デザインのあてな

身近なところにデザインのヒント

魅力やコツを聞いても動かない?

 

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「部屋を掃除しなさい!」と言われても、なかなか行動に移しません。「きれいになったら気持ちもスッキリするし、集中力も上がるから勉強するにも仕事をするにもいいよ♪」と掃除の魅力を教えられたり、「まず、要るものと要らないものを仕分けるところからはじめて…」と掃除のコツを聞いても、納得はするもののそれでも行動に至りません。

 

ところが、そんな人でも行動するケースがあります。それは、試してみたいモノが目の前にあるとき。例えば、もうお馴染みですが、だいぶ前に吸引力がすごい掃除機が登場してそれを頂いたことがあったんですが、CMや噂で聞いていたものの「そんなに言うほど?」と疑いながらも試してみたくなりました。…で、試してみると驚くほどの吸引力。きれいになった床の一角を見て、せっかくならせめてここの一面だけでも…と掃除をしてしまいました。行動に移してしまったわけです。それをすることで得られる魅力や着手しやすい方法を伝えれば理解することはできます。でも、行動を起こすにはまた別の力が必要。特に腰の重い人に対しては。「だったら、試してみるか!」「試したい!」と思えるような自発的に行動を起こすきっかけを作ってみると、行動が変わるかもしれません。

 

 

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SNSアイコンにある主張?

 

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 他人のSNSのアイコンを観察すると、その人がどんな人か分かったりします。あくまで想像できるといったところですが、自身でそれを選んだという時点で、何かしらの主張が含まれていると考えます。

 

自分の顔をしっかり出していれば、広域な意味で自信のある人。後ろ姿や顔を特定できないけれど自分が写っている写真を使っていれば、ファッションや行った場所のセンスを伝えたい人。物や有名人やキャラクターの写真を使っていれば、趣味嗜好を伝えたい人。無機質なアイコンであれば、発言や投稿のセンスに自信のある人。もちろん当てはまらないケースも多々あると思いますが、結構当てはまるし、その人との接し方が見えてきたりします。具体的には、「主張していること=見て欲しいところ」なので、そこを褒められたらきっと嬉しいし、逆を言えば、その主張以外のところを褒めてもあまり響かないと言えます。そう考えていくと、私たちは(少なくても私は)、何か表現されたものに人を見ているということ。表現物に魅力を感じたりネガティブなイメージを持つのは、表層だけを見ての話ではないということなのかもしれません。表現の裏側を見ている。そうだとしたら、裏側のないAIのクリエイティブ表現に魅力を感じるかどうか?気になるところです。

 

 

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買いたくても買わない?

 

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 マグカップが売れない。そんなとき、私たちはそのマグカップの魅力が足りないと考えます。デザインがわるい?価格が高い?カタチは?素材は?...。それを買う側の目線で考えると、「家にマグカップあるからなぁ」と簡単に答えが出たりします。家に4つも5つもある状態で買うのは、よっぽどのマグカップ好きぐらい。それ以外の人は、商品に魅力を感じても、家のマグカップのどれかを処分してまで新しいマグカップを買おうとは思いません。

 

私は小売業を経験したことがあるんですが、売れない理由を考えるときはいつも商品やサービスにばかり目を向けていました。自分の役割がデザインや販促だったこともあり、当然といえば当然ではあるんですが、たまたま接客をしたときにお客さんから「欲しいけど家に入らない」と言われて、ハッとさせられたことがありました。商品に魅力を感じていて、価格も全く問題なくて、購入したいという意思もある。それでも買わない、というか買えないという結果に至ったわけです。買わない理由は様々。買いたいけど持ち歩きたくない…。欲しいけど置く場所がない…。そういった商品とは別のちょっとしたところを解決するだけで、売れる商品になることも多々あります。

 

 

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別の手段を持っているから安心?

