デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

良いことが起きないならマル?

 

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 毎年元旦の昼過ぎぐらいにのんびり初詣に行きます。昨年は良くないことも多々あったので今年こそは!とお願いして、おみくじを引いてみると、そこにあまり良いことは書いてありませんでした。ただ、わるいことも書いてありませんでした。

 

今までだったら、がっかりしていたと思いますが、今年はなぜかホッとしました。良いことは起きないけど、わるいことも起きないからです。昔の私はとても欲深くなっていて、コンクールのようなものだったら最高の賞でないと満足できなかったり、デザインの提案が採用されても相手が嬉しそうでなかったらどこか物足りなさを感じていました。自分で言うのもなんですが、入賞するだけでもそれはとてもすごいことだし、採用されたということはそのデザインが認められたということ。それなのに、自己満足を優先してしまって、せっかく得られた結果も噛み締められなかったように思います。わるいことが起きないってことはとても幸せなこと。今でも少なからず欲はありますが、なんでもないことになぜか素直に喜べるようになりました。良いことが起きるに越したことはないのかもしれませんが、ちょっとしたことに幸せを感じられると毎日がとても楽しくなります。

 

 

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待たせるほどハードルは上がる?

 

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 行列に並んでまで食べたいものはほとんどないんですが、過去に何度か並んで食べたときの感想は「まぁ美味しい」程度でした。それだけ人気があるぐらいなので、きっとめちゃくちゃ美味しいはずなんですが、長い時間待っているうちに、どんどん期待値が上がって評価が厳しくなってしまったのだと思います。

 

一方で、待っている時間が期待値を上げることもあります。誰もいない普通の日に神社でお参りをするのと、初詣で行列に並んでするのでは、有り難みが少しちがう感じがします。それらを整理して考えてみると、待った分の満足感は得られるけど、待たされる時間が長くなりすぎると期待値が上がりすぎて評価が厳しくなる、といったところでしょうか。なので、提供する側で言うならば、素直に評価してもらいたいなら待たせすぎてはいけないし、満足してもらいたいなら絶妙な具合で待ってもらった方がいい。その塩梅は、当然人によって異なりますし、正確に見定めることはできません。とはいえ、そこを考えることで、同じものでも評価や満足感がガラリと変わります。絶妙なタイミング…。いつも厳しい意見をもらっているとしたら、それはもしかすると提供するタイミングのせいかもしれません。

 

 

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いま働いている人がいる?

 

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「夕食がランチ価格で食べられる」と聞いて、そのまま単純に、ディナーの価格が安いお店があると考えることもできますが、ランチの時間に夕食をとる人もいると考えられるようになると、出せるアイデアの幅がグンと広がります。別の側面から考える。

 

朝のニュース番組を担当しているアナウンサーの方などは、深夜から働いて午前11時に仕事が終わるかもしれませんよね。自分の中で流れている時間とは別の時間、違ったリズムで生活している人を想像してみるわけです。試しに身近にいないような全くの別人になりきってみたりすると、世の中が180度変わって見えたりします。昼間働いている人のランチは、別の人にとっては夕食に該当する。あくまで私の感覚ではありますが、そうやって見ていくと、今まで出していたアイデアとは視点の異なる発想が出やすいと思っています。だから、アイデア出しが煮詰まったら、別人になってみます。自分がそれを安いと思っても、毎日チェックしている人にとっては高いかもしれない。そんなふうに考えていくと、次第に当事者の立場になって課題解決に取り組めるかもしれません。

 

 

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たまにはダラダラする?

