デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

目に入るもの全て〇〇?

 

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 ブログを書きはじめて約5年ちょっと。ここまで書いたらやめようと思っている目標の2000記事まで、あと50記事ほどになりました。内容はさておき、毎日書き続けてこれたことで、書くこと自体の苦手意識はいつの間にかなくなりました。

 

いつも偏屈な内容が多いので、残りの期間は、私が培ってきたアイデア出しの方法などを紹介していこうと思います。まず、煮詰まってどうしようもなくなってしまったときの対処法の1つが、そこに在るものを全て今抱えているテーマに置き換える「目に入るもの全て〇〇!」です。例えば、椅子のデザイン。「あのビルのあの形状、座りやすそうだな…」「この料理のここのラインがおもしろいかも♪」「あそこのゴミ袋に座ったら?」などなど。素材や対象はもちろん、人間の大きさや現実的かどうかは無視して、目に入ったものを何でもかんでも当てはめてみる方法です。そうやっていくと、それ自体は直接的なアイデアでなくても、新しい切り口やヒントになって展開できることが多々あります。これは、学生時代に臨時講師として来ていた今では第一線で活躍するデザイナーさんから教えてもらったもの。緊急時には役に立ちます。

 

こんな感じでご紹介していきますので、あと少しですがお付き合いください!

 

 

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語るのはこれからのこと?

 

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 過去の武勇伝を聞くのが好きな人は多分ほとんどいないと思いますが、私はそれ以上に「昔は私もできなかった」という話をされるのが苦手です。昔はダメ=今はスゴい。努力は素晴らしいと思いますが、「乗り越えた自分ってスゴイでしょ!」は、武勇伝を回りくどく言っている分、余計に拒絶反応が出てしまうんです。そういう私も度々やってしまっているので、きっと聞いている人はつまらないでしょうね。

 

単純に自分が楽しく話を聞けたときの内容を思い出してみると、それはこれからの話であることがほとんどでした。それが夢物語でも、どうなるか分からないことは想像が膨らんで楽しい。ただ、そうやって前を向き続けられる強い人ばかりではありません。私は過去を自慢する人と出会ったときに、一番輝いていたときの話をして自分を盛り上げようとしているのだろうと受け止めています。一方で、充実している人は未来の話をします。あくまで個人的な意見ですが、これからの方が楽しみだと思うのはとても大変なことで、精神的に強くないとなかなか思えません。自分を鼓舞する方法は人それぞれですが、半ば無理やりにでも「語ることはこれからのことにする」と決めてみると、自分自身はもちろん周囲の反応も変わっていくような気がします。

 

 

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好きになっていく感覚?

 

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「好きになっていく」という感覚が、最近は少なくなっているような気がします。自分が好むモノや情報を自由に選べるようになった今日、「はじめは何とも思わなかったけど、長く一緒にいたら好きになっていた」みたいな恋愛のような感覚が圧倒的に少ない。

 

最近はダウンロードやサブスクが主流になってきましたが、私はCDをジャケ買いするのが好きでした。当時は情報も少なかったので、そのCDの曲が自分好みかどうかは不明。当然、失敗することがほとんどでしたが、その失敗で選んだ曲も、せっかく購入したからと聞き込んでいるうちに、いつの間にか好きになっていたりするのが面白かったんですよね。この、何とも思わないモノや苦手なモノに触れ続けることで価値観が変わる魅力は、自分が予想していないところに着地するかもしれないという期待だと思います。今は良い意味でもわるい意味でも期待通り。ハズさない選択ばかりです。もしかすると、「はじめは失敗だと思ったけど、最終的には成功だったのかなぁ♪」みたいな経験があると、目の前の失敗をあらかじめ回避しようとしたり、失敗ですぐに懲りてしまったりしないようになるのかもしれません。

 

 

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スイッチを切り替える「間」?