 

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 アイデアを出すための手段。私なりにいろいろ持っていて、1つの手段で上手くいかなくても別の手段があるので、焦ったり心配になることはありません。でも、仮に今使っている手段以外に手立てがなかったら、きっと不安でいっぱいになります。

 

別の手段を持っているから安心できる。良い精神状態でリラックスして取り組めたり、焦らずに対応できたりします。仕事などで連絡がなかなかつかない人がいたとしたら、メールの返信がなければ電話をかけますし、直接その人のところに行くという手段もあります。他にも書面を送ったり、別の誰かを介して連絡をとる方法など、作ろうと思えばいくらでも増やすことができる。しかし、いつも使っている手段で何事もなく通用していると、他の手段を増やそうとはなかなか思えません。「だって、特に不自由していないから♪」となってしまいます。ただ、そんな時にこそ増やしておかないと、いざ通用しない場面になったときにあたふたしてしまいます。闇雲に増やす必要はないかもしれませんし、別の手段がある安心感が良くない方に働くこともありますが、何かのときのためにいくつか増やしておいても損はありません。

 

 

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やっぱりプロセスが楽しい?

 

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 生活必需品はネットで手に入れることができますし、生鮮食品は近所のスーパーで購入できます。実店舗でなければ購入できないものも一部ありますが、購入するために判断したい情報はネットに掲載されているので、よっぽど実物を見て確認したい時以外は出向く必要はありません。それでも、私たちは出向きます。

 

自粛が解除させた途端、繁華街は人で溢れかえっていて、少なくても私の住む地域のターミナル駅ではコロナ前の土日以上に人がいたように感じました。ちなみに、そこには映画館もアミューズメント施設もありません。グルメ目的だったとしても、そこでしか食べられない!というほど珍しい飲食店もない。ショッピングも同様です。それでもそこにたくさんの人が集まりました。そうやって考えていくと、「友達と久しぶりに会って街ブラしたい!」といった目的のない目的が、人が街に繰り出す理由ではないかと思います。プロセスを楽しむため。具体的な目的を果たすための手段は、これからどんどん便利になっていきますが、このプロセスを楽しむ手段はなかなか難しい。友達と顔を合わせながら一緒に飲むという目的なら、オンライン飲み会で満たせるはずですが、それで満たせないのはそういうところかもしれません。

 

 

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閃きは大体ボツにする?

 

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 妙案が思い浮かんだ!...むかしは、それをどんどんブラッシュアップして完成まで持っていっていましたが、もう何年も私は迷わず却下しています。優れたアイデアは簡単に閃くようなものではないし、十分な情報も得ないまま考えられるものではないと捉えるようになったからです。私の場合、思い浮かぶなんてことがほとんどないとうのもありますが…。

 

「あっ♪このアイデアいいな!」と思うことは正直多々あります。それを進めたくなる衝動はなかなか止められません。間違いないという魔法にかかっている状態だからです。しかし、あくまで私の場合はそれで上手くいった試しがありません。そこで、奮い立つ想いを断ち切る方法として、閃きアイデアは即却下することに決めました。「これ最高!」の魔法は厄介で、その先もアイデア出しを進めたとしても、既に最高の案があるという安心で思考が鈍ったり、量で考えたつもりになる程度の無駄な時間になってしまったりします。時間をかければ良いアイデアに辿り着けるわけではありませんし、直感が後に素晴らしいアイデアに発展することもあります。ただ一つ言えるのは、簡単に出てくるものではないということ。閃きの採用には要注意です。

 

 

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「〇〇さんっぽい作品」は禁句?

 

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 クリエイターに対してのNGワードの1つが「〇〇さんっぽい作品ですね」。称賛するつもりで言っていたとしても、言われた本人が傷つく一言です。音楽プロデューサーの小室哲哉さんも、そのワードが一番堪えるとあるインタビューで語っていました。

 

いろんな目的のために、想いを伝えるために、新たな境地を目指して日々表現を模索しています。同じ考えのもとに作品を制作している人もいるかもしれませんが、過去作に似せて作ろうとしている人は誰一人としていないと思っています。その人らしさは確かにあります。ただそれは、アウトプットされたそれではない。着想やそこに至る過程、込められた内部から感じられるもの。表面的なところを捉えた一言は、クリエイターとしてそれほど残念な気持ちになることはありません。過去に何度か、私がデザインしていないものについて、「このデータください!」「私がデザインしたものではないので持っていないんですが…」というやりとりの後に、「あれ?〇〇さんっぽいからそうかと思っちゃった♪」みたいな返しをされ、ものすごく悲しい気持ちになったことがあります。

 

 

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自粛中に家を片付けた理由?