 

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 新年を迎えると、毎年これでもかってぐらいダラダラ過ごしています。朝からおせちをつまみにお酒を飲んで寝て、起きたらまたつまんで飲んで寝て…。初詣も元旦には行かないので、一歩も外に出なかったりします。

 

私はもともとの性分もあって、お正月に限らず、ダラダラ過ごす日がたまにあります。本当に何もしない。でも、この無駄な1日が私にとってはとても良いリセットになっていて、次の日から頑張れたりするんですよね。美味しいものを食べに行ったり、銭湯に行ってサウナやマッサージをするのとはまた違ったリセットです。若い頃は、どちらかといえばストイックにやってしまうタイプだったんですが、ある時息切れを起こしました。その息切れを復活させるのに結構な時間がかかってしまって、「これは日頃からこまめにリセットしないとダメだな」と学び、それ以降はいろんなリセット方法を持つようになりました。舞台を観に行く、スポーツをする、銭湯に行く、プチ旅行をする、そしてダラダラする。それらをこまめにやっています。皆さんもたまにはダラダラ過ごしてみてはいかがでしょう。

 

 

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来年も現状維持?

 

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 2019年は私にとってここ数年の中では激動の1年でした。良いこともわるいこともたくさん起こって、ずっと頭の中が何かでパンパンになっていて、余裕を持って生活を送れなかったような気がします。でも、本当に濃い1年でした。

 

年末になると、いつも来年の目標なんかをぼんやりと考えるんですが、私の2020年の目標は「現状維持」にしました。来年も今年1年間と同じくらい楽しく大変な1年にしたいと思っています。そのために、新しいことにチャレンジしたり、少しでも行動を増やすつもりです。たぶん、自分が詰め込みすぎだと感じるぐらいやらないと、今年と同じぐらい1年にはなりません。やってもそうなるとは限りませんが、増やさないと現状維持もできない。私は来年40歳になります。単純に年齢で判断されるようなことはありませんが、今までギリギリ大目に見てもらえたところもシビアになっていきます。だから、同じスタンスで仕事をしていても、今年と同じように頼ってもらえない。自分の人生にとって岐路になりそうな来年は、「現状維持」をするために、必死にもがこうと思います!

 

 

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意味はないブログ?

 

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 このブログについて、仲のよい人からは「やってる意味あるの?」と、何のためにやっているのか問われたり、内容の無いブログはかえって評判を下げると言われたりもします。確かにそうなので何も反論できませんし、残念ながら意味もなく続けています。

 

広告も貼っていないのでお金は入りませんし、何なら広告を外すお金を払って続けています。時間と労力もそれなりに使いますし、時には批判も浴びます。このブログがきっかけで何かにつながったかといえば、媒体に掲載する記事を依頼してもらえたぐらいで、報酬もお小遣い程度。これまで1750記事ぐらい書いてきて単純に大赤字です。毎日投稿することで、仕事で関わった人たちに忘れられないようにとも思っていた時期はありましたが、それも今は狙っていません。続けることがただ単に習慣化されているだけで、本当に意味もなく続けているわけです。で、私が何をモチベーションにやっているかというと、ブログをやっていると頭が回る(ような気がする

から。何の根拠もありませんし、たぶんやめても変わりません。でも、私はそんな意味のないことをやるのも必要なのではないかと思っています。

 

 

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そこにあるから美しい?

 

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 デザインを仕事にするようになって間もない頃、自分がいかに偏ったモノの見方をしていたかを痛感したことがありました。「それが美しいのはそこにあるから」言葉の意味が広域なので、変に説明することは避けますが、意味の1つは、別の環境に移して同じように感じるかはまた別の話だということです。

 

例えば、建築デザインを専攻していたある同級生は、学生時代、海外の建築物を素晴らしいと絶賛する一方で、日本の現代建築にはあまり関心を持っていませんでした。私も同じで、海外のデザインをカッコいい!と思ってばかりいたのですが、ある海外製品が日本で販売されるようになって興味津々で見に行ってみると、そこでは私が感じていた魅力が少し欠けていました。その国のその環境のその場所で使われる製品だったからです。一番それが輝く場所から、特にそこに合わせて作っていない場所に移したら当然魅力は落ちます。そこに合わせて作られた商品であっても、スタジオで撮影されたキレイな写真で魅力を感じて商品を買ったのに、それを実生活の中に置いたらその魅力が無くなっていた、なんてこともあります。

 

 

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同じ答えが出せて満足?

