デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

出るまで考え続けるだけ?

 

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 決してアイデアを出すのが得意ではないんですが、私がいろんなことをやっているからか、たまにアイデア出しのコツを教えてほしいと言われたりします。私自身も、アイデアがたくさん出てくる人を羨ましいなと思っているぐらいなので、逆にそんなコツがあるなら教えてほしいぐらい。ちなみに私が聞かれた時の答えはいつも、「出てくるまで考えるだけ」です。

 

少し考えてアイデアが出ないからと、すぐにコツを探す人がいます。どれだけ考えてもアイデアが出てこなかったりすると、何か考えるヒントはないかと方法を探す人がいます。本当に目一杯考えて出なければ、そうなるのも頷けますが、本人は目一杯のつもりでも、実際はきっとそこまで考えていません。なぜなら、私の知る限り、アイデアを出す人は出るまでひたすら考えているだけだからです。アイデアを出す人は、どんなに不調でも、どんな場所でも、気持ちが乗らない時でも、必ずアイデアを出します。ポンポン出しているようでも、それを出すまでにめちゃくちゃ苦労している場合もある。簡単そうにやっている人は、天才か、もしくは裏側を見せないようにしている人です。コツや方法はきっとあるのだと思いますが、まず自分でどうにか出すことをせずにそれを聞いてしまっても、たぶん意味がないような気がします。

 

 

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獲れたらいいな?

 

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 若い頃に、自分の提案が採用されて喜んでいると、ある人から「それでは意味がない」と喝を入れられたことがあります。採用されたら嬉しいな♪ぐらいの気持ちでやってはダメ。それでは結果が採用であっても不採用であっても、どちらにしても身にならないという話です。ラッキーパンチが当たって喜んでいるようじゃ、次も当てることができない。

 

ここ数年は特にそれを意識していて、関わるものは全て採用されるように進めています。これなら採用されるだろう程度ではなく、絶対に採用されるところまでやる。「そんなの気持ちの問題でしょ」と言われてしまいそうですが、その気持ちが行動を変えます。うまく言えませんが向き合い方が変わる。例えば、それまですぐに作りはじめていたようなものも、簡単には着手しません。調べて、読み解いて、自身で消化して、導き出す。そうやって、あくまで自分の中での話ですが、絶対に採用される答えを考えるわけです。そんな感じなので、もしかすると昔の方が仕事は早かったかもしれません。でも、そのやり方をしないと本当は意味がないんですよね。今では、どんな仕事でも不採用になると本当に落ち込みます。

 

 

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境遇を言い訳にできない?

 

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 昨日に続き、またプロレスの話で恐縮です。私が試合観戦した団体には、小柄なレスラー、他業種から転向したレスラー、会社員として働きながらやっている人、など様々な人が所属していました。最初からその道を目指していない、恵まれた体型や運動神経の持ち主ではない場合も多々ある。そんなプロレスラーがいる以上、それらを自分がレスラーになれない言い訳にできないということです。

 

私は今現在もやりたかったデザインの仕事に関われていて、きっと恵まれている方だと思います。それでも、境遇を理由にして諦めそうになったことが度々ありました。「美大に入っていたらな…」「あの企業やあの事務所に入れていたらな…」そんな愚痴をこぼす感じ。でも実際には、そうではない道のりを経て活躍している人がたくさんいるんですよね。ある時、「審査員が卒業した大学の学生や、大手広告代理店の若手しか選ばれない」と噂されているデザインコンペで偶然入賞して、そんな言い訳はできなくなりました。どこから出てきたかもよく分からない噂を信じて、それを言い訳にしていた自分が本当に恥ずかしいです。私が言える立場ではありませんが、自分を不遇だと思ってしまっても、それは言い訳にならないので口に出してはいけません。

 

 

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思いやりを持ってぶつかる?