 

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 会社に行って仕事をする。その必要性を問う声も多い昨今ですが、私は必要だと考えています。ちなみに私は出社するのは面倒だと思っているタイプ。テレワークが可能な仕事でその方が生産性が上げられるなら、むしろ避けたいと思っています。それでも、出社には意味があるのではないかと…。

 

プライベートとパブリックの切り替えが自分の意思だけでできる人はそうそういません。ずっと家で仕事をしてきた人でも、「スーツを着る」「書斎に行く」「散歩を挟む」など、切り替えるための決まりごとを作っています。これはどこかで見かけた記事だと思いますが、切り替えるためには、“間(時間・空間・人間)”が必要という話。通勤(時間)と場所(空間)と会う人(人間)が変わることでスイッチを切り替えていると言われたら、なんとなく共感できますよね。自宅で仕事をしてきた人は、通勤・会社・人にあたる“間”を他の方法で切り替えています。このご時世、出社は密を回避できないデメリットなどがありますし、テレワークを希望する声も高まっていると思いますが、この“間(時間・空間・人間)”を自分なりにコントロールできないと難しいのかもしれません。

 

 

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データも美しい?

 

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 自分が素晴らしいと思ったデザイン。滅多に見る機会はありませんが、そのデザインのデータやプロセスを拝見すると、最終的な表現と同じくらい整っています。美しいデザインは、データやプロセスも美しい。

 

例えば、ウェブサイトのデザインは表に見えているものが同じようでも、裏側のコードまで美しいものと、ぐちゃぐちゃに詰め込まれたものがあると聞きます。優れた作り手のデザインは、きちんとルールが設けてあったり、指示が集約されていたり、確認がしやすかったりするそう。自身で手入れをする際はもちろん、他の誰かが触る際に気持ちがいいわけです。ロゴマークやイラストのデータは第三者がデザインに手を加えることはありませんが、そのデータを別の場所に貼り付けたりする際、きれいに整っているデータの方が使いやすい。自分しか使わないデータでない限り、美しく仕上げる必要があるとも言えます。見えるところだけ美しくしている人と、内面まで美しい人では、どちらに魅力を感じるかは明らかですよね。ただ、偉そうに言っておきながら、私はデータがぐちゃぐちゃ寄りなので、内面もきちんと磨こうと思います。

 

 

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些細な指摘は可能性あり?

 

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 デザインや企画の提案をした際に、ものすごく些細なところを指摘されることがあります。いわゆる重箱の隅をつつく感じ。昔はそうされるたびに「いじわるだなぁ」と相手に嫌な印象を抱いていましたが、ある時から「よしっ♪」と喜ぶようになりました。

 

「そういうところしか指摘できる箇所がないぐらい精度が高い提案なんだな♪」と捉えるようになったからです。根本的なところや肝の部分には指摘する余地がなかったということ。ディテールを整理していけば、完成度の高いものにできると自信を持つようになったわけです。提案相手がはじめに目に付いたところを指摘しただけだったり、立場上どこかを指摘しなければいけなかったり、時には、こちらの根本的な捉え方がズレているのに細部を指摘されたりと、すべてに言えることとは言い切れません。それでも、ほとんどの場合は一番重要なところから指摘するので、重箱の隅をつつかれたら、そのデザインや企画には可能性アリ。「ちなみに自分だったらこうするかなぁ」みたいな発言が相手から出る場合もありますが、それはこちらの提案からヒントを得て展開されたアイデアだったりするので、同様に自信を持って良いと思います。

 

 

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魅力やコツを聞いても動かない?

 

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「部屋を掃除しなさい!」と言われても、なかなか行動に移しません。「きれいになったら気持ちもスッキリするし、集中力も上がるから勉強するにも仕事をするにもいいよ♪」と掃除の魅力を教えられたり、「まず、要るものと要らないものを仕分けるところからはじめて…」と掃除のコツを聞いても、納得はするもののそれでも行動に至りません。

 

ところが、そんな人でも行動するケースがあります。それは、試してみたいモノが目の前にあるとき。例えば、もうお馴染みですが、だいぶ前に吸引力がすごい掃除機が登場してそれを頂いたことがあったんですが、CMや噂で聞いていたものの「そんなに言うほど?」と疑いながらも試してみたくなりました。…で、試してみると驚くほどの吸引力。きれいになった床の一角を見て、せっかくならせめてここの一面だけでも…と掃除をしてしまいました。行動に移してしまったわけです。それをすることで得られる魅力や着手しやすい方法を伝えれば理解することはできます。でも、行動を起こすにはまた別の力が必要。特に腰の重い人に対しては。「だったら、試してみるか!」「試したい!」と思えるような自発的に行動を起こすきっかけを作ってみると、行動が変わるかもしれません。

 

 

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SNSアイコンにある主張?