 

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 学生の頃、先輩や講師やプロのデザイナーの人と似たアイデアが出せると、なんだか同じ土俵に立てたような気がしてとても嬉しい気持ちになりました。でもそれは、ただの勘違い。自分もその領域に届いたような錯覚をしてしただけでした。

 

まず大前提として、プロと学生のアイデアは同じではありません。仮に表層が似ていたとしても、その奥には知識量や経験値、思考力に大きな差があります。導き出す過程はどうでもいいと思う人もいるかもしれませんが、結果物だけではアイデアとは言えない。きっとそのアイデアの良さを説明しきれないはずです。そして、また別の視点で捉えると、デザイナーとして生きて行こうと思っているのなら、他人と同じ発想をしていてはダメだということ。大堂を考えられるようなることは大事ですが、他人とは異なるアイデアが出せるようになるのはもっと大事なことです。自分が考えたものが既に世の中にあったりすると、変な自信が湧いてしまってそれはそれで良いのですが、同時に「う~ん同じ発想をしていてはダメだなぁ」とも思わないといけません。私はしばらくその感覚が嬉しいだけで止まってしまっていたので、同じような人はご注意ください!

 

 

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この広告キライは要注意?

 

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「この広告きらいだな~」誰しもそんな風に感じることはありますが、お店のPOPでもチラシでも、もしそういった広告を作る側の立場にいる人だったら少しだけ注意が必要です。ターゲットに感心を持ってもらう、という広告本来の役割が染み付いていないから。ターゲットではない人が、その広告を見ておもしろくなくても、特に問題ではないからです。

 

私自身も利用しているお店やサービスの広告で「嫌いだな~」と思うものも確かにあります。ただそれも、私がメインターゲットではない場合。利用中のお客さんではなく、新たに利用してほしい人たちに向けたものなら、利用中の人にあまりハマらなくても納得ですよね。だから、もし「これ無いわ~」と思う広告があって、そこに疑問を持たなかったら、自分にはターゲットが見えていないのだと思うようにして、本当のターゲットが誰なのかを探してみたりします。そして、いつか自分がそのターゲットに向けて何かを発信する際の参考にする。「嫌い」で終えてしまっていたら、実際にその表現がターゲットに対して効果を発揮していたとしても、自分がその手段を選ぶことは無くなってしまいます。

 

 

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できない量をやる?

 

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 家の近所のケーキ屋さんでは、クリスマスがくるたび、年々注文量の増えるケーキを毎年どうやって用意するかで頭を悩ませています。具体的な方法はそのお店の裏側を明かすことになってしまうので伏せておきますが、絶対無理!と声は上がるものの、用意数を減らしたり、注文を制限したことはありません。

 

今年の注文数をそのお店の方達が5年前に対応できたかというと、たぶんできなかったと思います。それなのに今年対応できたのは、年々対応できる上限を引き上げてきたから。できない量をやり続けているから、できる量が増えているわけです。他の仕事でも同様ですが、できない量をやるのはとても大事なことだと思っています。それは、対応できる量を増やすためではありません。「できないと思ったことができた」という経験をするためです。一度そういった経験をすると、仮に無理難題が降ってきても物怖じしませんし、自然とできる手段を探すようになります。そして、大量の依頼が入ってこなくても、これまでギリギリでやっていたようなことが楽にできる。できない量をやる。昨今の職場ではそんな無茶振りはされないと思いますので、自分で探してでもやってみてはいかがでしょう。きっと次から楽になるはずです。

 

 

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罫線無しのノートに変える?