 

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 先日、初めてプロレスを観戦しました。後楽園ホールにも一度行ってみたかったので、楽しみにしていたんですが、期待以上の魅力にこれからハマってしまいそうです。それまで、勝手なイメージを持っていましたが、実際に観るのと知っているのではやっぱり別物ですね。

 

私が一番心を打たれたのは、相手を思いやって戦っているところ。リングサイドで観ていたんですが、場外乱闘になって目の前にきたとき、フェンスに投げ飛ばしたり、髪の毛を掴んで起こしたりしているものの、そこには優しさが溢れていました。こんなことを言ったらプロレスファンの方に怒られてしまうかもしれませんが、受け身を取れるように投げるタイミングや体勢を図っていたんですよね。髪の毛を掴んで起こす際も、ワキに手を添えていたのが印象的でした。相手と本気でぶつかっていくときに、この思いやりがあるか無いかで、そこで生まれるものや得るものが全く違うと思っています。自分の都合だけ押し付けて、相手のことを無視していても、それはただ一方的な攻撃なだけで、ぶつかっていることにならない。ぶつかり合うなら、相手を受け入れて、思いやりを持ってぶつかるべき。プロレスラーって本当にかっこいいですね。

 

 

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次の準備は終わってから?

 

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 出先で遅めのランチをとっていると、店員さんがディナーのセッティングをはじめました。まだ食べはじめたばかりでしたが、早く帰れと言われているようで少し居心地がわるく、後から入ってきたお客さんは、そのセッティングの邪魔にならない入り口付近の席に案内されていました。窓際の良い席がたくさん空いているのに…。

 

効率よく仕事をこなすことは大事なことだと私も考えています。だから、後々やるべきことが今できるなら、前倒しでやってしまった方が後が楽なのはよく分かります。ただ、今やるべきかどうかは慎重に判断するようにしています。例えば、自分の役割が完了しても、目の前でその仕事をしている人がいたら、その人の仕事を手伝う。次の準備は終わってからやろうと考えます。もちろん、1つを終えてから次に着手するのは非効率です。それでも、一緒に仕事をする人からすれば、あの人はもうこの仕事から離れて別のことを考えているのか…と思ってしまうかもしれません。バトンタッチしていく仕事であっても、できる限りその仕事の中に居る。少なくとも、もう別の仕事に移行していることを感じ取られてはいけません。

 

 

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いつ変わったか覚えていない?

 

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 皆さんは、電車のつり革が丸い輪っかから三角になったのがいつ頃か覚えていますか?きっと変わったばかりの時は、印象的だったのだと思いますが、しばらく経つと、それがいつ変わったかは覚えていないし、それを気にしている人はほとんどいないのではないでしょうか。

 

変えるタイミングを気にして、なかなか変えられないといった話をたまに聞きますが、それを気にしているのは自分たちだけだったりします。実際に変えてみると、少しの間は話題にされたりしますが、もう少し経つと誰もそのことに触れません。私も以前は何かを変えるときに、タイミングを考えて実行が遅くなってしまったり、変えることを見送ってしまったりしていました。でもある時、自分が不安に思っていることが、誰もそこまで気にしていないことだと知り、変えることを躊躇することがなくなったんですよね。大きく変えたりすると、周囲がザワついてしまったりするかもしれませんが、それもその時だけ。もちろん、タイミングを考えることも大事なことではありますが、気にしすぎてしまうとどんどん後手になってしまうので、チャンスが訪れる前に変えてしまうのもアリです。

 

 

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抜け道を知っていてもルールを守る?

 

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 朝の駅のホームで、電車のドアの位置表示にギッシリと列ができていました。でも、ふと見てみると表示のないところにいる2~3人。電車が到着すると、その表示のないところにもドアがありました。そのことを知っている人が並んでいたのでしょう。

 

こういった抜け道のようなものは色々あって、賢い人がきっとそうやっているのだと思いますが、私は典型的な日本人なので、あまり好みではありません。タクシー乗り場の行列を横目に、そこに戻ってくるタクシーを手前の道路わきで捕まえる方が賢いのは分かっても、それはなんだか気持ちがわるいんですよね。ルールを破っているわけでもないし、そもそも明確なルールがよく分からなかったりもするので、それを守る守らないの話ではないのですが、周囲があることを守っているのなら、それに合わせた方が良いと考えてしまったりします。デザインで、皆が平面作品を応募する中で、一人立体作品を出せば、注目されるのは分かっていても、それはどこか気持ちわるい。私にとっては、同じルールの中で行動することが、とても大事なことになっています。

 

 

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詰め切れていないポイント?