 

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 外出自粛期間中に、家の中を片付ける人がたくさんいました。時間を持て余していて、自宅でできることとして、片付ける良い機会だと考える人が多かったと報じられていましたが、私の見方は少しちがいます。

 

私も当然同じ状況下にいましたが、家の片付けをしていません。その理由付けで考えれば絶好のチャンスです。しなかった理由は、片付ける必要がなかったから。自宅で仕事をする生活をずっとしていて、家の中はすでにその環境として整備してあったからです。一方で、片付けをした人たちは、きっと止むを得なかったのではないかと思いました。自宅で仕事をしたり、お父さんや子どもがずっと家にいる仕様に、家の環境が整備されていなかったのではないかと。平日に昼ごはんを家族で食べることはなかったでしょうし、ダイニングテーブルで仕事をすることもなかったはず…。変化した状況に環境を合わせる必要があったのだと捉えています。これからどうなっていくかは誰にも分かりませんが、家の中に限らず、変化する状況に環境を合わせていくことが少なからず必要になってくるかもしれません。

 

 

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みんな賛成は発展しない?

 

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 自身の提案に対して、周囲から賛同を得られすぎると、かえって不安になることがあります。「(このアイデアを実現したときの画が簡単に描けてしまうんだなぁ…)」それぞれの知識や経験の範囲内で処理できてしまっているイメージです。きっとそれはある程度は上手くいくと思いますが、ある程度で止まってしまうのでは?と感じてしまうんです。

 

批判もあるアイデアの方が、やってみて想定外のことが起きるかもしれない。そういった「批判があった方がいい」という意見もありますが、そういうことを言いたいわけではありません。私の場合は、投げかけたことに対して、周囲が頭を悩ませたりするアイデアに強く興味を持ってしまいます。頭を悩ませるということは、その人の経験値で処理しきれないということ。そこに未知の領域が含まれていると考えます。そして、その未知の部分が新たなアイデアを切り拓いていくように思うんです。全員一致で賛成!よりも、議論を生むアイデア。周囲の人たちを巻き込んで、アイデアを実現していこうとすると、どうしても共感を得られるようにと考えてしまいがちですが、共感よりも議論の末に「やってみよう!」となったアイデアの方が、周囲の熱も込められて良い影響を及ぼすような気がします。

 

 

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手間がかかることは競合が少ない?

 

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 勉強も兼ねて、時間を見つけては公募のデザインコンペに応募しています。結果はなんとも言えませんが、発表の際に応募数を公表しているものもあり、「こんなに多いんだ」「あれっこれしか応募がなかったの?」と意外な数字に驚くことがよくあります。考えられる理由でパッと浮かんだのは、手間。面倒であればあるほど、応募数が少ない傾向があります。

 

時代を表すユニークな川柳などはきっと応募数が多いでしょうし、応募方法が郵送ではなくメールやツイッターOKだったら、もっと多いはず。私が応募してきたコンペで言えば、設けられている提出期間が短い、提出物が多いなど手間のかかるものは、応募がイメージより少なかったように思います。もちろん、課題の難易度や応募に必要なスキル、コンペの知名度や副賞なども影響しているとは思いますが、やっぱり一番影響してそうなのは手間。主催する側の立場だったら、もし応募数を集めたかったら手間を極力無くすのがオススメです。…って考えると、コンペに限らず、手間が多い方に行けば競合は少ないということ。仕事などで、手間のかかる方を選びたくないケースは多々あると思いますが、思い切って選んだ方が、結果を勝ち取れる可能性が上がるかもしれません。

 

 

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相談されたくなさそうな人に相談?