 

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 他人のSNSのアイコンを観察すると、その人がどんな人か分かったりします。あくまで想像できるといったところですが、自身でそれを選んだという時点で、何かしらの主張が含まれていると考えます。

 

自分の顔をしっかり出していれば、広域な意味で自信のある人。後ろ姿や顔を特定できないけれど自分が写っている写真を使っていれば、ファッションや行った場所のセンスを伝えたい人。物や有名人やキャラクターの写真を使っていれば、趣味嗜好を伝えたい人。無機質なアイコンであれば、発言や投稿のセンスに自信のある人。もちろん当てはまらないケースも多々あると思いますが、結構当てはまるし、その人との接し方が見えてきたりします。具体的には、「主張していること=見て欲しいところ」なので、そこを褒められたらきっと嬉しいし、逆を言えば、その主張以外のところを褒めてもあまり響かないと言えます。そう考えていくと、私たちは(少なくても私は)、何か表現されたものに人を見ているということ。表現物に魅力を感じたりネガティブなイメージを持つのは、表層だけを見ての話ではないということなのかもしれません。表現の裏側を見ている。そうだとしたら、裏側のないAIのクリエイティブ表現に魅力を感じるかどうか?気になるところです。

 

 

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買いたくても買わない?

 

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 マグカップが売れない。そんなとき、私たちはそのマグカップの魅力が足りないと考えます。デザインがわるい?価格が高い?カタチは?素材は?...。それを買う側の目線で考えると、「家にマグカップあるからなぁ」と簡単に答えが出たりします。家に4つも5つもある状態で買うのは、よっぽどのマグカップ好きぐらい。それ以外の人は、商品に魅力を感じても、家のマグカップのどれかを処分してまで新しいマグカップを買おうとは思いません。

 

私は小売業を経験したことがあるんですが、売れない理由を考えるときはいつも商品やサービスにばかり目を向けていました。自分の役割がデザインや販促だったこともあり、当然といえば当然ではあるんですが、たまたま接客をしたときにお客さんから「欲しいけど家に入らない」と言われて、ハッとさせられたことがありました。商品に魅力を感じていて、価格も全く問題なくて、購入したいという意思もある。それでも買わない、というか買えないという結果に至ったわけです。買わない理由は様々。買いたいけど持ち歩きたくない…。欲しいけど置く場所がない…。そういった商品とは別のちょっとしたところを解決するだけで、売れる商品になることも多々あります。

 

 

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別の手段を持っているから安心?

 

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 アイデアを出すための手段。私なりにいろいろ持っていて、1つの手段で上手くいかなくても別の手段があるので、焦ったり心配になることはありません。でも、仮に今使っている手段以外に手立てがなかったら、きっと不安でいっぱいになります。

 

別の手段を持っているから安心できる。良い精神状態でリラックスして取り組めたり、焦らずに対応できたりします。仕事などで連絡がなかなかつかない人がいたとしたら、メールの返信がなければ電話をかけますし、直接その人のところに行くという手段もあります。他にも書面を送ったり、別の誰かを介して連絡をとる方法など、作ろうと思えばいくらでも増やすことができる。しかし、いつも使っている手段で何事もなく通用していると、他の手段を増やそうとはなかなか思えません。「だって、特に不自由していないから♪」となってしまいます。ただ、そんな時にこそ増やしておかないと、いざ通用しない場面になったときにあたふたしてしまいます。闇雲に増やす必要はないかもしれませんし、別の手段がある安心感が良くない方に働くこともありますが、何かのときのためにいくつか増やしておいても損はありません。

 

 

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やっぱりプロセスが楽しい?