 

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 私は度々公募のデザインコンペに参加するので、審査の際にどんなことを聞かれるのか?という質問をたまにされます。よくある質問を答えても、そういったことは誰でも想像できると思ったので、私は「詰めきれていないポイントを突っ込まれますね」と伝えました。

 

少ない経験ではありますが、対面審査で実際に質問されたことの多くは、その作品で詰めきれていないポイント。「〇〇についてはどう考えていますか?」「それが〇〇である必要性は?」のような感じで、自分が詰めて詰めて考え抜いたはずの隙間を縫って、考えられていないポイントを突かれるわけです。審査員になるような人たちは、その粗がすぐに分かるので、質問に対してどうアドリブで返せるかも同時に見られているんですよね。だから、質問を想定するのも大事だとは思いますが、それよりも大事なのは、その作品を限りなく詰めていくこと。審査員が質問に困ったら、それはよく考え抜かれていると受け取ってもいいぐらいだと思います。用意していった質問回答なんてまず役に立たないので、その不安を払拭させたいとしたら、あらゆる面から作品を詰めてみることをオススメしています。

 

 

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後押しするデザイン?

 

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 少し前に参加した企業コンペ。結果的に受注を獲得できて、デザインで関わらせてもらった私は喜んでいたんですが、同じチームの1人は少し不満そうでした。プレゼンしたデザインから大きく変えてほしいと先方から要望が出てからです。私としてはそうなることは想定していたので、特に不満はありませんでした。

 

なぜ想定していたかと言うと、提案内容を分かりやすく伝えるためのデザインをしたからです。ユーザビリティや目的を説明するためのデザイン。もちろんデザイン自体が目に止まらなければ意味がありませんが、それを達成しつつも、提案内容に納得してもらう点を一番に考えました。プレゼンに参加していないのであくまで想像ですが、「こういう考えのもとにやってくれるならお願いしよう!」となったのだと思います。なので、そのデザインに対して後から注文が入るのは想定の範囲。まず、考えが伝わったので、次にデザインを詰めていけばよいと考えていました。過程のデザインでは、いろんな役割があります。何かを後押しするためのデザイン。主旨を伝えるためのデザイン。そこで求められるデザインが、最終的な答えに必ずしも近いとは限らないと思っています。

 

 

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大切にしていることを雑に扱わない?

 

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 あるラジオで、ラッパーの歌をただのダジャレと茶化したり、「こう聞こえる(笑)」とふざけたりしていました。もちろんバラエティーであって、そのラップが好きでリスペクトがあってのイジりではありましたが、ゲストに来ていたアーティストが、「歌詞に心血注いでいる人に対して、歌詞を茶化しちゃダメですよ!」と軽くツッコんでいたのがとても印象的でした。

 

その人が大事にしていることを茶化したり、雑に扱ってはいけない。私はデザインの仕事をしていますが、似た感じで扱われることはこれまで何度もありました。「なんかこうデザインっぽくしてよ!」「デザインした感じになってればいいから!」悪気なく言っていることだと分かっても、私が人生をかけてやってきていることを適当にされてしまうと、どこか悲しい気持ちになってしまいます。カメラマンにとっての写真。カメラマンに対して写真自体は大事に扱っていたとしても、光の加減や撮り方など細かなポイントを「適当で!」なんて雑に扱ってしまうこともあります。一緒に仕事をする人同士であれば、その人が大事にしていることをきちんと知って、こちらも大事に扱うことが必要だと思っています。

 

 

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直接受け取る?

