっとそれは自分がある程度知っているお店のはずです。1,000円ぐらいならどんなお店でも商品を気に入れば購入するかもしれませんが、1万円以上の買い物はもちろん、10万円を超えるようなら知らないお店で購入することはほとんどありません。

 

自分の購買行動を客観的に見てみると、どういうときにどんなお店を利用しているかよく分かるのですが、これが商品を提供する側になると途端に分からなくなります。例えば、ソファ。「ソファがほしい!」とお客さんが思った時点で自分たちの商品を知ってもらえれば、購入してもらえる可能性があると普通は考えます。でも、前述のとおり、高額になればなるほど知っているお店で安心して購入したいという心理がはたらくわけですから、それまで知らなかったお店が急に目の前に現れても、そこで買おう!とはなかなかなりません。そのためには、検討するまでにその人にとっての“知っているお店”にしておかなければいけないわけです。これは結構大事なことで、それをきちんと分かって施策をとっているお店は、厳しい状況に直面しても何とか乗り切っているように思います。

 

 

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原稿を読むと入っていかない?

 

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 ここのところ、人前で自分の意見を伝えたりする機会がちょくちょくあって、「あ~、伝えるのが下手くそだな…」といつも落ち込むんですが、そんな中でも「これは伝わった!」と実感できるときもあります。それは、伝えている内容云々ではありません。

 

伝えているときの自分を見てわかったのですが、用意した原稿を見ながら話していると伝わらないんですが、原稿を読まずに話しているときは伝わりやすい。どちらも相手の目を見て自分の言葉では話していて、もろに読んでいる感じも出していないんですが、実感として読んでないときのほうが伝わっている気がします。あるテレビ番組で、カンペをそのまま読んでいる演者さんの話は、共演者や視聴者の耳に入っていかないと言っていましたが、確かにそうかもしれないと今なら共感できるところがあります。きっと、話しているときの注意が話し相手以外(原稿や資料など)に向けられていることを、話を聞いている人は敏感に感じ取るのでしょう。それ以来、多少伝える内容が前後したり内容が変わってしまっても、原稿やメモを見ずに伝えるようにしています。

 

 

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大人が納めたのはホコではなくタテ?

 

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 最近、こわい先生や上司や先輩といった存在を見かけないことが多くなりました。手をあげることなんてまずありませんし、怒鳴りつけているのも見かけません。何かにつけてパワハラと言われてしまったり、怒るとすぐに辞めてしまったりと、怒ることができない世の中になっています。

 

大人たちが怒るのをやめたのが、攻撃するのをやめたと勘違いしている人が多いのですが、むしろやめたのは守ることです。その人のために言わなければいけないことを言わなくなる。ここで考え方や間違いを正しておかないと、これからきっと困る。それをやめたということ。なので結果としてこわい大人がいなくなってシワ寄せがきているのは、若い人たちということになります。昔こわい存在だった大人たちの中には、うさ晴らしに怒っていただけの人もいたかもしれませんし、自身の立場を利用して権力を振りかざしていた人も少なからずいたと思いますが、基本的に怒るという行為は相手のためのこと。自分たちを守るために、こわい存在を拒絶していった結果、守られなくなってしまったというわけです。若者たちはそろそろ守ってくれていたことに気付くべきかもしれません。

 

 

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私に関係のあることだ?

 

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 アーティストの楽曲。それ自体が素晴らしい魅力を持っているのに、どうしてTVドラマやCMとタイアップする必要があるのか?と思う人もいます。もちろんそれは、双方の利益のためにやっていることですが、仮にアーティスト側に立ってみると、その理由の1つが見えてきます。

 

あるAという楽曲があって、普段だったら自分の好みとは違うので全く興味を示さないものだったとします。だから、その曲をダウンロードすることもないし、CD屋さんで手に取ることもありません。でもその曲が、自分が好きで観ているTVドラマの主題歌になっていたら、大きく変わります。自分が好きなTVドラマに使われている楽曲に変わる。言い換えれば、自分に関係のある楽曲に変わるわけです。すると、今まであまり聴いてこなかったテイストでも受け入れられたり、むしろのめり込んでしまったりします。自分に関係のあることになったから。そのもの自体にたっぷり魅力があると、その魅力を発信すればよいと考えてしまいますが、それではもともと好きな人にしか届きません。好きになってくれるかもしれない人に届けるための行動をとることで、それは変えることができます。

 

 

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