 

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 誰かに相談することが多いタイプではありませんが、つい最近、ある人に相談しました。内容は他愛もないことですぐに解決したんですが、ふと、何でこの人に相談したのか?と気になって考えてみました。はっきりとした理由は見つけていませんが、以前おもしろい話を聞いたことを思い出しました。

 

「相談してほしい!と普段から口にしている人は、あまり相談されない。逆に、そういうのは面倒だから嫌だ!ってタイプの人に、まわりがよく相談している。」親身に応えてくれようとしている人よりも、煙たがる人の方が頼られるというおもしろい話です。あくまで、その人の経験談ですが、自分が相談したときを思い返してみると、不思議と当てはまりました。確かに、しょっちゅう相談を受ける人だったら、よっぽど相談されるのが大好きな人を除けば、自ら「相談して!」とは言いません。売れっ子が自ら営業しなくても引っ張りだこなのと似ています。もちろん声を掛ける人は、誰かのために役に立ちたくてそうしている優しい人なのだと思いますが、かえってその「役に立ちたい」が強く感じられすぎて、相談したいと思えなくなってしまっているのかもしれません。

 

 

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大変さは伝えなくていい?

 

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 最近でもありませんが、いろんな人たちの裏側を紹介する番組をよく目にします。そこに関心のある人が多いからそういった番組があるわけで、私も興味を持ってしまうので言える立場ではないんですが、あまりそこを見せて欲しくないのが正直なところです。

 

裏側ありきの表になってしまう…。例えば、長い時間をかけて周到に準備をしたことを知ってその人のパフォーマンスを観るのと、純粋にその人のパフォーマンスを観るのでは、確実に見方が変わってしまいます。また、そこに至るまでにどれだけ大変だったかを伝えるような内容も同じで、結果よりも大変だったことの方に注目してしまう。結果が芳しくない場合でも、「いや、それでも大変な思いをしてきたんだから上出来だ!」となってしまう。すごくわるい言い方をしてしまうと、頑張ったことが評価になるということです。誤解のないように言っておきたいのは、頑張っていることは素晴らしいこと。ただ、みんな大なり小なり頑張っているし、結果で勝負する世界なら見せない方がいいし、アピールする必要もない。表を見れば、裏側の努力はアピールせずとも伝わります。

 

 

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選択肢を減らす?

 

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「こんなものが欲しい♪」とネットで調べれば、数限りなく商品が見つかります。たくさんの選択肢の中から自由に選べることは確かに恵まれた環境ですが、良い面ばかりではありません。私たちは選択肢が多すぎるとストレスを感じるからです。風通しのよい会社や自由に発言できる場といった求められている環境でも、それをストレスに感じてしまうこともある。

 

自由には、自身で取捨選択をしながら進んでいかなければならないという圧力があります。それを心地よく感じる人や、負荷と感じつつもそれをエネルギーに変えられる人がいる反面、面倒だと感じたり、押しつぶされそうになってしまう人もいる。ある程度、制限をかけられたり、管理された方が、リラックスして力を発揮できる人もいます。私の個人的な印象では、自由を与えられた方が行動が起こす人は少ない。一方で、特定の条件下で何かを求めた場合の方が、行動を起こす人が若干多いように思います。具体的な課題に対しては意見がでるものの、漠然とした課題に対してはあまり出ない感じ。目の前の選択肢が多すぎる場合、私はあえて制限をかけて減らすようにしています。時と場合によりますが、その方がパフォーマンスがあがるケースもあるかもしれません。

 

 

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仕事を得るための仕事?

 

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 会社員、自営業、フリーランス…。どの立場でも、仕事の依頼が多い人とそうでない人がいます。はっきり言って私は決して多くはないので、依頼が絶えない人の行動を見習おうと勉強する毎日です。そんな私が真似ていることの1つに、“仕事を得るための仕事”があります。

 

単刀直入に言うと、仕事が来ないと言っている人は、仕事を得るために動いていません。動いていないと言うと語弊がありますが、行動が足りていない。ここで言う行動は、「仕事をください!」と声を掛けることではなく、「こういうのはどうでしょう?」と提案すること。例えば、今こんなことで悩んでいるという人がいて、その人に対してこちらから具体的な解決策を提示するようなことです。「うちなら解決できますよ!」と声を掛けるのではなく、「こんな解決方法を試してみませんか?」。ここ3ヶ月ほどは、今後の不安も少なからずあり、この“仕事を得るための仕事”をより積極的に着手するようになりました。当初は「あまり実らないだろう」と半信半疑でしたが、不思議と半分以上仕事に結びついています。無駄な労力と捉えず、これも仕事だと当たり前にできるようになれば、その頃には仕事が得られているかもしれません。

 

 

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