 

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 先日、六本木で開催されているデザインの過程が展示された「マル秘展」に行きました。著名デザイナーさんたちのレベルに愕然とするのではないかと思っていましたが、自身がデザインをする過程と近かったり、似た詰め方をしていて少しホッとしてたりします。もちろん、考察の深さや多くの実験を経てデザインを着地させているあたりは、比べ物にならないぐらいはるか上にありました。

 

その展示会場で気になったことが1つ。たまたまかもしれませんが、結構な人が、展示を自分の目で見る前に写真を撮っていたことです。撮影OKの展示もあったので、参考として残しておきたい気持ちはよく分かりますが、メモ書きやスケッチなど、そのモノが持っている力や発しているメッセージ、匂いや空気を直に受け取れるせっかくの機会なのに、画面越しに見るだけではもったいないなと…。また、各々のデザイナーさんたちが展示に選んだものにも個性があって、一連の流れや俯瞰で見ることにも意味があったように感じたのですが、きっとそれは接写しているだけでは感じ取れないこと。あくまで個人的な意見ですが、こういった展示は、写真に残して満足してしまうよりも、直に見て感じとったり、目に焼き付けておくことが大事だと思っています。

 

 

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全体に貢献できる人?

 

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 テレビのバラエティー番組でキャスティングされるタレントさんに求められることの1つに、「番組を盛り上げられるかどうか」があるそうです。楽しそうに振る舞う。みんなと一緒に笑う。画面に映っている演者が、みな同じように楽しんで画づくりに貢献することが重要。自身がオンエアに乗ることや、センスを発揮したり、爪痕を残すことは3番目4番目。それが分かっていないタレントさんは、次から呼ばれません。

 

チームプレーができる人。よっぽど何か秀でた能力がある人を除けば、求められるのは全体に貢献できる人だということです。これは会社や部署、1つの仕事に関わるチームも同じだと思っています。自分がそのチームに貢献できるかどうか。だから、その場で自分の得意なことを無理やり盛り込もうとはしないし、自分のペースにしようとも思いません。全体が活きることを優先します。私はデザイナーとして働いていますが、そのチームで今デザインが必要とされていなければ、デザイン以外のことをやるのに違和感なんて抱きません。「自分は〇〇だから…」と、自分の力が発揮できないチームからは外れたいと思ってしまうことがあったら、求められているのは全体への貢献だと考えてみてはいかがでしょう。

 

 

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今の話を書面でください?

 

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 先日、ある備品を発注した際、発注指示に不備があると電話がかかってきました。仮に壁に掛けるタペストリーとしますが、不備の内容は寸法の指示が無いという内容。それだけ聞くと、確かに不備のように思われるかもしれませんが、注文時にB1サイズを選んでいたんですよね。不備の内容は、「その寸法を記入した指示書を送ってほしい」でした。う~ん…

 

もちろん私の見落としですし、その会社の中での決まりごとなので、文句をつけているわけではありません。ただ、相手も分かっているサイズを、あらためて書面におこして送るというのが、自分でやっていて「これ、何なんだろう…」と思ってしまいました。会社員時代も、「書面で…」という話が出ることがありましたが、電話口で話して伝わっているのにその後その内容をメールしたり、今目の前で許可をとったのにハンコをついてくれと言われたり、悶々とすることが多かったんですよね。責任所在を明確にしたり、間違いやトラブルを無くすための対応として、決して間違ったやり方ではないとは思いますが、たまにそんなことに直面すると、とても窮屈に感じてしまいます。

 

 

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相手が良いと思うものをつくる?

 

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 相手が良いと思うものをつくるべき。誤解のないように補足すると、これは相手の言うままにつくるという意味ではありません。デザインする側の考えはきちんとあるべきで、ただそれが相手が良いものになっていないとあまり意味がないということ。こちらの満足やプライドを優先してつくっても、まず上手く機能しないし、何より仕事として成立していないからです。

 

中には、求められることに応えるのにマンネリを感じたりして、自分でつくりたいものをつくる人もいます。それについて私は、半分賛成で半分反対。前向きで行動力のあるところは素晴らしいと思いますが、第三者の評価なしに作ったものにはどこか力が足りません。商品なら売れないし、作品なら見てもらえないし、広がっていかない。デザインしたものをつくってもらう会社がNOと言ったらそれは売れないし、YESと言ってくれたら売れる可能性があるということ。異なる視点が混ぜて成立させていくから、きちんと力を持ったものになると考えています。私も何かをつくりたい!と思うことはしょっちゅうですが、そんな考えがあるので自分の判断だけでつくることは避けてきました。

 

 

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