 

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 生活必需品はネットで手に入れることができますし、生鮮食品は近所のスーパーで購入できます。実店舗でなければ購入できないものも一部ありますが、購入するために判断したい情報はネットに掲載されているので、よっぽど実物を見て確認したい時以外は出向く必要はありません。それでも、私たちは出向きます。

 

自粛が解除させた途端、繁華街は人で溢れかえっていて、少なくても私の住む地域のターミナル駅ではコロナ前の土日以上に人がいたように感じました。ちなみに、そこには映画館もアミューズメント施設もありません。グルメ目的だったとしても、そこでしか食べられない!というほど珍しい飲食店もない。ショッピングも同様です。それでもそこにたくさんの人が集まりました。そうやって考えていくと、「友達と久しぶりに会って街ブラしたい!」といった目的のない目的が、人が街に繰り出す理由ではないかと思います。プロセスを楽しむため。具体的な目的を果たすための手段は、これからどんどん便利になっていきますが、このプロセスを楽しむ手段はなかなか難しい。友達と顔を合わせながら一緒に飲むという目的なら、オンライン飲み会で満たせるはずですが、それで満たせないのはそういうところかもしれません。

 

 

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閃きは大体ボツにする?

 

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 妙案が思い浮かんだ!...むかしは、それをどんどんブラッシュアップして完成まで持っていっていましたが、もう何年も私は迷わず却下しています。優れたアイデアは簡単に閃くようなものではないし、十分な情報も得ないまま考えられるものではないと捉えるようになったからです。私の場合、思い浮かぶなんてことがほとんどないとうのもありますが…。

 

「あっ♪このアイデアいいな!」と思うことは正直多々あります。それを進めたくなる衝動はなかなか止められません。間違いないという魔法にかかっている状態だからです。しかし、あくまで私の場合はそれで上手くいった試しがありません。そこで、奮い立つ想いを断ち切る方法として、閃きアイデアは即却下することに決めました。「これ最高!」の魔法は厄介で、その先もアイデア出しを進めたとしても、既に最高の案があるという安心で思考が鈍ったり、量で考えたつもりになる程度の無駄な時間になってしまったりします。時間をかければ良いアイデアに辿り着けるわけではありませんし、直感が後に素晴らしいアイデアに発展することもあります。ただ一つ言えるのは、簡単に出てくるものではないということ。閃きの採用には要注意です。

 

 

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「〇〇さんっぽい作品」は禁句?

 

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 クリエイターに対してのNGワードの1つが「〇〇さんっぽい作品ですね」。称賛するつもりで言っていたとしても、言われた本人が傷つく一言です。音楽プロデューサーの小室哲哉さんも、そのワードが一番堪えるとあるインタビューで語っていました。

 

いろんな目的のために、想いを伝えるために、新たな境地を目指して日々表現を模索しています。同じ考えのもとに作品を制作している人もいるかもしれませんが、過去作に似せて作ろうとしている人は誰一人としていないと思っています。その人らしさは確かにあります。ただそれは、アウトプットされたそれではない。着想やそこに至る過程、込められた内部から感じられるもの。表面的なところを捉えた一言は、クリエイターとしてそれほど残念な気持ちになることはありません。過去に何度か、私がデザインしていないものについて、「このデータください!」「私がデザインしたものではないので持っていないんですが…」というやりとりの後に、「あれ?〇〇さんっぽいからそうかと思っちゃった♪」みたいな返しをされ、ものすごく悲しい気持ちになったことがあります。

 

 

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自粛中に家を片付けた理由?

 

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 外出自粛期間中に、家の中を片付ける人がたくさんいました。時間を持て余していて、自宅でできることとして、片付ける良い機会だと考える人が多かったと報じられていましたが、私の見方は少しちがいます。

 

私も当然同じ状況下にいましたが、家の片付けをしていません。その理由付けで考えれば絶好のチャンスです。しなかった理由は、片付ける必要がなかったから。自宅で仕事をする生活をずっとしていて、家の中はすでにその環境として整備してあったからです。一方で、片付けをした人たちは、きっと止むを得なかったのではないかと思いました。自宅で仕事をしたり、お父さんや子どもがずっと家にいる仕様に、家の環境が整備されていなかったのではないかと。平日に昼ごはんを家族で食べることはなかったでしょうし、ダイニングテーブルで仕事をすることもなかったはず…。変化した状況に環境を合わせる必要があったのだと捉えています。これからどうなっていくかは誰にも分かりませんが、家の中に限らず、変化する状況に環境を合わせていくことが少なからず必要になってくるかもしれません。

 

 

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