 

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 罫線や方眼の入ったノートを大学生から使わなくなりました。使うのは無地だけ。絵を描くのが下手だった私は、罫線や方眼を頼りにイメージパース図を描いていたのですが、それではいつまで経っても上手くならないと指摘されて以来、無地を選ぶようになり、いくらか描けるようになったように思います。

 

無地のノート使う私なりのメリットはいくつかあって、1つは描き始める前からほんの少し頭を使う点。どこから描きはじめるか?これから描く内容にはどう描くのが適しているか?など、描き方を考える点です。仕事柄、頭の回転を鈍らせないように気を使っているので、私には丁度いい刺激です。特に手描きで図面を引いていた頃は、完成形を頭に描いていないと全体を用紙に収められなかったので、よく頭を使っていた気がします。もう1つは、矛盾しているようですが、展開が自由な点。アイデアを考えるようなときには上下左右に思考を展開できますし、罫線や方眼の目盛りに捉われずに描き進めることができます。横書きで文章を書くと右肩上がりになってしまう癖がありましたが、無地のノートに変えてからまっすぐに書けるようになりました。

 

 

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いい話でほっこり?

 

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 ここ数年、人にフォーカスした広告が多くなりました。映画の1シーンのようなとても温かいストーリーだったりして、観るとほっこりするんですが、そのストーリーや画は頭に残るものの、同時に「あれ何のCMだっけ?」となることもあります。

 

宣伝の臭いがするのを嫌がる人が多いことなどから、あえてそうしているのかもしれませんが、やっぱり広告である以上、自社のサービスや製品のアピールが何かしら入っていないといけないと私は考えています。企業イメージの向上や、株主や顧客に向けての業績好調のアピールといえばもっともらしく聞こえますが、それは目的っぽいけど目的ではない。私は若い頃から、「目的!目的!目的!」と言われ続けたこともあって、明確な目的をもっていない表現は意味がないという考えになりました。人にフォーカスしたCMを例に挙げましたが、実際その中の大半はきちんと目的を果たしています。ただ、似たような打ち出し方はしていても目的を果たしていない(目的が明確でない)ものも…。観ていて気持ちのよい広告は目指すところではありますが、それが機能していなければあまり意味がないようにも思います。

 

 

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自由度の高いフォーマット?

 

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 1年ごとに変わる大企業のCM。途中で新たなサービスが生まれたり、料金プランが変更になったり、世の中の動きに合わせて打ち出し方を変えたりと、スタート時に想定していなかったことが度々起こります。それでも、実際のCMを見ていると、元々考えられていたかのようにハマっていて驚きます。ケータイ各社のCMのフォーマットづくりなんかはとても参考になります。

 

フォーマットを固めすぎると変化についていけない。フォーマットを曖昧にするという意味ではありませんが、長期的に1つの方向性で打ち出していこうとするときには、そこに変化に対応できる自由度がないといけないと考えています。固まっているけど、自由度も高い。そんなフォーマットが理想的。もちろん最初は固めていて、何か新しいことが加わったら柔軟に変化していけばいいという考え方もありますが、それが信用を必要とするサービスであったり、最初にコアなファンがついてしまったりすると、途中で変化することで離れてしまう場合もあります。大枠を変えずに変化していく。言うのは簡単ですが、実際にそんなフォーマットをつくろうとすると難しいんですよね。

 

 

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やりたいけどやらないところ?

 

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 クリスマスツリーを飾るのは少し手間のかかる作業ですが、時期がくれば飾ります。そこにさらに綿を使って雪が積もった演出をしようとするかというと、そこまでやる人は少なくなるような気がします。ただでさえ面倒なのに、綿をつけたら木に絡まって片付けなども大変そうですよね。ただ、そういう所に目をつけられたらビジネスチャンスです。

 

やりたいけどやらないところ。冒頭の話の雪を表現する綿だったら、同じような表現ができて簡単に付け外しができるものがあれば、それは飾り付けに使う人がきっと増えてくる。さらに小さな子が口に入れられない大きさ、毛が抜けない、落下しないなど機能性が加わればさらに魅力的になって、その商品は売れると思います。でも、あまりそういった点に注目しない人もいます。理由は、「みんながやりたがらないことだから」で片付けてしまうからです。もちろん、本当にやりたくないこともありますが、もう少し踏み込んでいくと中には「やりたいけどやりたがらないこと」が含まれています。そこを見つけられたら、それはチャンス。嫌いって言ってるけど本当は好き、みたいなことがたくさん隠れているので、試しに見つけてみてください。

 

 

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